第九十六話 過去と未来
セーラは差し上げた両手をゆっくりと下ろした。白く細い腕は一見すると、以前となんら変わらないようにも見えるが。
「うむ。見た感じ本物と違いがわからぬのう。流石なのじゃ」
ゼンカイがそう言って笑みを浮かべると、セーラが瞼を閉じ。
「いい意味でまだ細かい動きは無理」
そう告げる。
「調整にはまだ時間がかかる。見た目には違和感ないようにはしたが、それでもまだ45点ってとこだな」
ゴーグルの男がセーラに近づき腕を取った。そして彼女の顔を見上げ、ゴーグル越しにその眼をみつめる。
「早く馴染むといいのじゃがのう」
ゼンカイが呟くようにいった。
セーラの両腕は、あの後の懸命な治療魔法の甲斐なく、元通りに戻すことは叶わなかった。
切断された腕というのは、その断面が綺麗であれば治療魔法を用いて治すことも可能である。
だが、セーラの両腕は一見すると傷口も綺麗に思えたのだが、ロキの力により腕の組織の多くが失われていた。
その為、生身の両腕は諦めざるおえない状態となったのである。
そしてセーラはその後ネンキンの街に戻り、この男の元を尋ねた。
彼は街、いやネンキン王国一の腕を持つといわれる魔導義肢師であり、その手で創りだされた義肢は見た目にも本物と違わないぐらい精巧であり、勿論その機能も実物と変わらない。
「この義手は魔力を媒体に動かす代物だ。魔力の質ってのは人によって違う。それを知り、この義手に込める魔力も調整する。勿論接続したあとも、魔力の流れが阻害されないよう僅かな乱れも見逃しちゃいけねぇ。全く本来なら日常生活をこなせるようになるまででも一年は掛かるってのに、早く早くって年寄りを急かしやがってよ。無茶な客だぜ」
ぼやくように男は言うが、その無茶な要求を叶えようと必至になってくれている事はこの数日間でもよく知ることが出来た。
口調こそ乱暴だが根はいい男なのであろう。
「いい意味で勇者様の行方はどうなってるのか?」
そうセーラが尋ねるとゼンカイは首を横に降った。そして彼女を見上げ言葉を繋ぐ。
「じゃが皆も一生懸命探してくれておる。じきにでも何かしらの手がかりが見つかるじゃろう」
ゼンカイの返しにセーラが軽く顎を引き瞼を閉じた。
「……ミャウちゃんや」
ゼンカイがミャウに顔を向け声をかける。彼女はセーラの姿を眺めてはいるが、先程から一言も発していない。
「あ、う、うん」
ミャウが彼女の両腕をみた。そして少し淋しげな表情をみせる。
「……いい意味でチャウ、レイド将軍に会ったって聞いた」
ミャウの表情が途端に強張る。
「……いい意味で嫌なものは嫌だと言えばいい。いい意味で今のミャウならそれができるはず」
セーラの言葉に眼を見張らせ、セーラ……何を、とミャウが細い声を発した。
「……いい意味で、皆信頼できる仲間。いい意味でもっと頼るといい」
そこまでいってセーラは顎を引き、そして眉を引き締める。
「いい意味で1年なんて待っていられない。いい意味でひと月で何とかしてみせる」
「おいおい無茶をいいやがるな。大体ひと月じゃ調整が間に合わねぇよ」
「いい意味で何とかしろ」
セーラの返しに男は大きくため息を吐き出した。
「全く厄介な仕事請けちまったぜ」
「いい意味で……私は古くから続く一族のメイド。いい意味でそれが事実。いい意味で……だから私は頑張る」
セーラは顔を上げ、ミャウの瞳をじっと見つめた。
「……いい意味で、だから、ニャウ姉さんも頑張って――」
「セーラ……」
僅かに緩んだ彼女の口元をみながら、ミャウが呟き、胸の辺りをギュッと掴んだ。
「さて、あまり長居してもあれじゃからのう。そろそろ戻るとしようかいミャウちゃん」
「え? あ、うん……」
セーラに、待ってるからのう、と一つ告げ、ゼンカイはミャウと部屋を出た。
扉がピシャリと閉まり、その瞬間――。
ガクリとセーラの膝が折れ、メイド服姿のその身が床に崩れた。
「全く無茶をしおって。魔導義肢は馴染むまでは取り付けてから激痛が続く。それこそいい大人が接続した瞬間に気絶してしまうほどだ。そんな痛みが本来なら早くても数ヶ月続くんだ。それが嫌で途中で断念するものも多いぐらいだというのに」
セーラは、はぁ、はぁ、と荒ぶる息を抑えるようにしながら、
「いい意味で全然平気。いい意味で、ミャル姉さんにこんな姿みせたくない……」
「……ふん。まぁ途中で気絶しなかっただけでも大したもんだ――」
部屋を出た後二人は暫くその場に留まり、中からの声を聞いていた。
「セーラちゃんも随分無理しておったんじゃのう」
ゼンカイがいうと、ミャウが戸惑いの表情を浮かべ。
「だったら無理してまで会うことも無かったのに……」
そう呟くように言って、親指を噛む。
「……セーラちゃんは、ミャウちゃんとあの将軍って男の事を気にしておったからのう」
え? とミャウが瞳を丸く見開く。
「まぁ、とりあえず出るとするかのう」
ゼンカイはそういって歩き階段を降り始めた。ミャウもその後に付き従う――。
「クレープじゃ。わしも一度食べてみたかったのじゃ」
広場に付き、ゼンカイは以前セーラが口にしていたクレープを二つかい近くのベンチに腰を下ろした。待たしていたミャウは既に隣で座っている。
ゼンカイがミャウに一つ手渡すと、ありがとう、と言って彼女が受け取った。
嬉しそうに表情を崩しながらゼンカイはソレにかぶり付き口に含む。
「むぅ。甘いがうまいのぅ。色々悩みがあるときは甘いモノが一番じゃ」
その言葉にミャウもパクリと一口含む。
「美味しい……」
一言口から漏れた。その顔をゼンカイが眺め、そして噴水に目を向ける。
「セーラちゃんからわしは聞いたんじゃよ。ミャウちゃん随分前らしいのじゃが、あるお偉いさんのもとでメイドとして仕えていたと。そしてその時にセーラちゃんも一緒じゃったんじゃな」
ミャウはソレには何も応えなかった。ただ目を伏せ虚空を眺め続けている。
「セーラちゃんはミャウちゃんと親しくなり、姉さんと呼んで慕うようになった……じゃが、代々から伝わる家系のメイドであるセーラちゃんとミャウちゃんじゃ仕事の内容も立場も全く違っていた。それをセーラちゃんは知らされ、そしてミャウちゃんとの付き合いを咎められた」
ゼンカイはそこで再度クレープを頬張り、甘いのう、じゃがちょっぴり苦味もある、と言い、空を眺めた。
「セーラちゃんは気にしておったよ。前は自分が小さすぎてその事が凄く下劣なものに思え、ミャウちゃんとの距離をおいてしまった事。時には酷いことも言ってしまった事。じゃから今は逆にミャウちゃんに恨まれてるんじゃろうってな」
ミャウはギュッとクレープを掴み、俯き続ける。
「じゃからわしは言ってやったんじゃよ。ミャウちゃんは、そんな昔の事を気にするような子じゃないとのう」
え? とミャウが顔を上げる。
「わしとミャウちゃんは、まだまだ短い付き合いじゃが、それでもミャウちゃんの人となりはそれなりに分かっておるつもりじゃ。大体こんなわけのわからん爺さんに付き合ってくれて共に冒険までしておるのじゃ。ミャウちゃんは心優しいいい子じゃよ」
そこまで言い、じゃけど、と繋ぐ。
「ミャウちゃん自身も過去に縛られてちゃいけないよ。人は今と未来を生きる物じゃ。もちろんその為に苦しむ事もあるじゃろう。じゃが、その時はひとりで悩む必要なんかないじゃろう。仲間を頼ればえぇのじゃ」
「お、爺ちゃん?」
「人は今と未来を生きる……じゃからこそ、わしだってミャウちゃんの過去になんか興味はないしどうでもえぇと思ってる。わしらの仲間もきっと同じじゃと信じとる。誰かがミャウちゃんの過去がどうだと言ってきても、そんなものは丸めてポイじゃ」
そこまでゼンカイが言い終えると、彼女の持つクレープにキラキラしたものが降り注ぐ。
「お爺ちゃん。あり、がとう」
ミャウの感謝の言葉に、ゼンカイが優しい表情で頷く。そして最後の一口を食べ。
「やっぱり少し苦いのう大人の味じゃ」
「……うん。それに、少し、しょっぱいね……」
それから暫く、二人の間に穏やかな時間が流れていった――。




