1.邂逅(2)
アトルリア帝国領内、副都コスモス郊外にその邸はあった。いや、正しくは「屋敷」かもしれない。
深い藍色の瓦屋根に、上方ではなく横に広い木造の建築物。庭には意味があるのかないのか乱雑にならんだ大きな石と、木と、池。よく知らないが、こういうのが大和人特有の邸宅のスタイルなのであろう。
で、レノはなんとなく、その「大和人」の代表に感想を聞いてみた。
「ミヤビ、懐かしい?」
「さあ」
「君、半分はヤマトの人でしょ?」
「大和の国で育ったわけじゃねーし」
へえ、と頷いていると、彼はそのままスタスタと先に行ってしまった。
どうやらあのイタチ女のことが相当堪えているらしい。彼はこう見えて結構繊細なのである・・・いや、そうでもないか。
とにかく触れないほうが賢明だな、と無難な判断をし、レノは数テンポ遅れて彼の後に付いていった。
『依頼主は、なんと聞いて驚け、帝国の伯爵様よ』
イタチ女もとい性悪守銭奴ビッ・・・・・もとい、あの情報屋の話によると、帝国皇家とも密接な繋がりを持つ大貴族「シモツキ」が、秘密裏に腕の立つ衛兵を求めているというのである。
もともと極東の小国【大和】の豪族であったシモツキ一族は、数世紀前にこのアトルリアに移住し、時のアトルリア帝に仕えてその信認を獲得。異民族でありながら現在の地位を確立した。因みに霜月家は東洋に伝わる魔術の一波「方術」の大家であり、現当主のシモツキ伯は帝国内でも指折りの大賢者として称えられている。らしい。(以上、ミキペディア)
「そんな賢者サマが、なんたって『護衛』なんて・・・・」
少し考え込んでみたが、レノはすぐ、能天気に頭の上で手を組んだ。
「まあいっか。美味しいもの食べられそうだし」
人生物事をあまり深く考えるな。その方が愉しく長生きできる。これは、レノが師匠から教わった数少ない「ためになる」教えである。
「おすし、食べてみたかったんだよねー」
なんでもその「すし」とやらは、“特殊なソースをかけた魚を生のまんまでまるごと食べる”世にも不思議な民族料理なのだという。
未知なるものへ胸をときめかせ、彼はうきうきとスキップ交じりに門に向かって歩いていった。
「(――大和人貴族、霜月伯爵家、か。今の地位を得るまでにどんな血生臭い手を使ったんだか)」
そう何処か感慨深く皮肉を並べていたところで、雅は何かガンッガンッという鈍い音に気付き、同居人の方を一瞥した。その男はなにやら必死に大手門と格闘していた。
「お前・・さっきから何やってんだ」
「これ、開かなくてさ。っていうか、引っ張るところが無いっ!」
この男が天然ボケなのかただの馬鹿なのか、雅は時々判断に困ることがある。
「・・・横に引くんだよ」
「ああ、そうか。そういうものなのか」
相棒の冷ややかな眼差しを意にも介さず、彼は「おうっし!おすし!」と気合を込めて門扉を開け放った。――そのときだった。
扉が開いたら発動する罠でもあったのか、風切音と共に何かが鋭く二人の合間を通り抜けた。背後の木に突き刺さったモノを横目に、レノはもっともらしいことをのたまった。
「・・これ、一般人が入ってきたら、どうする気だったんだろう」
こんなこともあるだろうとは思ったからレノも相棒も別段慌てず、屋敷の敷地内に足を踏み入れた。やはりこんなこともあるだろうとは思っていたが、間髪入れずに上から人が降ってきて二人に剣やら銃やらを向けた。
十人ぐらいかな。一様に、この屋敷には不似合いなお堅いスーツを来た人間達。
取り囲む彼らを眺めながらレノは安っぽく肩をすくめた。
「・・・歓迎されてないカンジ?」
「いや、むしろ大歓迎だろ」
そう剣呑に口端を吊り上げつつ軽く愛刀の刃を浮かせる相棒を見て、レノの米神をつめたい汗が流れた。
「みーちゃん・・・殺しちゃだめだよ?」
一番の懸案事項がそれである。だが案の定、思い切り鬱陶しげな視線がかえってきた。
「ただでさえ公安に目ぇつけられてるのに、やだよ?これ以上騒動起こすの」
「知った事か、面倒臭い」
「とにかく、だめなものは、だめ」
加減と言うものがイマイチ不得意な二人。彼らはどうやら素人ではないが、プロでもないのでいたずらに怪我をさせるわけにもいかない。ああもう、とレノは息を吐いた。
雅の言うとおり面倒くさいことに変りはないが、しょうがない。言葉もなく襲い掛かってきた用心棒(だか何だか解らないけど)を素手のまま軽く受け流し、得物を叩き壊す。手っ取り早く、戦うすべを奪う。先手必勝!
時間をじっくりことことかけたお片づけを終えた辺りで、どこからか咳払いが聞こえてきた。
「――そこまでだ」
石畳の向こうから歩いてくる人影。
一際上等な「キモノ」に身を包み、そこに居る他の者とは比べるべくも無い威圧感を漂わせた大和人の男性。半径数百メートルに満ち満ちる、高圧の魔力の波動。
レノはぱんぱんと服の汚れを払いその男性に向き直る。
ああなるほど――この人が、
「非礼をした。しかし・・そなたらの腕をこの目で確かめておきたくてな」
「貴方が、シモツキ伯爵閣下、ですか?」
「左様」
今回の仕事の依頼主殿だ。
彼は本当に微かに笑うと長い袖を翻し、渋く深い声音で言った。
「客人だ。持て成しの用意を」
その高貴なる偉人を尻目に、雅はぽつんと呟いた。
「そう言えばあのイタチ女、変なことを言っていたな・・・」
その言葉に、レノも依頼を半ば強引に押し付けられたときの一幕を思い出した。
ルーシアの言っていた、まことしやかに囁かれている伯爵家の秘密。
―――なんでも、シモツキ伯爵は魔女を飼っているんですって…と。