第二〇一話 腹一杯の餌
「どうやらお仲間さんは、あっさりやられたようだな」
エロフが番えた矢をアリゲールに向け、小馬鹿にしたように口元を吊り上げる。
その態度に巨大なワニ口をこすり合わせるようにして、苦々しく口を動かした。
「あの馬鹿、油断しやがって!」
「そう思ってるならめでたい奴だ」
弓の弦から指を放し、風を切りながら矢が進む。
アリゲールとの距離はエロフの歩幅で十歩分ほどだが、その感覚を保ちつつ、更に次々と矢を番える。
矢を射るとう行為の流れでそのまま矢筒の矢を抜き一切動きを止めることなく引く・打つ・抜くを繰り返す。
目にも留まらぬ速さとは正にこのことか、並の人間であれば彼の所作を追うことは困難だろう。
そして更に精度も卓越している。放たれた矢は一本たりとも外れることはなかった。
だが、問題はアリゲールの能力だ。
先程から射たれ続ける矢は全て歯で噛み砕かれその胃の中に収められている。
「クカカカ~! 無駄だ無駄だ! 確かに弓の腕に多少覚えはあるようだが、そんな矢如きで俺はやられないぜ! 全部くってやんよ!」
巨大な顎門を大きく開け広げ、見せびらかすようにしながらアリゲールが強気に言い放つ。
その姿に、なるほどな、と一言発し。
「随分と悪食な奴だ。なんでもかみ砕き口にするのはいいが、そのうち腹を壊すぞ」
「余計な心配だなーーーー! この俺の胃は鋼鉄以上の丈夫さを誇る! そして俺の歯はオリハルコンだって砕く! てめぇだってこの口で丸ごと噛み砕いてやるぜ!」
アリゲールは誇らしそうに己の歯を噛みならした。
「中々勇ましいな。だが近づけなきゃ意味が無い」
そう言いながらも華麗なステップで付かず離れずの間合いを保ち、エロフは矢を射続ける。
「ふん! てめぇこそ、そのうざってぇ矢はいつまで持つかな? 無限ってわけじゃねぇだろ?」
その長大な顎門を器用に歪め、アリゲールが問うようにいう。
確かにエロフの矢筒の矢は彼のその素早い弓さばきのおかげで、目に見える勢いでその本数を減らし続けている。
しかも射った矢は全てアリゲールが喰らってしまっている為、再利用も出来ない。
「今はまだその矢を食い続けておいてやるが、それが切れた時がテメェの最後だ。ボリボリと骨ごと喰らってやるよ」
「それは楽しみだ。そんなにこの矢を気に入って貰えたとはな。どうだ旨いか?」
エロフはまるで餌付けのように、目の前の敵に問いかけた。
「あん? 馬鹿かテメェは、こんな物が旨いわけないだろう。食えるってだけで味も素っ気もねぇよ」
エロフは動きを止めず、その会話の途中でも更に矢を打ち込む。
「ケッ、気を逸らしてあてようってか? そんな姑息な手が通じるかよ馬鹿が!」
アリゲールは矢が飛んでくるとまるで条件反射のように、大口を広げそれを噛み砕き飲み込んだ。
「私はただ餌をやってるだけだ」
その言葉にアリゲールの片目が不機嫌に見開かれる。
「ふざけた事抜かしやがって。こんなものじゃ腹も膨れねぇ。あの猫耳の姉ちゃんでもさっさと喰いたいぜ」
するとエロフは脚を動かしながら肩をすくめ。
「膨れない? そんな事はないだろ? 大分膨れてると思うぞ」
その言葉に、なんだと? とアリゲールが自らのお腹を擦る。
「……そういえば妙にタプンタプンしてるような――」
確かにアリゲールの腹は、先程より膨れ上がっている感じである。
「当然だ私の放った矢には水精霊の力が宿してある」
エロフの言葉にアリゲールが首を傾げる。
「水? それがどうしたっていうんだ。喉でも潤してくれたってか?」
まぁそんなとこだ、といったエロフが番えた矢は今度は赤熱し、指を放すと同時に、巻き込んだ大気を蒸発させながらアリゲール目掛け突き進んだ。
「ふんっ!」
だがアリゲールは、鼻息を荒くさせその大口を開き、灼熱の矢でさせも噛み砕き飲み干した。
「なるほど、燃えるように熱い矢か。だが無駄だぜ、先に水の矢とやらで油断させてたつもりだろうが、所詮そんなもの俺には通じない」
「そうか、ところでお前は水の精霊と火の精霊がぶつかったらどっちが勝つか知っているか?」
そう言いながらもエロフは灼熱の矢を射ち続ける。そしれそれはアリゲールが全て細かくなるまで噛み砕き飲み干していった。
「ふん! 知るかそんなもん!」
どこかイライラしてるような口調。
「そうか。だったら教えてやる。火の精霊と水の精霊、ぶつかったところでどちらの方が上という事はない」
アリゲールがあんぐりと口を広げたまま固まった。そこに更に矢を投入する。
「ぐぇ! てめぇ! 姑息な手を!」
「貴様がバカ面を晒し続けてるからだ。それに嘘は言っていない。火と水にどちらが上ということもない。そしてだからこそ協力しあうこともある」
「協力……だと?」
「そうだ。その為の条件は必要だがな。さて貴様の胃の中は今大量の水で溢れているはずだ。その中に更に続けて送られたこの灼熱の矢。貴様が噛み砕いた破片には炎の精霊の力が込められている。だから飲み下した所で熱はかわらない。熱々の矢の破片がお前の胃の中の大量の水に注ぎ込まれたというわけだ」
アリゲールは、それがどうした? という表情でエロフをみやる。
「どうやらまだ自分の変化に気づいてないようだが、水の中にある一定以上の熱を加えると炎の力を宿した状態で煙となる。そしてそれは密閉された空間であればあるほど強力に膨れ上がっていくことになる。どうだ? そろそろお腹の具合が良くなってきたんじゃないのか?」
ま、まさか! とアリゲールが自らの腹部に視線を落とすと、先程より遥かに腹が膨張し丸みを帯びてきていた。
「そ、そんな! いつの間に!」
「炎と水の精霊は一度融合を始めると変化が早い。そしてその状態で更にこの矢を加えるとどうなるか?」
「くっ! 貴様これを狙って! だが! だったら口を閉じてしぎぇ!?」
「あぁそうだ、いい忘れていたがさっきの矢には何本か氷と化した精霊の力も加えていたんだったな。どうだ? 凍てついた口を閉じることが出来ないだろう?」
エロフがニヤリと口角を吊り上げる。その視線の先では、凍りついた顎を必死に閉めようとするアリゲールの姿。
「無駄だ。だが安心しろ。その氷の力はこの炎の矢が通りすぎた時点で一気に溶ける。この矢の熱はそれぐらい高い」
うぐぉ、うぐぉ、ともがくアリゲールに殺意の篭った視線を傾け、そしてエロフが止めの一矢を撃ち込んだ。
矢は淀みなくアリゲールの口の中に侵入し、そして喉を通り胃の中へ――するとその口の氷が一気に溶解し、
「き、貴様よくも!」
とアリゲールが喚き出すが。
「まぁといっても、その一本で十分だったわけだけどな」
「何? ひぎぃ! お、俺の腹が、あ、熱い! 痛い! さ、裂け――」
「先にいっておいた筈だろ? 腹を壊しても知らないとな――」
エロフがそういい放つとほぼ同時にアリゲールの腹が勢い良く膨れ上がり、そして耳をつんざくような爆発音を残し、跡形もなく吹き飛んだ。
「ふん! やはり容姿といっしょで散り際も醜かったな」
エロフはもうもうと立ち上る煙だけが残ったその場所を眺めながら、吐き捨てるように呟いた――




