第二二一話 レベルの違い
ミャウはゼンカイの変貌に驚きを隠せず次に訊く言葉すら頭から掻き消えていた。
目の前で佇むゼンカイはそれぐらいの変わり様だ。だがそれはただ見た目の変化だけの違いというわけではない。
その尤も感じられる違いは雰囲気だ。変身前のゼンカイにしろ最初に変身したイケメンにしろ、良くいえば元気、悪く言えば喧しいぐらいの性格であったのだが――
二度目の変身を遂げたゼンカイは、とにかく静かであった。
先ほどのミャウに対する回答ひとつとっても、とても落ち着いた口調と声で、それでいて発した言葉は心地よく耳に残る。
そう――今のゼンカイは、とても洗練された大人の匂いを醸し出している。
マスタードラゴンという、これまでに無いほどの強敵をその眼に捉えていても表情一つ変えず、両足を腰幅程度に広げ、適度に力の抜けた様子で腕を落とし、今が戦闘中であることを思わず忘れてしまうほどだ。
静穏なる川の流れのような自然な穏やかさ。
しかしにもかかわらずミャウにはその姿が、巨大な山のようにも感じられたことだろう。
それは決して崩れない不動なる屹立。
いるはずなのにいない、いないはずなのにいる、思わず瞼を擦り確認したくなる不思議な感覚。
その神妙たる空気は、見てるもの全てが引き込まれる事だろう。
そうマスタードラゴンでさえも。
その眼が暫し壮年たるゼンカイを見据え続けていた。
身じろぎひとつしない。殺気は未だ漂っているが攻撃しあぐねているようなそんな様相。
だがその時――まるでゼンカイが何事もない事のように、無防備にすたすたと歩き出した。
淀み一つ無い見事な挙措で、決して歩みやすとはいえない岩の道を、まるで平原を散歩するかの如く。
その姿に思わずミャウの思考が止まるが――。
「ちょ!? 駄目よ! 何をやってるのお爺ちゃん!」
時が再生され、ミャウの口から警告に似た叫び。
そして広がる荘厳たる翼。一つ鳴き正気をいや、狂気を取り戻した黒金の竜が、切り裂いた風を後に残し、ゼンカイの肩口目掛け鋭利な鉤爪を振り下ろす。
一気に斜めに切り裂くつもりなのだろう。一撃で勝負を決めるつもりだったのだろう。
だが次の瞬間、マスタードラゴンの巨躯が上下逆さまとなり、そのまま天井に突き刺さった。
え? というミャウの若干間の抜けた声が後に続いたのは、それから数秒ほど後の事である。
「どういうことなの?」
不可解そうに眉間に谷を刻み、疑問符混じりの言葉を誰にともなく呟く。
何が起きたのか理解出来無いといった様子のオボタカを一瞥し、ロキは軽く肩を竦めた。
「ロキ、あのお爺ちゃん……いや、今はもう違うけど――どうなってるの? ロキなら判るわよね?」
「お前のいってる意味がステータスということならば確かに判るのだよ。だがこれはあまりに不自然で訊くに値しないと思うが?」
「構わないわ聞かせて」
オボタカの言葉に嘆息をつき、そして天井のそれと地上のそれを見比べながらロキがその口を開いた。
「最初の変身の時、あの男はレベル55から一気にレベル100近くまで上昇したのだよ」
「あの風変わりなシェフになったときね。驚いた、結構なレベルだったのね」
「あぁ、だから私も面白いと思ったのだよ。だが、それでも今のマスタードラゴンには及ばなかった」
そこまで聞き、オボタカは、ふ~ん、とやはり気のない返事を返しつつ、更に紡げる。
「という事は、もしかして今のアレはそれよりもレベルが上って事?」
しかしロキは静かに首を横にふり応えた。
「今のあの男のレベルは0なのだよ」
マスタードラゴンは己の背中と翼を天井に預けたまま、僅かに首を傾げた。
知性の殆どは狂気に犯されてしまっている竜ではあるが、それでも現状をおかしいと思えるぐらいの感情は残っていたのだろう。
今さっき切り裂いた筈の男をなぜ今見下ろしているのか?
そしてそんな不可解な感情を恐らく抱いたまま、だが、ならば再度殺ればいい! という感情を発しつつ、今度は一気に急降下しその巨大な顎門を開く。
彼にとっては脆弱たる小さき者に向けて、ひと飲みにし骨の欠片も残さないほどに噛み砕くために。
刹那――顎門を抜け、口内に多量に注ぎ込まれる暴風。
そして今度は気づく。己の視界が激しく回転してること、目の前に高速で壁が迫ってること、そして――抗おうにも全く身体の自由が効かないこと。
直後に轟く激震――響く衝撃、そして僅かに罅いる鱗。
暫し呆けたような状態で壁にめり込んでいたマスタードラゴンであったが、その傷つきし鱗を眼にし、闇に染まりし竜は顎を突き上げ、口を開き、天をも突き破りそうな咆哮を響かせた。
地面が揺れ天井も崩れる。
ミャウの悲鳴、ゼンカイの頭上に降り注ぐ落盤――だがその岩の破片は大小問わず全てゼンカイの身をすり抜けた。
いやすり抜けたように見えた。
それほどのムダのない動き。
思わずミャウも、凄い、と小さく呟く。
「あはっ、なんだよあれ……本当にあの爺さんなの? 反則だろあんなの……」
「ヒカル!?」
ミャウが驚きに目を丸くさせた。そして直後に喜びに涙の膜をうっすらと張る。
「良かった無事で――」
「へへっ、流石にヤバいと思ったけどね」
そういって肩を揺らすが、時折いてっ! と顔を歪ませる。
まだ怪我が完全に治ってるわけではないのだろう。
「僕達のことも……」「忘れないでよね」
「ウンジュ!」
「ウンシル! て、痛!」
どうやら双子の兄弟も無事意識を取り戻し、安堵の色を浮かべるミャウ。
そんな中、言葉少ないゼンカイの口から発せられし言が其々の耳朶を打つ。
「無駄だ。今の貴方では私には勝てない」
全員が先ずゼンカイに目を向け、そしてマスタードラゴンに視線を移した。
竜の鱗の一部がピクピクと波打っていた。顔の頭の部分だ。
そしてその瞳には憤怒の炎がメラメラと燻っている。
「静力は静かなる力と書く。その基本は静かなる時に身を委ね、何事にも抗うことなく、ただ自然のままに――」
瞑目し光風に乗るような涼やかな声へ言の葉を漂わせ。
「向けられた力は全て受け止め、逆らわず、あるべき場所に返す――私がいま使用したのは静力流反月――力をありのまま返す術。貴方のその悔しさは貴女自身による力の報いと受け取るべき……」
そこまでいって大きく深呼吸し、迷いない瞳で竜の身を射抜く。
「ただの暴力では私に傷ひとつ付けられぬよ」
刹那――怒りに任せ、マスタードラゴンがゼンカイに突進する。
「懲りぬな」
いって肩の力が更に一段階抜ける。
ゼンカイの双眸は虚空を見てるがごとく――。
そして迫る竜は直線的だったその軌道を変え、旋回するようにしながら彼の背後に周り、回転力をその尾に伝え、巨大な鞭のごとく撓らせた一撃をゼンカイに向ける。
「無駄だといっている。静力流旋華――」
ゼンカイは静かだがはっきりと耳に残る声を発し、迫りくる尾にただ軽く右手を添える。
そして尾の軌道に合わせるように自らも回転し、まるで竜の巨躯ごと引き寄せるが如し挙措で渦の中に巻き込んだ。
回転力は一気に高まり、二回転、三回転と竜と共に回る。
傍からみれば、まるでゼンカイが片手で竜と戯れ合ってるようにも見えたことだろう。
そして戯れが終わると同時に、まるで巨大な竜巻にでも巻き込まれたかのような螺旋を描き、マスタードラゴンは天井に身体を打ちつけ、勢い余って跳ね返った後、地面にその身を埋めたのだった――。
これで今年の分の更新は終了となります。
皆様本年はここまで作品を読んでいただき本当にありがとうございました。
次回の更新は新年より1月3日頃を予定しております。
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