第二一九話 マスタードラゴンの力
「ヒカルまで! そんな!」
ミャウから悲鳴に近い声が漏れた。空いた方の手で口を塞ぎ、どことなく顔からも血の気が失せている。
ミャウとゼンカイの視界に収まるは、マスタードラゴンの爪の一振りによって縦に三つの深い傷を残したヒカルの姿。
その強烈なひとふりは空気を切り裂き、更に生まれた風の刃でヒカルに致命的ともいえるダメージを与えたのだ。
そして仰向けに倒れたその身体を中心に、真っ赤な泉が広がりをみせる。
その姿をひとしきり眺めた後、マスタードラゴンは次なるターゲットへと巨大な体躯を向けた。
正気を失った狂気の瞳が、まるで値踏みするように残ったふたりを見据えている。
それはまるで次なる獲物をもとめる猛獣の眼だ。以前みられた知性は欠片も感じさせない、本能の赴くままにただ圧倒的な殺意のみをその身に湛えている。
「お爺ちゃん逃げて……」
ミャウの口から零れた以外な一言にゼンカイが眉を寄せる。
「何をいっておるのじゃミャウちゃん。わしがそんな事を出来るわけないじゃろ」
「でも――こんなのいくらなんでも……」
「諦めるでない! 諦めたらそこで終わりじゃ! 大丈夫じゃどんな相手でも――」
戦意を喪失しつつあるミャウを必死に励ますゼンカイ。
だがその努力はマスタードラゴンの所為によって無駄になろうとしていた。
マスタードラゴンは一つ唸ると大きく口を広げた。
竜の顎門が大きく開きその奥に炎の渦がみえている。
「そんなあれってもしかして――」
ミャウの目が驚愕に見開かれ、ゼンカイも苦しそうに、むぅ、と唸る。
マスタードラゴンの口内で渦巻くソレの事をふたりはよく知っていた。
勿論威力の事も。
――ゴールドブレス、いやその色は今はかわり闇と金色の織り交ざったそれはダークゴールドブレスと成り代わり、勢い良く渦巻き球体となった焔が急速に膨張し――。
「危ないのじゃミャウちゃん!」
ゼンカイがミャウを渾身の力で突き飛ばす。
以前も似たような事があったが、流石に今回ばかりはゼンカイも無事では済まなかった。
全てを燃やしつくほどの闇と金色の混ざり合った豪炎は、螺旋を描きながら一瞬にしてゼンカイの身体を飲み込んだ。
ゼンカイの所為によってなんとか難を逃れたミャウが、この世の終わりのような悲鳴を上げる。
吐出された焔は全く威力を殺すことなく、そのまま最奥の岩壁を貫いた。
激しい轟音を残し、山全体を揺れ動かし、そして焔のたどった地面は溶解し、煙をあげ一部は煮えたぎった溶岩のような状態となりぐつぐつという音を漏らす。
あまりに衝撃的な光景、そして黒焦げに近い状態で倒れているゼンカイを目にし、ミャウは力なく膝を崩した。
「これで終わり? あっけなかったわね~」
高台の上から発せられたこの場にそぐわない軽い声に、ミャウの耳がピクリと揺れる。
「まぁ仕方ないだろう。所詮あいつらは私を相手にした時も手も足も出なかったような連中なのだよ」
「ふぅん。まぁでもここまでこれたんだから少しはやれると思ったんだけど、とんだ期待外れね」
「ふざけんじゃないわよ!」
オボタカの発言にミャウの表情が変わった。怒りを顔に湛え、立ち上がった彼女の目が鋭く光る。
「絶対にあんたの思い通りになんてさせない! この私が!」
そしてミャウは決意のこもった顔でマスタードラゴンと対峙する。
「皆必死に戦ってるんだ! 私だけが無様な姿をさらしてたまるもんですか! あんたはこの私が止める!」
ミャウの宣言にマスタードラゴンがグルルと短く唸り返す。
「さぁ見せてあげるわ! セブンズヴァルキュリエ!」
地面を蹴り空を舞い、叫びあげたそのスキルによって、ミャウの身体が七人に分かれる。
島に来る途中の海上でもみせたこの技は全ての分身が意思を持って戦いを演じる事ができるのだ。
そして其々のミャウの身体が別々に付与を纏い、マスタードラゴン目掛け斬りかかっていく。
「グウウォオオォオ!」
そこへ竜の咆哮が再び炸裂した。強い衝撃が七人のミャウを襲う。
だが彼女たちはそれでは怯まない。空を駆け距離を詰め、炎王の刃で飛膜を斬り、風女帝の連撃で胴体を狙い、土帝の剣突で尻尾を撃ち、水女王の剣で爪を薙ぐ。
更に土と炎による爆炎岩や水と風による氷の嵐も振るい、休むまもなく攻撃を加え続ける七人のミャウ。
だが――肝心のマスタードラゴンの身体には傷ひとつ付くことが無かった――。
「あらあら結構頑張ってるのにね」
「まぁそれだけあの竜の力が強大って事なのだよ。そこはそれだけの力を与えた君に流石と言うべきなのかな」
表情を変えず言われたロキの言葉に、薄い笑みを浮かべながらありがとうと返すオボタカ。
「でもまさか分身するとは思わなかったわ。まるで忍者ね、しかもあれ全部本体みたいだし」
「確かにな。でもあのスキルは使い方を間違うと痛い目を見るのだよ」
痛い目? とオボタカが興味ありげに尋ねるとロキは不敵な笑みを浮かべ。
「あれは全てが本体ともいえるが結局は一体の身体でしかないともいえる。つまり受けたダメージは使用者にも影響し、それでいて魔力などは使用者本人が負担する。つまりあのスキルはとても燃費の悪い代物でもあるのだよ」
ロキの説明に、へぇ、と一言。
そしてレンズの奥の瞳を戦場に向け、
「だったらあの女ももう持たないでしょうね」
と軽く瞼を閉じ言い切った。
「くそ! なんて! なんで倒れないのよ! それにダメージも全然……畜生!」
ミャウの表情には明らかな焦りが滲んでいた。
それは勿論攻撃が先程から全くマスタードラゴンの鱗を通さないというのもあるのだが――
彼女の肩は激しき上下し、息も荒くなっていた。剣に宿った付与の力もだんだんと弱々しい物に変わってきてる。
それは明らかな疲弊。ミャウが使ったスキルによる副作用、彼女の創りだした分身はそれぞれが意思を持つ戦士ではあるが、その力を維持するための魔力はミャウ本人と共有している。
そのため当然時間が経てば経つほどその消費は激しくなり、そして疲弊したミャウに連動し分身の動きも鈍くなる。
そこへまずマスタードラゴンの尾による一撃が一度に三体の分身を屠った。
「あがぁ!」
ミャウが苦悶の表情を浮かべ身を捩らせる。分身が受けたダメージの一部はミャウ自身にもしっかりと伝わるからだ。
そして更に竜は巨大な飛膜をはばたかせ、更に二体の分身を消し飛ばし、そして爪と牙が残った二体の分身も切り裂き噛み砕いた。
「うがあぁああぁああ!」
七体の分身のダメージが全てミャウへと集約され、そして悲鳴をあげた彼女の身が地面へと落下を始める。
だがそれを黙ってみているほど今のマスタードラゴンは甘くはない。竜はその逞しい尾を振るい、落ちてきたミャウを打ちそのまま壁にと叩きつけた。
壁に巨大なクレーターが穿かれ、その中心にめり込んだミャウが力なく項垂れた。
もう戦う力など欠片も残ってはいないだろう。
「これで終わりみたいね」
遠巻きに眺めていたオボタカが呟くようにいった。
「まぁそこまで役に立たなかったけど最後の頑張りは楽しめたかしら。無様すぎて逆にね」
馬鹿にしたように倒れた彼らを見下ろし、そしてほくそ笑む。
だがその時ロキの目が動いた。その瞳は黒焦げになり一見すると生きているかも怪しい老人に向けられていた。
彼の身体が動いたからだ。僅かにだが、肩がピクリと動いたのだ。
そしてその動きは段々と顕著になり、直後その身が光に包まれたかと思えば巨大な柱が立ち上った。
「ほぅ、これは意外なのだよ」
その様子にロキも目を丸め興味ありげに一言漏らす。
「お、じぃ、ちゃん……?」
ミャウは辛うじて残っていた意識を振り絞り、片目をこじ開けそれをみた。
そしてその口元が緩み――。
「そうだ、お爺ちゃんにはまだこれが――」
そう消え入りそうな声で呟いたのだった――。




