闘病履歴160
そんなのは善も悪も無く、けして慈悲なんかではないと拓郎君は憤る。
拓郎君が続ける。
「仮に人口調整と言う言葉を由として。そして陰陽の二元論から来る生を支える為に死があると言う言葉に鑑みて、一人の瀕死の人間が救われる為には、誰かの死を犠牲にして、数を合わしてこその救いがあると言う論法を肯定するにしても、虐められ、鬱病になり自殺を考えている彼女を救う為に、虐待されて殺される児童の犠牲者が必要だという理不尽な話しは納得が行きません。それがあちらの世界の法則ならば、正に善も悪も無いではありませんか?」
霊媒師が固唾を飲む感じで間を置いてから答えた。
「それは大いなる意思の慈悲の問題に抵触する問題だと思います」
拓郎君が反論する。
「死に神は言わば大いなる意思の人口調整の為の下部ですよね。その下部の判断に委ねて、人の生死が決まり、ひいては罪の無い子供達が心無い大人達に虐殺される、その結果として大人達が快楽を貪り利益を得て、その子孫の繁栄する事こそが、大いなる意思の慈悲ならば、そんな慈悲には救いなんかありませんよね。僕はそう思いますが、どうでしょうか?」




