いち
息抜き用の短編になる予定だったのですが、少し長いものになってしまいました。
五話くらいで終わると思います。
朝。鏡の前で歯を磨こうとして、……ヤバいと思いました。
私――雁夜文月の八重歯が、鋭くなっていたからです。
吐く息が白い16歳の真冬。
可愛げの無い自分には似合わない気がしたけれど、貰ったばかりの桃色のマフラーをしっかり巻いて、家を出ます。
門から出たところで「おはよー」と、ほんのり眠そうな声が耳に届きました。もうちょっとで素通りしてしまうところでした。
その人は、私には可愛すぎる桃色のマフラーをくれた人。つい最近、お付き合いをするようになった人――朝日奈七緒くんです。
七緒くんはいじっていたスマホをポケットにしまって、車道側をいつも歩きます。私は「あんまり車の通る道じゃ無いから気にしなくていいよ」といつも言いますが、七緒くんは軽く流します。
「今日は言わないんだね」
「にょ!?」
私の顔を悪戯っぽい笑みで覗き込む七緒くんに、大げさな返しをしてしまいました。絶対……変な子って思われた……。
自己嫌悪したら、鞄を持つ手に力が入ってしまいます。癖なんです。
「文月……今日、もしかして体調悪い?」
「な、何で?」
「目ェ合わせないし口元隠すから、なんか調子悪いのかな、って」
「大丈夫。……ごめんね、ちょっと他の考え事してて」
嘘です。本当は……『変な子』って思われても仕方ない事に気が言ってるんです。
七緒くんが、すっごく甘い匂いしてるんです。
甘くて、良い匂いで――――噛み付きたくてたまらない。
「ふにゃあああ!」
「文月!?」
「ごご、ごめん! 今日、英語の先生に八時半までに昨日出し忘れた課題出さないとだから! 先行くね!」
逃げでは無い。これは戦略的撤退だ。……すみません、また大嘘こきました。これ以上いたら七緒くんでよからぬ事を考えてしまうので全力疾走です。
ああもう……もう嫌です! 早くも心が挫けそうです!
遡る事数十分前
「おおおおお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さん‼︎」
「なぁに? 朝は忙しいんだからそんなに騒がないで」
忙しいと仰っていますが、全然そうは見えません。だってお母さん、全ての家事をお願い断れないお兄ちゃん(※不幸な事に大学もバイトもお休み)に任せ、自分はクラシック音楽の中コーヒーとトーストでとても優雅な朝食とってますから。
「わた、わたわた私の歯が……っ」
あがっと口を開けて、鏡で私が見た八重歯の変化をお母さんに見せつけます。目を細めたお母さんは「ああ」と、何かに納得した声を発しました。
「アンタ、七緒くんとキスしたのね。しかも深めのやつ」
淡々と、恋人との進行状況を母に見抜かれ呼吸が止まりかけました。
「で、まさか押し倒すだの倒されるだのその先なんていってないでしょうね? お母さん、そういうのは成人しなきゃ許さないわよ」
「そんな事までしてないもん!」
そそそそんなふしだらな事っ! 高校生で出来ません!
そういう意味を込めまくって首をブンブン横に振ったら、フラ〜と体が傾きました。お兄ちゃんが椅子を私の後ろに持ってきて座らせてくれます。ナイスタイミングですお兄ちゃん。
「七緒くんが草食系の顔立ちだから言う必要はないと思ってたけど、最近はそういう子ほど危ないのね~。今実感したわ」
「……ねえお母さん、コレ何なの? これじゃあまるで――」
「吸血鬼……って言いたいんでしょ? 『まるで』じゃ無いわよ。アンタの曾お婆ちゃんの代から吸血鬼の血が入ってるんだから本物よ」
コーヒーに砂糖を足して飲むお母さんが信じられない事を宣いました。
「映画見過ぎで現実との区別つかなくなってる? 吸血鬼なんてこの世にいないよ?」
「親を残念なもの見る目で見ないの」
ペシコンと軽く頭を叩いたお母さんは、クラシック音楽を止めて真面目な表情を作りました。
「文月、もしもすぐに元の歯に戻したいのなら七緒くんの血を吸いなさい。文字通り死ぬほど」
「お母さん……犯罪者の親になりたいの?」
「嫌よ。だからすぐに戻したい時は早く言えっつってんのよ。親子の縁を先に切るから」
全然そうには聞こえなかったよ。日本語って難しいです。
「でも、本能でついガブっと殺っちゃうかもね~」
更に不穏な事を補足するお母さん。そろそろ泣きたくなってきました。
「どういう事?」
「アンタの曾お婆ちゃんは吸血鬼の中でも少し特殊だったのよ。普通の吸血鬼は自分好みの味の人間を探すもんなんだけど、曾お婆ちゃんは自分の体液を餌にしたい人間の中に入れたら、後はちょっと待つだけで自分好みの味に出来る能力持ちだったの」
言ってる事が微妙に生々しくて嫌なんですけど!
ていうか『体液』って……キスと関わりあるみたいだから唾液の事ですよね。
「ちなみに歯が鋭くなるのは熟れた兆候らしいわよ」
「七緒くんは果物じゃ無いから!」
「じゃあクリスマスシーズンのガチョウ?」
「なお悪い!」
七緒くんは細マッチョより少し肉が無いくらいです。全然肥えてません! ……あ、嫌なこと気付きました。私がヤバいかもです。最近体重計乗ってないから。
「ふぅ。それじゃあお腹も膨れたし、可愛い娘をからかうのも飽きてきたから正直に言いましょうか」
「……今までのは嘘だったの?」
「真実よ、紛れもなく」
お母さんの呆れた表情と、テーブルの上のお皿を台所へ運んでいくお兄ちゃんが私の眼に映ります。お兄ちゃん、本当に働き者。
「すぐには戻らないけど、対象の食べ頃が過ぎれば元に戻るわ。だいたい一ヶ月くらいだったかしら?」
「一ヶ月……」
「口閉じてれば普通なんだし。冬休みもあるからどうにかなるんじゃない?」
冬休みまで一週間はあります。その間誰とも話さない訳がありません。マスクはつい先日切らしてしまったので、帰りに買いに行こうと誓った朝でした。
年内完結めざします。