3.呪われた翼(3)
「すまない。書斎は今少し散らかっていましてな」
にこやかにレノを出迎えたシモツキ伯爵閣下。レノは足元に散乱している紙束を拾い、ほほお、と感嘆した。
「流石は帝国十賢者のご一角。素晴らしい真言呪式だ」
「いやいや、お恥ずかしい限りです。ああ、適当にお座りになっていてください。今お茶を・・」
その人が話を誤魔化そうとする前に、レノは端的に用件を述べた。
「個人的に・・・あの“翼”のお話を伺いに参りました」
閣下は襖を開こうとしていた挙動を止め、黙考の後、諦めたように息を漏らした。三分の一ほど開いた襖を閉め、そして呟いた。
「・・・あの娘の背に封じられたもの。貴殿なら薄々感付いておられよう」
拍手一つで、散乱していた紙達が、あるべき場所を自ら知っているかの如く棚やら引き出しやらの中に戻っていく。
伯爵は自分の定位置である座布団の上に座ると、卓台の上で墨を磨り始めた。
「君たちは、『在る物』を探していると聞いた」
その人が桐箱から取り出した真新しい筆が、硯の中で墨を吸う。だがそれは半紙を染めるわけではなく、筆が描いたとおりに空中に文字として浮かんでいった。
「それはこの世の果てに存在するものであり・・そして、この世が果てるときに姿を現すものだと」
「・・・・知っておられたのですか」
さすが帝国賢者。それでもって、大したタヌキ親父だことで。
「知っていて、貴方はわざわざオレたちを招き、そしてお嬢さんと会わせた・・・そうですね?」
「恐れながら。・・・そしてそなたらが私の予想を超えて強く、聡い人間であったところに、今まさに歓喜しているところだ」
彼の言うように、今回の一件で「目的」に近づけたのは御の字だ。だがそれでも掌の上で都合よく転がされていたことはいい気がしない。
レノはたまにしかしないイヤーな顔つきをし、好き勝手に部屋の中を飛び回っている墨文字を苛立たしく睥睨した。
「――しかし、『大堕天』の遺物・・・まさかその伝承が本当だったとは・・・」
その発言に、何故だか知らないが閣下は慈しむような微笑を浮かべた。
「伝承と言うのは・・あるいは事実とされることより、よほど真実味があるものだよ」
その人が手を軽く振ると逃げていた文字達は一枚の紙に集結していった。
恐らくは、何か強力な真言の一種であろう。
彼は生きた文字たちを納めた札にさらに念を籠めると、それをレノの元に差し出した。
「今まで隠しごとをしていたお詫びだ。受け取られよ。何かの役には立とう」
帝国十賢者が直々に編み上げた護符。本業の退魔師もびっくりな、強力かつ緻密な術式が施されているに違いない。しかし、レノはそれをすぐには受け取らなかった。
「あなたは・・・オレ達に一体何を望んでいるのです?」
「何を、か」
その質問に、彼は意味深に口角を上げた。そして、只一言言ったのだった。
これはただの親心ですよ、と。