第二五一話 悲しみの中で
「再びこれを振るう時が来たようだな」
ロキはそういって魔剣レーヴァテインをスラリと抜いた。
「どうだ? 判るか? ふふっ、判るに決まってるか」
セーラに魅せつけるように魔剣を翳す。そして、ふんっ! と空間を斬った。
その瞬間、空間の位置がずれる。だがセーラはそのずれを予測して回避した。
「いい意味でそんなのはもう当たらない」
「生意気なのだよ。ならばこれでどうだ!」
今度はロキが魔剣による斬撃を数十と繰り返す。
その刹那の連斬りによって隙間なく空間は斬り刻まれた。
縦横無尽に刻まれた剣筋が一気に空間を断裂する。
逃げ場なしの一手――だが。
「いい意味でメイドスキル・パーフェクトクリーン――」
多量にずれる空間をみても全く動じず落ち着き払った様相でセーラは箒を振るった。
その瞬間、空間の歪みが一瞬にして解消され、なんの変哲もない只の景色へと戻った。
「馬鹿な! 私のこれを……かき消しただと!」
「いい意味で最高のメイドは掃除に余念がない」
しれっと言い放つメイドのセーラ。
それに歯噛みするロキ。
そして、いい意味で覚悟! と巨大化し硬質化した箒を頭上から叩き落とす。
響く轟音揺れる地面。ロキのいた地形は深く落ち窪んでいたが――いない。
「調子に乗り過ぎなのだよ!」
サーラが顎を上げる。上空には空中漂うロキの姿。そしてそのまま少し離れた場所に着地する。
「いい意味で瞬間移動?」
「そうだ。これぐらい私には造作も無いのだよ。そしてこんな事もな!」
語気を強め右手をさし上げたその瞬間、セーラの周辺より青紫色の光が溢れ出し、かと思えば強制的にセーラの肢体が地面に押し付けられた。
「いい、意味、で、身体が、おも、い――」
「当然なのだよ。重力魔法で貴様の周辺の重力を数十倍まで引き上げたのだよ。全く私にここまで使わせるとは大したものなのだよ」
ロキは鼻白みながら地面に強制的に這いつくばせたセーラを見下ろす。
それを顔だけで見上げながら、なんとか起き上がろうとするが。
「無駄なのだよ。この魔法の範囲内で自由など効かぬのだよ。そしてその状態じゃさっきのスキルも使えないのだよ。箒一本動かすのもその状態じゃ無理なのだよ」
ロキはそういった後、魔剣を前に付きだしセーラに刃を魅せつける。
「この魔法にそれだけ耐えられるのは流石なのだよ。だがこの剣で今度こそお前は死ぬ。何か言い残す事はあるか?」
「……いい意味でなぜこれだけの力を持っていて操られている? いい意味で解せない――」
苦悶しながらもロキに問うセーラ。
するとその問いを耳にしたロキは目を丸くさせ、そして大声で笑い出した。
「あ~はっはっは! 全く愚かなのだよ。私が操られているわけがないだろう馬鹿め!」
「……いい意味でそれじゃあ何故?」
「なぜ魔王軍に協力するか? と聞きたいなのかだよ? 決まってるそっちのほうが色々と材料も手に入りやすいと思ったからなのだよ」
「いい、意味で、材料?」
「そうなのだよ。私が何故魔神と称されるか判るか? 勇者としてではない畏怖の念を込めてそういわれているのだよ。何せ私はかつて魔王討伐を免罪符に多くの人間を魔法開発の為の実験体にした」
「……」
「ふふっ、意外に思えたのかだよ? 軽蔑するか? だが覚えておくといいのだよ。いま貴様らの豊かな暮らしがあるのも魔法があるうえ、そして私の実験があったからこそ魔法はよりよいものに進化したのだという事をな! だが連中は結局最後には私を裏切って暗殺した。だがそのおかげでこうやって復活し劇的な能力向上を得たのだ。あの時殺されたこともそのための布石だったと考えれば悪くはない。だが……」
そこまでいってロキは瞑目し。
「目覚めてみればこの王国もすっかり腑抜けてしまっていた。こんな世界じゃ私は実験に勤しめない。だからこそ魔王に今は協力している。この世界を恐怖で支配し、その暁には私の実験場も用意してくれる約束だ。そのために私は連中に協力しているのだよ」
「いい意味で、よかった……」
何!? とロキが驚愕する。その視線の先では重力魔法で自由が効かない筈のセーラが、箒を使いなんとか立ち上がっている姿。
「ふはっ! 驚いたのだよ。この魔法のなかで立ち上がっただけでも大したものなのだよ。どうだ? 私の実験体にならないか? 聞き入れるなら生かしておいてもよいのだよ」
「いい意味で、あんたが屑野郎で本当によかった」
何? とロキの眉根がぴくりと蠢く。
「いい意味で、私も覚悟を決める事ができる」
「覚悟だと? ふんこの状況ではったりとは大した度胸なのだよ。なんとか立ち上がれている程度の貴様に何が出来る? 箒一つまともには振れまい」
肩を竦ませ小馬鹿にしたように言う。
だがセーラの目は真剣そのものであり。
「いい意味でこれだけ動ければ十分。いい意味でお前も覚悟を決めろ」
「覚悟だと?」
怪訝に眉を顰めるロキだが、その時セーラが一旦瞼を閉じ―そして広げた瞳が紫色に染まる。
「な、なんだその眼は?」
「いい意味で……メイド魔法最終奥義【冥土の門】」
セーラが静かにそう呟いたその瞬間。彼女の背後に巨大な門が現出する。
それは闇色に染まる鉄の門。
まだ開いてもいないこの状態で禍々しいオーラが滲み出ている。
「……冥土の門、だと? ま、まさか!?」
驚愕するロキ。するとセーラの手に鍵のような物が握られ。
「いい意味で、冥土の門開きます」
「よ! 寄せ! 貴様判っているのか! そんなものを開けば貴様の命だって――」
「いい意味で重々承知! いい意味で冥土への誘い!」
セーラの鍵を持つ手が捻られる。まるで門の鍵を開くように。いや開いたのだ、いま正に巨大な門が荒々しい音とともに左右に開き、そして――。
「ぐ、ぐうううううおおおぉお! 嫌だぁそんなところに閉じ込められるのは絶対に、うぁああああぁああ!」
ロキの身体から何かが引っ張られる。
それはロキ自信。いや少しだけ透明感のある――彼の魂。それが今、開かれた門によって肉体から離れようとしている。
「いい意味で往生際が悪い。いい意味で――逝きなさい!」
そのセーラの声に合わせるように門から多量の腕が伸び、そして必死に抗うロキの魂を掴んだ。
「い、嫌だ! 嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だァアアァアアァアアア!」
まるで子供のように駄々を捏ねるロキの魂を、無数の腕は容赦なく肉体から引き剥がし、そして門の中へと引きずり込んでいった。
バタンッ! という響きで門が閉じそして消失していく。
後ろを振り返りどこか悲しみを帯びた瞳でそれを見送った後、セーラは一つ呟いた。
「いい意味でお掃除完了……いい意味で――さ、よ、な、ら……」
セーラは力なくその場に倒れ、そして二度と動かなくなった。冥土の門――それはメイドを生業とする一族にとっては確かに最終奥義といえる代物である。
何故なら冥土の門を開く鍵には、唱えたメイド自信の命が必要となるから――故に最終……。
「あ~~~~はっはっは! どうだ老いぼれジジィ! 障壁も随分と弱くなってるじゃねぇか!」
アスガの強靭な爪が、スガモンの身体を何度何度も打ち付ける。
それを老体に鞭打つように耐えるスガモン。
しかし障壁の上からでもその威力は凄まじく、完璧には防ぎきれていない。
スガモンの身体にも傷や痣が増えていくばかりだ。
そんな師匠の姿をヒカルは悔しそうに見続けていた。
だが今はまだ助けには行けない。
師匠の言いつけ通り、自分がその魔法を完成させねば、しかし95%まで練り上げたその先が上手くいかない。
何故だ! ここまで来てるのにもうすぐなのに、このまま師匠がなぶり殺しにあうのをただ指を咥えて見ていろというのか?
そんな気持ちが渦巻き、そして――
「そんなの! 嫌だ~~~~!」
天空を斬り裂くような絶叫。そしてヒカルの身に何かが降臨し。
「くはっ、くははっはっはははっは!」
「あん? なんだジジィ? 気でも狂ったのか?」
「ふん、なんとでもいえ。お前はもう終わりじゃよ。弟子が目覚めたのじゃからな」
何? と怪訝な顔をしヒカルへ顔を向ける。
「……貴様何だそれは?」
怪訝に眉を顰める。その視線の先にはヒカルの立てた人差し指とその指先にちょこんと乗る青白い球。
「これが僕の最強魔法【ラグナロク】」
「最強、魔法? カハッ! かはは! そんなもんがか! こりゃお笑いだ! そんな小さな球で一体何が出来るってんだ! 笑わせてくれる!」
「……師匠」
ヒカルはアスガの声も気にすること無く師匠に警告するようにいった。
スガモンは頷き魔法の力でその場から消え失せる。
そしてヒカルは静かにその球を相手めがけて投げつけた。
「ふん。そんな小さな球でこの魔人化した俺にダメージなんて――」
アスガの言葉が全てを紡ぐことはなかった。ヒカルがその球を投げつけた瞬間にはそれはアスガに命中し、一気に弾けアスガを中心に全てのものを飲み込んだからだ。
「……少しやりすぎたかな――」
ヒカルは自分の目の前に広がる大穴を眺めながらそう呟いた。
あっさりとアスガを飲み込んだそれはあまりに深く穴の奥は全くみえない。
「でもまぁ、七つの大罪なんていってもマスタークラスのマジックカイザーに目覚めた僕にかかればこんなものだよね」
ヒカルは表情を一変させ後に手を回しながら、笑顔でそういった。彼がお調子者なのは例えマスタークラスになっても変わらないようである。
「……そんな、セーラ、う、そでしょ?」
結界が解け古代の勇者と七つの大罪が倒れたことで、王国軍が一気に息を吹き返し、逆に魔王軍の勢いが削がれ、それからこれまでの苦戦が嘘のように事が進み王都陥落の危機はなんとか脱することが出来た。
そして王都の危機をしったミャウやゼンカイ、そしてブルームも急いで王都に戻り、更にポセイドンやオダムドにいた仲間たちも駆けつけてくれたのだが――その代償は決して少なくはなかった。
特にロキと相打ち命を断ったセーラの亡骸には、その場の誰もが絶望に近い感情を抱いたかもしれない。
「嫌だよぉセーラー……なんであんた死んでんのよ、ねぇ冗談でしょ? 起きなさいよ! 目を開けていい意味でとかいいなさいよ! 私やおじいちゃんの名前を間違いなさいよ!」
セーラのメイド服を掴み何度も揺り動かす。だがその瞳が開くことはない。
「ミャウ――」
近くで見ていたミルクが何かを言いかけるが言葉が出てこない。
タンショウも涙を流している。
「ミ、ミャウさん! わ、私の回復――」
言いかけたヨイの肩を掴みブルームが首を横に振った。
回復魔法では蘇生までは不可能なのはこの世界の常識である。
「セーラちゃんやぁ。なんでじゃあ、なんで現場で人が、仲間が死ぬんじゃ……こんなのこんなのはいやじゃよ。ビーフジャーキーまた笑顔で出して欲しいのじゃよ……」
ゼンカイも泣いていた。ミャウの横でシクシクと……いや彼だけじゃない誰もがその早すぎる死に涙する。
「酷いよぉこんなのあんまりだよぉ……ボブぅなんとかならないの?」
「あの爺さんいたのか……あ、いや僕でも死んだ人間を生きかえらせるのは無理だね」
こんな時には天使も役に立たない。
「我が言葉に! 我に不甲斐なしとあり……」
「妾もじゃお兄さま。こんな時に何も出来ぬなんて――」
「姫様……私だって同じです。それに彼女だけじゃない。今回はあまりに犠牲が多すぎる――」
ジンが悔しそうに唇を噛む。そんな彼にそっとアンミが手を添えた。
確かに彼の言うとおり、王都で暴徒化した人々は腕の立つ騎士や冒険者はなんとか気絶させたりすることでその命を守ったが、中にはそんな余裕を持てず誤って殺してしまった物もいる。
魔物との乱戦の中で巻き添えになった人々も少なくはない。
おそらくは一万人規模の犠牲者が出ているのである。
そういう意味ではとても手放しで喜べる勝利ではない上――まだ戦いは終わってもいなかった。
「グォ、グオオオオオオォオオオ!」
突如彼らの目の前に轟音と共に降り立つ存在。
聖剣エクスカリバーを携えしはかつての勇者――。
だがその表情は勇者のそれとは決して言えず。纏うオーラは邪悪そのもの……。
「あんた――勇者ヒロシ……」
その変わり果てた姿を目にしミャウが静かに呟いた――。




