第二三五話 天使の目覚め
「私、を、たお、す?」
ジャンヌが首を傾げるようにして訊き返す。
それに、はい! とプリキアが真剣な目つきで答えた。
これまでと違い迷いの感じられない良い返事であった。
「――貴方、は、召喚、が、メイ、ン。これだ、け、天使、を、召喚していれ、ば、もう限界のは、ず。それなの、に、一体どうする、と? 無駄なあが、き」
「確かに――」
ジャンヌの無機質な声に、プリキアが言い重ねる。
「これまでの私は召喚したものに守られるだけで自分では何も出来なかった。それが召喚士というもの、前に出れないのが当たり前そう思っていた。でも! エンジェルプロイヤーになってそれも変わりました!」
プリキアの宣言。そして再び一枚のカードを現出させる。
「いきますよ! 天衣装喚!」
詠唱し叫びあげた瞬間カードとプリキアの全身が淡い光に包まれ、かと思えばカードとこれまでプリキアを抱きかかえていた天使は消え去り、そしてプリキアの衣装が大きく変化する。
「なるほ、ど。天使、の、装備、か――」
感情のない瞳で見据えたプリキアの身体には、これまでと全く違う装備が纏われていた。
身体を包むはスカートと一体化した美しい白銀の鎧で背中からは天使の羽と同じものを生やしている。
グリーブは鎧と同じ白銀色で美しい意匠が施され、腕に装着された白生地のグローブには大きな宝石が埋め込まれている。
そして両手では十字の形を成した見た目にも神々しい、光の剣が握りしめられていた。
「装備完了です――これで、貴方を倒します!」
「……やってみ、ろ」
冷たい目を更に凍てつかせ、射抜くような瞳でジャンヌが挑発する。
それを受け、はぁああぁあああ! と気勢を上げながら弧を描くように飛翔し、光の剣を左から右に振りぬく。
ジャンヌはその斬撃を槍の柄を立て防いだ。だがその小さな身体のどこにそんな力が? と思えるほどの勢いで押し切られ、槍ごとジャンヌの身体が数メートルほど飛ばされた。
だが途中でピタリと動きを止め、己の腕の中の槍を一瞥し、続けてプリキアに目を向けた。
「中々や、る――」
「大丈夫ですか?」
「あ、あぁ済まないな。全く任せろ等といっておいて情けないものだ」
ヨイはオダムドの街に落下した大司教を追いかけ、そして自らが施せる中でもっとも効果の大きい回復魔法を掛けてやった。
幸い気は失っていたものの、纏っていたオーラが衝撃を和らいでいたようで、致命傷には至っておらず、無事回復はしたものの、その表情は暗い。
「しかし、あの娘、あの一瞬で気持ちを切り替えたか。今は全く迷いがない。それにあの装喚――大天使の装備ではないか」
し、知っているのですか? とヨイが尋ねる。
「あぁ、あれは召喚している天使の数に応じて能力を上げる効果のあるものだ。彼女が今召喚している数を考えればかなり強力なものに変化しているだろう」
「そ、それなら、せ、聖姫ジャンヌにも、か、勝てますよね!」
ヨイが懇願するような目で訴える。
「だといいが――かなり均衡したものになってるとは思うがな。だが我々がサポートに回れば更に勝率が上がるだろ……」
そう大司教が言いかけた時、無数の悪魔が降り立ち、ふたりを囲んだ。
「そ、そんな……」
「くっ、どうやら簡単にはいかせてくれそうにないな――」
プリキアとジャンヌの闘いは続く。プリキアは天使の羽を自在に操り縦横無尽に飛び回り、ジャンヌ目掛け剣戟を振るい続けていた。
だがジャンヌは流石古代の勇者と言われているだけあって、それらの攻撃は全て躱すか、槍で受け止めている。
「調子のりす、ぎ」
ジャンヌは槍を縦、横、斜めと高速で振りぬき、刻まれた軌跡が刃となって周囲に広がる。
勿論その効果範囲にはプリキアの姿があり、その斬撃波は淀みなくプリキアの小さな身体を狙う。
「むぅ――」
しかし僅かに悔しさの滲む唸り。
その視界に映るであろうプリキアは、己の羽で身体を包み込み、全ての攻撃を防ぎきっていた。
どうやら天使の羽は相当に丈夫らしい。
「セイクリッドフェザーアロー!」
プリキアは包んでいた両翼を広げ、羽を聖なる矢に変化させジャンヌにむけて連射する。
プリキアとジャンヌを繋ぐ空間が一瞬にして羽の矢で覆われた。
ジャンヌに突き進む無数の羽。それを彼女は槍を高速回転させ防ごうとするが――その数の多さに捌ききれず、槍の隙間を突き抜けた矢が見事命中する。
そしてプリキアの攻撃が終わった時、彼女の視界に映るは血に濡れた聖姫の姿。
その様相にプリキアの眉に動揺が走る。
「中々や、る――」
「最後の警告です」
プリキアの真の迫った声にジャンヌが反応し、それでもなお無機質な顔を彼女に向けた。
「もう抵抗はやめて、大人しく諦めて下さい。さもなければ私は、貴方に止めを刺さなければいけなくなる」
「……」
暫しの沈黙。ふたりの間に立ち込める空気が重みを増した。
「貴方、は、勘違いして、いる」
え? とプリキアが短く発し、更にジャンヌの冷たい声音は続いた。
「私は、ま、だ、力をのこして、い、る」
そこで一旦瞑目し。
「でも、認め、る。貴方の強、さ、貴方の勇、気、貴方の気高、さ。だか、ら。これ、は、本気の本、気」
そして瞼を開き両手を広げ、瞬間頭上に現れる巨大な魔法陣。
「こ、これは――」
「ルキフェル召、喚――」
ルキフェル、以前戦った時にもジャンヌが召喚した裏切りの堕天使――別名、天使殺し。
「させません! 強制送還!」
だがそれを防ごうとプリキアが新たなスキルを発動。
魔法陣から出現しかけていたルキフェルの周囲に光の線が伸長し複雑な紋様を形成していく。
「これ、は?」
「一度見た術に何の対抗策も講じていないと思いましたか? その召喚はさせませんよ!」
浮かび上がった力による圧迫で、出現しかかっていたルキフェルの本体が徐々に魔法陣に押し込められていく。
このままいけばその脅威が振るわれることもないであろう――。
「なるほ、ど。でも、いったは、ず、これ、は、本気、の、本気だ、と――」
するとジャンヌの両手から溢れる闇の光が更に大きく膨れ上がり、魔法陣もそれに呼応するように輝きを増す。
「え? そ、そんな!」
狼狽するプリキア。見つめる魔法陣。
膨張する力。押し込めていた力を上回る圧力が生まれ、形成した紋様に罅が入り始める。
「だ、ダメェ! こんなの――絶対、あ、ううぅううあぁああっぁあ!」
プリキアの必死の抵抗。しかし、ルキフェルの召喚は止まらない。その全貌が徐々に明らかになっていき、そして、パリン! という砕ける音と共に強制送還の力が消失し、以前目にした、いや、以前目にした時よりも巨大な体躯と禍々しい八枚の羽を持ちし堕天使が姿をあらわす。
「これ、で、おしま、い。エンジェル・ロスト――」
刹那、ルキフェルの両手に漆黒の闇が集まり、怖気の立つほどの禍々しい咆哮と共に、黒い衝撃が街中に広がる。
「きゃあぁああぁあ!」
「ぐぉ! これは!」
下で悪魔たちと戦っていたプリキアが両耳を塞ぎ、大司教も苦しそうに顔を眇める。
周囲に群がっていた悪魔たちですら、思わず動きを止め震えてしまう程だ。
そして当然この影響は天使たちには特に大きく――悪魔たちと交戦を続けていた天使たちが叫び声を上げ、一瞬にしてその場から消え失せた。
一方プリキアの装着していた大天使の装備も粉々に砕け、そして――その意識も完全に刈り取られていた。
全ての力を失ったその小さな身体は、支えるものも失い、力なく地面に向けて落下する。
大司教とは違い何も守る物がない状態での落下だ。
そのまま地面に叩きつけられれば――恐らく無事では済まない。
「ルキフェ、ル――喰らいなさ、い」
だがそこへ更なる追い打ち。ジャンヌは容赦なくルキフェルに命じる。
いや、もしかしたら自分をここまで追い詰めた戦士が、地面に叩きつけられ哀れな姿を晒すのを見たくなかったのかもしれない。
「さような、ら」
ジャンヌの冷たい響き。ヨイの悲鳴。ルキフェルの口が開かれ、少女の身を一気に飲み干そうと猛スピードで接近し――その時プリキアの瞳が僅かに開いた。
「死ぬ、の? 私はここで――何も出来ず、誰も守れず……そんなの、嫌!」
プリキアの小さな身体がいよいよルキフェルの口に収まりかけたその時、眩いばかりの光が閉じられる寸前の顎の動きを止めた。
「な、に?」
そして光が膨張しルキフェルの口を押し広げ、そこから一人の天使が抜け出した。
その瞬間にルキフェルの口が閉じられたが、堕天使の顔は怪訝に歪められる。
「そう簡単に食べさせてなんてあげませんよ!」
「プ、プリキアちゃん!」
ヨイが瞳を潤わせ叫びあげる。
そして大司教の目も驚きに見開かれた。
「あれは――まさか、マスタークラス!?」
大司教の瞳に映るプリキアの様相。
背中から生えた翼はこれまでの装備と違い、光のオーラが翼に形を変えた物だ。
そして頭に浮かぶは天使の輪っか。
その姿はまるで天使そのものともいえるが――。
「エンジェルマスター! それが私のマスタークラスです! これで今度こそ決着をつけます!」
朗々と言い放つその声に迷いはない。
ジャンヌを見据えたまま、人差し指で光の魔法陣を瞬時に完成させる。
「何、を、するつも、り?」
「決まっています! ルキフェルにもまけない天使の召喚! 今の私ならそれが出来る! さぁ我が下へ馳せ参じ給え――神衣天使【ボブ】!」
ボブとかいまさらわかる人いるだろか……




