闘病履歴2
セックスが生きる意味か?と真華は自分に問い掛ける。
真華は考える。
心の病が身体を冒し始めたら、それは死へのスタートラインを切る事になる。
身体を健康に保つ事。
その点に細心の注意を払うべきだと真華は考える。
白真華だろうが黒真華だろうが死を訴え出し、死への誘いが強化されれば、それは己の存在そのものの消失となる。
両者が生を楽しみ享受出来るように調整しなければならない。
その制御は必須項目となる。
だが生と死に同じ世界が広がっていたら?
その仮定は生の意味を無化するものに他ならない。
生きて肉体が出来る事は?
物を食べ、雑事をこなし、セックスをする事?
だが死んだ後仮にそれを出来たとしたら、生の意味は益々なくなる。
生は死で死は生ならば、両者の区別は限りなく曖昧なものとなってしまう。
ならば性の官能に酔い、それに没頭すれば、こんな発想は生じないのではないか?
官能が雑念を消すからこそ、白真華は淫乱なのか?
そう考え、真華はその考えを振り払う。
背徳だろうが悪徳だろうが、性のエクスタシーをこよなく愛する自分を変えるつもりはささらない。
自分を気持ち良くさせてくれる異性、ましてや同性でも良いが、その存在が与えてくれるエクスタシーに酔いしれ、生と死の同一性に関する思考を無意味となす。
気持ち良ければいいのだ。
自己同一性障害と同じように、その存在証明はと問い掛けても、答えは出ない。
気持ちいいから生きていれば良い。
それだけの話しなのだ。
そして生きる為には金が必要となる。
白真華の淫乱性を売り物にする手もあるが、それは出来ない。
白真華は好みや相性がうるさく、不特定多数の客など到底取れやしないのを真華は知っているのだ。
慣れ親しんだ主人に愛撫されてこそ、白真華は極上のエクスタシーを感じ取れる。
その感情を押し殺してまで、見知らぬ客とベッドを共にする気は無い。
官能こそが生きる意味を一番感得痛感出来る処方箋ならば、それを金に換算して、微妙なバランスの上に成り立っている官能の量を目減りさせ、白真華の淫乱性と脆い感情を壊したくはないのだ。
セックスは身体の健康のバロメーターである。
だがそのエクスタシーを死がもたらしているならば、死こそがセックスの代弁者そのものとなるではないかと考え。
真華は微笑み意味も無い思考を停止した。