第二一八話 闇に染まりし竜
オボタカと一行が話をしている間、マスタードラゴンは鎖に縛められたままグッタリとした様子で、そして酷く虚ろな目をしていた。
それに気づいたミャウが、白衣の女をキッ! と睨みつけ声を荒げる。
「あんた実験って一体マスタードラゴンに何をしたのよ!」
「あら? あなたは私の七つの大罪が何か聞いていないの?」
白衣のオボタカは不思議そうに首を傾げる。その表情にミャウが黒目を上げ少し考える様子をみせるが。
「聞いていないって……それは確か――」
なんとか思い出そうとしてるようだがうまくいかないようだ。
そしてそれは他のメンバーも一緒である。
「皆頭がそれほど良くなさそうだものね。まぁそれはみればわかるけど」
顎にほっそりとした指を五本添え薄い笑みを浮かべる。
そのレンズの奥の瞳は嘲るように細められていた。
「随分と」「失礼な女だね」
双子の兄弟が交互にいい、不快そうに唇を結ぶ。
「正直に思ったことを言ったまでよ。まぁ仕方ないわね教えてあげる。私の七つの大罪は遺伝子改造。そのチートの示す通り相手の細胞なんかも自由にいじれるの。そして生成した新たな細胞を加えたりもね」
まるで先生になったかのような口調で説明を始めるオボタカ。
すると、くわっ! とゼンカイが彼女を刮目し大きく口を開く。
「オボタカで細胞じゃと――まさかお主! スタッ――」
「そして私がさっきマスタードラゴンに打ち込んだのは、素魔負細胞よ」
オボタカはゼンカイが全てを言う前に自らその名称を叫んだ。
そうしなければいけない理由があったのだろう。
「ス、スマップ細胞じゃとーーーー!」
「スマフ細胞よ、耳おかしいんじゃないの?」
ゼンカイが心底驚いたように声を上げたが、即効で言い直し、そして形の良いおでこに皺を刻んだ。
「てか何だよそのスマフ細胞って!」
そのふたりのやり取りにヒカルが口を挟む。
確かにその言葉だけでは何も理解できないが。
「そうね。どうせ詳細に説明してもわからないでしょうから掻い摘んで話すけど、一旦不純成分を全て取り払うことで純粋な素の魔力に変化し――それを魔合変換によるレアミクス処……で、魔力の複合配列に加え――循環させ魔力の浸透圧を上げたのち――」
「な、何言ってるかさっぱりわからないんだけど」
ミャウが眼を細め困惑した様相で呟いた。外の面々も難しい表情で頭を抱えている。
「まぁ平たくいえば、徹底的に強化した魔力の核を創りだした後、更にそれを負の性質に変えて注入したってところよ」
「な、なんでわざわざ負の性質なんかにして注入する必要があるのよ!」
ミャウは取り敢えずは理解に達したようで、批判するように声を荒らげた。
「それはまぁ簡単に言えば負の刺激を与えるためよ。こうすることで強力な力を持った核は周囲の細胞を次々と破壊するわ。そして一旦破壊した細胞はその後の超再生をもってより強力な生物に生まれ変わるのよ。負の成分に混竜病の菌を混ぜたのも刺激をより強くする為、まぁ強すぎてちょっと激しく暴れすぎちゃったけど」
「そんな事して」「その刺激に」「生物が耐えれなかったら」「どうなるんだよ」
ウンジュとウンシルが尤もな疑問をオボタカにぶつけた。
すると彼女は、ふふっ、と不敵な笑みを浮かべ。
「そんなの朽ち果てる決まってるじゃない。だから並の魔物じゃ実験体にもならないのよ。でもマスタードラゴン程の力を持ってるなら私の実験にはぴったり」
オボタカは、なんてことがないような口ぶりであっさりと言い放つ。
彼女にしてみたらマスタードラゴンの命など、実験のためのモルモットとなんら変わらないといったところなのだろう。
「なんて女なの――」
ミャウが心底軽蔑するような目を向け、そして唇を噛んだ。
「ふふっ、でも安心して。今、すごくそこの彼おとなしいでしょ? これは覚醒が近いことを示してるわ。ここまできたらほぼ実験は成功」
嬉しそうに微笑むその顔が、一向には悪魔にも思えたことだろう。
「そ、そうなの? じゃあもうマスタードラゴンは開放してくれるのかな?」
と、そこへヒカルが随分と楽天的な事を述べるが。
「馬鹿! 何言ってんのよ! こいつらがそんな簡単に開放してくれるわけ――」
「いいわよ」
「へ?」
ミャウが速攻でヒカルを怒鳴りつけるが、その言葉に重ねられたオボタカの声は意外なものであった。
それに思わずミャウも間の抜けた声を発してしまう。
「だから開放して上げる。ふふっ、だって丁度いいもの。貴方たちならこの子がどれぐらい強化されてるのかみるのにぴったり」
不敵に笑い、何かを期待するような眼がレンズの奥で妖しく光る。
「へ? それって……」
ヒカルの顔に動搖が走った。何か心底嫌な予感がする――そんな空気が彼の全身からにじみ出ている。
「ロキお願い」
「いいのか?」
「えぇもう十分。見てあの目、ちゃんと闇の精霊神の細胞も機能してるわ、さぁ楽しませてね」
オボタカはぺろりと紅色の唇を舐める。興味津々といった顔で一行を眺めたあと、その視線をマスタードラゴンに向けた。
と、同時にロキがマスタードラゴンにむけ掌を突き出し、壊! と気勢を上げると同時に竜を拘束していた縛めがガラスが割れたような響きと共に解かれる。
「マスタードラゴンが……自由に」
「でもミャウちゃんや、わしはとてつもなく嫌な気配を感じるのじゃ」
「そんなのは」「僕達も一緒だよ」
「や、やばいよこれ。すごい強大でそして……不気味な魔力が膨れ上がってる――」
五人の視線が一斉にマスタードラゴンに注がれた。
そしてそれぞれの瞳に映る竜の肢体がピクリと震え、同時に空気がビリビリと振動しだしそれに連動するように空洞内が激しい揺れに見舞われる。
「な! あれはマスタードラゴンの鱗が――」
「黄金の上から黒く……染まっていくのじゃ――」
「グォ、ウォ、ググゥウウゥウウオオオォオオオオォオオ!」
「きゃぁあぁぁぁあ~~!」
「ぬうううぉおおお!」
「ウ、ウンジュ!」「ウ、ウンシル!」
「ひ、ひいいぃいい!」
全てを吹き飛ばすような破壊の咆哮。マスタードラゴンの口から発せられたその一猛で周囲の壁は刳れ、天井が割れ落ち、地面には巨大な亀裂が刻まれる。
その威力は一行の身にも淀みなく降り注ぎ、まだかなり距離があったにも関わらずその身体が強制的に後ろに流された。
地面には其々の靴が刻んだ地滑りの後がありありと残されている。
全員それでも辛うじて立ち続けてはいるが、これが並の冒険者であったなら、いまの咆哮だけでも命を保ちつつけることは不可能であろう。
「ただ叫んだだけでこれって……流石にちょっと洒落にならないわね……」
「むぅ、流石はマスタードラゴンというべきなのかのう」
「でもそれよりも」「あのふたりが」「平然としてるのもね」「なんて奴らだよ」
ウンジュとウンシルの視線の先には、涼しい顔で戦況を見ているオボタカの姿があった。位置もあの高台の上から全く変わっていない。
「あのオボタカの周囲に張られてるのは多分ロキって奴の結界だよ。それで助かってるんだ」
「なるほどね。でも今は……マスタードラゴンを何とかしな――来る!」
ミャウの眼が鋭く光った。一斉に全員が正面に目を向ける。
その視線の先でマスタードラゴンが荘厳なる両翼を大きく広げた。
そして翼を上下に揺らしたかと思えたその瞬間、轟然と巨大な影が一行を引き裂いた。
咄嗟にミャウが身を沈め、ゼンカイも飛びのき、ヒカルは瞬間移動で逃れたが、ウンジュとウンシルのふたりは反応が間に合わず、強大な皮膜に巻き込まれる形で勢いよく天井へと打ち上げられる。
「「ぐはっ!」」
まるで突き刺さるが如く、ふたりの身が岩の天辺へとめり込んでいった。
呻き声を上げたウンジュとウンシルはまるで貼り付けにあったかのような状態となり、そのまま意識を失った。
「ウンジュ! ウンシル!」
ミャウが立ち上がり悲痛な声でふたりを呼んだ。だが返事のかわりに戻ってきたのは、ふたりの口から零れた赤い鮮血のみであった。
「そ、そんな……」
「大丈夫じゃ! 落ち着くのじゃミャウちゃん! よくみればまだ息はしとる、軽くはないが死にはせん! それよりも――」
ゼンカイの緊迫した声と、髪と耳を揺らした強風に、ハッ! とした表情で細身を回す――と、そこには肉薄する闇に飲まれし竜の狂牙。
その顎門が開かれ、顔を横に傾けミャウに喰らいつこうとするその迫力に一瞬恐怖が張り付くが――。
「風の女帝!」
即座に精霊剣に風の付与を纏わせ宙に舞い、ミャウはなんとか危機を乗り越えた。
そして背中に届く鏗然たる響きに冷や汗が滲む。
「くそっ! これでも喰らえ、我が名は――その神々しき――」
ヒカルは瞬時に詠唱を組み立て瞬間移動によって離れた位置から魔法を構築させていく。
「喰らえ! フレアリズム!」
ヒカルに集約し魔力に気がついたのかマスタードラゴンがその太めの身に首を回す。
だがその瞬間には彼の魔法が完成し、光の粒子が闇に染まった竜を中心に集まりだし、そして――星が砕けたかのような光の爆発が広がり、轟音と衝撃波が同時に洞窟内を駆け抜けた。
「よっし!」
「よっしじゃないわよこの馬鹿!」
ヒカルがガッツポーズを決めると、ミャウの怒鳴り声があとに続く。
「あんた馬鹿なの!? そんな魔法使ってマスタードラゴンに何かあったらどうするのよ!」
え~、とヒカルが納得出来ないような顔でミャウをみた。
そしてもうもうと立ち込める土煙へ、心配そうな顔を向けるミャウ。
だが――それをみていたゼンカイの表情は厳しい。
「ミャウちゃん、恐らくわしらに相手の心配をしてる余裕は」
――ブォン!
空気を断ち切る音が空洞内に木霊した。そして彼を覆っていた土煙も瞬時に掻き消え、ヒカルと竜を繋ぐ空間に三本の線が刻まれる。
それは鋭い風の刃だった。大地をも刳り刹那の間に駆け抜けたそれは、ヒカルの身体にも深い爪痕をしっかりと残し――大量の血潮を吹き上げながらその巨漢が崩れ落ちずしりと思い響きを周囲に響かせたのだった――。




