3.呪われた翼(2)
「(・・・“翼”。いや、まさか、ね)」
居室として与えられていた部屋に戻り、頭の中で色々理論を転がしていると、雅が大して興味もなさそうに話しかけてきた。
「・・・思い当たる節でもあったか?」
「いや、ほんとにまさかの話だよ。この世の中はオレの知らないことの方が多いだろうし」
雅は鼻で笑った。
「元・帝国公認魔術師サマがそんなんでいいのかよ」
「所詮は過去の栄光さ」
モバイル・セルを弄りながら「そうだ」とレノは彼を顧みた。
「リンのとこ、行ってあげなくていいの?」
彼女はまだあの地下牢(なんて言ったら顰蹙を買いそうだが)で拘留されている。心細く寂しい思いをしているに違いない。
「・・・どっからそんな話に飛ぶんだよ」
「なにさー、ホントはすっごく気にしてるくせに」
さっきの、凛が雅を見るときの悲しそうな視線。雅だって気付いていたはず。
何度も言うが彼は取っ付きがたく見えて実は優しいのだ。
「オレの方は伯爵に用があるけど・・・・・ミヤビは荒事以外には食指が動かないだろ?」
「・・・お前、俺を何だと思ってる」
「血の気の多い元暗殺請負人で武器マニア」
あ、怒るかな。だが予想に反して彼は攻撃にも口撃にも移らず、黒いコートをひらひら舞わせて(熱いから屋内に居る時ぐらい脱げばいいのに)「わかったよ」と部屋を出て行った。・・・なんだ、やっぱり気になってたんだ。
「・・・・・さて、こっちはこっちで、行きますか」
雅に“私用”があるなら、レノにだって“私事”がある。
廊下に出ると――レノは空気の変化を敏感に感じ取り、いつもの彼には似合わない厳しい相貌をし、ねめつけるように空を見上げた。
***
「――雅・・!」
檻の中の少女は黒尽くめの男が堂内に入ってくるなり、彼の名前を呼んで身体を強張らせた。
その反応に、男はくっと喉の奥を鳴らした。
「なんだ、ちゃんと覚えてるじゃないか、名前」
「・・・・・」
堅い木製の格子を背にして座る。だが凛は檻の奥に留まったまま、動かなかった。ただ、その広い背中を眺めていた。
「・・・ごめんなさい」
「何が」
「私のせいで・・怪我を・・・。やっぱり、痛かったよね・・・?」
雅は疲れたように肩を上下させた。それでまた更に落ち込む凛だが――その前に、雅は次の一言を放っていた。
「調子が狂う」
「・・?」
「なんでそんなに塩らしいんだよ。いつもは鬱陶しいくらい口煩せえくせに。・・それとも、悲劇のヒロインの真似事か?似合わないからやめとけ」
「な――」
生まれてこの方経験したことが無い程の侮辱に、(基本的に直情径行の)少女の思考回路はみるみるうちに興奮していった。
「この、無礼者っ!」
凛はカッとなった弾みで自分の草履を雅の背中に向かって投げつけたが、彼は振り返ることもなくそれをキャッチした。
「全く・・金持ちはモノの扱い方がぞんざいだな」
「大きなお世話よ!もう、貴方を少しでも心配して悪いって思った私が馬鹿だったっ!」
「ああそうだ。だからそうやって、らしく跳ねてろ」
「―――」
黒曜石の眸を大きく見開き、もう片方の草履を投げようとしていた手を止めた。ぽろり、と草履が落ちて、床で何度かバウンドする。
・・・ああこの人は、気を遣ってくれているんだ。
凛は自分の情けなさに嘆息し、立ち上がって、彼と同じように格子を背にして座った。
こん、と後ろ頭を柱に付ける。
「・・・どうして、貴方達は私に優しくしてくれるの?」
「優しくした覚えなんてねえよ」
「私は、優しくしてもらったと思ったよ」
「・・だとしたら、仕事だからだ」
あまりに彼らしい物言いに凛は忍び笑いをし、「そう」と頷いた。ふわり、何処からともなく蝶が生まれる。
一通り笑ったあと笑声を納め、少女は体育座りをしてぽつらぽつらと話し始めた。
「私ね・・・小さな頃から、ずっとここで育ったの」
此処――魔法力を封じる稀留石の祠の中の、更に作られた檻の中で。ずっと。
光る蝶が舞い、雅の脚に留まった。捕まえようとするとそれは光の粒となり、薄闇の中に消えていった。
「今でこそ力の制御も少しは出来るようになったけれど・・・小さい頃は何度も何度も翼を暴走させてしまって・・・その度に、止めようとしてくれたお父さまを大怪我させていた。今の貴方みたいに」
雅は何も掴めなかった掌に力を込めた。
「・・・・・別に大したこと、」
「嘘」
言葉を遮った少女は、中からきゅっとコートの裾を引っ張ってきた。
「だったらどうして、わざわざこんな長いコート着てるの?」
「・・・・」
「傷を隠すためでしょう?」
こうやって子供っぽいようで妙なところには頭が回るから、また性質が悪い。雅は凛に知られないように影で溜息を吐いた。
それに気付いていたのか、いないのか、凛はコートを強く握り締めた。
「・・・昔から、私はいけない子だった。お父さまはお優しい方だから、お父さまがなさることは全部私のためだって解っていたのだけれど・・でも寂しくて、どうしても寂しくて、私、一度だけお屋敷を抜け出したことがあるの。そのとき初めて街に出て、沢山の人々や色んなものを見たわ。本当に楽しくて嬉しかった。でも・・・――」
彼女は唇を噛み、膝の上に顔をうずめた。
その先に何があったかは声の調子で薄々わかったが、雅はあえて尋ねはしなかった。
凛は頭を上げないまま、続けた。
「それから怖かった。誰かを・・・大好きな人を、不本意に傷つけてしまいそうで。でも強い人なら、大丈夫だと思ったの。強い人なら・・・私と居ても、壊れてしまわないと思ったの。そんなの私の勝手だったのにね・・・」
自虐と、後悔と、孤独に満ちた告白。ここでレノなら、労りの言葉の一つでもかけてやったのかも知れない。だが、自分は残念ながら“そういう”人間ではなかった。
また舞い降りてきた蝶に手を伸ばす。今度は消えることなく、雅の指に留まった。
「・・その羽は、生まれたときからのものなのか?」
「うん・・・これは、何かのフウインなんですって」
「――封印?」
「そう。とってもとっても大切な」
何処か引っかかった。
『――いや、そんなわけないって話だよ』
翼、封印、十賢者・・・つまり、そういうことなのか。あのときヤツが何を想像していたのか、今なら解る気がする。
だが雅がその考察に深く踏み入る前に、白い繊手が首へと伸びてきた。
「・・・雅、ほんとに、怒ってない?」
「放せ、くるしい」
体格差がある故に、抱きつくなんて可愛いものでなく、むしろ締め上げられる状態になる。
雅は彼女の腕を解き、振り返ってその丸っこい頭を撫でた。
「安心しろ、約束は守る」
報酬の分はな、と心の中で付け加えて苦笑いする。基本的に、ミヤビ・ド・エルニス・リヴェルディは“こういう”人間だ。
しかし翼の少女はそれを責めるかのように、澄み切った潤んだ眼で見上げてきた。
「なら明日は・・連れてってくれるの?遊園地」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
――全く、敵わない。だから子供は苦手なのだ。
雅は人差し指でこりこりとこめかみを掻き、言った。
「・・・・絶叫マシンはパスだからな?」