第六章 幕引き ②
この話で完結です
いろいろ拙い所はあったと思います
第六章 幕引き ②
*
「クソッ、こうなったら」
普段なら絶対やろうとしないだろうが、こんな状況なら話は別だ。打てる手は全て打つ。懐からライターを取り出し、俺はサーベルに火をつけた。
発動と解除を小刻みに繰り返し、指向性を持った火種が、剣の先端へと駆け抜ける。蝋の溶ける臭いが立ち込め、教会を連想して辛気臭い気分を呼び起こす。人間いつかは墓の下に行く。だがそれは、今じゃない。
「喰らえ!」
背後から迫るナイフを躱し、炎の刃を不可視の壁へ叩きつける。物体そのものは通さなくても、あるいは熱なら……
「だめか……」
まるでダメだ。不可視の壁は、熱の放射さえも完全に遮ってしまうらしい。パントマイマーはまるで堪えた様子が無く、距離を詰めながらパフォーマンスを続けている。
不可視の壁には、溶けて飛び散った蝋が、べったりと張り付いていた。
「……そういうことか」
避けきれず、ナイフが二の腕に切り傷を作る。だが、構ってられるか。視界のなかで、張り付いた蝋が落ちていくのが見える。壁からずり落ちたんじゃない。まるで初めからそこには何もなかったかのように、自由落下運動で塊ごと落下している。
パントマイムはパフォーマンスが見えていない以上発動することはない。蝋がへばりついた部分だけ周囲から隠され『見えなくなった』それゆえに壁はその効力を失い、支えを失った蝋が落下したんだ。
なら、可能性はある。ただ蝋を貼り付けるだけでは壁を無効化することはできない。無効化した瞬間に蝋が零れ落ち、再び壁が力を取り戻すからだ。だが、この方法なら……サーベルの大部分を液化させ、火種を保ったまま、壁に斬りつける。触れた端からへばりつき、そしてさっきと同じように、蝋が壁の力を失い落ちる。再び迫るナイフ。計算されつくされた軌道だ。全部避けるには不可能。致命傷を避けるには、右手か左手、どちらかを犠牲にしなければならない。
「くっ……!」
俺は迷わず左手を差し出した。手首の付け根に深々とナイフが刺さり、スプリング機構でナイフが飛び出した傷口から、一筋の血が噴き出す。構うものか、この勝負、すでにパントマイマーには勝っている。俺は能力を解除した。
「はぐっ!」
背後で上がるダメージの声。今まで一言も発さなかったモノトーンのピエロが、最後にわずかな断末魔を残した。
「なっ、なにぃ!」
パントマイマーの手は、煙で覆われていた。視界を塞ぐほどの煙。蝋の中に残していた火種が、固形化により外部の酸素を取り込んで一気に燃え上がる。その結果、手元は一時的に『誰からも見えなく』なった……
燃える物が無くなり、燃焼がおさまったその時、仲間のナイフで胸を貫かれた、モノクロのピエロの姿が明らかになった。
「よ、よくも……!」
さすがに仲間の死は遊びだのうちに入らないらしい。ジャグラーがこちらを睨んでくる。
満身創痍。ナイフを差し込まれた関節部は、まともに動きそうにない。アドレナリンが痛みを押し流してくれてはいるが、軽いダメージでないことは自分でもよくわかる。
となると、この方法しかない。なんとか動く脚で、迫りくるナイフを避け、ついで襲いくる蛇と自転車をよろめきながらなんとか躱す。さながら猟犬に追われるキツネだ。傷の痛みは想像以上の疲れを生み、火のついた蝋を撒きながら走る足を、幾度となく止めてきた。
四人がかり。そして俺を追うのは能力者だ。猟犬とは違う。五分もたたないうちに、俺は壁際まで追いつめられていた。さっきと同じだ。パントマイマーが砕いた壁が、今再び俺の真横にある。
「まずいな」
身を沈め、それが発動するのを静かに待つ。とりあえず、床一面に蝋を撒き、そのすべてに火をつけてきた。発動するのは時間の問題だ。残ったカートリッジ一つで、準備は全て終えることができた。後は……
「もう逃げられないぞ」
歌うような口調は鳴りを潜めている。残っているのは、静かな憎悪と殺意。流石にこの四人すべてを相手取るのは不可能だ。一人倒した時点で、俺はすでにこのありさま。やるなら、一気に決着をつけるしかない。
まだか……? 霞む視界の中、迫る四体の人影が揺れる。まだ、発動しないのか?
「ん?」
敵の一人、猛獣使いのピエロが、異変に気づいて上を向いた。起動音。部屋に備わった装置が、その役目を実行する。
「スプリンクラーか」
火災に備え。ネオシフターズのアジトはスプリンクラーを備えていた。俺の起こした煙に反応して、辺り一面に水がまかれる。
「残念だったな。何を考えていたかは知らんが、お前のやったことはすべて無駄になった」
視線を上に向けると、ネオシフターズのボスが傘をさしているのが見えた。
「火は消えた。最後のあがきは、結局何も生まなかったな」
水面に足音を反響させて、ピエロ四体が歩み寄る。既に水深は五ミリ程度の所まで来ていた。
「何も生まなかった……? いいや。俺は、この瞬間を待ってたんだ。床一面水浸しになるこの瞬間をな!」
傍らの壁から露出するのは、施設内に電力を送る送電線。それを蝋のサーベルでひっかけ、手元へと引きずり出す。
「まさか……やめろ!」
狼狽するピエロ達を余所に、俺はその先端を水面に押し当てた。
鶏が絞められる時のような情けない声を上げ、いかれたサーカスが幕を閉じる。後に残ったのはネオシフターズのリーダーのみ。余裕の表情は、傘の下で凍り付いていた。
「な、なんだ⁉」
怯えた声を余所に、水浸しの床を歩いて渡る。出口への道は水で塞がれてある。無理にこのアジトを出ようとすれば、感電は免れないだろう。逃げ場はない。
「何故だ⁉ 何故お前は感電しない⁉」
とうとうここまで来た。腰を抜かしてへたり込むその男に、足先を指示してやる。
「何だ? この白い塊は?」
そうだ。予想していた以上に歩きにくい。蝋で覆われた足ってのは。
「蝋はな。通電しないんだよ」
種明かしと同時に、俺は男の首を刎ねた。
*
「さて、後は君一人だ。チャーリー」
ロックは死んだ。ジャベリンも、ツインブレードさえも死んだ。ホテルで生き残っているのは僕一人。予想はしていたけれど、エースは一筋縄で倒せる相手じゃなかった。
「くっ……」
逃げるしかない。対峙することを諦め、僕はエースに背を向けた。走るしかない。テレポーテンションで追ってくるエースから逃れるために、時折ロケットの力を利用する。目指すは地下。ホテルの厨房だ。
いよいよガントレットの残量が底を突きそうになった時、ようやく僕はそこへたどり着いた。金属の扉を蹴破るように開けて、一心不乱に内部へと進む。目指すは水道。水を補充しないことには、僕は全く戦えない。
あった。蛇口。震える手で何とかひねり、そこから流れる水をガントレットへ――
「補充か。なるほど」
しかし、水は不意に方向を変えた。凄まじい勢いで気化していく水蒸気が白い筋を残し、現象の主へと導かれていく。レインメーカーの能力。これを起こしているのは
「エース……」
「逃げたわけじゃなかったのか。よかったよかった。追いかけるのは手間だからね」
水の球はその手の平の上で、どんどん大きさを増していく。そして、圧力が十分たまった時が最後――この閉鎖空間に逃げ場はない。
「何故ですか?」
「ん?」
今はただ話をつないで時間を稼ぐんだ。そして、注意を逸らす。生き残るにはそれしかない。
「何故、僕たちを騙していたんですか?養成所と偽り、ヒーローになれると扇動し、挙句の果てに使い潰す……何故僕らを騙すような真似をしたんですか?」
「ふうん。よく喋るね。僕に答えてあげる義理なんかないんだけど」
そういいつつも、エースは乗り気だ。右手に作った最後の火球。それにも気づいていないらしい。
「まあいいや。おしゃべりは嫌いじゃないし。話を聞けば、君も快くこの世からいなくなってくれるかもしれないからね」
つながった。後は、致命的な隙をさらすのを待つだけだ。僕は、流れ続ける水に手を当てた。
「僕がヒーローをやっているのは、ひとえに僕が恵まれた存在だから。それにつきる。ノブレスオブリージュ。高貴な者は、高貴な振る舞いを。亡くなった父がずっと言っていた言葉だ。その言葉のせいで死ぬことになるとは夢にも思わなかっただろうね」
「死んだ?」
続きを促しながら、それとなくエースの位置を確認する。ちょうど上に備え付けられた棚の下にいる。位置は完璧。あそこに何が入っているのかは事前に調べてある。
「十五の時、僕が始末した。利益を上げ、資産を増やすために、途上国の南米の子供たちを奴隷のように扱っていたからね。残念ながら、父は高貴であっても正義ではなかった」
正義の為と言う大義名分を掲げ、弱者を踏みつけ利用する。彼は自分が殺した父親と、何も変わらない。資産を守るという目的が、正義を守るという目的に置き換えられただけ。
彼に父親を非難する権利は全くない。
「正義? 正義ってなんですか? 罪のない子供を攫ってきて、実験動物にした挙句、尖兵として使い潰すのが正義だっていうんですか?」
「必要な犠牲だ。正義は守る力じゃない。罪人や悪を壊す力だ。その過程で投げ捨てられる命に、目をかけてあげるほどの価値もない」
声音が変わる。いつもの柔らかく親しげな口調から、堅い一本の鉄心のように冷たい声に。
「考えてもみなよ。僕は市民の最後の砦だ。万が一僕が死んじゃったりするようなことがあったらどうする? その後犯罪に襲われる人を守ってくれる物が無くなっちゃうんだよ? そうなった時の穴を誰が埋めてくれるんだい? 君か? いや、君だと力不足だ。結局の所、僕以外の存在なんて、端役に過ぎないんだよ。」
端役だから、死んでもいい。彼の言う高貴な振る舞いなんてものは、結局の所自分本位に過ぎないのだ。自己実現――エリックの言葉が反芻する。
「ああ、それで、理由だっけ。なんで、記憶を弄ったのかっていう――」
また、いつもの――仮面をかぶった口調が戻ってきた。
「高貴な者は、高貴な振る舞いを。ヒーローに品性が無ければ示しがつかないだろう。僕は大衆の模範にならなきゃいけないんだ。僕だけじゃない。市民の目に触れることはほとんどないとはいえ、君たちにもそれ相応の振る舞いは求められる」
「だから、記憶を弄ったんですか? 偽りの記憶を、偽りの使命感を植え付けて、行儀よく仕事を行わせるために?」
結局は全て、自分本位。アカデミーズとしてふさわしい振る舞いをしてほしいというエゴのために、エースは僕らの記憶を弄った。そういうことだろう。
「それ以外に、深い理由はないさ。しいて言うなら、こうして始末する時に、手がかからなくなるってことぐらいかな。便利なのは」
レインメーカーは、最後までエースを信頼していた。そして、今目の前にいるこいつは、それをたやすく裏切り、利用して殺した。
「さて、話は以上。おしゃべりは終わりだ。満足して逝きなよ、チャーリー」
やっぱり、こいつは殺さないとダメだ。勝利の余韻を楽しみたいのか、エースはえらく勿体をつけたやり方で、こちらに狙いを合わせてきた。端的に言って隙だらけ。諦めて待つような真似はしない!
「喰らえ!」
エースの攻撃よりも先に、僕は最後の火球を投げつけた。狙いはエース上部。能力を解除し、火球を爆発させる。この棚の中に入っているのは――
「うわっ! なんだこれ、小麦粉かい?」
爆破の衝撃をやり過ごしたエースが、こともなげにつぶやく。爆発でできたのは、棚を破壊し小麦粉を撒いただけ。もう一つ火種が必要だ。そして、既にそれは準備してある。
僕は再び能力を解除した。
「えっ?」
二度目の爆発。エースの手元にあった水の球が、はじけ飛ぶ。それは次々に舞い落ちる小麦粉に火をつけ、そして――
――粉塵爆発を引き起こす。
「ぐぁっ! がっ! はあ!」
爆風に体を吹き飛ばされて、ステンレスのテーブルや機材に次々と衝突する。青痣ができる程度のダメージ。痛いけど、大したことはない。僕はエースのいた方角へ、爆破の中心点へ目を向けた。
「ははっ、なるほど」
直立する人影。煙を割いて現れるエースは、傷一つ追っていなかった。
「粉塵爆発か。面白いね。熱を無効化する君なら、近くで喰らっても吹き飛ばされるだけで済む。そして、僕の能力を利用したね? 蛇口から流れる水にキネシスの膜を張ったのか。それが水蒸気として僕の作り出した水球に取り込まれることで、至近距離で爆発を起こすことができる……」
「レインメーカーの能力だ。お前のじゃない」
我慢できなくなって、止める間もなく言ってしまっていた。
「ふうん。まあ、与えたのは僕だ。奪ったのも僕。君たちは、ただ使われていただけ。それをわきまえて欲しいな」
そう言いながら歩くエースの服は、ところどころ焦げた小麦粉で黒いシミが出来上がっていた。
「でも、まあ。予想外だったよ。ここまで成長するとはね。君を切ったのは早計だったのかもしれない」
その口調は至って平坦な物だけど、そこに静かな怒りが混じっているのを僕は見落とさなかった。
「素晴らしい戦闘プログラムだ。評価するよ『フレイムスロアー』……でもね」
とうとう目の前に来た。腰を落として座り込んでいる僕の目には、エースの股を通して向こう側の景色が見える。
「僕の服にシミを作ったことは許し難い」
顔面に衝撃が走り、首が九十度真横を向く。一瞬、何をされたのかわからなかった。顔のすぐ横にあるエースのつま先を見るまでは。
「こんな恰好でヒーローをやれって? まったく。手間を取らせないでくれよ。いつマスコミに撮られるわからないんだ」
淡々と語る言葉と共に、踵やつま先が体に叩き込まれていく。
「大体、ここまで来るのだって手間だったんだ。貴重な僕の時間を割いたんだよ? それがどれだけ重要なことか、君は理解しているのかなあ」
腹部への衝撃。やられたのはどこだ? 何か袋が破れたような感覚。内臓をやられた? 込み上げてくる液体を噴き出すと、真っ赤に染まっていた。
「カメラ調べたり、情報屋を使ったり、ただじゃないんだよ! 君の! 命は!」
語気と共に勢いが増していく。最後の蹴りを放った時になると、エースは肩で息をしていた。
「はあ。少し休もうか。あと十発は蹴りを入れてやらないと気がすまないね。合理的に怒りを処理するには、それしかない」
きっと、我慢や忍耐とは縁がない人間なんだろう。もうろうとする意識を保つために、僕は思考の焦点をエースに定めつづけた。
「さて、覚悟は……な⁉」
エースの体が揺らぐ。ようやく。ようやく効いてきたのか。息を殺して待っていた甲斐があった。
「な、なんだ?」
困惑した表情で、エースは膝をついた。あれだけ激しい運動だ。当然酸素は消費するし、それに伴って空気を吸い込む。這いつくばっている僕では吸うことの出来ない、上層の空気を。
震える腕で体を持ち上げ、腹這いの姿勢からゆっくり身を起こす。その瞬間、ちょうどエースと目があった。目線が同じ高さにあった。
「動けない」
あの時、まるで見えていなかったけど、ライブジャックの子飼い能力者は、こんな風に崩れ落ちていったのだろうか。ヘモグロビンの働きを阻害され、体は動かず意識だけがはっきりと残る。悪夢だろうな。まるで他人事のように僕は思った。
「や、やめろ!」
脳にも血が回ってないのか、能力で妨害されることもなかった。狼狽し、後ずさろうと手を伸ばし、力が抜けて仰向けに倒れる。一連の無様な動作は、見様によっては滑稽とさえ言えた。
「なんだ? これは? 何故動けない⁉」
「一酸化炭素中毒。成長性がないとあなたが切り捨てた能力の、新しい使い方です」
拳を握る。ガントレットに水はない。止めを刺すことができるのは、己の肉体のみ。
「さようなら」
僕はその頭蓋に向かって、拳を縦に振り下ろした。
*
「なんだ……これは……」
満身創痍の体に鞭打ってアジトに戻ってきた俺を待ち受けていたのは、なみなみならぬ破壊と暴力の痕跡だった。
「襲撃か?」
レジスターのオフィスは、ガラスが割れ、書類が散り、本棚が真っ二つに割れて倒れている。ところどころにある抉り取ったような特徴的な傷跡。これはジャベリンの能力だ。
もっともレジスターもこれを使えるので、実際に戦闘に参加したのがどちらなのかはわからないが。
「あるいは、両方という可能性もある」
そして、壁に穿たれた大きな穴。戦闘は外まで続いているようだ。
「襲ってきたのはどこのどいつだ?」
金庫やPC周りが意図的に荒らされた形跡はない。物取り目的じゃないのか? 単なる暗殺? しかし、外部からこれだけ派手に攻撃してきた以上、金を奪って行かない理由はないように思えるが……
「まあいい」
壁に空けられた穴から外に出て、戦闘の跡を追跡する。ほどなくして、一つの終着点、倒れ伏す人影にたどり着いた。
「これが、今回の襲撃者か……」
人影は一つだけ。恐らく敵の物だろう。仮にレジスターがやられたとするならば、それ以前にストレイドッグの面々の死体を目にしていなければおかしい。彼女が先にやられることなど、万に一つも――
――だが、近づくにつれて、嫌な予感がどんどん増していった。もし勝ったのがこちらなら、何故レジスターは電話に出ない? 備え付けの電話以外に、彼女は携帯端末も持っている。何かトラブルが起こったと考えるよりほかにない。足が、歩くのを拒否しようとする。疲労とダメージのせいだけではない。けど、進むよりほかにできることは無かった。
「ラストステップ……!」
胸に穴をうがたれたその有様を見た瞬間、背筋に悪寒が走った。死んでいたのは敵じゃない。ということは、他のストレイドッグも――
「あれは?」
すこし離れた地点思い切り穴の空いたレンガの壁の傍らに、別の死体が転がっている。
「嘘だ……」
遠目では、その姿をはっきりと捉えることはできない。炎に焦がされ、その全身が黒く変色していたからだ。ただ一か所。顔面を除いて。
「そんなはずはない」
それでも、いよいよ足は言うことを聞かなくなってきた。嫌だ。見たくない。まるで子供の様に原始的な感情が胸の内を占め、体の制御が効かなくなる。
「クソッ」
このまま足を止めることができれば、どれだけよかったか――生憎と俺の精神はそこまで未熟じゃなかったらしい。声高に叫ぶ主張に慣れきった神経は、体の自由を取り戻した。
アドレナリンが引いていき、痛みと共に、明確な意志が戻ってくる。あれを、あの顔を見なくてはならない。
「……畜生」
その時発せられた理性ある言葉は、これが限界だった。レジスターの死に顔。その事実をはっきりと認識したその時、俺はこらえきれずに絶叫を張り上げていた。
「誰だ……?」
絶叫はいつまでも続かなかった。体は正直だ。のどの痛みが思考を現実へと引き戻し、悲しみの中から理性的な思考が始まる。この感情を抑えるにはどうしたらいい? 未来永劫続くこの罪を、重荷を、どうすれば軽くすることができる?
「誰だ? 誰がやった? 見つけ出して殺してやる。この手で、必ず」
そのためには? そのためにはどうすればいい? 監視カメラ。理性はまっとうな解を導き出してくれた。ストレイドッグのアジトに仕掛けられた監視カメラの映像。PCが荒らされていないなら、襲撃時の記録が残っているはずだ。
のろのろと来た道を引き返し、アジトに戻ってPCを立ち上げる。
「クソッ! パスワードだと?」
それを知る術は残されていない。教えてくれるであろうレジスターは既にこの世を去っている。手詰まりか……? いや、方法は一つある。
「アイツがいた」
俺は連絡を取り、奴の到着を待つ間、応急手当と蝋の補充を行った。ソファで横になり、復讐のための英気を養う。相手が何人だろうが構うものか。俺が必ず――
「起きてください」
どうやら眠り込んでいてしまっていたようだ。肩を揺さぶり起こすのは、白衣を着た男。以前あった時そのままの姿だ。
「バイナリィ……やっと来たか」
プレディクトの子飼い能力者、バイナリィ。基地からIMAGNASのデータを盗み出せたこいつなら、パソコンのロックを解除することなどたやすいだろう。
「ひどい、有様ですね。信じがたい。いや信じたくないと言った方が正しいでしょうか」
「ああ。だから、こいつをやった犯人を見つけるんだ。パソコンにここの監視カメラのデータが……」
「もう、終わっていますよ」
そう語るバイナリィは蒼白な顔をしていた。
「どうした? 顔色が悪いぞ? 敵はそんなにヤバイ奴なのか?」
「ご自分で確認されるのが一番かと」
バイナリィがモニターをこちらに向ける。襲撃直前の時点における監視カメラの映像が流れ始めた。
「なっ……!」
この時俺は、自分が何をしてしまったのかを、如何に愚かな選択をしてしまったのかと言うことを、はっきりと自覚した。画面に映っている打つべき仇。その正体に、俺の罪は、軽くなるどころかますます重さを増していった。
オフィスの壁が割れ、戦闘が外へ流れ行く。
「もういい。もう十分だ」
動悸が止まらない。ああ。クソ。アイアンロッドが正しかった。俺はなんてことをしたしまったんだ。
「助けるんじゃなかった……」
「襲撃者はあなたの仲間、そういうことですね。以前見受けられなかった方もおられますが……」
「もういい。黙っててくれ」
フレイムスロアーがレジスターを裏切った。それは変えようのない事実だ。彼女はもう帰ってこない。となると、もうやることは一つしかない。後戻りできる道は、どこにも無かった。
「決着をつけてやる。奴がどこに行ったか分かるか?」
バイナリィは無言で割れたテレビをつけた。ノイズまみれの映像。だが、何が起こっているかははっきりとわかる。報道番組だ。
「あなたの仲間はライブ中継されていました。ヘリング・エースの活躍として」
アイアンロッドがホテルを占拠している姿が映っていた。現在の映像ではない。日の傾きから過去に撮影されたものだと分かる。今から行っても既に、全てが終わった後かもしれない。だが、
「場所は分かった。俺一人で行く」
「その傷で、ですか?」
確かに。時間経過と睡眠で多少マシになったとはいえ。やはり手首や体を動かすのに不自由することには違いない。
「それでも、行かなきゃならないんだよ」
「では、私が送りましょう。車くらい運転できます」
いやに親身な言い方だ。何か裏があるのか?
「なあ、お前は部外者だ。何もここまで関わる必要はない」
「勝手な人ですね。そちらから一方的に頼み込んできておいて」
こいつ。こんなに感情的に話す奴だったか?
「あなたには以前大変助けられた。そのお返しがしたい。そう考えているだけですよ」
「わかったよ」
断るのは、時間と労力の無駄だ。俺はバイナリィに従った。
「ただし、奴とやりあう時に手は出すなよ。決着は、俺一人でつける。俺が死んでもなにもするな」
「心得ています」
バイナリィが頷く。準備はできている
「行くぞ」
*
どれくらいの間そうしていたのだろう。不意に誰かに襲われることを警戒し、ガントレットに水は補充した。けど、そこが限界だった。ダメージに体がふらつき、ロビーの階段を登りきったその時、僕は地面に倒れ伏した。うつぶせの姿勢、もうろうとする意識で、時間の感覚があやふやになり、ぼんやりとおぼつかない思考が頭の中を巡り続ける。このままここにいるのはまずい。いずれ警察がやってくる。そうでなくても、エースの息がかかったどこかの組織が来るはずだ。早く逃げないと。
しかし、危惧していた敵対存在は、なかなか現れなかった。エースは今回の戦闘を人に見られたくはなかったはずだ。事件を解決するから近づくな、とでも言っていたんじゃないだろうか。警察が来ないのは、そのため……
「よお」
正面限界の回転扉が開き、夜の闇を背負って、そこから誰かが入って来た。ロビーの明かりに照らされて、その顔が明らかになる。
「エリック……」
ネオシフターズめ。せっかく忠告してやったのに。
「エースはどうした? 死んだのか?」
しかし、エリックも無事ではない。彼らが雇った能力者集団も、ただでは死ななかったようだ。おぼつかない足取りがダメージの深刻さを物語る。
「生きているってことは、勝ったのはお前だな。そしてお前がエースを生かすことはない……まあ、どうでもいいことだが」
首を大きく回し、戦場となったホテルを観察。欲しい情報はすぐに見つかったようだ。エリックの口から、生気のない言葉が続く。
「他の仲間はどうした? みんな死んだのか? これもお前の計画通り。そうなんだろ?」
ああ。その通り。レジスターを殺し、エースを殺し、その過程に起きる戦闘で、ストレイドッグをみんな死なせる。賛同しそうにないエリックには単独で仕事に行ってもらい、その先で敵に殺されてもらう。こうして犯罪組織をつぶし、エースを殺し、あらゆる頸木から逃れて自由になることで、僕はやっとヒーローになれるんだ。
もう少しで全部うまくいく。最後の最後で邪魔されてたまるか。
「エリック。誤解です」
「誤解?」
相変らず感情が読めない声。説得は無意味か? いや、やってみないと分からない。
「ストレイドッグは普段からレジスターに不満を抱いていた。いつ暴発してもおかしくなかった。それがたまたま今日だっただけ。あなたがいない時に起きたのは不幸としか言いようがない」
腕を組んだまま、エースは黙って聞いている。
「僕はよそ者だ。彼らを止められるはずもない。結局、レジスターは死んでしまった。不幸な出来事です。でも、起こるべくして起こったと言える……」
「面白い。続けろ」
また一歩、エリックが近づいてきた。その影が触れそうになるほどの距離。
「トップがいなくなり、彼らは暴走した。結果、ご覧の通りホテルを襲い、そしてエースに目をつけられた。僕は生きるために必死で戦ったんですよ! 彼らを守るなんて、僕にはとてもできなかった」
無言だ。エリックは何も答えない。その両手が、腰に下げられたサーベルにかけられる。
「結局生き残ったのは僕だけです」
「俺もいる」
「そうですね。まだ救いはある」
ゆっくりと、うつぶせの姿勢から身を起こす。なんとなく、相手がそれを望んでいるような気がした。
「ストレイドッグは、所詮犯罪者集団です。どれだけ取り繕って道理を説いても、弱者から搾取していたことには変わりません。滅んで当然の組織です。でも、あなたは違う」
よし、ちゃんと体は動く。致命的な後遺症はない。
「あなたには葛藤があった。正義の心があるんです。僕と一緒にヒーローをやりましょう。世界をエゴでゆがめる輩を一緒に蹴散らしていくんです。二人なら、それができる。一緒に、正義の味方を――」
「なるほど」
僕の言葉はエリックに遮られた。
「それがお前の言い分か」
「ええ。だから――」
「そうやって、あいつらを丸め込んだわけだな」
「えっ?」
なんだ? エリックはどこまで知っている?
「何の話だか……」
「レジスターは焼かれて死んでいた。それができる奴が、お前以外にどこにいる」
やっぱりダメか。即興で作った演説にしては、悪くないと思ったんだけどな。
「あ、あれは何かの手違いで……」
「正義? 自分の都合で人をそそのかして殺し合わせるのが、お前の言う正義か?」
「彼らは犯罪者だった! 滅びるべき存在だったんだ! あなたもそれが分かるはずだ!」
「だから、それを壊した自分は、正義だと?」
相変らず。その声は淡々としている。嘲るような口調。でも、にじみ出る怒りは隠しきれていない。
「誰も救わない正義に、何の価値があるんだ」
「僕は救った! ストレイドッグに搾取されてきた人たちを! これから搾取される人を!」
「そうやって、俺たちはみ出し者の居場所と食い扶持を奪ったわけか。自分自身の『夢』とやらのために、扇動し、殺し合わせ、始末する」
うつむいていたその視線が、初めてこちらを射抜いた。まさしく刺し殺すような強い殺意。
「お前は、ヘリング・エースと何も変わらないよ」
「……望むところだ」
ヒーローを名乗れるなら、外道に身を落とすこともいとわない。だって僕は
「そのために作られたんだから」
振り抜かれるサーベル。形作られる刃。接近戦ではこちらが不利か? 作り出した火球を爆破させ、ロケットにして距離を取る。
「喰らえ!」
投擲。もう片方の手に合った火球を投げつけ、エリックのいる位置で爆発させる。サーベルの一薙ぎ。蝋の刃が白い軌跡を作る。爆破の直前に真横に弾かれ、爆発は致命的な威力を持つに至らなかった。
「クソッ!」
解除のタイミングがつかめない。液化してリーチを伸ばす蝋の刃が、火球を弾きながら近づいてくる。そして、この近距離。敵の攻撃の射程圏内だ。この距離で爆破すれば、流石に自分もただでは済まない。火炎放射に切り替える。
「くっ!」
炎の軌跡を完璧に見切り、エリックがさらに一歩踏み込んでくる。サーベルの射程圏内。逃れないと。地面を蹴り、火炎放射の足掛かりを取っ払う。放射の反作用で、さらに後ろに距離を取ることができた。仕切り直しだ――
「⁉」
突如空を裂き飛来する何か。とっさに顔を庇ったガントレットに、それは深々と突き刺さった。右のガントレットに穴が穿たれ、そこから水が漏れていく。これは……
「蝋の刃」
刀を振るう瞬間に、刀身の真ん中だけ能力を発動させ、先端部分を切り離す。蝋を石鹸に変える能力の応用か。
そして、エリックのサーベルは二本。次いで二発、新たな刃が迫りくる。
「まずい!」
手数では相手が上だ。火球を作って投げつけるが、乱れた姿勢からでは攻撃として成り立たない。あさっての方向に飛んで行った火球が、むなしく爆発する。
そして、この間もエリックは距離を詰めてくることを忘れない。回避に専念させることで、こちらが反撃も逃走もできない状態にする。片手でカートリッジを交換するため、攻撃の隙を突くこともできない。万事休す。じわじわと壁際に追い込まれていく。
「こうなったら!」
一か八か。ロケットで真上に飛び、方向を調節してエリックへと向かう。このまま逆に接近できれば、流れをこちらに――
「えい!」
落下と爆破の勢いを乗せた拳は、しかしバックステップで躱されてしまった。構わない。このまま畳み掛ければ、いずれ……
「あっ!」
足が動かない。クソッ。気づくべきだった。床にまかれた石鹸が固形化し、足を地面に縫いとめる。対応しようと火球を作り出す前に、エリックの攻撃が飛んできた。
まっすぐな殺意で襲いくるサーベル。首筋を狙ったその一撃を左のガントレットで何とか防ぐ。接合部が破壊され、水をまき散らしながら、ガントレットは地面に落ちた。これでもう使えるのは右手だけだ。
次なる刃を身を屈めて躱し、思い切り殴りつけることで、拘束を逃れる。振り下ろされる刃を後ろに逃れるが、既にエリックは次の攻撃に映っている。このままじゃじり貧だ。
確実に切り殺される。火球を放れば弾かれる。火炎放射は躱されるし、自爆はダメージが大きすぎる上に不確かだ。何か無いのか? 右側のガントレット、火球一つで状況をひっくり返る逆転の一手は――
「もう逃げられない。だったら!」
逆に、突っ込む。火球を握った腕を開き。指の隙間から爆風を逃す。掌底。炎をまとった掌で、勢いを乗せて刃に突っ込む。
「何だと⁉」
成功だ。熱と速度で刃は折れた。エリックに残されたのは柄のないサーベル。そして、この至近距離。カートリッジを装填させる時間は与えない。このまま、けりをつけてやる!
未だ熱を保った掌をエリックの胴体に叩き込む。ガントレットを握って引きはがしにかかるエリック。だが、もう遅い。後は水を掌に供給し、それを爆弾に変えれば――。
「あれ?」
水が、出てこない。そんな馬鹿な。ガントレットは確かに傷を刻み込まれたけれど、さっきまで問題なく動いていたはずだ。エリックが触れるまでは――
「あっ!」
蝋を液化した石鹸に変える能力。ガントレットにはさっきの攻撃、蝋の刃が刺さったままだ。エリックが触れば液化してガントレット内部の水と混ざる。水の通り道で能力を解除すれば
「嘘だ」
水の流れを断ち切ることができる。
「お前を治療した時に、構造は既に調べてある」
残った刃が引き抜かれる。止めろ。僕はヒーローになるんだ。ヒーローは死んじゃいけないんだ!
「あばよ。フレイムスロアー」
はじめに感じたのは、痛みじゃなくて冷たさだった。さながら喉に氷でもつめられたかのような感覚。そして噴き出す血が首筋を、頬を濡らす。最後に焼けるような、絶望的な感覚。
「が、は」
いやだ。ここで終わりなんて。死にたくない。僕は――
なんだったんだろう。僕は
*
「終わりましたか」
「ああ」
バイナリィはずっと外で待っていてくれた。と言っても、さほど時間がかかったわけじゃないが。
「終わったよ。何もかもな」
「そうですか……」
しばらく、無言の時間が続いた。新しかったコートは。もう血まみれで穴だらけだ。隙間から吹き付ける風に身を縮こまらせながら、俺はこれからどうするかを考えていた。まずは、コートを新調しないとな。それから。レジスター達を弔い――
「これは」
それがあまりに久しぶりすぎて、涙だということを忘れていた。誰かを思って泣いたのはずいぶんと久しぶりだ。そして、誰かを悼んで泣いたのは、初めての経験だった。
「どうしました?」
「わからねえ。ただ、悲しくなっちまったのかもな。終わったのは俺たちだけだ。あの人が死んで、組織が潰れて、こないだ仲間に入れた奴をこの手で殺した後だってのに、世界は今まで通り、何も変わらず回ってるんだからよ」
空が白み始めた。夜明けだ。この狂った悲劇の幕引きにちょうどいい。
「全てが終わったわけではありません」
バイナリィはそっと肩に手を置いてきた。
「まだ、あなたは生きています」
「ボスがいない。組織もない。そんな状況で、どうやって生きていけって言うんだよ」
「私の仲間が、新たに主を失った能力者を束ねる組織を作っています」
そうだった。主を失ったのはこいつも同じだ。獄中にいるか、あの世にいるかって違いだけで。
「行き場がないというのなら。我々に加わるというのはどうでしょうか」
どうだっていい。このままのたれ死ぬか、また寄せ集めとして働くか。その違いでしかない。俺たちに与えられた選択肢なんて、そんなものだ。
「わかった。ありがとよ」
今はただ、眠りたい。寝床があるならそれで十分だ。疲れ切った頭をぼんやりと動かし、俺は開けた視界の先にある、地平の果てに目を向けた。
「日の出か。まぶしいな」
薄汚い街に不釣り合いな、きれいな朝日だった。
完結です
読者のみなさん、ここまで付き合って下さって 本当にありがとうございました




