3.呪われた翼(1)
「翼を持った人間?」
昨晩、何だか珍しく傷だらけ(結構重傷)で帰ってきた雅さんであったが、朝起きるなりいきなり変なことを訊いてきた。
「ナニソレ」
「別に、そういう呪いとか、或いは種族がいるとか・・・お前何か知らないか?」
「んー・・“天翅族”は実在しない、っていうのが学者達の基本的な見解だからなぁ」
雅は深刻な面持ちで黙り込んでしまった。
つまり、深刻な面持ちをしなきゃならないほど深刻なことがあったわけだろう。
「・・・もしかして、原因はリンちゃんにあったりする?」
「・・・何でそう思う」
「ミヤビは実は結構世話焼きでお人好しだから」
彼がいつものいやそーな目つきをしたから、それは多分、当たっていたのだろう。
「それになんか、昨日の夜、家の中が騒がしかったみたいだからねー」
そう言って襖を開けると、真ん前に「そのお方」が立っていて、レノは思い切り後ずさった。
「うわわっ!は、伯爵閣下!」
「お早う、お二方。ご機嫌はいかがかな?」
なんでこう、すすすーって足音も無く歩くんだろう、この人たち。意識してるわけでもなさそうなのに。やっぱり大和人って独特だなあ。
「お忙しい伯爵様がわざわざ、何かあったんですか?」
彼はその問いに答えず、代わりに雅の方に視線をやった。
ああなるほど――そういうことか。
「・・・色々不測のことが起こってしまいまして。幾つかお二方にお話しなければならないことができたのです」
レノは何となくだが、彼が重傷を負った経緯が解ったような気がした。
***
「翼があった?リンちゃんの背中に?」
「・・・ああ」
「何、本当にあの子・・実は天翅種なわけ?」
「その話を今からするんだろ」
ああ、うん、確かにね。そう未だ呑気な態度でいるレノに、雅は何か言いたげな眼差しを向けていた。
「何?オレの顔になんか付いてる?」
「いや・・・。あれほどの魔力の暴発・・・まさかお前が感知できないとはな」
「え――?」
二人の会話が途切れたのは、そこにシモツキ伯爵閣下がご来臨したからである。
初めて招かれたときのように、卓袱台を挟んで座る。だがそのときの閣下は、初めて会ったときとは全く違う空気を湛えていた。
「お待たせしてすまない。昨晩から今朝にかけて、少しごたつきましてな」
実際に「ごたついた」のであろう、いつも整然としていたその男性の衣服に、今日は何故かシワが沢山出来ていた。
「あの、それでお話とは?」
「・・・その前に、一つお願いがあるのです。・・・凛に会ってやってくれまいか?」
「は?」
変なことを尋ねてくるのはどうやら雅だけではなかったようだ。一人、事の成り行きが読めていないレノであったが、取り敢えず大人しくその人についていくことにした。
伯爵に案内されて辿りついたのは、薄ら寒い地下にある、さながら牢獄のような場所だった。
その最奥にある赤い格子の向こう側に、朱い着物を着た少女が静かに佇んでいた。
レノは墨字で経文が綴られた木格子に触れ、指先に力を込めた。
「・・封魔法陣・・・・一体どうして」
これは邪や魔なるものを閉じ込めるための檻。そういえば、と女中さんが言っていた言葉を思い出した。
『――凛様は、幼き頃からこのお屋敷から出ることが赦されず・・・殆ど誰とも接する機会がありませんでした』
・・・そういうこと、だというのか。
レノは伯爵の方に向き直り、不躾にもその人を睨みつけた。
「貴方はあの子に何を・・・・!」
その声に、格子の向こうの少女はハッとしたように振り向いた。
「・・・っどうして」
「私が呼んだのだ」
「・・・お父さま!」
凛は父親を見るなり瞳を揺らし、悲嘆にくれた表情をする。そして両手で顔を覆い、冷たい石畳の上に泣き崩れた。
「――リンちゃん?」
「ごめ・・・さい・・っ」
「え・・?」
「ごめんなさい、ごめんなさい・・・・!」
美しく真っ直ぐな黒髪が、乱れて揺れる。痛々しい嗚咽がこだまする。
この子を――こんなにまで傷付けるなんて。あの勝気な女の子に、こんな風に涙を流させるなんて。本当に何があったというのだろう。
「お願い・・凛を嫌いにならないで・・・・・」
泣きじゃくりながら地面に伏すその少女に、レノは格子の合間から手を伸ばした。法陣内に立ち込める術式がレノの身をも侵蝕するが、この程度問題にはならない。レノは節々に軽い痛みを感じながらも、更に腕を深く押し入れた。
「――嫌いになんてならないよ?」
凛は何も言葉を返さなかった。構わずに、レノは続けた。
「リンちゃんを嫌いになるなんて、絶対にない。約束する」
伸ばした掌も彼女には遠く届かない。だが凛は少し頭を上げ、レノをすかし見て目を擦った。
するとパン!という音と共に、その格子が割れたクラッカーみたいに崩れ去っていった。伯爵様が術を解いたのであろう。
シモツキ伯爵は娘のもとに歩み寄ると、屈みこみ、彼女の頬に触れて言った。
優しい優しい、お父さんとしての顔で。
「・・凛、お二人に・・・背中を見せてやりなさい」
凛はゆっくりと頷くと、帯を解き、着物を肩から摩り下ろした。小さな肩、日の光を知らない白い肌。朱色の布を落として現れたのは――大きな翼の形をした紋様であった。
伯爵が翼の刻印をトンと小突くとそこには光が集まり、そしてそれは輝く翼へと変わっていった。
「・・・なるほどね。こういうことだったのか、ミヤビ」
雅は親切な端的さで昨日あったことを説明してくれた。まるで夢遊病のように森を彷徨っていた凛。背中から生えた大きな翼。強大な力の暴走。彼の言っていた通り、レノが爆睡していてそのことに気付けなかったのは、魔力を完璧に遮断するあの強力な返照結界が原因であろう。恐らくは――「ナニカ」から彼女の存在を誤魔化すための。
凛はレノと雅に背中を向けたまま(そうじゃなきゃ色々不味いけど)、ひっくひっくとしゃくりあげながら言った。
「・・知られたくなかったの、私の翼のこと。二人に知られて・・・嫌われたくなかったの・・。だから私、昨日苦しくなったとき、お屋敷に居れなくて・・・・それで、お外に出て・・・っ」
時折発作的に、昨日のような状況になるという。けれど凛は二人にこの秘密を知られたくないがため、一人で解決しようとした。――おかげで、山の中腹が一つ大変なことになってしまったらしいが。
「ねえお父さま・・・わたし・・またここに居なきゃいけないの・・?」
「・・・そうだな。暫くは」
「いやよ。絶対にいや。だって、二人と約束したんだもん。遊園地、行くって」
「仕方が無いだろう、凛」
「そんな・・・」
「――まあまあ、別にいいじゃないですか」
無責任で楽観的な言葉を吐いたレノに、伯爵は珍しく険しい顔をした。
「・・この子の力を、甘く見てもらっては困る」
「ええ。ミヤビをこんなボロボロにしたぐらいですからね(後ろで彼に睨まれた)。でも、昨日は何とかなった」
「これからも何とかなるとは限らんだろう?この子の力が更なる規模で暴走すれば・・・そのときは、本当に君たちを殺してしまいかねない」
「大丈夫、根性で死にませんよ」
レノは、今度は直接凛に語りかけた。
「遊園地、行くんだもんね?」
「・・・だけど」
「お姫さまさえご命令くだされば、僕達は何処へだってお供しますよ。何せ、『便利屋』ですから」
凛は目をまん丸にし、一瞬どうしようかと戸惑い、そして、少ししてやっと笑ってくれた。
「そうだった・・・貴方達は、私の下僕だものね」
レノは安堵した。
百点満点とはいかなかったけれど。でもそれは、彼女らしい、とても可愛らしい笑顔だった。