2.霜月の姫(4)
鮮血が飛び散る。月に照らされた刃だけが光り、踊る。
夜は奴等が活発になる時間である。
明と暗の境界がなくなる所から、奴等はこの世界に這い出てくる。
深い【歪】の中から生まれ、闇に生きるモノ達。
ヒトの憎悪と怨恨によって育ち、それゆえにヒトを堕とし、ヒトを喰らう妖魔。
そう――それは唯一、斬っても殺しても人の世で「罪」とされない存在。
事も無げに自分の数十倍の数の怪物達を片付け、雅は刃を鞘に納めた。ふうと吐息を漏らし、月の位置を確認する。
確かに少しおかしいかもしれない。雅は顔を曇らせ、己を取り囲む妖魔たちを一望した。
違和感があった。切り裂き、貫かれ、あるいは頭蓋を砕かれていった化け物たちは、灰になるのではなく皆一様に“消滅していった”のだ。ヒトとは違う種族とはいえ、奴等もまた生物。残骸は必ず残るはずであるのに。
「(屍霊か・・・いや、違う)」
倒されたはずがまた起き上がり――やがて一つに集結していくソレを前にして、漸く解答に至った雅はおやまあ、と喉を鳴らした。
「そういうことかよ・・」
微笑する。狂気的なまでに満足げに、また穏やかに。それが凶悪犯罪者の狂相となんの違いがあったことだろう。
爆発的な速さで構築途上の過大なカタマリに肉薄し、独特のフォルムをした細身の刀――和刀・不知火に漆黒に輝く焔を宿らせ、一振りする。意思を持った焔は踊り、忠実に主の敵となるものを焼き滅ぼしていく。
――「魔力」で作られた存在であるなら、それ以上の力で捻じ伏せる。
地獄の業火で焼かれるような悲愴と悲鳴を上げながら、ソレは最後のあがきのように手足(であろうもの)をばたつかせる。だが一度標的を囚えた黒い焔は対象が消滅するまで消えず、かえって火力を増す。焔は滾り、焼き尽くし、やがて黒いカゲと共に無惨に消滅していった。
危なげなくその近くの地面に降り立つ。同時に、消し切れていない術式の香りを感じ、彼は眉を顰めた。
間違いない。これは、恐らく、
「(・・・人為的に作り出された妖魔だと?)」
一番デカいのを消したのと同時に、ほかに散在していた異形の気配が突如として消えたのもその証拠であろう。言い換えれば――誰かがやつらを生み出して、此処に送り込んだ。そしてこれ以上敵と戦わせても駒を失うだけと判断し、大人しく引いていったのであろう。
何か姿の見えない相手に一方的に力量を測られたような気分になり、雅は不機嫌に舌打ちをした。
「ますます、割に合わない仕事だな・・」
常軌を逸したモノ達と数えきれないほど対峙してきた雅であったが、その彼にとっても今回は特異なものであると判断できた。初めて感じるこの空気、胸の悪さ。
そしてまた――あの少女も。
少女のことを考えたちょうどその時、100メートルほど先を何かふわふわしたものが横切った。
「・・・ガキんちょ?」
夢遊病患者の如く、森の中へ消えていく人影。目を凝らすと、ふわりふわり、ほの明るく光る数匹の赤い蝶が舞っていた。
気配を絶ってその後をつけ、木陰から状況を伺うと、思った通り人影の正体があの少女であることが解った。
全く、ヒトの苦労も知らないで。
こう夜中に抜け出されては、普段護衛するために傍にいる意味もあったものではない。半分思考回路が憤りに侵食されていた雅であったが、間もなく、彼女の異変に気が付いて目を見張った。
「あ・・・あ・・・・」
両肩を抱え、苦しそうに蹲る。全身がぼうっと光を帯びる。
地面に手をつくと、その四肢から何か発光する粒子のようなものが放出され始めた。
「あ・・っつい・・」
・・・まさか、物の怪にでも取り付かれたのか。
雅がやむをえず駆け寄ろうとしたときに、物音を察知したのか、少女は天敵に遭遇した小動物の如く振り向いた。
「誰ッ!」
「・・・俺だ」
「―――!」
凛は息を呑み、それからすぐハッとしたように後ずさった。
「・・いや・・・・駄目・・・・」
怯えきったように打ち震え、総てを拒むかのごとく首を振る。
一体なんだって言うんだ。雅は事情が呑み込めないまま、また一歩足を踏み出した。
「・・・おい」
「来ないで・・っ!」
「――凛!」
接近してその腕を取った途端――雅の肉体は何かに弾かれたように、数十メートル後ろに吹っ飛んだ。とっさに受け身を取り着地するが、眼間にはまるで信じられない光景が広がっていた。
「な・・・」
幼い悲鳴と共に、彼女のしゃがみ込んでいる場所を源として渦巻き始める荒風。暴れ回る巨大な魔力の潮流。
少女の背からは――輝る大きな二つの翼が生えていた。
「ガキんちょ・・お前・・・」
「駄目!見ないで・・っ」
泣きそうに張り上げられる声。暴走によりなぎ倒されていく木々。雅は暫し呆然とその少女に釘付けになっていたが、やがてぐっと拳に力を込め、激しい風圧の中彼女に近付いた。
「・・・・・落ち着け!力を収めろ!」
「お願い、来ないでって、ば・・!」
今だかつて感じたことのないほどの凶悪なエネルギー。そう、曲がりなりにも彼女は大方術一家「シモツキ」の人間だったのだ。
果たしてこれがどういう類の能力かは解らない。だがこのままでは間違いなく大惨事になる。
雅は致し方ないと腹をくくると、不知火に黒焔を出現させ、それを一気に背面方向へと噴射した。そしてその反動を利用し、凛の元に辿り着くと彼女の体を無理矢理大地に抑えつけた。
「落ち着け・・とにかく!」
「・・わかって、る、けど・・・っ」
ほとばしる魔力の波動は雅を押し返し、体を内から外からズタズタに傷付ける。苦痛に歪む顔を必死に平静な表情に変え、雅はその矮躯を抱え込んだ。
最終手段だ。流れ出る力を受け止め、焔に変換して外に放出する。
すると、凛は嗚咽して雅を振り払おうとした。
「やだ・・放して・・・・死んじゃうよ・・!」
「なら俺を殺さないように“コレ”を何とかしろ!」
「・・・っ無理だよ・・もう私、わかんないよ・・・・どうして、こんなっ・・・」
――駄目だ、吸収しきれない。溢れたエネルギーがのた打ち回り、中から血管を焼いていく。
己のキャパシティを遥かに凌駕する力。一体この小さな身体の何処に、それほどの魔力が秘められていると言うのか。
血が出るほど唇を噛みながら、雅はとっさに声を出していた。
「――大丈夫、怖くない」
「・・・・!」
「俺は怖くない。だから」
ふっ、と風が弱まる。体内に流れ込む乱れた力の奔流は治まり、同時に今まで空を舞っていた石やら木片やらが落ちてきた。
「・・・・・ほんとう・・?」
「ああ、本当だ」
凛は衝撃を受けたような顔をしたあと微かに笑い、ようやく力を使い尽くしたのか、ゆっくりと瞼を閉じていった。同時に、背の翼は薄くなって消えていく。
今度は天然の、強い風が吹いた。
「(・・・どうにか命拾いしたか)」
夜の天涯の下、何事も無かったかのように静まり返る森。けれども彼らの周辺は魔術師同士の命がけの決闘でもあったかのように根こそぎ木が倒れ、物寂しい風景が広がっていた。
雅は少女を抱えたまま五体の硬直を解き、長い息を吐いた。
一応の安寧が訪れると、思い出したように帰ってくる激痛。物理的な傷はまだいい。だが――この痛みは霊的傷害があって起こるもの。近頃何かと戦りあった中でも、これほどのダメージを受けたことがあったろうか。
雅は自分の懐で気を失っている少女をじっと見つめ、乱れた彼女の髪をそっと梳った。
「これが・・・“霜月の魔女”、か」
矢張り、大したお姫様である。
雅はもう一度溜息を吐き、凛を抱きかかえて静かに立ち上がった。