山の夢
【第10回フリーワンライ】
お題:閉じた瞼に夢の続きを
フリーワンライ企画概要
http://privatter.net/p/271257
#深夜の真剣文字書き60分一本勝負
今日、私は子犬だった。
そのことに意味などない。
地面に埋もれかかった木の実を鼻面でほじくり返し、前足で弄ぶ。
これにも意味などない。
左右の前足で木の実を転がす。ちょっと興が乗ってきた。
……いや、意味などは何もない。
単に犬らしい振る舞いを形だけ真似ているに過ぎない。
うっかり力を入れ過ぎて、木の実が弾け飛んで行った。子犬らしく短い間隔で呼吸して、ふさふさのしっぽを振って、見失った木の実を探して身体をよじると、ころんと一回転した。
あくまでも子犬らしく。
そんな私の脇に手を差し入れ、持ち上げる何者かがいた。
くるりと前後を入れ替えられると、目の前には丸い頬を好奇心で真っ赤に染めた女の子の顔があった。
なんだ、人間の子どもか。
見たところ、数えで四歳か五歳か。赤いワンピースを着て、黒い豊かな髪を二つのお下げにしている。
害はないな。
しかし構われると鬱陶しい。
私は目をくりくりさせた後、へちゃむくれの鼻をペロリと舐め上げた。これでびっくりして放り出すだろう。そうしたら逃げ出せば良い。
引っ掻いても良かったが、荒事は好かぬ。
女児はくすぐったそうに笑った後、私をゆっくり地面に下ろしてからしゃがみ、目線を合わせてきた。頭のてっぺんをごしごし撫でられる。
「あなたこんな山奥で何してるの?」
それは是非とも、こちらが君に聞きたいね。
季節は夏。どうせ休みを利用して、家族で避暑にやって来た、というところだろう。 返答代わりにヒャンと鳴いてみせた。
「ふーん。そっかぁ」
何か感じるところがあったのか、素直に納得してくれた。鳴き声には特に意味を込めなかったのだが。
「お手、できる?」
と右手を差し出してきた。
わざわざ付き合ってやる義理はない。鼻面を寄せて匂いを嗅いだ。幼子特有の乳くさい匂い。
またしても脇を取られ、立ち上がった彼女の肩の辺りまで持ち上げられる。危なっかしい。
「あなた、お名前は?」
私は私でしかないから、名前など必要ないし、持っていない。
今度は無言を返事に変えた。
「じゃあ、わたしげつけたげる。――そうね、シロがいい」
へっへっへ、と息を吐きながら、ちらりと自分の身体を見下ろす。間違いなく白だ。真っ白い。
子どもに語彙の多さを求めるのも酷だから、受け入れてやることにする。
あん、と鳴いた。
抱き寄せられ、胸元に押しつけられた。人の気も知らない図太さは、なるほど将来有望かも知れないが、はてさて、こちらは成長するものかどうか。
「わたしここ来たばかりなの。案内してくれる?」
そう言って覗き込んできたので、その頬を舐めてやった。
頼みとあらば案内してやらんでもない。
もぞもぞと四肢を動かして、少女の腕の中からすり抜けた。
そのまま二間ほど小走りで進み、振り返って、ヒャンと鳴いてみせる。付いて来い。
この辺りは私の庭だ。
目を閉じていてもどこに何があるか、手に取るようにわかる。
子どもの足に合わせると行ける場所は限られているが、子ども騙しにはちょうどいい場所がある。
木漏れ日を縫って木々を抜けると、森の中にぽっかりと開いた草地が広がっている。
そこには一面に白い花が咲き乱れていた。
クチナシの群生地である。
女の子にはぴったりだろう。
不覚にも再び後ろを取られ、抱き抱えられると、その子は短い手足をバタバタさせて花園の上を走り回った。
やめんか、花が荒れる。
ひとしきり罪のないクチナシを散らした後、今度は寝っ転がって白い花弁を下敷きにした。
近頃の子どもは――いや、子どもは大昔からこんなものか。
人間というやつは、子どもも大人もあまり自然を敬わないからな。不敬な連中だ。
ぷりぷり憤慨しながら、ミツバチを追い払うためにでんぐり返りしていると、頭の上に輪っかを載せられた。犬の視野で見ることは叶わないが、どうせクチナシで編んだ花輪だろう。
語彙共々、子どもはやることなすこと通り一辺倒だ。
しかし、贈答されたのに礼を返せないほど、私は頑迷ではない。
一声鳴いて、彼女の周りをぐるぐる跳ね回ってやった。
太陽が頭上から離れ始めていることに気付いた。未の辺りか。
そこそこ時間が経ったな。
そう言えば子どもだけでずっと森の中にいることになるな。親が心配し始めるかも知れぬ。
こんな小娘一人のために山狩りでもされては適わん。そろそろ追い返すとするか。
それと気付かれないように、人間の気配がする方へと誘導して行く。
森を抜けると、そこはもう人里近い。
両親らしき姿を確認してから、私はふいっと少女の視界から消えた。
別に心配だったわけではないが、案内した手前、最後まで面倒を見る必要があるだろう。
一応、少女が母親に抱き締められるのを見届けてから、森の奥へと引き返した。
その夜、私はまだ四足獣の姿でうろうろと今夜の寝床を探していた。
ひょいと手近の木を一足飛びに登り、太い幹に降り立つ。その時にはもうアオサギの雛に化けている。
幹の先には小枝で作られた鳥の巣があった。巣には先客のアオサギの親子がいたが、失敬して相席させてもらうことにする。
私が巣に近付くと、親鳥が招くように片羽を広げた。では遠慮なく。
仮の親と仮の兄弟に抱かれて、私は小さく身を縮めた。
さて、あの子にとって今日は、どんな一日だっただろうか。成長して思い返せば、夢の中の出来事だったと思うかも知れない。
私にとっても今日は気紛れな夢のようなものだった。
普段は夢など望まないが――
今宵、閉じた瞼の先で夢の続きが見られんことを。
『山の夢』・了
まさかの三日連続投稿。どうしてこうなった。
ずっとSFとかばっかりだったから、たまには趣向を変えようと思って、今回はエヴリデイマジックな話にするつもりだったんだが。どうしてこうなった。
最初の方の犬っぽさに力を入れるあまり、ペース配分をミスった感がある。どうしてこうなった。