4.遊園地デート?(5)
――ひたすら走ってやっと辿り着いたのは遊園地の裏山だった。此処なら、邪魔は入らない。
レノは自分にしがみついている凛を地べたに降ろし、辺りをぐるっと一望した。
「・・・・レノ・・・?」
凛は恐々という眼で見上げてくる。レノは凛の額をツンと突っついた。
「あらら、まさか誘拐されたとでも思ったかな?」
「うーん・・・レノならもっとうまくやるでしょ」
「うわ、オレってそういう人間に思われてるの?」
さてさて、冗談もそこそこに、これからどうしましょうか。
此方を目標として集ってくる大量のストーカーたち。これじゃ、折角のみーちゃんの思いやりが無駄になってしまうではないか。
「けど・・どうせ同じ、か」
追ってくるものがある限り、それは終わらない。そう、元凶を断つまでは。
「レノ・・?」
「リン、君は人気者みたいだね」
「え?」
首に掛かった鈍色の十字架を取り出し、胸の前で十字を切る。すると、それはカッと眩く光り出した。
レノは自嘲の混じりに微笑み、凛に向けて打ち明けた。
「・・今だから言うけど・・リン、オレたちが君のお屋敷に来たのは」
だが、その一言を言い終える前に、突然それは現れた。レノの鼻先僅か数センチ前に。
「へえ・・・あの魔法使いの奴、可笑しなねずみを雇ったものね」
そこにあったのは妖艶なる美女の容貌だった。どこからどう見ても人間の。ただ――あまりにヒトらしく見えるものは、逆に殆どの場合ヒトではない、というのが魔術師のセオリーだったりする。
レノはその存在に異常性を感じながら微動だにすることは無く、努めてキザに振舞った。
「お美しいレディ。そうだ。もしこれからお暇でしたら・・どうです、お茶でも」
「あら、悪いわね。骨と皮しかないような男は、タイプじゃないわ」
「それは残念」
少女を抱え、一度の跳躍で間合いを取る。だがその女は二人を追わず、何処までも億劫そうに美しいブロンドの髪を掻き揚げた。
「退いてくんない?アタシ、そこの子供に用があるの」
凛がぎゅっとレノの服を握る。
「それは無理なお願いかなぁ」
「あらそう。なら死んじゃって?」
あまりに軽過ぎる死刑宣告と同時に、無数の黒いカゲがその周囲を覆った。それはもう、景色全体を黒く染めるほどの。
レノは首をすくめ、一度だけ凛を振り返った。
「リン。ここからは任意だけど、目を瞑っとくことを推奨するよ」
「・・これは・・・一体なに?」
「じゃなきゃ、夜寝れなくなっても責任取れないからね・・・!」
「レノっ!」
――白い青年は天使のように優しい相好をしていたが、己の「敵」となるものを認識するや、すぐに自分本来の姿を取り戻していった。
そう、彼が本来あるべき姿を。
「――おいで。一緒に遊んであげる」
力の開放と共に輝く十字架は肥大し、やがて他のものへと変貌を遂げる。それはまるで生き物のように蠢く――鎌。身の丈ほどもある鈍色の大鎌を手にし、青年は自分に向かい来る妖魔たちに切っ先を向けた。
飛び掛る敵を軽くいなし、それに呼応するように意思ある鎌はその肉を食いちぎっていく。血が落ち、屍が転がる。しかし刃も血も何一つとして、白い悪魔に届くモノはなかった。
鎌が狂気に吼える。舞を舞うように軽やかに、切っては倒し、斬っては、滅す。
白い男は慈悲深く微笑んだ。
「・・ほらほら、もっとガンバって足掻かなきゃ――生き残れないよ?」
圧倒的な力量の差。
それは魔力の差か、格そのものの違いか。否、それ以前に、「敵」へと向ける敵意と殺意の大きさがあまりにも違っていた。
流石にうろたえた妖魔達が青年にこぞって襲い掛かった瞬間、閃光が奔った。鎌から放たれた雷撃は情も容赦もなく、ただ機械的に異形を一掃していった。
「・・・・・レノ・・・?」
――その光景を、少女はただ呆然と眺めていた。
何をすることも無く立ちすくみ、言われたとおりに目をつぶることもなく、ただ、茫然と。白い衣を纏った佳麗な青年が暗黒の集団を蹂躙していく様を、呼吸することも忘れて魅入っていた。
目を覆いたくなるような惨劇の一齣であるはずなのに。
どうしてか、それを美しいとさえ、思ってしまった。
「・・・三下がどれだけ束になろうと相手にならない、ってワケか」
ブロンドの美女は不興げに吐き捨てると、また面倒くさそうに青年を見据えた。
美女からの注視を感じた青年は、ただの数分で蹴散らした敵の軍勢に気を止めることも無く、改めて彼女に相対した。
「もしかして、アナタが――『ラングレイの死神』?」
『死神』――。
忌わしいその銘を呼ばれながらも、レノはぱんぱんと服の汚れを掃い、さらりとした調子で答えた。
「ああ・・・誰が呼んだのかは解らないけど、センスが感じられないよね、ほんと」
「ふーん・・なるほど、こんなのがねー」
美女は構えも無くレノに近付いた。レノもまた、逃げはしなかった。
嬉しそうに、濃艶に、視線を絡める。
ブロンドの美女は厚い唇に悦を滲ませると、品定めするようにすっとレノの輪郭をなぞった。
「・・・・・前言撤回。やっぱりとても美味しそうだわ、アナタ」
「それはありがとう」
「アナタ、こっちの世界じゃ有名よ。こんな所で出逢えたのは運命ね」
「じゃ・・・その運命的出会いに感謝して、ここらでお開きにする気はないかな?」
「そうねえ・・・」
んーと、と顎に指を当て、彼女はニッコリと笑った。
「・・・きーめた。丁度良いから・・・二人まとめていただく事にしましょうか」
急速に深まる魔力濃度。
やっぱりかとげんなりした気分になりながら、レノは凛を担いでまた数メートル後ろに飛んだ。
「女性に手を上げるシュミはないんだけどさ」
「あらぁ。男は優しいだけじゃダメなのよ?たまには攻撃的でなきゃ、ね!」
弾ける衝撃が、周囲の木々を粉砕する。
だが今のは故意の攻撃ではなく、ただ抑えていた魔力を開放させた反動が衝撃になったというだけ。
この力、先ほどまでの鈍重な連中とはまるでレベルが違う――。ほとばしる魔力の流れを見切りながら、レノは大鎌を旋回させた。
「出来るだけ穏便に済ませたかったけど・・」
しゃーない。この魔力のデカさ、禍々しさ。この女は相当に難儀そうだ。
帯電させた雷を掲げ、生ある鎌【ベルフェゴール】にターゲットを認識させる。武器の力を最大限に膨張させ、初撃で終わらせる。
しかし、大きく引いた鎌を振り切る直前、レノの肉体は不可抗力で停止した。
「な」
気付いた時には既に遅かった。足元の――レノ自身の影から現れ、その四肢に巻きついている鎖。身体の自由を奪い、そして魔を制限する束縛。本来コレは「人間」が紡ぎ出す、人外のものを捉える為に使う呪式の筈だ。
女は動揺するレノの反応に満足したのか、愉悦に満ちた声色で言った。
「縛るプレイは、お嫌いかしら?」
「・・・アンタ、黒魔術師か」
「ご名答」
それは力を求めるあまり人の領域を超えてしまった魔法使いのなれの果て。
ブロンドの髪の女はさてと踵を返し、凛の方を斜視した。少女は怯えたようにふるっと震えおののいた。
「来て貰うわよ。・・・我が君の大切な大切な、鍵」
反対呪文が間に合わない。無理に拘束を解こうとすると、反発で鎖が更に肉に食い込んでくる。
女はレノのあがきを気にすることも無く凛に手を伸ばすが、彼女はそれを払いのけて一歩後ずさった。
「いや・・・」
「嫌でも構わないわ。死体にしてでも連れてくから」
五枚の爪が刃物の形に変形し、反動をつけるためにゆっくりと持ち上げられる。
「――ッ止めろっっっ!!」
レノは体を無理やり動かし、喉が張り裂けんほどに叫んだ。
そんなものはまるで聞こえていないように、躊躇いも容赦も無く振り下ろされる刃。無機質な風切り音。凛は目を瞑り蹲って悲鳴を上げた。
・・・が。
「・・・?」
いつまで経っても自身に痛みが走らず、凛は恐る恐る目を開けた。そこには、ブロンドの髪の女の横にパーカー姿の少年が立っていた。
「エル、ちょっとすとっぷ。帰還命令」
女は憮然として男を睨み、苛立たしげに言った。
「何でアンタが此処に・・・」
「邪魔してごめんね。でも上司命令だから」
「後にして。今丁度、あのお方の“鍵”を・・・」
「お言葉だけど。・・・もしあのままこの子に手ェ出してたら、お前大変なことになってたよ」
「大変、って―――」
女は漸くあることに気付き、忌々しそうに鎖の呪縛で拘束した筈の男の方を見やった。
「・・・・・反鏡術式・・・それも遠隔術式とはまあ・・・・よくその状態で」
少女の前に張られた薄い魔力の鏡。もし女がこのまま少女に危害を加えようとすれば、そのダメージは逆流し女自身を傷付けていただろう。
これは本来二重詠唱が必要な一級の魔法であり、あの一瞬、しかも束縛を受けた状態で創り上げるのはまず不可能であるはずの代物だ。それで漸く相手の力量を悟った女は唇を噛み、その美貌を悔しげに歪めた。
「でもお陰で、随分ボロボロね。もうまともに手足が動かないンじゃない?」
敵がレノに止めを刺そうとするのではないかと危惧した凛は彼に駆け寄り、庇うように抱きつく。それを受け止め、レノは少女を自分の後ろにやった。
フードの男はつまらなさそうにレノに斬られた妖魔の死骸を弄び、金髪の美女に水を向けた。
「至上目的は果たした、って。だから、とっとと還ろう。――だってもういつでも殺せるだろう?」
「・・・いいえ。でもどうせこの際だから」
そう言って女が術式を紡ぎ始めた瞬間――突如降ってきた黒い人影があった。
何処かのヒーローよろしく颯爽と(のわりには少々ぞんざいだが)登場した黒の青年は刀を抜き、微塵の躊躇いも無く切っ先を敵に向ける。空気を掻きまわすように渦巻く黒い焔と、底光りする、血色の瞳。
「・・・おおっと、怖いのが来た」
雅は剣を掲げ、ニ妖に向けて焔を纏わせた剣撃を放った。
「案外早かったね。ま、兄ちゃんならあれくらいの結界どってことなかったかも知れないけれど」
ぴょんと跳び上がって攻撃を避け、フードの男は哂いながら女に呼びかけた。
「なあなあ。もういいだろ?」
「・・・解ったわよ」
新たなる「障害」と第二戦をする気はないのか、女はついにさじを投げた。
「『至上目的は果たした』んでしょ?」
グォン、と濁った音がし、空間が歪む。現れる影の穴。
もう戦意は無いとでもいうように、二人は背後に気をつけることも無くその中に戻っていく。だがレノも雅も彼らを追わなかった。追うだけの余裕がないのだ。
女は空間の狭間に消え行くその瞬間、二人の青年の背に庇われた少女を一度眺め、ぽつんと呟いた。
「・・・かわいそうに」
・・・思えば、それは僅かでもヒトの情が残った言葉だったのかもしれない。
「いっそ、ここで死んでいたほうが良かったでしょうに――」