第二〇二話 え? 逃亡?
「うわっと!」
ヒカルが重い身体を必死に動かし、その迫り来る脅威から何とか逃れた。
だが激しく回転を続けながら疾走するその球体は、即座に方向転換し、今度は双子の兄弟にむけ、突撃を開始する。
「全く」「うざったいね」
ウンジュとウンシルが其々左右に飛び退くと、球体から無数に突き出た棘で地面を刳りながら、それは双子の兄弟の間を駆け抜けた。
「ははぁ~~! さっきから逃げてばっかりだな! だけど俺の回転速度はこれからもどんどん増していくぞ! 果たしていつまで逃げ続けられるかな?」
アルマージは双子の間を通り過ぎた後、十メートルほど先で小さな円を描くように旋回を続けている。
そしてこの魔物のいうとおり、回転を続ける度にその加速は増しているように思えた。
アルマージは彼ら三人と対峙した後、即座にその身を丸め更に体中から鋭い棘を生やし、突撃するという手をとってきていたのである。
「カカカッ、さぁスピードも乗ってきたぜ! 言っておくが俺がこの状態の時は、回転数が増せば増すだけ装甲も強化される! 俺の今のこの回転数なら、ハイミスリル製のバリスタの矢だって弾き飛ばすぜ! それにな!」
アルマージの回転速度が上がると同時に、棘で抉れた地面からモクモクと土煙が上がりだし、終いにはアルマージの姿が隠れるぐらいにまで視界を覆った。
「どうだ! これで俺の突撃するタイミングが見えねぇだろ! だけどな俺にはしっかりお前達が見えているぜ!」
煙の中からアルマージの声が響いて来る。ギュルギュルという激しい回転音も混ぜあわせながら。
「ど、どうしよう! 確かにこの視界じゃ相手の動きが確認できないよ!」
ヒカルは土埃が入らないよう腕で顔を多いながら、不安の声を発した。
例えレベルはヒカルの方が高くても、彼の防御力は柔い。
あの勢いで轢かれたらタダではすまないだろう。
「仕方ないねウンジュ」「そうだねウンシル」
双子の兄弟がそうお互いで納得し合った後、高速のステップを刻み始める。
だがその動きと、凄まじい勢いのアルマージの回転攻撃が迫るのは、ほぼ同時であった。
「死ねぇえぇええ!」
「守りのルーン!」「大地のルーン!」
「鉄壁の舞い!」「鉄壁の舞い!」
ウンジュとウンシルが同時に叫び上げたその瞬間、三人の目の前の土が勢い良く隆起し、鳴動と共に極厚の鉄色の壁が出来上がる。
そしてその防壁が現出したのと、アルマージの突撃が接触したのはほぼ同時であった。
鈍い衝突音が其々の耳朶を打つ。
だがあれだけ勢いをつけたアルマージの突撃であっても、ふたりが創りだした壁には傷ひとつ付けること叶わず、寧ろ棘が削り折られその回転の勢いも無くなり始め、ついには活動を停止してしまう。
「がっ! こ、こんな馬鹿な! ち、畜生! だったら仕切りなおしだ!」
アルマージは悔しそうに喚き散らしながら、壁から一旦離れ球体から元の姿に戻る。
一度止まってしまうと再度元の姿から勢いをつける必要があるからだ。
だが、それを見逃すほど彼らは甘くない。
「やったね! チャンス到来!」
アルマージの表情が驚愕のまま固まった。姿を戻し後ろに飛び退いたその時、壁の向こう側にいたはずのヒカルが正面に立っていたからだ。
勿論これは彼のスキルによる瞬間移動であり――。
「我、集結せし魔力を強大な槍とかしその敵を討たん! 【マジックジャイロパイプ】!」
ヒカルの魔法が完成し、魔力によって創られた長大な槍が、螺旋を描きながらアルマージの土手っ腹を貫いた。
「ぐばぁあぁああぁ! ぞ、ぞんなぁああ!」
口から血反吐を撒き散らしながら、アルマージは確認するように己の腹に視線を落とした。
見事なまでに風穴が空き、すっかりと土煙が消え去った為、奥に鎮座する大木さえもよく見える。
そしてそれがアルマージが今生でみた最後の景色となった――。
「どうやら皆終わったみたいね」
ミャウは自分たちに近づいてきた四人を認め、喋りかける。
「まぁ僕にかかればあんな程度楽勝だよ」
鼻の下を指で擦り得意がるヒカル。
その姿にウンジュとウンシルが、呆れたような瞳を向ける。
「向かってくる敵に」「ビビってたくせに」
「う、うるさいな! あれは敵を油断させるために!」
「くだらない話はいい。それよりそっちも倒してしまったのか?」
エロフが口を挟む。眼つきが尖り、今もなお仲間たちを失った怒りをその顔に宿し続けている。
「うむ、それじゃがあの蝙蝠はまだ――」
「キャキャァアア!」
全員が話を続けていると、ミャウとゼンカイが相手していたバットメンズが藪の中から飛び出しその細い目を一向に向けてきた。
「まっ、やっぱり生きてたわね」
「はぁ……はぁ、くっ、くそが! ケケッ、まさかアリゲールやアルマージまでやられるなんて――」
悔しそうに顔を歪め冒険者の顔を順番にみやる。
「で? どうするんじゃ? まだやる気かのう?」
「ふん! まぁやらないといったところで許す気はないがな」
ゼンカイとエロフの言葉に、悔しそうに口元へと深い皺を刻み。
「ケケッ……どうやらてめぇらがレベル50超えなのは、間違いでもなんでも無さそうだなぁ――だったら!」
「うん? な、なんじゃ~~!?」
バットメンズの突然の変化に、ゼンカイが驚きの声を上げた。
他の皆も目を丸め不可解さを露わにしている。
「こいつ――分裂した?」
そう、バッドメンズはその姿を無数の蝙蝠の大群へと変化させていた。
その数は数十匹ほど。
「ケケッ」
「もう戦うのは」
「諦めたぜ!」
「素直に」
「退散だ!」
「そして!」
「ラムゥール様に」
「この事を!」
「しまった! マズイわ! 流石に今あいつに知られるのは厄介ね!」
叫びあげ、ミャウがヴァルーンソードに纏わせた風を刃に変えて撃ち込んだ。
その一撃で数匹の蝙蝠が切り裂かれ地面に落ちるが、まだまだ数は多い。
「ケケッ! 皆バラバラに逃げろ! 一匹でも逃げ失せれば事足りる!」
一匹の発した声で蝙蝠達が一斉に飛散し、大空へと飛び立っていく。
それを逃がすまいとヒカルはマジックアローで、ウンジュとウンシルもルーンスナイパーで狙い撃とうとするが、数が多い上に標的が小さく、更にバラバラに逃げられては中々上手くいかない。
「ふん。小賢しい魔物だ」
皆が慌てる様子を見せる中、エロフだけは冷静に弓を引き絞り、ターゲットに狙いを定めていた。
番えていた矢は一本ではない、一度に八本の矢を弦にあて、飛散した蝙蝠の姿をその圧倒的な広さを誇る視野に収め。
「我が矢に宿りし風の精霊よ、姑息な魔物どもを一掃すべし!」
憎悪の光をその目に宿し、エロフの矢が今射ち放たれた。
風の精霊が付与された八本の矢は、ぐんぐんと速度を上げる。矢を中心に風の精霊の力で生まれた小さな竜巻がその周りを回転し、全てを切り裂こうと突き進む。
「ヒッ! な、なんだこの矢! お、俺達を追って! そ、そん、ぎひゃぁあぁあ!」
一匹が木っ端微塵に切り裂かれ、それでも勢いの衰えない矢弾は、次々と小さな蝙蝠の身体を切り刻んでいく。
そんな矢が八本も迫り、蝙蝠達を逃がすまいと追尾してくるのだ。
これではとても逃げれるはずもなく。
「そ、そんな、まさか全員!? ヒッ! 八本纏めてこっちに、ら、ラムゥール様ァアァアァアアァ!」
最後の一匹は絶叫を上げると同時に、その身に八本の矢を全て受け、ズタズタに裂かれそして哀れに死んでいった。
その姿を目にしたエロフの表情はどこか満足気だったという――。




