第二四〇話 レベルという壁
ミルクの技を喰らい、見事なまでに空高く舞い上がったガッツであったが、そのままクルリと一回転を決め、ドスンと重苦しい響き。
着した地面が圧砕され、砕けた破片が宙を舞う。
表情からは余裕が消え、代わりに獅子の歯噛みの如く形相をその顔に貼り付けている。
「もはや暇つぶしなどという言葉では済まされるな。我も気合を入れねば鼠に足元を救われてしまいかねぬ」
「それでもまだ鼠扱いかよ」
ミルクが吠えるようにいい、ガッツを睨み据える。
しかしガッツより発せられる威圧感は凄まじく。
先ほどと比べるまでもない。
獅子に鰭、虎に翼とはこの事か。
全身からもうもうと浮き上がる煙が、鬼神の如き様相に変化する。
「行くぞ娘! ぬぐぅうぅうおおおおぉおお!」
噴火の如き唸り。街全体を襲う烈震。押し潰されそうな重圧。
それらを一身に受け止めるミルク。だが、怯まない。怯えない。
かつての仲間を思う気持ちが彼女の意志を強くしている。
そして、ミルクもまた気勢を上げる。ガッツに負けないほどの響きは震天動地の如く。
互いの覇気が中心でぶつかり合い渦をまき嵐を起こす。
だが、一拍の間を置いて訪れるは水を打ったような静けさ。
二つの視線が交わい火花を散らす。
竜虎相搏つ、その瞬間が今まさに近づいていた。
ガッツの両拳が左右に開かれ、そして激しくぶつけ合わせる。
その所為一つで、起きた衝撃波が突風となってミルクの髪を吹き上げた。
刹那――一〇メートルはあった間合いを己が得物の間合いへと詰め、ガッツの横っ面に巨大な槌がめり込んだ。
ほぼ水平に近い角度で、弾丸のような速度で、ガッツの巨体が海面へと着弾する。
それを認めた後、ミルクは疾躯し、元は海であった崖下に飛び込み着地した。
眼前に聳えるは滝。未だその状態を保ち続ける割れた海面は、正に潮水の滝である。
そして滝の表面に巨大な影が迫る。海水が爆散し砲弾の如き巨拳がミルクの肉肌を打つ。
まるで吸い込まれるように背後の崖に身体がめり込み、そこへ追撃とばかりにガッツが迫り、左右の連打を容赦なく撃ち込んだ。
分厚い大陸の壁に、彼女の肢体がめり込んでいく。ガッツの拳の一撃一撃が大陸を震撼させる。
「調子に乗ってんじゃねぇ!」
ミルクが怒声を上げ、右足を前に突き出しガッツの腹部に足跡を刻む。
巨体が若干沈み込み、そこへ更に左の回し蹴りが首を捉え、拳の動きが完全に止まったところへ、交差させるような斧と槌の攻撃が直撃する。
ガッツの身が滑るように後退した。
そこへすぐさまミルクの大槌が頭蓋を狙う。
弧を描き振り下ろされた一撃。
だが、それをガッツは右手で受け止め、その勢いを逆に利用し、己の身体も回転させてミルクを振り回しそして投げる。
ミルクの背中が地面に叩きつけられた。
が、そのまま後転し海の滝を背にして立ち上がる。
再び相対する両者。互いに息の乱れもない。
視線を交差させ睨み合う。
「がはっ、やりおる。やりおるな娘。我がここまで心躍るのは久方ぶりのことぞ。かつての魔王ですら我をここまで楽しませてはくれなかった」
「今あんたにそんな事いわれてもさっぱり嬉しくないねぇ!」
「ふむ。その表情、怒りか? 随分とバッカスの町の事を気に入っていたようだな。だがいい。それでいい。憎しみが糧となり修羅を燃やす。その強さ! 我と拳を交えるにふさわしい」
黒き双穴を塞ぎ。腕を組む。
「修羅にでも羅刹にでもなってやるさ。あんたをぶっ殺す為ならね!」
そうか、と再び穴を開き。
「だが、お互いまだまだ本気を見せておらぬ。そうであろう? お前もそれは気づいていただろう?」
投げかけられた問いかけにミルクは一つ鼻を鳴らし。
「当然さ。覚醒したあたしの力が、どんどん湧き上がってくるのを感じてる。あんたが本気じゃないのはわかっているけど、あたしだってまだまだ全力じゃないよ」
「だろうな。だがそれでも一つだけ忠告しておいてやろう。今の我にはそれでもまだお前は及ばぬ」
なに? とミルクの眦が吊り上がった。
「娘よ、我の見立てでは今のお前の本気でレベルは140以上、いや150まで達しているかもしれんがな」
ミルクは口を結び、ガッツの次の言葉を待った。
「……素晴らしい数値だ。正直にいおう。これがあの方の強化を受ける前であれば、我は間違いなく敗れていた。何せかつての魔王を倒した直後の我のレベルは130程度であったからな」
「今は違うってのかい?」
「180」
ミルクの顔に若干の動揺が走る。
「180だ娘よ。それが今の我の本気のレベル。この状況での30レベルの差。それがどれだけ絶望的な開きか今のお前なら判るだろ」
ミルクは何も応えない。だが、額に滲み出る汗が、彼の言葉が間違っていないことを暗に示していた。
「だが娘よ。安心するがよい。我はこれより全力を出す。しかしそれはレベルを合わせた上での全力だ。この闘い、まだまだ終わらせるには惜しすぎる」
言ってガッツが再び拳を鳴らす。
そして炯眼で射抜き声をはりあげた。
「先ずはレベル155で行くとしよう! 我をがっかりさせるなよ娘!」
その瞬間、回転を加えた右の拳が放たれ、摩擦によって腕から煙が上がる。
かと思えば着弾した衝撃でミルクが消えた。
背後に見えている巨大な滝には、穿かれたような見事なまでの円状の穴がポッカリと口を広げていた。
穴は相当な奥まで続き、周囲の海壁が螺旋の渦を描き続けている。
「あたしのレベルは143だ馬鹿野郎――」
水竜のようなうねりを続ける海を眺めながら、ミルクが呟くように口にした。
立ち上がるとガッツの姿は随分と遠くにあった。
だが、豆粒のように見えるその姿すら、きっととても巨大なものに見えていることだろう。
「180だ? ふざけやがって――けどね、あたしは負けない!」
構えを取りバッカスの装備を握る手に力を込め、ミルクは大きく叫びあげる。
「バーサクハウリング!」
新たなスキル。己のリミッターを解除する狂化の叫び。
血がたぎり、闘いの事しか考えられぬ戦闘狂へと変わり果てる。
「マックスチャージ!」
これは溜める力を攻撃する部位にのみ集中させ、直後の威力を数十倍にまで引き上げる。
「ほぉ。いいぞ! 今のお前でレベル160といったところか! 良かろう、ならば我は165で迎え撃とうではないか!」
朗々とした声を突き破り、ミルクの刹那の動きがその距離をゼロにした。
「おらぁ!」
初撃、右の斧が左へと振りぬかれる。狙うは胴体。
防ぐ、ガッツの左腕。重低音があたりに広がる。
二撃、振り下ろされる大槌。頭蓋を狙う必殺の一撃。
鋼と鋼の打ち合う音。巨大な右腕が盾となり進撃を拒む。
すぐさまミルクが回転。後ろ回し蹴りを放つと見せかけ、回転移動でガッツの背後に回りこむ。
そのまま淀みのない動きで、槌を掬い上げるように振り上げた。
ガッツの背に命中、かと思えば掻き消え、逆に後ろを取られ――殴られる! が、それとほぼ同時にガッツの身が蹌踉めいた。
「むぅ――受けると同時に反撃しおったか」
見開かれた拳がミルクを捉える。
視界に映る彼女は、数度地面に叩きつけられながらも体勢を立て直し、二本の脚でしっかりと大地を掴みきった。
「いいぞ娘。我の心臓は今にも破裂しそうな程滾っておる。だが、まだ足りぬ。あと20、どうする? 時間がないぞ? いつまでもその状態、保ってはいられまい?」
「……嫌なやつだよ本当に」
図星をつかれ、ミルクの眉が中心に寄り眉間に皺を刻む。
そしてふぅ~、と大きく息を吐きだし、仕方ないね、と誰にともなく呟いた。
そして両手の武器を地面に下し、アイテムボックスを開き一つ取り出す。
「ほぉ、それは――」
「悪いがあんたには一口だってやらないよ。今となってはあの爺さんの形見の酒だ」
取り出したるは【バッカスの酒】。それの蓋を開け、先ず一口含む。
「くぅ~~~~! 染みるね~~!」
ガッツはその姿を黙って見届け、なるほどな、と口角を吊り上げた。
「その様子だとあんたも判ってるってことかい。それなのに何もしないなんてね。本当に腹立つ男だよ」
「ふむ、寧ろ我には楽しみだ。それで、どれだけ変わるものかな」
手を出すつもりのなさそうなガッツを睨みつけながら、後悔すんじゃないよ、とミルクはその酒を己の身と武器に注いでいく。
そして――
「きたよ! キタキタキターーーー! 身体が熱い! 心臓が爆発しそうなほどさ!」
猛る声。左右に振り上げる両の腕。
体中から沸騰したような蒸気が上がる。
「準備――完了だ」
再び武器を構えたミルクの様相は以前とは違い落ち着いたものだった。
バッカスの町で鍛えた効果があったのだろう。
だが、外面には明らかな変化が現れている。筋肉が膨張し、全身に血管を張り巡らせ、そしてその肌は見事なまでの赤銅色に化していた。
その姿に、ガッツの黒い瞳が大きく見開かれる。
その表情はどこか感慨深げでもあり。
「……見事だ娘よ。我とのレベル差を見事に埋めおった。良かろう、今こそ互いの限界を超えた闘い、演じあうとしようぞ!」




