第二一〇話 え? 人質に?
「ぐぉおおおぉお!」
雄叫びを上げるようにしながら、シーキャンサーは、吹き飛んでる途中で、大地にしっかりその節のある八本の脚と巨大な鋏を突き立て、崩れかけた己が身をなんとか持ち堪えさせた。
「結構しぶといわね!」
「うむ。あれでもまだ倒れぬとはのう」
ミャウとゼンカイが、その執念に驚きの色を示した。
後方にいる仲間たちも同じような気持ちでいるようである。
「だけど――ダメージは決して少なくないはず! あとひと押しよ!」
「うむ!」
ふたりの目に映るシーキャンサーは確かに既に息も絶え絶えで、全身もボロボロである。相当に弱っているのは間違いがなく、ゼンカイとミャウもこのまま攻め立てれば勝てる! という確信をその顔に貼り付けていた。
「ははっ、貴様ら既に勝ったと思っているだろう?」
ふと放たれたシーキャンサーの言葉に、ミャウの片眉が跳ね上がる。
そして同時にみせた不敵な笑いにどこか不気味さが滲みでていた。
「フフッ、まさかこれをやることになるとはな。自分でもリスクが高いが――仕方がない!」
「こいつ!? まだ何かする気!」
「ミャウちゃん何か嫌な予感がするのだ! 急ぐのじゃ!」
ゼンカイがいうと同時にふたりが駆け出す――が、その行動に移るまでの瞬刻の間に、シーキャンサーの下半身である蟹の口からブクブクと大量の泡が吹き出されていく。
それにどこかぎょっとした顔を見せるふたり。泡はどんどんと増えていき、風にのるようにシーキャンサーの目の前で広がり、そして壁のように辺りを覆っていく。
「な。何これ? どす黒い泡?」
動き出した脚をピタリと止め、ゼンカイとミャウはその光景に眼を奪われた。
シーキャンサーから生み出された泡はどんどんとその数を増やしていき、密を濃くし重なりあい、そして一行とシーキャンサーを繋ぐ道を完全に断った。
「これはまるで泡の壁……」
「じゃが、これがなんじゃというのじゃ? 所詮は泡じゃろう?」
「だったら試しにその泡を割ってみるといい。ククッ」
完全に泡の内側に隠れたシーキャンサーが、不気味な声音で挑発してくる。
「ふん! こんなものわしの剣で――」
「ダメよお爺ちゃん! うかつに手を出したら!」
ゼンカイが居合の構えで泡に近づこうとしたところで、ミャウが声を張り上げ注意する。
確かに一体どんな事態がまっているかも判らないのに、攻撃を加えたりするのは得策ではないだろ。
「ミャウの言うとおりよ。あの泡から嫌な感じがするわ。相当に邪悪で、不吉な感じ」
アクアクィーンの声が辺りに響く。すると後方から精霊神も口を出し。
「その泡は中に強力な瘴気を閉じ込めてるようです。もし割れば瘴気が煙となり撒き散らされ、全てを腐らせる事でしょう。勿論肉体も……」
瘴気!? とミャウが驚愕に目を見開いた。すると今度は風の女帝の声が響き。
「確かに中からは嫌な風の感じも受けます。しかも広がる範囲も速度もそうとうに速い……」
「あの中に入ってる瘴気は、下手な毒など顔負けなほど凶悪なものじゃ。それにしてもあんなものまで生み出すとはのう――」
「……じゃが、そんなもので壁を作ったのではあやつも動けないのではないのかのう?」
ゼンカイが首を傾げながら疑問の言葉を口にする。
「そ、そうだよ! あいつ動けないんだし、もうここは放っておいて逃げちゃえばいいんだよ。あは、なんだあいつ本当間抜け」
「馬鹿が! 私がそんなことも考えていないと思ったのか!」
ヒカルの言葉にシーキャンサーが嘲るようにいい重ね、刹那――瘴気の泡が弾けるように動き出しミャウとゼンカイを封じ込めるように取り囲んだ。
「クッしまった!」
「こ、これじゃあ身動きとれんのじゃ!」
「か~かっかっかっか! どうだ! 精霊神よ、お前は自分を助けようと駆けつけてくれた仲間を見捨てることが出来るか? 出来ないだろう? 俺がその気になれば、すぐにでもこの泡を破り瘴気で満たすことが可能だ。そうすればこのふたりは無事では済まない!」
「こいつ――それが狙いで!」
ミャウが忌々しげに顔を歪めた。そして強く歯噛みする。こんなことで身動きがとれなくなってしまった事への、悔しさの表れであろう。
「ミャウよ! こんな泡! 我の力で瘴気事燃やし尽くしてくれる! さぁ我を付与し――」
「無理よフレイムロード! 私には判る。この瘴気は炎の力でなんとかなるものじゃない! 勿論私の水もね」
「わしの土もこの瘴気では持たんだろうな……それ程のものじゃこれは」
クッ、とフレイムロードの悔しそうな呻きが刃から聞こえてくる。
「しかしシーキャンサー! 貴様は判っておるのか? このような瘴気を放つような事があれば貴様とて只ではすまんぞ!」
エンプレスウィンドの声が、シーキャンサーの身体を突き抜ける。
だが、相手は口角を吊り上げ、そしていった。
「判ってるさ。闇の精霊神の力をまだ完璧に使いこなせない私では、この瘴気を完全には防げない。だが! それでも死ぬまでにはいかん! 相当力は減るだろうがな……」
「イカれたやつじゃ」
「ふん! なんとでもいえ! だがな私は信じてるよ。精霊神よお前が仲間を見捨てたりしないってね。そしてこの仲間をどうしても助けたいなら私の下へ戻ってこい! そうすればこいつらの命は保証してやるよ」
下卑た笑みを浮かべ、シーキャンサーが要求を突きつけた。恐らくこのまま戦っても勝てないと判断したのであろうが、その方法は下衆の極みともいえる卑怯なものであった。
「あいつ、ふたりを人質に、なんてやつだ!」
「でもこのままじゃ」「身動き取れないよね」
ヒカルと、ウンジュにウンシルが悔しそうに口にする。
するとエロフが精霊神の前に跪き、恭しく頭を下げた。
「精霊神様。ここはどうかお一人ででもお逃げください。奴は見たところこのままでは身動きが取れないでしょうし、この洞窟の途中の障害は、我々で取り除いてあります」
「はぁ? それってつまりふたりを見捨てるってことかよ! お、お前! その作戦乗った!」
双子の兄弟がズッコケル。
「ヒカルお前――」「何言ってくれちゃってんの――」
「し、仕方ないだろ! どうしようもないことって世の中にはあるじゃないか!」
左右から曲刀を突き付けられながら、ヒカルが必死に弁明のような事を述べる。
「何を勘違いしてるかは知らんが、私もここに残る。奴らには一応恩もあるからな。精霊神様が身を捧げなくてもいい方法を考えるさ」
「エロフ……」「名前卑猥だけど」「わりと良い奴だったんだな」「すっかり誤解してたよ」
「卑猥は余計だ! てかなんだと思ってたんだ!」
エロフがムキになって叫ぶ中、精霊神が口を開き。
「エロフのその気持ちありがたく思います。ですが、ここで私が自分だけ逃げるわけにはいきません。皆様は私を助けようとここまできてくれたのですから……」
「向こうも色々話し合ってるみたいだけど、このまま人質にされっぱなしじゃ癪に障るわね」
「全くじゃ! なんとか打開策を見つけたいとこじゃが――」
精霊神の事を気にしつつも、ふたりは何か方法がないかと知恵を絞る。だが精霊王の力も通じない中では中々いい手も思い浮かばず。
「ふん。何を相談しても無駄な事だ。あぁそうだ、精霊神もそうだが、ミャウとかいったな? お前とアクアクィーンとエンプレスウィンドに関しては私の仲間にしてやってもいいぞ? 勿論一生の忠誠を誓うのならだが」
「死んでもゴメンだわ!」
「調子のってんじゃねぇよば~~か!」
「妾はお前などに忠誠を誓うぐらいならエンペラスアースの老後の世話でもしてたほうがマシなのだ」
「何か儂とんだとばっちりじゃのう……」
「ふんっ! それにしてもこんな方法をとらねば女のひとつも口説けないとは本当に情けないやつだ!」
シーキャンサーは散々な言われようである。
「お前達状況を理解してないようだな? 全く本当に愚かな連中だ、そこまでして死に急ぎたいか?」
ミャウとゼンカイは、決して折れない気持ちで相手の顔を睨めつける。
「クッ、生意気な連中だ。まぁいい、どうせ貴様らは身動きなどとれや――」
『お爺ちゃん――もしかして困ってるの?』
瘴気の泡に囲まれ、為す術もない状況に頭を悩ます中、どこからかゼンカイを呼ぶ声が聞こえてきた。
「なんだ今の声は?」
シーキャンサーにも聞こえたようで、辺りをキョロキョロと見回すが、特に目新しいものは見当たらず。
そしてゼンカイも同じように周囲を確認するが、やはり声の主がはっきりしない。
『僕はここだよ。お爺ちゃん、僕はずっとお爺ちゃんの――』
「!? お爺ちゃん! もしかしてその声、服の中から聞こえていない?」
服の中からじゃと!? とゼンカイも目を丸くさせ、己の身体を弄り一体どこから? と探し始める。
するとポロリと一本の歯が地面に落ちそして転がった。
『そう、僕はここ。やっとこれで――』
「な!? こ、これは、わ、わしの残った入れ歯が喋っとる!」
そうゼンカイが驚きの言葉を発した直後であった。
地面に落ちたゼンカイの一本の歯。それが突然輝きだし、かと思えば――入れ歯の姿に戻ったのだ。そう、ゼンカイぐらいなら軽く上に乗れそうな、巨大な入れ歯に――




