第十九話 メイド現る
下に降りてきた二人を見るなり、アネゴがくすりと薄い笑みで出迎えた。
「それ、なんかヌイグルミみたいね」
アネゴにそう言われ、ミャウは自分がまだゼンカイを抱きかかえたままである事に気づく。
そういえば、とちょっと気恥ずかしそうにしながらゼンカイを下ろそうとするミャウだが。
「ちょ! ちょっと待ちんしゃい! この位置だと谷間が! 谷間がよう見え――」
その瞬間、アネゴの右ストレートがゼンカイの顔面を捉えたのは言うまでもない。
「ところでアネゴさんもヘッドという男と、あとこれぐらいの小さな女の子のコンビは見たんですか?」
顔面を押さえ床をごろごろ転がるゼンカイの事は無視し、ミャウが訪ねる。
「えぇ見たわよ」
素気無い返事だが、機嫌が悪いとかではなさそうだ。
「どんな感じでした?」
続けざまに投げかけられた質問に、アネゴは何かを思い出すように上目をみせた。
そして、少しの間を置き、答える。
「なんかほうきみたいな頭だった」
至極率直な感想だったのだ。
「そ、それ以外で何か感じる事はなかったですか?」
若干の乾いた笑みを浮かべつつ、めげずにミャウは質問を繰り返す。
「う~ん大した話もしてないしねぇ。あぁでも女の子可愛かったなぁ……食べちゃいたいぐらい」
ミャウが耳をピンッと張り目を点にした。
そんな趣味があったのかと言わんばかりの顔である。
そしてアネゴは何を思い出してるのか、ジュルっと口元を拭っている。
「仲間じゃな!」
「はいはい。お爺ちゃんはちょっと黙ってましょうねぇ」
ミャウが冷たい笑顔で言い聞かせる。
「じゃあ。多分また明日来ることになると思いますけど」
ミャウは最後にそう言い残してゼンカイと共にギルドを後にした。
ほうき頭と幼女に関しては、これ以上詮索しても仕方ないと思ったのだろう。
「ところでお爺ちゃん。宿とかは当然まだ決めてないよね」
ギルドを出て、少し歩いたところでミャウがゼンカイに訪ねる。
すると、そういえばそうじゃのう、とゼンカイが頭を捻る。
確かにゼンカイにとっての異世界生活はまだ始まったばかりであり、泊まる先の事など考えていない。
「ミャウちゃんはどうするんじゃ?」
ゼンカイは猫耳娘を見上げて聞き返す。
「私はこの街で部屋を借りてるからね。宿の心配は無いわ」
ミャウが右手を振り上げながら返事をした。
するとゼンカイ。何故か期待に満ちた眼差しで、
「何! もしかして一人暮らしかい!」
と興奮気味に質問する。
「そうだけど……泊めないわよ。絶対」
ゼンカイが何をいわんとしてるか、いち早く察知し、先手を打った。
手練の冒険者には隙が無いのだ。
「絶対に何もせんぞい」
その言葉がこれほど信じられない男も、そうはいないだろう。
「宿はこの辺りの方が多分安いわよ。冒険者向けに料金設定してるところも多いから、まだ登録したての人にも優しいのよ」
ミャウはゼンカイの申し立てなどは耳からポイし、宿に泊まらせる事を前提で話を進めた。
「ミャウちゃんの部屋は、いくらなら泊めてくれるのかのう?」
「お爺ちゃんだったらほら、あそこの宿がいいわよ。一泊1500エンは破格の値段だし。そのわりにベッドの寝心地もいいのよ」
ミャウは甃の道を挟んで向こう側に見える宿を指さし教える。
確かに少し古そうな木造の建物ではあるが、値段で考えればそう悪くはない印象だ。
「わし、こう見えても結構家事とか得意なんじゃぞい」
「今日一人分部屋空いてますか? えぇこのお爺ちゃん一人で」
ゼンカイを引き連れ宿屋を訪れたミャウは、勝手にチェックインを進めていく。
「わし贅沢はいわんぞ。ミャウちゃんは味噌汁だけ作ってくれればそれで十分じゃ」
「はい、じゃあこれ鍵。ここは二階の一番端で部屋番号は201。出て直ぐが階段だし判りやすいでしょう? それじゃあまた明日ね」
言ってミャウはゼンカイを一人部屋に残し、パタンとドアを閉めたのだった。
「ちょっと待たんかぁああぁあ!」
扉を開け、ゼンカイがミャウの背中に怒声を投げつける。
「何? 言っておくけど私の部屋には爪の先一つも入れさせないわよ」
拒否感が半端無いのだった。
「いけずじゃのう。悲しいのう……もう少しいたわってくれても良いじゃろうに……」
小石を蹴り飛ばすような仕草を見せるゼンカイ。壁に指をぐりぐりと押し付ける。
「そんな拗ねたって無駄だからね」
胸の前で腕を組み、唇を真一文字に結ぶ。
これはもういい加減ゼンカイも諦めたほうがいい。
「うん?」
ふとゼンカイが何かを思い出したように指を止め、ミャウを振り返る。
「そういえばわし何か約束をしていた気がしたんじゃが……」
ミャウの眉と耳がピクッとざわついた。
そして、急に、にこっと微笑み。
「あ、そうだお爺ちゃん。ご飯まだだよね? 食べに行こっか?」
そう夕食に誘ってくる。
部屋に行くまでとはいかないが、これはかなりの前進と言えるだろう。
ただ何かをごまかしてる雰囲気も感じられるが……。
「おお! ご飯か! 確かに腹が減ったのう。う~ん、しかしちょっと待ったじゃ。もう少しで思い出せそうな……」
「私いいお店知ってるんだよね。それに今日は冒険者としてデビューしたお祝いに私が奢ってあげる」
「何! 本当かのう!」
奢りという事でパァンァアンと顔を明るくさせるゼンカイ。中々現金なものである。
結局爺さんは何かを思い出すという事を思い出す事ができず、浮足立った状態でミャウと夕食に繰り出すのだった。
ミャウのいうところのおすすめの店というのは、王都の東地区にあるとの事であった。
ここ王都はとにかく広い。ゼンカイは、東京ドーム100個分ぐらいありそうじゃのう、等と適当な事をいってはいるが実際それぐらいあってもおかしくないだろう。
ギルドのある地区は王都の南西部にあたるが、東地区まで歩いていくとそれなりの時間を要す。
そのあたりも敷地の広大さを物語っていた。
二人は東地区に向かう為、一旦王都の中心にある中央広場に出ることにした。
植樹された魔法樹が彩りを飾るそこは、普段から臣民達の憩いの場としても活用されているらしい。
そしてミャウの話では、目的地まで行くには広場を抜けた方が早いとの事であった。
「なんじゃあれは?」
王都の中央広場に足を踏み入れるなり、ゼンカイが疑問の声を上げた。
広場の中心には水瓶を持った女神を象った噴水が設置されており、その周辺に多くの人だかりが出来ていたのだ。
男性も女性も黄色い歓声のようなものを上げている。
二人はとりあえず広場を抜ける為、歩みを進めたが、ゼンカイはそれが気になったのか、人だかりに近付くとその耳を欹てた。
「勇者様~」
「あの難所をクリアーしたんだって? さすが勇者様だ!」
「勇者ぱねぇっす! 感動っす!」
「私を抱いて~」
ゼンカイの耳に飛び込む賞賛の声、声、声。
しかも勇者とあってゼンカイは目を輝かせながらミャウのスカートを引っ張り、
「ミャウちゃんや! 勇者だと! 勇者がおるらしいぞ!」
と興奮気味に喋る。
「あぁ。勇者ね」
ゼンカイが息を荒くして言うので、一旦脚を止めたミャウだが、その態度は何となく素っ気ない。
「わしサイン貰ってこようかのう! 何せ勇者じゃ! あれじゃろ? 魔王とか倒すアレじゃろ?」
言葉に熱のこもる爺さんを、どこか冷めた目で見ながらミャウは両手を振り上げる。
「まぁ確かに本人は魔王退治を目標に掲げてるみたいだし、腕も立つから注目されてるみたいだけど……でも私にはなんであんな奴が騒がれてるのか理解出来ないのよねぇ」
ミャウの口ぶりから察するに、勇者の事を知っているようである。
「ミャウちゃんは勇者と知り合いなのかのう?」
ゼンカイもソレを感じたのか、つぶらな瞳をパチクリさせて尋ねる。
「まぁあれもここで登録してる冒険者の一人だしね。だから多少は知ってるわよ」
「なんと! そうだったのかいのう! というと名前も知っておるのか? 何せ勇者じゃ! 相当格好良い……」
「ヒロシよ」
ミャウの淡々とした返しに、のじゃ? とゼンカイは腕を組み首を撚る。
「だから勇者ヒロシ。それが名前」
「…………何か地味じゃのう」
ゼンカイの心の勇者像が音を立てて崩れていく。
だが別にヒロシは何も悪く無いだろう。
「て言うかヒロシもお爺ちゃんと同じなんだけどね」
右手を掲げながらミャウが告げた。しかしせめて頭に勇者ぐらい冠してないと普通のヒロシである。
「一緒?」
ゼンカイが再び首を傾げる。
「だから彼もお爺ちゃんと同じトリッパーなのよ」
なんじゃとぉおおぉおおぉ! とゼンカイは愛した女性が実は性別的には男だったような衝撃を受けた。
だが愛があればきっと乗り越えられるだろう。
「まぁお爺ちゃんよりはかなり早くから来てるんだけどね。でも実際……ってどうしたのお爺ちゃん?」
見るとゼンカイ、何故か入れ歯の牙を剥き出しにぐるると唸っている。
そしてその双眸はメラメラと妙な闘士で燃えていた。
「あの若造! わしを差し置いて勇者とは許せん!」
手のひら返しとはまさしくこの事か、ゼンカイがどうもおかしな対抗意識を持ち出したようだ。
「て、今まで勇者様とか言ってたのになんなの?」
「それはあくまで異世界での勇者の話じゃ!
元がわしと同じならわしの方が絶対に勇者に相応しい!」
入れ歯使いの勇者が相応しいかと言われれば甚だ疑問だが、爺さんの中で目覚めた熱い心は認めなければいけまい。
「わしの心は侍じゃあぁああ! 虚しさ抱く鎧を脱ぎ捨てるんじゃああぁあ!」
勇者じゃなかったのか爺さん。
「言ってる事はよくわからないけど」
ミャウが呆れたような目であっさり言った。
「でもまぁいい勝負かも……何というかあの勇者実力はあるんだけど、性格というかオツムというか――」
それは遠回しにゼンカイを馬鹿にしてるようなものだが、どうやら勇者ヒロシにも色々問題点はあるらしい。
「貴様。良い意味で勇者様を悪く言ったな」
突如ミャウとゼンカイの背後から、若々しい女性の声が届いた。
それにミャウが振り返り、その姿を認めてから胸の前で腕を組む。
「あら。やっぱりセーラ。あんたも来てたんだ」
どうやら目の前の少女はミャウの知り合いのようだが……言外に何かもやっとしたものを感じさせる。
「私は勇者様の従者。いい意味で片時も勇者の傍を離れない」
妙な喋り方をする少女は右手にクレープを持ち、喋りながらもそれをふっくらとした唇でぱくりと口に含み、もぐもぐと頬張った。
因みにこのクレープは広場の入口付近で売られてる王都の名物で、値段も250エンと、とてもお手頃なのだ。
「片時も離れないならクレープなんて頬張ってないで側に付いてなさいよ」
「もぐ……いい、もぐ、意味で、もぐもぐ、勇者様より、もぐ、クレープの、もぐもぐもぐ、方が、もぐ、美味しい」
「食べるか喋るかどっちかにしなさいよ。てか勇者より美味しいって何よ!」
気のせいかミャウの突っ込みが激しい。
もしかしたらこの二人あまり仲が良くないのかもしれない。
「ふ、ふぅ、ふぅ……」
ふとミャウの足元から何か興奮した獣の如き唸りが聞こえ始めた。
はっとした顔で視線を下げると声の主は予想通りというか爺さんであり。
そしてゼンカイは興奮のあまり滾った瞳を少女に向けた。完全にロックオンを済ましている。
「駄目お爺ちゃん!」
とミャウが叫びあげるも時既に遅し。
「め、め、メイドしゃんじゃあぁああぁあああああああぁああ!」
何か周囲にキラキラしたものを撒き散らしながら、ゼンカイがその胸に飛び込む。
そうセーラというこの少女。格好が黒のメイド服なのだ。これはゼンカイにとっては堪らない。
だがゼンカイがその少し開いた襟もとに達しようしたその瞬間。視界が一気に下り落ち、膝上までのフリル付きスカートをその瞳に収めた直後闇にそまった。
「こんな街中でいい意味で魔物が?」
「魔物じゃないわよ!」
ミャウがすぐさま荒声で言い放つ。
うつ伏せに押し付けられたゼンカイは、セーラの手でぐりぐりと地面に押し付けられていた。
その右手にはクレープの代わりに黄金色のほうきが握られている。
消失したクレープは空中を漂っていた。が、落下地点で口を開き、彼女は見事に咥え、もごもごとリスのように頬を膨らました後ごくりと飲み込む。
「ねぇ、いい加減、開放してあげてよ」
「……魔物じゃないなら……いい意味でこれは何だ?」
「人よ!」
ミャウの突っ込みは留まることを知らない。
「人? いい意味で?」
可愛らしく首を傾げ、ほうきを外す。
いたたた、と頭を上げたゼンカイを見下ろしながらセーラが一言。
「いい意味で、スダイム?」
「違うしどっちかというとゴブリンよ」
ミャウも中々酷い言い草である。
「てかあんた目が悪いんだからいい加減アレ付けなさいよ。持ってるんでしょう?」
セーラの眉がハの字に変わる。
「何で不満そうなのよ!」
「いい意味で仕方ない」
言って少女は右手に眼鏡を現出させた。
何かを唱えた様子がないせいか、出すまでがかなり早く感じられる。
セーラは黒水晶のような大きな瞳に透明なレンズを重ね、形の良い小柄な耳に弦を掛けた。
そして首を左右に振ると白いカチューシャに備わったレースが揺れ、背中まで達す漆黒の髪が優雅に羽を広げた。
もはや動作の一つ一つに美という言葉を付けるに相応しい、文字通りの美少女だ。
話し方がいちいちおかしいのが残念でならない。
「メイド服姿の美少女眼鏡っ子も最高じゃのう」
うつ伏せの状態で首を擡げほっぺをだるんだるんにさせるゼンカイ。
りんご病にでも掛かったのか? と思える程赤くそまる頬が、どれだけデレデレしてるのかを物語っていた。
「てかお爺ちゃん。いい加減その女とあれば誰彼見境なく飛び込む悪癖なんとかしたら?」
「誰彼構わずとは酷いのう。幼女と少女と巨乳限定だわい」
さらりと最低な事を口走るゼンカイに歪みはない。
いつだって本能に従う男なのだ。そしてだからこそ知力が異常に低いとも言える。
ちなみに今更言うまでもないがミャウは対象外であったので暴走という憂いな目にはあっていない。
だがそれは別にミャウが悪いわけではない。ゼンカイの性癖がおかしいのだ。
例え26歳と言えど彼女は可愛い。それを勘違いしてはいけない。
と、そうこうしてる内にセーラが興味深そうにゼンカイを見つめだす。
腰を屈め、眼鏡をくいくいと動かしながら、レンズ越しに彼を観察する。
「むほん! むほん!」
ゼンカイの興奮度がみるみるうちに高まっていく。
理由は明白だ。セーラが少し前かがみになってゼンカイに顔を近づけるから、美しくも中々の豊かさを誇る谷間が顕になったからだ。
目の前に現れたソレはただ形が良いというだけではなく、鼻孔を擽るその匂いもまた甘美であった。
一流の腕を誇るパティシエが丹精込めて作り上げたクリームを二つのパイに注ぎ込んだのではないかと思わせるほどの芳しさ。
それは人体の神秘であり奇跡でありそして命の息吹でもある。
人は遥か昔から甘味を追い求め続けたというが、きっとその原点はこの二つの自然の恵みにこそあるのだろう。
吸えば溢れる甘味かな。きっと生まれたての赤子は本能でこれを求めてるに違いない。
そう、母性という名の隠し味が多量に含まれているであろう天然の原水に抗うすべなどあろうはずが無いのだ。
そしてまたそれを凝視するゼンカイもまた口内で満水状態となった涎を防ぎきれず。
ただ無防備に外へと排出させるだけであった。
ゼンカイの色々な思考が混ざりに混ざり合った視線をその胸に受け止めながら、セーラはなんと彼の欲望の対象に右手を入れた。
まさか、とゼンカイは期待に胸を膨らます。が、残念ながら現れたのは期待とは若干違う物であり……。
「ビーフジャーキー……いい意味で、食べる?」
とセーラが聞いてくるのだった。




