第一八一話 泉と一撃
ミルクとバッカスの激闘は続いていた。端の方では相変わらずタンショウが高イビキをかいていたが、ふたりは構うことなく激しい攻防を続けている。
因みにそのうちの何発かはタンショウにもあたっていたが、ミルクの、あいつは大丈夫、の一言で、ふたりとも気を使うことはなくなった。
「がははっ。わしとここまでやりあえるとは、やはりお前はなかなかやるのう。女にしておくにはもったいないぞ」
その言葉を受け、一旦距離を離しミルクがバッカスを睨めつける。
その表情には不満がはっきりと浮かんでいた。
バッカスはこういっているものの、何せミルクの攻撃は先程から掠りもしてないのだ。
それどころか防御の姿勢すらバッカスはみせていない。
一方ミルクは直撃こそ受けていないが、それが精一杯である。その身にも少しずつ傷は増えていった。
勿論この程度の傷を気にするミルクではないが、相手が決して本気でないのは火を見るより明らかだ。
その状況で何も出来ない自分を不甲斐なく思い、悔しさがその顔に滲み出ているのだろう。
「冗談じゃないよ。こんな醜態晒して褒められても嬉しくないんだこっちは!」
滾った声をバッカスに浴びせながら、ミルクが飛びかかる。
そして先ず巨槌を暴風のごとき勢いで振り回す、だがそれもバッカスは巨体に似合わない柔らかな動きでヒョイヒョイと躱していく。
「うぉらぁあぁあ!」
続いてミルクは気合いの声とともに、戦斧をその顎めがけ振り上げた。
「おっと危ない」
バッカスは首を横に振るようにしてソレを躱す。
だが言葉とは裏腹にその表情には余裕が満ちていた。
その事に、より腹立たしさを覚えたのか、ミルクの眉間に深い皺が刻まれる。
「さて、それじゃあわしの番だな」
そういってバッカスが巨大な槌を軽々とミルクめがけて打ち下ろす。
思わずミルクは手持ちの武器を相手の軌道に向け放ち、打撃を重ねるが、勢いに負け吹き飛び黄金の泉に沈水してしまった。
「おおっと落ちてしまったか。ふむ――」
顎鬚を擦りながらバッカスが足場の端にまで近づき、そして泉を覗きこんだ。
「まさか泳げないというわけじゃないだろうな?」
顔を顰めバッカスが誰にともなくいう。
確かに沈んだミルクは浮き上がってくる様子がない。
が、ふと酒の中から何かを激しく打つ音がこだまする。
そして、バシャン! と水しぶきを上げ勢い良くミルクが飛び出した。
黄金の混じる紫髪を靡かせながら、畝るよな腰回転と共に斧を振るう。
だが――当たらない。ミルクは奇襲のつもりであったのだろうが、まるでそれを予知してたかのように、あっさりと避けられてしまう。
「惜しかったな。だが悪くはないぞ」
バッカスは避けた勢いのままミルクに攻撃を加える。ミルクはそれを手持ちの武器で受け止めるが、再びその身が吹き飛び先ほどとは反対側の泉に落ちてしまった。
「ありゃまた落ちたのか」
眉を八の字に広げバッカスが呟く。
そこへ再びの鈍い打音と水面から飛び出るミルクの影。
「おらららぁああ!」
声を張り上げバッカスへと突っかかる。二度三度と巨槌に大戦斧を振り回すがやはりあたらず、そしてバッカスの反撃にあい、また泉に落ちる。
ミルクはバッカスとそんな攻防を何度も繰り返した。
だが何度やっても攻撃があたることなく、さらに反撃を受ければ泉に落ち、ミルクの身体はすっかりずぶ濡れになってしまい、酒に塗れてしまっている。
「ここの酒を随分気に入ってくれたようだな」
「まぁね。おかげでただ酒にありつけたよ」
バッカスの皮肉にも負けず、ミルクは強気に言い返す。
「ふむ、それだけの口がきけるならまだまだ大丈夫そうか。しかしこのままじゃ本当に一発もわしにあてること叶わずおわってしまうぞ?」
「安心しな。一発どころかこのお返しは何万倍にもして返してやるさ」
バッカスは両目を見開かせ、直後愉快そうに身体を揺らした。
「それは楽しみだ!」
言って今度はバッカスが突っかかり巨大な槌を横薙ぎに振るう。
ミルクはそれを大きく後ろに飛び退き躱すが、同時に発生した衝撃波に吹き飛びまたもや黄金の泉に落ちてしまった。
「全くこりん奴だ」
バッカスが溜め息混じりに述べる。が、それからしばらく待つがミルクが上がってこない。
「ふむ――」
バッカスは再び顎鬚を擦りながら輝く水面に近づき、そして覗きこんだ。
だがその時黄金の柱が立ち、同時に何かが飛び込んでくる。
「全く浅はかな」
バッカスは少しだけ残念そうに片目を閉じ、そしてその攻撃を躱す。と同時に武器を振り上げ、飛び出してきたソレに反撃しようと身構える。
が、その時バッカスの目が大きく見開かれた。意外なものをみたように、驚きの色が表情に浮かんでいる。
「斧だけ! 囮か!」
そう。バッカスが口にしたように、彼を酒の中から強襲したのはミルクの戦斧だけだったのだ。
それに気づき咄嗟に再び泉に目を向けるが――バシャン! と再び水の跳ねる音が鳴り響く。バッカスの背後から。
「後ろだと!」
驚嘆の声と共にバッカスが音のなる方へ振り返る。が、その時には既にミルクが眼前に迫っており、スクナビの大槌を振り上げていた。
「うぉらあぁああ!」
そしてミルクは全身を使い、両手で握りしめている槌をバッカスに向け叩きつける。
それを完全に虚をつかれたバッカスは避けること叶わず。
そしてミルクの渾身の一撃は見事酒神の額を捉えたのだ。
「ぬぐぉおおぉお!」
野太い叫び声を上げ、バッカスが背中から崩れ落ち大の字に倒れこんだ。
まるで山が崩れ落ちたような音が辺りに響き渡り、広間全体が大きく震える。
その姿を眺めながら、ミルクは大きく息を吐き出した。
だがその双眸はまだ厳しく鋭い。これで終わったとは思っていないようである。
そして――バッカスがのそりと立ち上がり、ミルクを見下ろした。
案の定、その大げさな倒れ方の割にダメージは少ないように見受けられる。
が――。
「くくっ、ガッハッハ! よし! 合格だ! お前にバッカスセットをくれてやろう」
両手に持っていた武器を収め、腕を組むと大きく笑い声を上げ、バッカスが宣言する。
その声にミルクが怪訝な表情をのぞかせた。
「納得行かないね。少なくともあたしは勝ったとは思えてないんだけど」
ふむ、とバッカスが顎鬚を擦る。
「全く負けん気の強い女だ。だがこれは只の試練。別に買った負けたを決めるものではない。わしが納得し決めたんだ、それじゃあ不満か?」
「不満だね」
「かっか、なるほど、だがはっきり言っておいてやろう。お前がこのわしに勝つことなど不可能だ。神とも呼ばれるわしをなめないことだな」
「随分な自信だね」
眉を顰め、それでもまだ納得出来ないと瞳を尖らす。
「ふむ。ならば仕方ない。お前よ~く――見ておけ!」
バッカスが声を張り上げたその瞬間。更なる闘気が爆発し、ミルクの全身を駆け抜けた。
そのあまりの強大さに、彼女の身は固まり、多量の汗が吹き溢れ、かと思えば瞬時に蒸発し煙に変わった。
ミルクは瞬きひとつ出来ないでいる。限界まで開いた双眸を酒神たるバッカスに向けたままピクリとも動かない。
「これで判ったであろう? それでも仕掛けてくるという愚か者なら、わしは今度は全力でお前を叩き潰す。だが出来ればそんな真似はしてほしくないがどうだ?」
闘気を収め、そしてバッカスが問いかける。
するとようやく動けるようになったミルクが、あぁ~~~~! と髪を掻きむしりながら瞼を閉じさらに言葉を紡いだ。
「わかったよ! とりあえず認めてもらっただけで納得することにするよ。たくやってられないねぇ!」
半ばヤケになった風に発せられた言に、バッカスはうんうんと頷いた。
その顔には優しい笑みが浮かんでいる。
「しかしだ、あの一撃はわしも面を喰らった。だが一体どうやったのだ? あのような短時間で背後に回るなど考えられんが」
「あん? 別に大したことはしてないよ。この下を槌で前後から砕いていってトンネルを作っただけさ」
何? とバッカスが顔を眇める。
「下からぐるりと回ってたら時間がかかるけど、トンネルにしてしまえば直線で移動できて早いだろ? 斧投げて即効で反対側まで移動して、投げた斧にあんたが気を取られたタイミングを見計らったのさ。いちいち酒に潜んなきゃいけないのがちょっと手間だったけどね」
更に続けられたミルクの説明に、バッカスが再び大きく身体を揺らした。
「全くとんでもないおなごだ。そんなこと思いついても普通はやらんわ。トンネルを掘るなんてなガッハッハ!」
その楽しそうなバッカスの姿に、全く何が面白いんだか、と肩をすくめるミルクであった――。




