第八十一話 武王ガッツ
地面に伏したジンは、ミルクから見ても生死が判別できなかった。
しかし確実に言えるのは、全く動く気配のないその冒険者は、もうこの戦いで立ち上がる事はないであろうという事だ。
そしてそれがより二人を竦然とさせた。
ジンは二人よりも遥かにレベルの高い戦士であった。にも関わらず、目の前の男は、その手を触れることもなく、拳を撃ち出した衝撃だけでジンを戦闘不能にしてしまったのだ。
その一連の所為は、古代の勇者である武王ガッツの実力が計り知れないほどのものである事を、ミルクとタンショウの心に深く刻み込んだ。
「全く――何も出来ずに倒されるなんて……冗談じゃないよ!」
以前、山賊退治の際には、己よりレベルの高いイロエ相手に一対一の勝負を挑むなど、女だてらに男以上の豪胆さを見せたミルクであったが、今回ばかりはそんな気にはなれない様子であった。
寧ろ今は、猫の手も借りたいと言いたいほどの状況であろう。
「さて。流石にこのようなやり方だけでは失礼と言うものかな」
言ってガッツは両方の鉄腕を胸の前で打ち合わせる。ガキィーン、という鈍音が二人の鼓膜を揺らした。
ミルクの首筋を、冷たい汗が伝い、地面に滴る。
例え離れていても、ガッツの身から発せられし重圧が、その場に言いようのない緊迫感を生んでいた。
そして――ガッツの黒い瞳がミルクへと注がれた。刹那、彼女の肌が総毛立ち、突風と激しい打音が辺りに響き渡った。
「タンショウ!」
「ほぅ……」
黒光りするガントレットと、その獲物に選ばれたミルクの間にタンショウが割って入っていた。両手のタワーシールドを重ねるように持ち、その攻撃からパートナーを守ったのだ。
「よし! いいぞタンショウ! そのまま少し耐えてくれ!」
ミルクは声を張り上げ、スキル【チャージ】を発動させる。目の前の敵は強大すぎて、中途半端な攻撃など意味を成さないと判断したのだろう。
力を溜めて、渾身の一撃で勝負を決めようというのだ。
「我が攻撃に耐えるとは面白い男よ。だが、いつまで持つかな?」
身体が捩じ切れんばかりに腰を捻り、タンショウの盾に大砲のような一撃を叩き込む。一撃、二撃、三撃、と大地を震わすような殴打に、タンショウの背中が波打ち続ける。
だが、それでもタンショウは倒れない筈と、ミルクはその背中を見続けながら、必死に力を溜めていく。
「よし! これで――」
力をため終えたミルクが叫び、腰を落とした、が、その時、何かの砕ける音と共に、武王の拳がタンショウの壁のような腹筋にめり込んだ。
メキメキと軋む音、そしてボキボキと骨の砕ける音。ミャウは目を見張った。あらゆる攻撃のダメージを激減させるチートを誇るパートナーが、絶対の防御力を誇る彼の身が、大地に崩れ落ちたのだ。
その力を良く知るミルクの受けた衝撃は計り知れない事だろう。
だが、今はタンショウの心配をしてる場合ではない。力は溜まっている。ならばこの強大な相手に、何としてでも一撃をお見舞いしなければいけない。この戦いに勝利するために。
「うあぁああぁああ!」
自らを奮い立たせるような荒々しい声を上げ、ミルクが大きく跳躍した。ガタイの大きいガッツは、目標に定めやすい。
両手に持ちし、戦斧と大槌を振り上げ、地上のガッツ目掛け、振り下ろす勢いで突撃する。
「【グレネードダンク】!」
それは自らを砲丸と化したような、重く鋭い一撃であった。その衝撃で周囲の空気が破裂し、地面が捲れ、砕け倒れていた墓石が、より粉微塵に粉砕され、暴風に煽られ飛散していく。
だが、それだけの一撃を叩き込んだにも関わらず、ミルクの顔は恐怖に支配されていた。
「そ、ん、な」
「娘、中々の攻撃であったぞ。だが我の身体に叩きこむには、まだまだパワーが足りんな」
ミルクが渾身の力を込めて放ったソレを、武王ガッツは片手一本で防いでいた。顔には余裕の笑みさえ浮かんでいる。
ミルクの必殺ともいえるその技が、彼には全く通じていない。
「さて。それでは、お返しだ!」
踏み込んだ右足で地面が拉げ、下から突き上げられた拳の勢いに、大気が悲鳴を上げた。
ミルクは咄嗟に両手の武器で胸と腹部を覆った。少しでも威力を抑えなければ只では済まない。
インパクトの瞬間、ガッツが拳を捻り、衝撃に回転を加える。巨大な戦斧も巨人が持つような大槌も、その全てを飲み込むような企画外の拳撃であった。
ミルクの身は、まるで竜巻のようにギュルギュルと回転し、上空高く舞い上がると、錐揉みしながら地面に落下する。
大地に刻まれた、すり鉢状の爪あとが、武王ガッツの攻撃が、どれ程とてつもない物であったかを証明していた。
「――ガハッ!」
鮮血を吐き上げ、更にミルクがゴホゴホと咳き込む。
「……あれでまだ意識があるとは。思ったよりやるのか、それとも我が力がまだ完全に復活しきれていないのか――」
「こ、これだけの事をしておいて、よくもそんな恐ろしいことが言えたものだね」
ミルクは己の武器を杖代わりに、なんとかその身を立ち上がらせた。だが足元は覚束ず、既に満身創痍と言っても良いほどであろう。
「それにして、も、解せないね。タンショウ、の、チート能力は、あらゆる、攻撃の、ダメージを、95%無効化する、ってのに……それなの、にね――全く、あいつが倒れた、のなんて、初めてみたよ」
ミルクは、息も絶え絶えに言葉を並べる。
「……95%の無効化か。どうりでな。だが、それならば残りの5%を何度でも叩き込めば、何れは100%になるであろう。その結果だ」
「とんでもな、い、持論だねぇ……馬鹿馬鹿しすぎ、て、逆に笑えないよ」
ミルクは引き攣ったような笑みを浮かべながら、その男の黒目をみやる。そして息を整えるように、肺の中身を一気に吐き出し、言葉を続けた。
「全く、あんたは、それだけの力を持ってるのに、何であたしらの、敵になんて、一応はかつて、人々に崇められた、勇者様なんだろ?」
その言葉で、ガッツの眉間に谷のように深い皺が刻まれた。
「勇者か……確かに我はそう言われた事もあるがな。ところで娘よ、お前は我がこの双眸を見てどう思う?」
ガッツは、炭で染め上げたような黒い瞳をミルクに向けた。不気味な光が両目を撫でる。
「あたしは嘘をつくのが嫌いだからね。はっきり言って気持ち悪いよ」
ミルクの応えに白く固い歯を覗かせ、ガッツがユサユサと巨体を揺らした。
「正直な娘よ。だがそのとおりだ。我のこの洞窟のような双眸は、見るものに闇を懐かせ、不安を煽る。我はこの目を持ち産まれ、そしてこの目ゆえ悪魔と称され我が親にも捨てられた」
思い出すように淡々と語る。その顔をミルクは黙って聞き続けた。
「我はさすらい続けた。だがどこにいってもこの目を受け入れる者はいなかった。すぐに殺しに掛かるものさえいた。あの時もそうであった……我はただ生きたいだけだったのだがな……だがその時殺そうと我に刃を向けた一人の冒険者を、この拳で逆に叩き殺してやった。それが我の行く道を示してくれた。例え誰にも受け入れられぬとも、この力を磨くことで、我は生き抜くことが出来る。力があれば望むものも手にすることが出来る、と」
「勇者の言うような台詞じゃないね……」
「くくくっ……娘よお前は先程から我の事を勇者と呼ぶが、何故我がそう呼ばれるように至ったかは判っているか?」
「さぁね。魔王を倒したとかそんなとこかい?」
ミルクは若干の皮肉めいた口調で返した。ガッツは一つ鼻を鳴らすと唇を軽く歪める。
「魔王か……だが我が勇者と呼ばれたのはそれより更に前のこと。我は生き延びるために一人殺し、そして一〇人を殺し、一〇〇人を殺し、一〇〇〇を超え、殺した数が一〇〇〇〇を超えた時――我の後ろに築かれたのは屍の山だ。刺繍漂う腐肉の城だ。悪魔と罵る言葉が想起された。そして我自身も己は悪魔だと確信した。だが、そんな我を人々はいつしか武王と呼び勇者と崇めた――」
瞼をゆっくりと閉じ、フフッ、と不敵に笑った。
「判るか娘? 我は元々勇者などと呼ばれる人間ではなかったのだ。だからお前らがどんなに正義溢れる心を持っていたとしても、我はこの力を振るうことに躊躇いはない」
「……おかげであんたのとんでも無い力の正体が、少しわかった気がするよ」
「それは良かった。それでは戦いを再開させるとするか。お前も少しは休めたであろう?」
ミルクが奥歯を噛み締め、ガッツを睨めつける。考えを見透かされたようで、自然と悔しさが滲みでたのかもしれない。
「……回復したとしてもまともにやっては勝てそうにないしね。こっちも裏技を使わせて貰うよ」
そう言ってミルクが件の酒を現出させた。その様子に、ほぉ、楽しみだ、と返しガッツが腕を組む。
「……頼むよマジで――」
一つ呟き、ミルクは放り投げた酒瓶をスクナビの戦斧で粉砕する。降り注ぐアルコールがその身に染みこむと、ふらついていた両の脚が更によたつき、
「へへぇ~。さぁ、きょれでぇ~、もう、あんたなんてぇえええぇ! ぶっ潰しちゃうんだからぁぁあ~」
と赤くなった顔で呂律の回っていない言を発す。
「……スクナビセットか。成る程。面白いな。酒の力で性能を上げる……だがお前の変化はよくわからぬが」
ミルクは妙にくねくねした動きを見せたり、左右に振り子のように揺れ動いたりを繰り返し、そして少しずつ間合いを詰めていく。
そしてある程度、近づいたところで――。
「ドッカアアァアアアン!」
擬音を自らの口で発しながら、一気に跳躍し、ガッツの頭上からスクナビの大槌を振り下ろす。
だがソレをガッツはガントレットで軽々と防ぐ。彼の装備は武器としてだけでなく防具としてみても優れていた。
「おぉお、いやぁるねぇえん」
軽口にも思える言を吐き出しながら、ミルクは今度はもう片方の斧をバク転するようにしながら、下から振り上げた。
しかしそれも逆のガントレットで防がれ、ミルクの動きは途中で阻害された。
縦への回転の途中であった為、このままでは背中から落ちる体勢だが――。
「ブーン! ブーン! ブーーーーン!」
ミルクは妙な音を口にしながら、無理やり身体を捻じり回し、横回転をしながら槌を振るう。そしてその一撃は、遂にガッツの顔面を捉えた。
「あったりぃいぃいい!」
軽くのけぞるガッツの姿を視認しながら、歓声を上げミルクは着地する。
「この一撃……成る程、中々だ。が――」
ガッツは仰け反った状態から即座に構えを直し。今度は自分の番だと言わんばかりに、鋭い突きを繰り出す。
だが、ミルクは身を深く後ろに反らせ荒れ狂う豪腕を躱した。
しかし、轟音が鳴り響き同時に巻き起こる衝撃波によって、ミルクの身体は後方にゴロゴロと転がっていく。
「ひゃぁ~まわりゅ~まわりゅ~」
どこかふざけた口調で地面を転がるミルク。そしてある程度勢いが落ちたところでピョンッと跳ね上がり、再び立ち上がった。
「成る程な。逆らうのではなく受け入れることで威力を殺したか。良くは判らんが酒を浴びることで確実に手強くなっておる」
「へへぇ~ん。ひょめられちったぁ~で~も。みゃ~だみゃだこんなもんじゃ~ヒック! ありましぇんよ~~!」
威勢よく発したと同時に今度は縦横無尽に駆け回る。時には寝転がり、時には側転を見せ、時には逆立ちしながら跳躍する――。
ミルクはこの奇抜な動きで相手を撹乱しようというのだろう。実際ガッツは瞳を忙しく動かしながら、相手を捉えようと意識を集中させている。
「はっずりぇ~」
ガッツの拳が空を切る。しかも今度はその衝撃からも上手く逃れる動きであった。
「どこねらってんのぅ~こっちだよ~」
人をコケにしたような言葉を吐きつつも、ミルクは動きを止めようとしなかった。するとガッツが嘆息を付き。
「随分と変わった動きを見せる娘だ。だが……無意味」
ガッツの周りを、翻弄するように動き続けるミルクであったが、ガッツはまるで追うのを諦めたようにその場に立ち尽くす。
「ひゃっほ~隙みっけぇえええぇ!」
嬉しそうに叫びあげ、ガッツの背中からミルクが飛びかかった。だが、その瞬間、彼の肩甲骨が一気に隆起し悪魔の翼を思わせる程に肥大した。そして振り上げた両腕のガントレットからも煙が上がる。
「【ブレイクインパクト】ぉおおお!」
咆哮と共にガッツが大地に両拳を叩きつけた。その瞬間、波紋の方な衝撃が周囲に広がり、大地が抜けたように陥没し、次いで土砂が間欠泉の如く勢いで吹き上がった。
大地は暫く揺れ続け、この衝撃で生まれた亀裂は森全体に及んだ。
「ふむ――」
ガッツは土塊が覆いかぶさったミルクとタンショウの姿をみやり一つ頷き、そして天を見上げた。
ガッツのスキルの影響で出来上がったのは、穴と言うよりは谷に近い。目の前に立ちふさがるは断崖の絶壁だ。
「少々やりすぎたか。まぁ良い。さて主の下へ――」
言ってガッツは大きく跳躍した。ピクリとも動かないミルクとタンショウをそこに残し――。




