第五章 真実 ②
思ったより五章長いです
次で五章終わります
第五章 真実 ②
*
どれくらい時間が経ったのだろう。二、三日くらい? 結構な傷を負っていたはずなのに、思ったより回復は早かった。体はもう十分に動かせる。僕はベッドから起き上がった。
「お? 起きたか……へへっ、起きたのね」
この間、僕の前で話していた二人のうち、若い方が顔をニヤつかせながら近づいてきた。
「へへっ、さあて、どうしよっかなあ」
彼の名はジャベリン。僕が今、もっとも殺したい相手だ。
「何を、するつもりですか?」
目は合わせない。情けない話だけど。ここ数日、動けない間にこいつから受けた仕打ちの数々は、決して忘れられるものじゃない。
「俺? 俺は何もしやしねえよ。やるのはお前だ。体が動くようになったんだろう?」
そう言って、下から顔を近づけてくる。煙草と酒が入り混じった、臭い息を吐きかけながら。
「四つん這いになれ、犬のマネをしてもらおう」
「な、なんでそんな!」
いや、聞くだけ無駄だ。こいつに理由はない。虐げられる大義名分さえ手に入れば、誰にだってこんな真似をするような奴だ。
「ションベンのかかった飯をクソと一緒に食らう奴なんか、犬畜生とそう変わんねえからだよ」
あの時の記憶がよみがえる。こいつが食事を運んできた時点で警戒するべきだった。
「おっ? 切れるか? それとも泣くか? エリックに泣きつくのかぁ?」
握りしめた拳の中はしかし、振り下ろされることはなかった。ガントレットが無い以上、僕は能力を使えない。それに、ここで手を出せばアジトにいる全員を敵に回すことになるだろう。耐えるしかない。
「おらどうした。さっさとやるんだよ」
だが、黙って従う道理はない。頭を抑えつけようと伸ばしてきた手を払いのけると、捕まえようとするジャベリンの腕をすり抜け、僕はアジトの外に出た。
「待ちやがれ!」
身勝手な怒号を上げ、ジャベリンが追いかけてくる。やっかいなことになったな。まるで他人事のように思考が解決策を探し始める。他に追いかけてくるストレイドッグのメンバーはいない。どこか水の多い所に誘い出して、そこで――
「そこで、殺してやる」
後のことなど知るものか。助けたのはエリックの勝手だ。僕にはあんなところに居座る理由はない。殺してしまえば本格的に彼らとことを構えることになるかもしれないが、今この状況において、それは些細な問題だ。意を決して、僕は二つのビルの壁を交互に蹴り、屋上まで登って行った。水場を探すには、高い所に昇るのが一番だ。
「変わったな。僕は」
誰に聞かせるわけでもない言葉が、ひとりでに口から零れ落ちる。確かに、変わった。以前では考えられない思考だ。こんなにあっさりと、相手を殺すことを考えるなんて。確保にこだわっていたのが嘘のようだ。
「追って来ないな」
どうやらジャベリンは諦めたらしい。考えてみればただの嫌がらせだ。そこまでの労力を割くのはばかげている。ほっとしたような残念なような、そんな自分でもよくわからない感情のまま、僕はビルの上から街を見下ろした。
「流石に、あそこには戻れないな」
エリックには悪いけれど、戻ってもトラブルになるだけだ。もう一度ジャベリンが追って来ないか確認すると、僕はビルからビルへ飛び移って、ストレイドッグのアジトから離れた。しばらく進んだ所で、壁面をつたい地面に降りる。
「これからどうしよう」
行くあてはない。アカデミーズに戻っても、エースに殺されるのがオチだろう。とりあえず、ただ立っているのがばからしくなって、僕は歩いてみることにした。あるはずもない変える場所を探して、大通りから細い小路へ。自分が求める場所を探して、商店街から住宅地へ。本当は、いずれアジトに戻るのだということは分かっていた。あそこ以外に僕を受け入れてくれるところがあるはずがない。それに、エリック――あの後何度か言葉を交わしたけれど、彼が守ってくれる限り、僕はたぶん大丈夫だ。
そんなことを考えながら歩いていると、どこかから子供の泣き声が聞こえてきた。
「なんだろう?」
普段なら気に止めることもないだろうけど、あいにく今は時間を持て余している。僕は声の聞こえてくる方向に近づいてみた。声から判断するに、幼児とは考えられない。もう少し上の、おおよそ七、八歳くらいの年齢。そして、これほど感情をあらわにした泣き声。何かあったことは疑いようがない。ひどくショックで、恐ろしい何かが。
徐々に目が慣れてきて、薄暗いビルの谷間を見通せるようになる。泣いているのは予想通り子供、背丈を見るに、やはり七歳くらいだ。近づくと、風貌が明らかになる。その有様に、僕はひどくショックを受けた。
街は失業者と浮浪児であふれかえっている。エリックから聞かされてはいたが、僕はそれを単に情報としてしか認識していなかったことに気が付いた。
脂と埃で黒ずんだ金髪。そしてサイズの合わない服の上からでもわかる、異様に細いシルエット。明らかに、栄養が足りていない。食事をとれない人間がどんな姿になるのか、僕は今、具体的な形で思い知った。
自分も、かつてあの中の一人だった。エリックの話だとそういうことらしいのだけれど、あんな風に泥だらけで痩せこけた自分の姿は、到底想像できそうにない。
「ひっ」
こちらの接近に気づいて、その浮浪児はしゃくりあげた。怯えている。無理もないか。
ストレイドッグから借りた服は、あまり友好的なデザインをしているとは言えない。
「あなたがやったの?」
「やった?」
そうだ。この子は泣いていた。何か悲しいことがあったのか? それとも……
その視線が、下を向いていることに気づいた。うつむいているんじゃない。明確に、何かを見ている。それが彼女を怯えさせている……
「なんだ?」
心臓が高鳴る。恐る恐る彼女の視線の先を探し、僕はそれを見つけた。暗がりで良くは見えないけれど、この格好は間違えようがない。
「これは……」
あの日、目覚めた僕と一通り話をした後、確かに彼はこれを着て出て行った。この、カーキ色のコート。デザインまでそっくり同じやつを。
「嘘だ……」
けど、ありえない話じゃない。ベッドの前で繰り広げられた会話を思い返せば、この可能性は考えてしかるべきだった。
もう浮浪児のことなんかどうだっていい。壁に手を付き、荒くなっていた呼吸を整えると、僕は表通りに向かって一目散に駆けた。
「エリックが……」
頭の中には浮かぶのは明白なセンテンス。
「エリックが、死んだ」
*
「そろそろ、アレを持って帰って、エリック」
「アレ?」
わざととぼけたふりをするが、それでなびくようなレジスターじゃない。黙って指差した先には、新調したコートがかかっている。買ったその日から、ずっとここに置いてあった。
「何故ですか? ここにあったほうが効率がいい。実際俺が外に出るのは、仕事の時か、あなたに頼まれて買い物や雑用を済ませる時だけです」
何を言い訳しているんだ、俺は、理由は明白じゃないか。
「効率……言い訳にしても、あまり良くない言い方ね。エリック」
「では、それ以外に何か理由があるとでも?」
図らずとも、からかうような口調になってしまった。ああ。俺は彼女に言い当てられたいのだろう、このこっぱずかしい感情を。
「そうね……、あ、あなたは」
途端、レジスターの顔が赤くなる。何も気負うことのない自然体の彼女。俺だけが見ることのできる表情だ。
「あなたは、わ、私の部屋に来る口実を作るために……ここにコートを置いているのよ!」
ああ。まさしくその通りだ。
「会いに来てくれるのはうれしいけど、やっぱりけじめは必要だから……このままじゃ私、ダメになっちゃいそうだから」
ダメになっても構わない。むしろこのまま二人で、組織を捨ててどこかに逃げてしまいたい。心の中ではそんな欲求が暴れまわっていたが、あいにく頭はそこまで馬鹿になりけれなかった。
「そう、ですね」
組織の為だ、仕方がない。そう言って、コートに手をかけたところでさらにレジスターが呼び止めた。
「あの、例の能力者のことだけど」
「フレイムスロアー、ですか」
「そう。元アカデミーズのね」
そうだ。いつまでも先延ばしにはできない。フレイムスロアーと、ヘリング・エースのことは。
「この三日間考えたけれど、やっぱり私はあなたと離れることはできない」
「では、どうするんですか?」
「彼の、戦闘データを使うの」
「戦闘データを?」
使ったところで、レジスターの戦闘能力が少し上がるだけだと思うが。
「エースが彼を狙うのは、ひとえに彼が『エースがこれから使う能力』を持っているから。情報が漏えいされることを恐れて、ある種口封じのためにエースは襲ってくる」
「けど、どうやったってその事実は変えられないのでは?」
「事実は変えられないけれど、状況は変えることができる」
何を考えている? フレイムスロアーが傷つくようなものじゃなければいいが。
彼女が誰かを傷つけるところは、あまり見たくない。特に、身内は。
「そのためには、彼の……フレイムスロアーの戦闘データが必要になるわ。なんとか渡す様、説得できるかしら」
一筋縄ではいかないだろう。でも、それで彼女と一緒にいられるのなら、やらない理由は見つからない。
「わかりました」
コートを肩に担ぎ、自分達の部屋へと戻る。何とか説得できればいいが……
そう思って、ドアを開けたところ
「よお。色男のお帰りだ」
アイアンロッドに出くわした。
「とうとうあの女とねんごろか、いいご身分だな。お前はよ」
この態度には慣れっこだ。アイアンロッド……根は悪い奴ではないが、意見や立場には分かり合えないほどの隔たりがある。
「彼女はあくまで俺たちのことを考えてる。多少ミスをしたり思い詰めたりすることもあるが」
「ミスで痛い目被って死ぬのは俺たちなんだよ。ヘッドセットのことをもう忘れたのか?」
ヘッドセット……心の読める彼女がいない今、俺たちは互いを真に理解する機会を永久に失ったと言える。
「彼女の件は、レジスターも考えがあったんだ。敵の考えを読むことができれば、目的や所属する組織が……」
「それで、戦闘員でもないヘッドセットを前線に送る? けっ、馬鹿としか言いようがねえな。俺たち全員でその敵をぶちのめして、一人生け捕りにしたらよかったんだ。ヘッドセットがわざわざ行く必要なんか、どこにもねーんだよ」
「もし、その間に本部が襲われたら……」
「それこそ、あの女が一人でなんとかすりゃあいいだけの話だ。自分の身を自分で守る。そのために俺たちはあの女に能力を渡してるんだからな」
アイアンロッドの言うことには、常に一部の理がある。だからこそ、腹が立つのだが
「むざむざ派遣する仲間の数を絞り、非戦闘員まで駆り出すなんて、そんな馬鹿にリーダーをやらしていいのかよ」
「もしも相手が強敵だったら、俺たちは全滅していた可能性だってあった。レジスターの決断は犠牲者を減らすための策だったんだよ」
「そのために、アイツらが……ヘッドセットが死んでも良かったっていうのか?」
ヘッドセットは本来死ぬはずじゃなかった。そして何より、レジスターもその事実に心を痛めていたことに変わりはない。単にテレパスは替えが効かない、というだけでなく、純粋に仲間の一人を失ったこととして。
「ひょっとして、あの女すでにテレパス能力を移植したんじゃないか? テレパスは二人もいらない。それで、心が読めるヘッドセットを――」
言葉が言い切られる前に、俺はアイアンロッドの喉に刃を突き付けていた。蝋で作ったサーベルの刃を。
「おい、なんだよ。やる気か?」
「訂正しろ。彼女はそんな人じゃない」
肩をすくめるとアイアンロッドは首を横に振った。
「わかったよ……収めてくれるあいつはもういないしな」
アイアンロッドは扉の前から一歩下がった。ようやく、中に入れる。
「お前の覚悟は分かったよ。十分にな」
珍しく、アイアンロッドはあっさりと折れた。いつもなら殴り合いになってもおかしくないのだが。
「そうか……」
まるで何かを諦めたかのような態度だ。釈然としない。
「フレイムスロアーはいるか?」
パッと見たところ見つからない。
「先ほど、出て行ったな」
渋い声。ロックだ。奥のソファに座っているその姿は、まさしく岩山と呼ぶにふさわしい。
「出て行った?」
「そこのバカが、いらん手出しをしたからな」
ロックが顎で指した先にはふてくされているジャベリンがいる。
「なんだよ。あいつは仲間を殺した敵だぜ? 何やったっていいだろうが」
「品性を貶めるような真似はしないほうがいい。俺はそう言いたいだけだ」
なんだ? まるで説教か何かあったみたいじゃないか。
「それで、あいつはどこに行ったんだ?」
「知るかよ」
参ったな。今外に一人で出歩かせるのはまずい。いつエースが出てくるかわからない上に、最悪このアジトの場所が割れて全滅する可能性すらある。
「探してくる」
俺はコートを羽織ると、外に飛び出した。
これからどうしよう。波止場に座り込んで、行きかう船をあてどなく見つめる。
現実は僕が思っていた以上にハードだった。元アカデミーズである僕は――他の能力者もそうなのかもしれないけれど――身分証を持っていない。働くことはおろか、ホテルに泊まることすらできないのだ。
ヒーローや組織は能力者を搾取し利用している。でも、その一方で、僕らは組織の力なしには生きていくことができない。僕たちが今まで見ようともしてこなかった世界は、どうしようもなく大きかった。
けど、エリックは死んだ。もういない。この世界で僕は一人生きていかないといけない――
「探したぞ」
波の音に混じって、最近覚えた声が聞こえてきた。いや、そんなはずはない。だって彼は
「エリック⁉」
信じられない。五体満足。傷一つない状態で、エリックが隣に立っていた。
「でも……そんな、殺されたはずじゃ」
「何言ってんだ? 俺は別にどうもしてねえぞ」
怪訝そうに眉を上げるエリック。どうやら、本当に何も知らないようだ。でも、あの時見たのは
「あれは確かにあなたのコートでした。カーキ色で、使い古されてボロボロになっていた――」
いや、よくよく思い返すと、確かに顔は見ていない。ただ同じコートを着ていた別人だという可能性もある。場所が場所だけにエリックと誤解してしまっただけで
「俺の、コート?」
傍らに立つエリックのコートは黒。僕が以前見た時とは違う。
「つい最近、新調したんだ。それで、あのカーキ色の……古い方はあげちまった」
そう語るエリックの顔は驚くほど蒼白だった。何かとても深刻な事態を目の当たりにしたように。
「殺された。そう言っていたな」
「はい。カーキ色のコートを着た死体……明らかに他殺でした」
自殺するにしても場所は選ぶだろう。あんな往来で胸を刺し貫いて、屍をさらすような人間がいるとは思えない。
「まずいことになった。とりあえず、早くアジトに戻った方がいい」
「どういうことですか?」
「説明する暇はない……」
強引に引っ張って行こうとする手を、僕は振り払った。
「戻れませんよ。あそこには」
「なんだと?」
語気は強いが、いらだっているというより、何かを恐れているような感じだ。
「あそこに、僕の居場所はない。所詮僕はあなた達にとって憎むべき敵だ。うとまれ、さげすまれ、嫌がらせを受ける。このままじゃ僕は、あそこにいる誰かを殺してしまうかもしれない」
誰か、その名前は明白だ。こんな意見が通るとは端から思っていないけど、脳の感情的な部分は、それを理解して従ってくれるほどおとなしくなかった。
「ジャベリンか……あの野郎」
顔を覆うように、エリックは髪をかきあげた。
「奴に対しては俺から言っておく、だから……」
そこでエリックは言葉を切った。諦めたようにため息を付き、そして、静かに言った。
「わかった。すぐにはアジトに戻らねえ。個人的な話もあるしな。だが、このままここにいるのはまずい。目立ちすぎる」
目立ちすぎる……確かに波止場は遮蔽物が少ない。僕らがいることは、遠目からでもすぐにわかるだろう。
「場所を変えるぞ、ついてこい」
今度は手を引くことは無く、エリックは走った。選択が、ゆだねられている。そのことに思い当たるよりも先に、僕は彼を追って走っていた。
「ここならいいか」
たどり着いたのはビルの屋上。
「ここなら下から死角になるし、近づいてくるやつがいてもすぐわかる」
一通り周囲を確かめた後、エリックは切り出した。
「さて、殺された、そう言っていたな。俺が着ていたコートを着た人間が……」
「はい」
それと、周囲を警戒することにどんな関係があるのか――僕はなんとなく予想がついてしまった。
「たぶんそいつは、俺と間違われて殺されたんだ。拷問されたかもしれない。情報を聞きだすためにな」
情報……このタイミングで、エリックを殺してまで聞きだしたい情報となれば
「僕のこと、ですね」
「そうだ。エースはお前を探してる。お前を連れ去った俺のこともな」
そう語る彼の顔は、壮絶なものだった。行き場のない怒りと、なにがしかに対する悔しさと、それに伴う自責の念。心が読めるわけではないけれど、まるで隠しきれていない感情を察することは、そう難しいことじゃなかった。
「何か、あったんですか?」
「いや……殺されたのはたぶん、俺がコートを上げた奴だろうって、そう考えていただけさ」
こちらに振り向いた時に一瞬だけ垣間見えた彼の殺意は、明らかに僕に向けられた者だった。
「ここ数日で、ヘリング・エースの息がかかった情報屋が動き始めた。奴らの狙いは、あのコートを着ていた人間を探すこと。つまりは俺だ」
情報屋。僕らがミッションの前に様々な事前情報を入手できたのも、ひとえにその存在があったからだ。アカデミーズにいた時は、特に意識することもなかったけど。
「奴らの目的はフレイムスロアー、お前だ。ヘリング・エースに行き渡るはずだった戦闘データを握っているお前は、奴にとって不都合な存在だ。消されるに値するほどな」
「消される?」
「当たり前だろう。万一お前が他の犯罪組織に戦闘データを渡したらどうなる? 最悪の場合、自分が手に入れるはずだった『アップグレードされた』戦闘プログラムと一緒に、敵が新しい能力を手に入れることになる。そうならないにしても、自分の手の内が一つばれるのはけっして望ましい状況じゃない。奴は消しにくる。お前と、お前が情報を渡したと思しき人間を全て」
そうだ。戦闘データ。これがあるからこそ僕は殺されず、ストレイドッグに受け入れてもらえた。それだけの価値があってしかるべきもののはずだ。
「じゃあ、やっぱり僕は戻れませんね」
「もう手遅れだ。お前がエースのもとに出向いて命を差し出さない限り、いずれ俺たちも消される」
でも、それじゃあ
「それじゃあ、一体何のために僕に会いに来たんですか? まさか、殺すため?」
「そのつもりならとっくにやってる。こうして長々と話なんかしねえ」
そう言いつつも、彼の態度は見るからに穏やかではない。自らの怒気に気づいたのか、エリックは大きく息を吐きだし、肩の力を抜いた。
「戦闘データを渡せ」
「えっ?」
「そうすればすべて丸く収まる。レジスターが、おさめてくれる」
レジスター。ストレイドッグのボスか。渡したところで彼女が強くなるだけじゃないのだろうか。
「できません」
「なんだと?」
何より、僕が積み立ててきたデータ、例え偽りであったとしても、ヒーローになるために残してきた努力の成果が、犯罪に使われるのは我慢できなかった。
「話聞いてたのか? エースがお前を狙っているんだぞ」
「それ自体。嘘かもしれない。戦闘データが取り出せるのは、パスコードを知っている僕だけ。戦闘データを引き出した僕を、用済みと切り捨て始末する、ということも考えられます。コートの件だって、たまたま話を聞いて、その場ででっち上げただけかもしれない」
「いい加減にしろよ」
抵抗する間もなく、僕はエリックに胸倉をつかまれていた。
「俺があの時どんな気分でお前を担ぎ上げたと思ってやがる。俺やあの人がどんな気分で、お前を迎え入れたと思ってるんだ」
押し殺したような声で、エリックは続けた。
「ストレイドッグは、行き場を失った奴らの集まりだ。それはヒーローの下にいた奴だろうが、犯罪組織にこき使われていたやつだろうが関係ない。俺は、命が無駄に潰されるのを黙って見てられなかったんだよ」
胸倉を掴んでいた手は、徐々に力を失って行った。
「俺の意思を無駄にしないでくれ」
あの目は、本気だった。一方で、僕を殺したいとも思っている。その事実は疑いようがない。でも、エリックは僕のことを、本気で助けようとしていた。
「あなたの話を、聞いてもいいですか?」
ひょっとしたら……希望、勝手な期待。それでも僕はエリックにかけてみようかと思い始めていた。彼について行こうと。
「俺の話?」
「はい。気になっていたんです。何故、あなただけコードネームが無いのか。何故エリックと名乗っているのか」
「大した話じゃない」
エリックは少しうつむきながら言った。
「俺はもともと、キャプテン・ラフィーって犯罪者の子飼い能力者だった。と言っても、そこで活動したことはない。体を能力者に作り変えられ、戦闘プログラムのインストールと記憶の消去を受けている最中に、キャプテン・ラフィーは襲撃を受けた。組織のあった施設ごとな。処置は完遂される前に中止され、俺には中途半端な記憶だけが残った。孤児だったころの記憶が。そして、コードネームをつけてくれる奴はいない……仕方ないから、目の前で死んでいた研究者の名札から拝借して、エリックと名乗ることにしたんだ」
孤児としての記憶がある。僕にはそれが、なんだか少しうらやましく感じられた。自分が自分であるための足跡が残されているような気がして。
「どうだ? 面白くもなんともない話だろう」
「いえ。そんなことはないです」
まだ何か言いたそうにしていたが、エリックはその言葉を引っ込めた。
「なあ」
代わりに出て来たのは、慎重に言葉を選ぶような声。
「俺たちに、チャンスをくれないか?」
「チャンス?」
そんなもの、僕が与えられる立場だろうか。
「もし、ストレイドッグで働くことができない。居場所が無かったり、主義や主張に反する、ってことになったら。出て行ってくれて構わない。もっともその場合、俺も一緒に出て行くことになるけどな」
確かに。エースが探しているのは僕だけど、そこにたどり着くまでの手がかりとして、エリックもまた狙われている。
「だけど、それを決めるのはまだ早い。だから、チャンスをくれ。ストレイドッグを正当に評価する、チャンスを」
「具体的には、どういうことなんですか?」
「一緒に仕事をしてくれ。縄張りを荒らし始めた、能力者を始末する仕事を」
仕事? 犯罪者の醜い縄張り争いじゃないか。
「何故僕が、それに協力すると?」
「確かに。身勝手な話かもしれない。それでも俺は、お前に死んでほしくない。居場所が無くて消えていくのを見てられないってのもあるし、何よりストレイドッグを正当に評価してほしいってのがある」
「評価? ただの犯罪者組織以上の評価を求めると?」
エリックはうなずいた。
「確かに俺たちは犯罪者だ。他者を搾取することでしか、生きるすべを持たない社会の寄生虫。その点については、疑いようはない。だけど俺たちは、宿主を殺したりはしない。俺たちはどこからもつまはじきにされる、落伍者の集まりだ。だから、分をわきまえている。犯罪者にもルールってものがあるんだ。他人を虐げ、搾取する。そのこと自体に変わりはないが、一定の領分ってのがある」
「領分……」
まさしく、身勝手な物言いだ。社会や虐げられる側からすれば、何も関係が無い勝手なルール。それでも、僕の心は動き始めていた。
「けど、その領分をわかってない奴らがいる。趣味、遊び、『自己実現』。財力を持ったデカい犯罪者は、街や市民を自分のおもちゃだとしか思っていない。寄生虫は、宿主の死とともに死ぬ。そんな理屈は抜きにしても、奴らをのさばらせるわけにはいかないんだよ」
自分達は、他の犯罪者よりマシ……。本当に、勝手な言い草だ。それでも僕は心を開きかけていた。発言そのものが琴線に触れたとは思えない。ただ、エリックが僕のために話してくれている、その事実がとても大切なもののように感じられた。
「わかりました」
戦闘データは渡さない。それでも、何も知らないままストレイドッグを見限ることだけは止めようと思った。
戦闘が無いと物足りない気がしますね
次パートまで我慢してください




