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第三章 IMAGNAS ③

いつもより少し長くなりました

第三章 IMAGNAS ③

「今の爆発は?」

 データ解析はまだ半ばだ。まだ終わりそうな時間ではない。もっともこれが終わったところで、しかるべきところにデータを運搬する作業が残っているわけだが

「ボマーの仕掛けた爆弾だ。とうとうやっこさんが現れたってとこだな」

 通信機の先から、ジャックナイフの声が聞こえる。データ解析はハッカーの仕事だ。パトリックは壁に備え付けられたモニターに目を向けた。施設内の監視カメラの映像が、侵入者の姿を捉える。

「あれが、ラストワン……」

 ライム色の肩まで伸ばした長髪に、苦労や挫折を知らないまま大きくなったような、子供っぽい顔立ち。配下の能力者たちと同じように黒いジャージを着ているが、彼らのように体を痙攣させたり、不自然に目を動かすことはなかった。

 現れたのは施設中央。まさしく正面突破するためのルートだ。彼の背後には爆発で崩れた壁。恐らく直撃したであろうに、その体には傷一つついていない。

「そこから動くなよ。何とかここで食い止める」

 ジャックナイフの姿が監視カメラに映った。マズルフラッシュが画面を照らし、それに対応した銃声が、廊下の奥から鳴り響く。だが、効果は薄い。画面越しなので良くわからないが、何らかの不可視の力を使ってラストワンは銃弾を左右にそらしているようだ。

「その。大丈夫ですか? 効いていないように見えますが」

「奴が同時に使える能力の数には限りがある。枠の一つを潰すには、銃を撃つのが一番手っ取り早い」

 通信機は音声だけをクリアに切り取って伝える。銃撃を続けながら、敵へと接近するジャックナイフ。対するラストワンもまた、この部屋を目指して廊下を走り始めた。

 そして、両者の交差する一瞬。その動きは早すぎて目で追えないが、直後の姿勢からジャックナイフが彼の最も得意とする得物、コードネーム通りのナイフを取り出したことはわかった。突き立てようと振り上げた手が、空中で止まる。ラストワンの能力だろう ジャックナイフの攻撃は、決定打にいたらない――

「これは?」

 そう思ったのもつかの間、振り上げたナイフの刀身が水平方向に吹き飛んでいく。振り下ろされる刃。噴き上がる血。刀身を失ったナイフが、いかなる原理かラストワンの体に傷をつけていた。

「あのナイフ。どうなっているんだ?」

 即座に抜き取ったナイフには、先ほど飛んで行ったものよりも一回り小さい刃がついていた。マトリョーシカのような構造のナイフ。攻撃を終えると、ジャックナイフは垂直に跳んだ。直後、彼のいたスペースを、正体のわからない衝撃波が襲う。何かを発射したのだろうか、砕かれた壁がその威力を物語る。

「中に象牙のナイフを仕込んでたんだ。あの能力は特性上、金属は弾けても生物の体は拒絶できない」

「じゃあ、もう勝ったってことですか?」

「いや、奴には再生能力がある。完全に回復するわけではないが、傷を塞いで血を止めるくらいはやってくる奴だ」

 再びジャックナイフへと掌を向けるラストワン。衝撃波をジャンプで躱すジャックナイフだが、空中にいる彼を地面から伸びる蔦が絡め取る。

「……こいつは初めてだな」

 即座にナイフで拘束を切り払おうとするが、ラストワンは次の攻撃に移っている。どう考えても間に合わない。だが

「よくやった、スナイプ」

 ラストワンは、頭部に衝撃を受けたかのように後ろに吹き飛んだ。スナイプ。この部屋よりもさらに奥に待機している狙撃手の能力者。彼女の放った弾丸は、能力に遮られることなくラストワンを捉えた。

「やったか? いや、浅いな」

 敵との距離を保ちながら、再び武器を構えるジャックナイフ。

「銃撃は効かないはずでは?」

「勝負を焦ったんだ。射撃防御を解除して、別の能力で俺を仕留めにかかった。悪い手じゃない。だが、こちらは一人で戦っているわけではない。奴はそれを頭に入れていなかった」

 むくりと、ラストワンがその身を起こす。頭部に銃撃を受けたというのに、即死しなかったらしい。

「一瞬早く射線から逃げていたな。かすっただけか」

 ジャックナイフは距離を保つよう敵の接近に合わせてじりじりと後退している。何か策があるのだろうか。このままでは一気に近づかれて攻め込まれてしまうのでは?

 案の定、ラストワンは特攻を選択した。人間を越える筋力を活かし、廊下を走破せんと一気に踏み込んでくる。合わせるように背後へと飛ぶジャックナイフ。何を思ったか、ラストワンは攻撃で砕けた壁の破片を、走りながら掬い取った。そして、

 爆発。火炎と粉塵で、カメラの視界が塞がれる。地雷か何かを仕掛けていたのだろうか。ラストワンは、見事ジャックナイフに誘い込まれた形になる。

 粉塵がはれ、監視カメラの視界が戻る。ラストワンは無傷。何の役割を果たしたのかはわからないが、その手に持った石が赤熱しているのがわかる。画面外から打ち込まれる銃弾。スナイプの狙撃は、またも能力に阻まれる。

 だが、ラストワンは気づいていない。自身の背後に立つ気配を消した暗殺者を。

「やった!」

 象牙のナイフが心臓部から飛び出し、ラストワンの口から血がこぼれる。ナイフエッジ。陰に潜むナイフ使いの能力者は、完全に隙をついていた。

「やりましたね。ジャックナイフさん」

 宙をかいていたラストワンの手が、体から突き出す刀身に触れる。

「いや……違う。ナイフエッジ! 今すぐ離れろ!」

「えっ?」

 即座に離れようとするナイフエッジだが、ナイフが抜けない。もしや、再生能力か? カメラの映像ではよく見えないが、傷口をふさぐ能力で、止血と同時にナイフまで固定した?

 こうした推測を巡らせている間にもラストワンは攻撃の準備を進めている。右腕を掻くあの動作。ラプラスを襲った能力者と同じ――

「なんて奴だ」

 ナイフエッジの手から血が噴き出す。振動能力。あの時の能力者と違い、ラストワンは粉末が無くても攻撃できるらしい。

 そして、自身の体に突き立てたナイフを振動させたというのに、その体に新たな傷が刻まれることはなかった。振動の指向性まで持ち合わせているのか?

 いずれにせよ、パトリックはラストワンが、一筋縄ではいかない難敵であることをまざまざと見せつけられていた。


「さて、ここまでは順調だが」

 三度目の壁抜けにより、ずいぶん奥まで到達したように思える。バイナリィの目指す進路は、建物中央、そして、下だ。現在地は地下の二階層。全てのアクセスポイントからの演算を一手に引き受けるマザーコンピューターが、最下層にあるらしい。

「これは、どういうだ?」

 先へ進むべく廊下の角を曲がると、そこには予期していなかった光景が広がっていた。ひび割れた壁、破壊された床。なんらかの戦闘行為があったことは間違いないだろう。道の中ほどに倒れている、黒いジャージを着た人物。頭から血を逃しているところを見るに、恐らく既に息絶えた後だろう。

「リサーチャーズ。ラストワンの子飼いですね。我々より先にこの場所の到達し、そして始末された」

「つまり、ここには見張りがいる、ってことだな」

 廊下の曲がり角に戻り、そこから顔を覗かせる。戦闘によって破壊された廊下、脇道から出てくる人間に注意を――

「気を付けない、と……」

 ちょうど自分と同じように、角から様子をうかがう奴が一人。首から銃を下げていて、頭にはヘッドフォンのような特徴的な通信機を装備している。最悪なタイミングだ。見事に、目があった。

「まずい……」

 顔をひっこめた瞬間、鼻先を銃弾がかすめた。クソッ。敵は一人だけか? さっきの戦闘の規模を考えると、どうもそんな気はしてこない。

「敵か!」

「どこだ? どっちにいる?」

 廊下の奥から新たに上がる声が二つ。

「最悪のパターンですね」

「みたいだな」

 さて、どうする? 角に隠れている以上銃弾は当たらないだろう。奴らがここまで近づいてきた瞬間に、バイナリィの能力で『角を跳び越え』れば、なんとか奴らを抜けて奥まで移動できるかもしれない。

 逃げるとなると、背後からの攻撃を防ぐ盾が必要だ。サーベルを振って刃を作り、石鹸に変えて液状化する。そのまま壁に叩きつけてやれば、飛沫の飛び散る瞬間に能力を解除してやることで、蝋燭の傘を作ることができる。

「なあ。バイナリィ、一つ考えがあるんだ。角を曲がってこない限り、奴らは攻撃できないから――」

 頬をかすめる弾丸。まるで俺のミスをあざ笑うかのように、顔のすぐ左側のコンクリートに弾痕が一つ出来上がっていた。

「すまん、忘れてくれ」

 跳弾。偶然などではない。二度、三度と反射を繰り返し、的確にこちらを狙ってきている。角にいれば無事、などという理屈は、もはや何の説得力も持っていなかった。

「マジかよ」

 次いで放たれる弾丸を、蝋の傘で防御する。二発、三発。数を重ねるごとに、狙いは正確になって行く。

「このままではまずいですね。着弾頻度から計算するに、敵はこちらに近づいているようです」

「じゃあどうすんだよ!」

「こちらも近づくほかありません」

「マジか⁉」

 制止する間もなく、バイナリィは角から飛び出していった。後追う他に道はない。前方に傘をかざし、即座にバイナリィのカバーにはいる。

「なるほど……考えたな」

 銃撃はあくまで正面からのみ。問題は、傘の強度だけだ。それに関しても、新しく傘を作ってしまえば解決は可能。真正面から盾で銃撃を受けてしまえば、跳弾の心配をする必要もない――

 ――敵が普通の相手だったならば。

「ん? なんだ?」

 直進の最中、不意に弾丸の残す音に異常が混じり始める。傘にぶつかる音ではない。それに、音の数と銃撃を受ける回数に広がりが見え始めている。まさか

「嘘だろ⁉」

 跳弾。壁や天井を使った複雑怪奇な軌道により、敵はこちらの真後ろから銃弾を送り込んできていた。信じがたい技量。信じがたい演算能力。まさか跳弾の軌道を計算することが奴の能力だとでも言うのか?

「まずいぞ……」

 盾の生成は間に合わない。このままじゃ、後ろから来る銃弾に蜂の巣にされちまう。

「任せてください」

 しかし、この局面にあってもバイナリィは冷静だった。背中合わせの姿勢をとると、飛来する銃弾四発を、右の手の平で受け止めた。

「弾丸を離散化しました。そのまま動かないでください」

 まるで時間でも止められたかかのように、空中に留まる弾丸。一秒か二秒過ぎた瞬間、それは銃撃によりところどころ穴の空いた、蝋の傘の前に現れた。

「離散化により、『我々に当たるという過程』を跳び越えさせました。そして」

 能力解除。俺たちに飛来した時と変わらぬスピードで、弾丸が自らを撃ちだした主の元へ返っていく。

「ぐっ!」

 弾丸が命中したのは、例の特徴的な通信機をつけた能力者だ。即座に肩を抑えて、脇道の一つへ逃れていく。まずは、一人。進路をふさぐのはあと二人だ。

「このまま押し切るぞ!」

「ええ」

 接近に対して警戒したのか、跳弾を放つ能力者も後退を始める。目下立ちふさがるのは一人。白地に黒のラインが入った制服。アカデミーズの能力者。

 盾を左手に握り直し、右手のサーベルを振るって刃を作り出す。銃弾に耐え切れず、ついに崩壊する蝋の傘。だが、かまうものか。俺は右手のサーベルで、立ちふさがる能力者を切りつけにかかった。

「ふん!」

 対する敵の攻撃は、実にシンプル。右ストレート。まっすぐこちらに突き出された拳を、俺は最小限の首の動きだけで躱した。

「……も、もらったぁ!」

 接近戦の実力は、こちらの方が上らしい。このまま直接右のサーベルで……

「でっ⁉」

 なんだ? 一体、何が起こった? 足が地面から離れたのが分かる。足がかりを失ったことも、そして、まっすぐ後ろに吹き飛ばされたことも――

「くっ!」

 隣で同じように飛ばされたバイナリィと共に、背後にあった廊下の突き当たりまで叩きつけられる。目の前に広がる瓦礫の破片が放射状に広がっているのを見て初めて、俺は自分が風に吹き飛ばされたことを認識した。

「どういう能力だ?」

「風を起こす力のようですね。拳を突きだすことが発動条件になっているのではないでしょうか」

 じっくり検分したいところではあるが、のんきに喋っている暇はない。こちらが吹き飛ばされたことを受けて、後退していた二丁拳銃持ちの能力者が即座に射撃を再開した。とっさにさっきまでの廊下の角へと逆戻り。こちらを追ってくる跳弾を躱すために、俺は右のサーベルを傘に変えた。

「クソッ。このままじゃらちが明かないぞ」

 左のサーベルに蝋のカートリッジを詰め直す。残念ながら、こちらに飛び道具はない。このままじゃじり貧だ。

「こちらに近づいてきているようです」

 弾丸の打ち込まれる間隔で測っているのか、バイナリィが呟く。

「敵も焦っているんだろうな」

 あるいは、さっきの攻撃で確信したか。こちらに飛び道具が無いことがばれた可能性が高い。

「あいつ、体のあちこちに弾倉をつけてやがった。二丁拳銃のくせにリロードが早いのはそのためだ。このままじゃ、弾切れを狙う前に、盾が耐えられなくなるぞ」

「一端奥へ下がりましょう」

 何か手はないのか? 何か、足止めする方法は? このままあいつが追ってきたら――

「待てよ」

 追ってくる? 

「バイナリィ、一つ考えがあるんだ」

「何でしょう」

 先を進むバイナリィが振り返る。

「お前の能力で、斜めにこの壁を抜けることはできるか?」

「ええ。可能です。これ以上奥へ進まなければの話ですが」

「よし」

 一度来た廊下を戻り、サーベルを液化し、道の途中にぶちまける。これで準備は完了だ。

「敵は後どれくらいで角を曲がってくる?」

「あと、およそ五秒」

 十分だ。傘を、敵が出て来るであろう曲がり角の方向へ向ける。

「跳ぶぞ」

「わかりました」

 多くを語らずとも伝わったようだ。バイナリィの元へ戻り、壁へ向かって助走をつける。

「今だ!」

 跳躍した瞬間と、敵が角から姿を現したのはほぼ同時だった。

 視界が暗転し、あらゆる感覚が置き去りにされる。傘を支える右腕が、くぐもった衝撃に揺らされるのがぼんやりと感じられた。数秒間の沈黙。そして。

「よし」

 さっき吹き飛ばされた廊下が目の前に現れる。能力が解除され、地に足がつくのが分かった。

「どこ行った?」

 さっき俺たち二人がいた地点、廊下の曲がり角の先から二丁拳銃の能力者がうろたえる声が聞こえる。

「こっちだ! こいつらテレポートしてきたぞ」

 正面に立つ風使いが、状況を伝える。このままでは、挟み撃ちの形になるだろう。このままなら、の話だが。

「今だ」

 曲がり角の先から響く水音を聞き逃すことは無かった。能力解除。石鹸として液化した蝋が元の硬さを取り戻す。さっき廊下に撒いておいた石鹸が、相手の足に接触した状態で――

「何だ? 動けない!」

 これであいつは追って来れない。蝋の拘束はそう長持ちするものじゃないが、時間稼ぎには十分だ。後一人。正面にいるあいつを出し抜けば、バイナリィの能力で、一気に最深部まで移動することはできる。

「見事です。あなたが味方で良かった」

 バイナリィと共に、最後の風使いと相対する。

「ところで、あの敵を何とかする方法は考えていますか?」

「いや。悪いが出たとこ勝負だ」

 カートリッジを詰め替え、即座に刃を二振り作り出す。さて、どう攻略したものか

「では、私に任せてもらえませんか」

 答えも待たずにバイナリィは飛び出していった。風使いの方へ、まっすぐと。

「何するつもりだ?」

 勝算あってのことだろうが、バイナリィは近接戦闘が得意なわけではない。それに、あの能力。たとえ拳を躱すことができたとしても、風を起こされ吹き飛ばされるのは目に見えている。一体――。

 勝負は、すれ違いざまの一瞬、クロスカウンターで決着がついた。

「べぐっ!」

 無様に声を上げ、崩れ落ちたのはバイナリィの方だ。その顔面に相手の拳が思い切りたたきこまれるのが見えた。案の定の展開。風使いは

「えっ?」

 その場で静止していた。

「う、ううう……痛いですね。これは痛い」

 ゆっくりと身を起こすバイナリィ。さっき俺たちを吹き飛ばした風は、何故か襲って来ない。

「おい。どういうことだ?」

 そばに駆け寄り体を起こす。こんな無茶をやらかす奴だとは思わなかった。

「敵の能力の発動条件は、拳が伸びきることだった。だから、相手の拳が伸びきる前に、自分から当たりに行ったんです。そして、そのタイミングで動きを『離散化』した」

 言いながらも、バイナリィはそそくさと敵の正面から離れ、裏側に回った。

「行きますよ。そろそろ能力が切れる」

 背後で風が作り出されるのが分かる。敵はすぐに振り向き、俺たちを追いかけてくるだろう。

 俺は右手の剣を傘に変え、左の剣を液化してばら撒いた。次の目的地は下だ。攻めあぐねている敵を尻目にバイナリィはどんどん進んで行く。

 所定の位置に到達した瞬間、俺たちは跳んだ。離散化能力で、真下のフロアに移動するために。

「待て――」

 聴覚が消え、敵の声が途絶える。そして

「うわ」

 次に視界が開けた時に、俺は暗闇の中に放り出されていた。

「どうなってんだよ、これ」

 離散化しているため、これ以上落下することはない。だが、この高さは――

 下に見える床まで、ざっと五十メートルはあるように見える。

「どんな設計してやがる。この高さ、流石に能力者でもまともに飛び降りたら骨が折れるぞ」

「ええ。ですから――」

 離散化が解かれ、体がまっすぐに落下を始める。体が自由になると同時に、バイナリィは懐から何かを取り出した。

「スーパーボール? 何使うんだ?」

「こうするんですよ」

 カラフルな手のひらサイズの球体。いくつかあるそれを、バイナリィは真下に投げた。

 そして、再びの離散化。

「何だ?」

 消えていく感覚の中で、何かが自分を打ち付けるのが感じられる。先ほどのスーパーボールか? 地面に当たって跳ね返ったボールが、何度も繰り返し体を打っているらしい。

「痛ってえ!」

 感覚が戻ってくると同時に痛みが襲ってきた。

「まあ、こればっかりは仕方ありませんね」

「こうやって減速するのか?」

「離散化した状態でも運動量は保存されます。外部から力を受ければ、それだけ速度が変化するんです」

 つまり、下から跳ね返ってくるスーパーボールに何度も体を打たれる衝撃で、無理やり速度を落とすってことか。離散化している間は空中に静止しているから、止まった状態で何度もボールが当たることになる。

「ぐっ!」

 それでも、着地の衝撃は馬鹿にならない物だった。したたか床に叩きつけられて、体が悲鳴を上げる。バイナリィも慣れていないのか、うめき声をあげていた。

「これ、帰りはどうすんだよ」

「スーパーボールを離散化して空中に止め、階段に変えます」

「なるほど……」

 それができるなら、ボールで階段を作って降りるって手はなかったんだろうか。

「ここは、外部からのメンテナンス通路を通らなければ到達できません。敵もすぐには来ないはずです」

 目の前には目的のマザーコンピューターがあった。正直、ただの黒い直方体にしか見えないが。

「処理にかかる時間は、一分程度。時間は十分です」

「なんでもいい。早く始めてくれ」

 バイナリィがコンピュータへ向かう。眺めていると、その腕に備え付けられていた情報端末からウィンドウが展開するのが見えた。機器からコードを伸ばし、立方体の隙間に差し込んでいく。後ろから展開したウィンドウを覗いてみたが、黒の背景に、良くわからない緑の文字が羅列されているだけだった。

「では始めます」

 さっさと終わってくれるといいが。この部屋へ通じる唯一の入り口に時折目を向けながら、俺はハッキングの終了を待った。


「爆発は、ラストワンへの攻撃によるものだ。俺たちが行っても仕方がない」

 アサルトの判断は冷静だった。

「だが、それだけじゃないぞ。クラックからの報告によると、屋根と天井、二つの地点に敵がいる」

「早くいかないと」

「ああ。地下はストック達が向かった。俺たちは屋根の方だ」

 位置情報は既に把握しているのだろう。アサルトの足に迷いはない。施設外壁の通路に出ると、能力者の脚力を活かし、階段部分の手すりを蹴って上のフロアに登る。横方向への移動が無い分、普通に階段を登るよりもよほど早い。そうして屋根にたどり着くと、いかなる能力によるものか、大きな穴が空いているのが見えた。

 崩れたコンクリートから露出する中の鉄骨は、無惨にも断ち切られ、赤茶けた切断面を見せている。異様な崩れ方だ。何かで叩き割ったというような感じではない。コンクリ―トの大部分は、ほぼそのままの状態で真下に落下したように見える。まるで

「クッキーの生地をかたぬきでくり抜いたみたいだ」

「ああ。それに、この切断面。奴の仕業だな」

 赤茶けた鉄骨。正体は錆だ。まるでここだけ十年ほど野ざらしにされたかのように、断面は錆でボロボロになっている。

「奴?」

「ああ、言っただろう? リサーチャーズには金属を錆びさせる能力者がいる。鉄骨の一部を錆で脆くしてくり抜いたんだ」

「それじゃあ、銃は通じない?」

「いや、効果を発揮するまでに時間がかかる。飛んできた銃弾を即座にダメにすることはできない」

 そう言うと、アサルトは空いた穴に飛び降りた。

「追うぞ。ついてこい」

「了解」

 着地したフロアには、また別の地点に同じような穴が空けられていた。何も言わずに穴へ飛び込む。次のフロアでも同じように、穴へ。

「いたぞ!」

 そうして、二階層ほど潜ったその時、ようやく敵の姿を捉えることができた。黒いジャージ。黒い短髪。作った穴に飛び降りる際に見せた頭部の痙攣は、疑いようもなくリサーチャーズの能力者だ。

 発見と同時に放たれた弾丸は、しかし、落下する敵の頭部をかすめるにとどまった。当然、止まる理由はない。敵を追い、次のフロアへと空いた穴に向かって、僕ら二人は廊下を駆けた。そして、穴の縁へとたどり着く、あと一歩の地点。

「⁉」

 突然、足が何かに引っかかった。何かが突き出したわけではない。むしろ、その逆。

「しまった!」

 右のくるぶしから先が、床に飲み込まれてしまっている。

「あの野郎!」

 当然予想してしかるべきだった。敵の能力。金属を錆びさせる力。

「俺たちが来ることを読んで、あらかじめ穴の手前を脆くしておいたのか!」

 歯噛みするアサルトの手の中で、握られた銃が朽ちていく。十分な時間さえあれば、金属を壊すのはたやすい、と言うことなのだろう。

「うわっ!」

 なんとか出られないものかともがいてみたが、もう片方の足も床に埋まってしまった。体を起こそうにも、支えになる部分が無い。手で触れた端から床は崩れていき、その一方で、決して下までは落下しない程度に鉄骨が残っている。

「畜生!」

 アサルトが崩れていく銃の引き金を引くが、銃弾は明後日の方向へ跳んでいくばかりだ。この状況。恐らく真下にいると思しき敵に、弾丸を届かせるすべはない。

「クソッ。俺はストックと違って弾道を計算する能力が無い。このままじゃ奴を仕留めることは……」

 そこで、アサルトの言葉が止まる。どうしたんだろう。顔色が悪い。

「熱っ! なんだこりゃ⁉ めちゃくちゃ熱いぞ!」

 肉の焦げるような臭い。膝まで埋まったアサルトの足から、おぞましい香りが立ち上る。

「えっ!」

 熱による攻撃? 能力の特性上、僕は熱のダメージを受けることはない。キネシスの膜が守ってくれる。しかし、アサルトにその力はない。

「鉄は酸化すると発熱する。まさか、奴はここまで計算して?」

 単に銃を使えなくするだけじゃない。奴は僕らを殺すためにこの場に留まっている。僕ら二人を始末してから、ゆっくりデータを奪うつもりだ。

「くっ、これは結構まずい!」

 脂汗を流してアサルトが呻く。何とかしないと。

「おい。何考えてる? まさか床ごと吹っ飛ばすつもりか?」

 右手に作った火球を見てアサルトが声を荒げる。

「大丈夫。掴まれ」

 左手を差し出す。怪訝な表情をしていたが、他に打つ手はない。アサルトは従った。

「おい、何するつもりだ」

 穴に火球を投げ込めば、下のフロアにいる敵を攻撃することはできるだろう。けど、それでアサルトを攻撃に巻き込まない保証はない。だから

「この火球は、あくまで動くために使う」

 できるはずだ。火球を真下に向ける。能力を部分的に解除。火炎放射の応用だ。その反動を利用する。膜が開き、熱運動が解放。水素と酸素が結合し、体積の膨張が爆発を生み出す。

「うわぁあああ!」

 予想以上の勢いだ。さながら水圧ロケットのように、僕らは天井まで飛んだ。

 そのまま、無理やりに方向を変え、床に開かれた穴へと入る。床に叩きつけるように着地すると、敵が後ろに走り去っていくのが見えた。その先には、既に開けられてある新しい穴。

「おい待て、追うな」

 アサルトが引き留める。錆びついた銃は完全におしゃかになってしまったらしい。

「また、床にはまるぞ」

「もう大丈夫。空を飛ぶ感覚は掴めてきた」

「馬鹿いうな。さっさと火の球を投げて爆発させてしまえばいいだろうが」

「……それだと――」

 生死が確認できない? いや、そんな言葉でアサルトを説き伏せることはできない。彼と自分では根本的に考え方が違う。ならば

「あ、おい待て!」

 制止を振り切り、空中へ飛び出す。跳躍から着地する寸前に火球を解放。爆発の反作用を両手に受けて、ぽっかりと空いた穴に飛来する。

「あっ!」

 しまった。認識が甘かった。穴の上に到達して初めてわかる事実。

ワッフルのように床から切り落とされた鉄骨。錆びて風化したことでコンクリートが崩れ落ち、内部の鉄骨が露出している。敵の能力で部分的に崩され、剣山のように無数の針を上に向けた、おぞましいトラップ。

「罠だった――」

 方向転換? いや、間に合わない。エネルギーを失い急速にしぼんでいく火球。ただ落下していくことしかできない。死ぬ? ここで? 追いつめていたはずが、いつの間にか……

 死を悟ったその時、アドレナリンの作用で鈍化した時間の中、僕は、後ろから飛来する何かに気づいた。

「これは――」

 ピンの抜けた手榴弾。アサルトが投げつけたのだろう。この局面で、もっとも必要な支援。迷わず僕は、それを握った。

 爆発の力を能力で抑え込み、タイミングを合わせる。追加のロケット。針が体に触れる寸前、再点火した手の平の炎により、落下の軌跡を真横にずらす。左腕の側面を針がかすったが、それ以外は、無事に下の床に降りることができた。

 案の定、着地した途端床は崩れた。二重三重のトラップ。敵はかなり抜け目がない。だが、こちらのダメージはまだかすっただけだ。熱による攻撃は、僕に通じない。

 いや、かすった……? 何か嫌な予感がする。恐る恐る左のガントレットに目を落とす。

 最悪だ。見事な穴。零れ落ちた水が足元を濡らす。こちらを仕留めることに変わりないのだろう。剣山を挟んで反対側の地点に、敵が佇んでいるのが見えた。

「おい! 無事か!」

 上からアサルトの声が聞こえる。

「大丈夫。ありがとう」

 敵の能力の特性上、もう彼の力を借りることはできない。ここからは、一人で決着をつけないと。追って来ないと判断したのか、敵は背を向けて歩き出した。そう。敵の目的はあくまでもデータ。僕らを殺すことじゃない。しかし、あの歩き方。何かある。

「そうだ」

 ロケットの力で、床から抜け出す。それは確定だ。だが、やみくもに突っ込んでも、また同じ轍を踏むだけ。着地した瞬間、床が抜けて、さっきの二の舞にならないとも限らない。だから

「くらえ!」

 僕は壊れたガントレットを外し、思い切り敵に投げつけた。

 当然、敵は避けようとする。得体のしれない物体。そして僕は、爆発の力を持っている。その行動は、ごく自然なものだ。だが、その歩みは想像していた物より遅い。走ってはいるが、どこか道を選ぶような歩き方。予想通りだ。僕は『能力を解除』した。

 ガントレットが空中で弾け、中の水が辺りにばら撒かれる。あらかじめガントレットに残った水を爆弾に変えておいた。その破壊は決して規模の大きいものではないが、ガントレットを破壊するに十分な威力。そして、あたりに水を撒くことにも成功した。当然、敵の進んでいる先にも。

「よし!」

 右の手の平に火球を作り、ロケットにして床から抜ける。片手での制御は難しいが、目標はすでに見えている。

「なんだと⁉」

 敵が初めて人間らしい言葉を発した。飛び出したことに驚いたわけではない。それは端から織り込み済みだ。当然既に、敵は走り始めている。彼が驚いたのは、そんなことじゃない。

「何故だ? 何故、正しいルートが分かる?」

 正しいルート。思った通りだ。論理的に考えを積み立てること。さっきの攻撃で、敵があらかじめ罠を張っていることは予想できた。留まっていたのはわざと。追って来させるように仕向け、脆くなった床を踏み抜いたり、床そのものを剣山にしたり、こちらが罠を踏むように誘導するのが敵の狙い出たのだろう。

 けど、その能力は、即効性のあるものじゃない。

「く、来るな!」

 敵は走って逃げるが、相変らずその足取りはぎこちない。それもそのはず。こいつは僕が追ってくる前に、廊下のあちこちを部分的に錆びさせている。間違った部分を踏めば、自分自身が罠にかかる。道を選んでいる以上、まともに逃げられるはずがない。

 右の手の平に火球を作る。迷いはない。行くべき道は示されている。

「ま、まさかさっきの……さっきの水が!」

 はっとした様子でこちらを振り返る。ようやく気づいたようだ。さっきガントレットを壊したのは、攻撃の為じゃない。水をばら撒くためだ。廊下一帯を濡らした水は

「足跡を浮かび上がらせる」

 敵の歩いた後を歩けば、決して罠にはかからない。そして、敵はわざわざこちらの接近を待っている、能力の射程はさほど長くないことは明白。もうじき、トラップゾーンが終わる。

「今だ!」

 右の手の平のロケットを点火。爆発の勢いを乗せた体当たりは、敵能力者の意識を奪った。


「うわぁあ!」

 ふいに扉が開き、解析にいそしんでいた部下のハッカーが跳びあがった。当然の反応だ。監視カメラの配線が切れたと思ったら。

「戦いは遠くでと思っていたが」

 現れたのはラストワン。ナイフや弾痕、そして火傷と、満身創痍のありさまだ。だが、彼は立っていた。傷は全て能力でふさがって行く。このままでは危険だ。パトリックは即座に通信機に手を伸ばした。

「ジャックナイフさん。敵がここまで」

「心配するな」

 返答は肉声で返ってきた。ラストワンの背後から、ゆらりとジャックナイフが姿を現す。

「ぐっ」

 軽く背中を押されただけで、ラストワンは地に伏した。それだけの体力が残っていないのか、立ち上がろうとするそぶりすら見せない。

「人間は血液の三十パーセント失うと失血死する。それは能力者であっても変わらない。身体改造の差にもよるが、能力を行使するために血流で糖分を運ぶ必要があるこいつにとって、血を失うことがもっとも致命的なダメージになりうる。傷を塞ぐことはできても失った血を取り戻すことはできなかったわけだ」

 倒れたラストワンは、もはや何の力も使えないのか、近づいてくるジャックナイフに対して抵抗らしい抵抗を見せない。

「とはいえ、こっちも無傷じゃない。ボマー――仲間が一人やられた」

 表情は変わらないが、声音から決して平常心ではないことが分かる。自身の背後に待機していた部下に、ジャックナイフは指示を出した。

「頭部は無事だ。戦闘データの回収。いつも通りやれ」

「了解」

 彼の背後に待機していた部下、ナイフエッジは、押し殺した声で告げると、扉の陰に消えていった。

「あれがあいつの墓標だ。いつも通り、な」

 全てが終わったのか、その声には感傷がにじんでいる。なかなか言い出しにくい空気であったが、パトリックは気になっていたことを口にした。

「あの、ジャックナイフさん?」

「なんだ?」

「何故、止めを刺さないのですか?」

 そう、まだラストワンには息がある。何か仕掛けてくる様子はないが、このまま放置しておくのは危険ではないだろうか。

「刺さないんじゃない、刺せないんだ」

「どういうことですか?」

 ジャックナイフは忌々しげに倒れた敵を睨みつけた。

「今ここでこいつを殺すと、こいつのデータを引き継いだクローンが現れる」

「クローン?」

「ラストワンは無数にいるんだ。自己複製で自分と全く同じ存在をストックしている。こいつが死ぬと、新しいラストワンが現れるというわけだ」

「しかし……では何故、この敵は一人で現れたんですか? 大勢でかかれば我々からデータを奪うことなどたやすいでは?」

「我が強すぎるからだ。二人以上同時に現れた場合、ラストワンはお互いに殺し合う。地上に残る最後の一人になることが目的なんだ。二人は不要。そういう考えだ」

 そう言うと、ジャックナイフは通信機を口元に当てた、部下の一人を呼び出しているらしい。

「クラックを呼んだ。こいつのどこかにある通信機を使って、クローンがいる場所を逆探知する。活動する前のクローンなら、殲滅することは簡単だ」

 既に何度も煮え湯を飲まされているのだろう。ジャックナイフは相手の手の内をことごとく知り尽くしていた。

「あれ?」

 作業に戻っていたハッカーが声を上げる。

「どうした?」

「わかりません。急に画面がブラックアウトして――」

 かたんという金属音。何か軽くて小さいものが、アクセスポイントのコンピューターから外れたようだ。まさか――

「こいつ!」

 外れた部品はラストワンの手元へ飛んでいく。メモリだ。解読したデータをかきだしていたメモリが、物理的に奪われた。

「まずい!」

 ジャックナイフが手を伸ばすが、一歩遅かった。ラストワンの腕に備え付けられた端末へと、もがれたメモリが吸い込まれていく。軌跡には、赤茶けた粉末。物体を錆びさせる能力でコンピューターから切り離したらしい。

「この野郎!」

 端末のウィンドウが展開し、メモリの情報を視覚的に書きだしていく。ジャックナイフが組み伏せにかかるが、ラストワンの目はウィンドウから引き離せない。データの解析結果、IMAGNASの致命的弱点が、ついに、敵の元へさらされる――

「あん?」

 しかし、同時にウィンドウを覗いていたジャックナイフは、怪訝な表情を返してきた。

 無表情なラストワンだが、大きく見開かれた目は明らかに驚愕を表している。驚愕と、失望を。

「どうなってんだこれは」

 力なく降ろされた腕が、ウィンドウの情報明らかにする。

「えっ?」

 そこにはブラックスクリーンの他に、何も映っていなかった。


「終わりました」

「あ、ああ」

 確かに、バイナリィの言う通り、作業は一分程度で終わった。それ自体に問題はない。だが、あの最後に映った一文、恐らく向こうで解析された内部データの一部だろう。あの文言は一体……?

「どうしました? 早く退散しましょう」

「ああ。それは分かってる。だが」

「何ですか?」

「最後に出た文章、あれが信じられなくてな」

「見たんですか?」

「一瞬で通り過ぎたから、全部読めたわけじゃないが――」

「見たんですね」

「IMAGNASは存在しない。そう書いてあった」

 肩をすくめるようなしぐさ。そこにどんな意図があるのか、俺に読み解くことはできなかった。

「まずはここから出ることが先です。あと五十秒もしないうちに敵が来ます。急いで離れなくては」

「ああ」

「IMAGNASについては約束通り、仕事が終わったら説明します」

 言って、空中に向かってバイナリィはスーパーボールを投げた。落下する途中で再び触れると、ぴたっと空中で静止する。その静止したボールに、バイナリィは飛び乗った。

「行きますよ」

 ご丁寧に、俺の分も用意してある。見よう見まねで飛び乗り、タイミングを合わせて同時にジャンプ。瞬間、能力が解除されたボールが、踏みつけた力と重力により、真下に叩きつけられ跳ね返る。そうして跳ね返るボールを再び静止させることで、次々に上への足掛かりができる。全て計算しているのか? 天才数学者プレディクトの子飼いというだけあって、ボールの軌道に狂いはなかった。

 天井を抜け、壁を抜け、施設から出て森に逃げる。追っ手の人数やルートを計算した逃走経路だ。帰りは誰にも見つかることはなかった。

「終わりましたね」

 ここまでくればもう安心だろう。辺りを木々に覆われた森で、バイナリィは足を止めた。

「少し、休みましょう。あなたも、真相を知りたがっているでしょうから」

「ああ。『IMAGNASは存在しない』これ、どういう意味だ?」

「それは、そのままの意味なんです」

 バイナリィは語り始めた。

「IMAGNASと言う兵器について、知っていることは? 安価で、絶大な破壊力を秘めており、ID、人種、性別で効果対象を切り替えることができる。シェルターに隠れても無意味で、効果範囲は町ひとつから大陸ひとつ……。まったく、絵空事にも程があると思いませんか?」

「だが、事実だ。実際IMAGNASはあらゆる国家や大規模犯罪組織、テロリストが保持している」

「いいえ。そんなもの、彼らは持っていませんよ。持っていると思っているだけです」

 なんだと?

「終末時計の針が進むのを感じ、我らが主、プレディクトは一つの発明を成し遂げました。もうけして人類が互いに殺し合うことのないように、非生産的な争いが消えるように。その発明がIMAGNASです」

「世界平和のための発明が、兵器だっていうのか?」

「人が争いを起こすのは、戦闘によって得られるメリットが、戦闘によって失われるリスクやデメリットを上回るからこそ。絶対に越えられないリスク、デメリットを付加してやれば、人や国家が争うことはありません」

「抑止力ってわけか。世界中どこを攻撃しても、別の誰かから攻撃される」

「ええ。全員の認識として、究極兵器IMAGNASがあれば、決して争いは起こりません。IMAGNASに性能差はない。つまり、兵器開発の競争すら起こらないのです」

「なるほど。開発の理念は分かった。だが結局IMAGNASとはなんだ? 存在しないとしたら、俺たちの知っているあれは何なんだ?」

「IMAGNASが過去に使われた記録、ありますか?」

 バイナリィの返答は、予想だにしない物だった。

「えっ?」

「記録です。IMAGNASが使われたという記録」

「いや、えっと……」

 ない。恐ろしい威力を持った兵器だということは知っているのに、その威力を指し示すデータは、思い出す限り全く見つからない。

「ありませんよね」

「あ、ああ」

 なんだ? これはどういうことだ?

「これが、答えです。IMAGNASの正体。一度も使われたことが無いのに、その性能は地球全土の人間の頭に『植え付けられている』」

 まさか、そういうことか?

「そう。IMAGNASの正体は、催眠兵器なのです」

「催眠、兵器……」

 記憶の祖語、説明不可の違和感。その一言で、全て合点がいく。

「我らが主プレディクトは、打ち上げられる衛星に、一つの装置を組み込みました。不可視の波長、目で捉えることはできても、脳が映像として処理できないサブリミナル的な波長をもつオーロラを発生させ、人の心を操る装置です」

「その装置でIMAGNASを作ったのか。俺たちの心の中に」

 知らず知らずのうちに、頭の中を作り変えられているという事実。冷静に考えると、恐ろしいことに他ならない。

「ええ」

「世界平和が目的なら、全員同じ思想に染めてしまえばよかったんじゃないのか? 心を操れるんだろう?」

「それでは、針の進みを止めることはできません。全員が同じ思想にかたまってしまうと、過度の生産に歯止めが効かなくなる恐れがあります。それゆえ、争いを消すための抑止力を我らが主は作り出したのです。実際に使われることのない、頭の中だけの幻想として」

 バイナリィは続ける。

「その結果、副産物として、超能力が生まれました。繰り返し、絶えず暗示にかけられた脳は、思い込みを固定しやすくなった。世界を歪めてしまうほどに。自分が見たものが世界を作る。思い込みの力が激しくなることで、そういうメカニズムが明らかになったのです」

「それならIMAGNASも同じじゃないのか? 世界中の人間がIMAGNASの存在を強く『思い込んでいる』なら、IMAGNASが存在するようになるんじゃないのか?」

 しかし、バイナリィは首を横に振った。

「いいえ。我らが主はそこまで予測していました。予測(プレディクト)、その名の通りに。IMAGNASは世界の誰もが存在していると思い込んでいる一方で、誰もがその存在を信じていないのです」

「何?」

「そういう暗示です。論理では完璧に騙せる。IMAGNASを使わないのは、絶対に報復されるから。そういう風に思考するよう、催眠プログラムは組まれています。しかし実際は――あんなものが存在しないと、心の底ではわかっているのです。決して、気づくことはありませんが」

 まさか、ここまでとんでもない頭の持ち主だったとは。そんな頭脳の持ち主が、何故捕まるようなへまをしたのかはわからないが。

「まあ結局、主の目的はそれだけにとどまらなかった。生産や発展をコントロールしようとして犯罪者に身をやつし、あの有様です」

「助けに行かなくていいのか? プレディクトが拷問でもされてこの秘密を吐いたら今日やったことすべてが無駄になる」

「大丈夫です。催眠兵器の対象は、地球全土の人類すべて。我らが主も例外ではありません。そのために、このデータがあるのですから。IMAGNASが存在していないことを、主自身が忘れないために」

 さらに、バイナリィは続けた。

「それに、仮にこの秘密を話したとしても、そう簡単には崩れません。催眠兵器の役割を果たす衛星は百を越えます。全て機能停止させない限り、世界の平和は崩れません」

「百? 一体どんな方法を使ったんだ?」

「簡単ですよ。『衛星を打ち上げるときは、催眠装置をつけること』という内容の催眠オーロラを作ってしまっただけです」

「じゃあ、なんで、今回はわざわざデータを取り戻したんだ?」

「この盤石な守りを崩せる敵が二人いるからです。彼らにデータが渡ることだけは、どうしても避ける必要がありました」

「二人? 一体誰だ?」

「ラストワン。そしてΣH2」

 ラストワン――超能力に特化した犯罪者だ。そして、ΣH2は、最新鋭のAIによるロボヒーロー。

「ラストワンは、絶対にこの情報を知りたがると思っていました。そして、彼ならこれを無効化することすらやってのける可能性がある。暗示を無効化する能力を作ることで」

 暗示を無効化。よく考えるとこれはおかしな話しだ。超能力は全て暗示の元に成り立っている。それを否定するということは、暗示を無効化する能力そのものも否定することに他ならない。パラドックス。決して成り立たない仮定。それでもラストワンの執念を考えれば、ありえない話ではなさそうなのが恐ろしい。

「そして、ΣH2。ロボットである彼に暗示は効きません。あのAIがこの真実にどんな判断を下すか。想像することはできませんが、不確定な不安要素を見逃す理由にはなりません」

「なるほど。全部納得した」

 俺たちなら、話してもさほど害は与えられない。何より、情報そのものが突拍子もない上に、いずれ催眠で上書きされる。

「一応、戻ったらレジスターさんにも今の説明を繰り返させていただきます」

「ああ。頼む」

 この答えで彼女は納得するだろうか。いや、構うものか。もとより働いたのは自分。彼女は何もしていない。自分の中にある悪感情をぼんやりと自覚しながら、俺はバイナリィとともにアジトに戻った。


「やあ。急な仕事、大変だったね」

「エースさん!」

 ビデオレターの列は、自分で最後。でもまさか、このタイミングでエースさんに会うなんて。

「戦闘データは?」

「提出しました」

「それは良かった」

 まぶしい笑顔だ。彼の掲げる正義と同じく、そこにはどこにも陰りが無い。

「あ、ひょっとして、緊張しているのかな。君はビデオレター初めてだったろう?」

「え、えっと、はい」

 まただ。気の利いた一言も言えない自分が嫌になる。

「初めてだし緊張するのは当たり前だ。そう取り繕うこともないよ。僕だってそうだった」

「えっ?」

「両親への手紙だよ。特に父親に送る時が一番緊張したな。とても厳しい人だったから」

 そうだ。今更気づくなんて、間抜けとしか言いようがない。彼も、ヘリングエースも僕らと同じように、両親がいて、頑張って力を積んで、ヒーローになったんだ。

「ノブレスオブリージュ。恵まれた者はそれ相応の振る舞いをしなければならない。僕達みたいに力のある人は、無力な人達の代わりに正義を成し遂げなきゃいけないんだ。父は身を持ってそれを教えてくれた」

 過去を懐かしむ彼の顔は、ちょっとだけ、僕らに近いような気がした。

「自分の話ばっかりして悪かったね」

「いえ、そんなこと……」

「でも、両親に送るメッセージってのはとても大事なものだ。もう誰かにいわれかもしれないけど、悩むのは悪いことじゃないよ」

 遠く離れて暮らしている両親。いつか僕も、二人を守れる存在になる。

「次、フレイムスロアー」

 名前が呼ばれた。

「それじゃあ、これからもがんばってね」

 去っていくヘリングエースに礼をしてから、僕はビデオレターを取るために部屋に入った。


なんというか、使い古された設定だと思います

オーロラで催眠術っていうとぴんと来る人は来るかもしれませんね

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