第一八〇話 バッカスの試練
ミルクとタンショウに叩きつけられた言には、有無をいわさぬ凄みが感じられた。
尖らせた瞳に宿る威圧感は、下手な応えを返した瞬間爆発しそうな程でもある。
どれほどの腕前を持った冒険者であろうと、この迫力には震えが止まらず、思ったことを伝えることが逆に難しいかもしれない。
だがミルクの胆力は屈強な男数十人分を持ってしても足りないほどである。
目の前で凄むバッカスを前にしても決して目を逸らさず、恐れ知らずの鋼鉄の表情でその顔を睨めつける。
「そんなの決まってんだろ。バッカスセットってのを手に入れるためにあたしゃわざわざこんなとこまでやってきてやったんだ」
相手が神だろうがなんのそのといった口調で、堂々と言い切った。
断固たるその響きにバッカスが目を丸くさせ、タンショウは焦ったようにオロオロと五本指を口に添えた。
だが、その直後バッカスの表情が緩まり、そして、ガハハ! と豪快に身体を揺らした。
「なんとも豪胆なおなごよ! いやいやしかし確かにそうか。ここまでくる目的など酒かそれしかない。ガッハッハァアアァア!」
ドスンと落ちるように胡座をかき、そしてバンバンと膝を打つ。
「うん? しかしお前たちいつまでそんなとこで突っ立てる気だ? ほれ早くこっちへ来い」
バッカスが大きな手を上下に動かし、ふたりを手招きしてきた。
その様子を見る限り、どうやらふたり(というよりはミルクがかもしれないが)はバッカスに気に入られたようでもある。
ミルクとタンショウはどこかキョトンとした様子で一旦顔を見合わせるが、彼に促されるがまま、その傍らまで歩み寄る。
するとバッカスはいつの間にか用意していた巨大なジョッキを使い、泉の液体をソレに汲んだ。
そして、ほれ飲め、とぶっきらぼうにふたりに手渡す。
「なんだいくれんのかい?」
「あぁ。まずはこれを飲まにゃ話にならんからな」
ニカッと笑い自分でもその泉からジョッキに汲んだ。
「さてそれじゃあ飲むぞ!」
そう言ってバッカスがジョッキを差し出してきたので、やれやれ、という顔をしながらもふたりがジョッキをバッカス持つソレに合わせた。
キンッ! という心地よい音が鳴り響き、そしてバッカスがその中身を一気に呷る。
それを目にしたミルクも対抗するように中身を一息に飲み干す。
そして、ぷはぁ! と気持ちよさそうに息を吐きだした。
「効くねぇ! てかこれ酒だったのかよ!」
ミルクが泉を眺め回しながら大きく叫んだ。
するとバッカスが楽しそうに肩を揺すり、まぁ当然だろう、と述べ。
「なにせわしは酒神だからな。酒に囲まれることこれ当然至極!」
威張ったように言いのけるが、嫌な感じのしない爽快な物言いであった。
「しかしおなご、これを飲んでも全く酔う様子がないのう。ほれ、ならばおかわりをやろう」
バッカスはミルクからジョッキを取り、そしてもう一度波々と注いだジョッキを手渡した。
そして自分自身のジョッキにも再度中身を満たす。
「相棒は……どうやら耐えられなかったようじゃのう」
ジト目の向けられた先をミルクも振り返る。
するとタンショウが大の字に倒れ完全に伸びてしまっていた。
「お、おいおい! マジかよ! スキルやアイテムの効果で多少はマシになったんじゃなかったのかい!」
慌てたようにミルクが揺すり起こそうとするが、ガハハ、とバッカスが笑い出し。
「スキル? 効果? 悪いがここの酒にはそんなズルは通用せんよ。まぁ安心せい強い酒だが、飲んだからと死ぬことはない」
たくっ、と頭を擦り、呆れ顔でバッカスに顔を戻す。
そして再びジョッキの中身を一気に飲み干した。
「ぷはぁ! 旨いねぇ! こんな旨い酒を飲んで酔いつぶれるなんて情けないよ!」
すると今度はバッカスも負けじと喉を鳴らし、ジョッキを勢い良く地面に置く。
「二杯飲んでもその表情。本当に大したもんだ! しかしその男が倒れるのは無理もないぞ。何せこの酒はお前たちが暮らす世界で最も強い酒の更に100倍強いのだ。平気な顔しているお前の方が普通に考えればおかしいのさ」
そこまで言って再びミルクのジョッキを取り中身を満たす。
「さぁ駆けつけ三杯は酒神の前で当然の儀式。飲めるか?」
当然! とミルクがひったくるようにジョッキを受け取りそして一気に飲み干した。
「ぷはぁ! あたしをなめてもらっちゃ困るね! ここにきて酒戦は相当にこなしてきたんだ! そう簡単に酔いつぶれやしないよ!」
「なるほど。良い返しだ。これはこの後も楽しみだな」
バッカスは再び注いだ自分のジョッキを飲み干し、そしてミルクを睨めつけた。
「さて、このバッカスの装備が欲しいのだったな?」
「そうさ。その為にやってきた」
だったら――そう呟きバッカスが立ち上がる。
「酒も入り大分身体も温まったろ?」
ミルクがバッカスを見上げ、あぁ、と返事し倣うように立ち上がる。
「ここからが本番ってことかい?」
「かっか、わしの相手をするのに酒も飲めぬようでは話にならんからな。だがお前は問題ないだろう。だから、今度はその実力をみてやる」
ミルクは、ふん、と鼻を鳴らし、武器を現出させ両肩に構えた。
「ほう……おなごの武器はそれか」
何かを考察するように顎鬚を擦り、そしてバッカスもその両手に武器を出現させた。
「うん? なんだいあんたも斧に槌かい」
「ふむ、なかなかわしらは気が合いそうだ。どうだ? この際だからここで一緒に暮らすというのは?」
「冗談じゃないね。あたしには心に決めた人がいるんだよ」
それは残念だ、と返すバッカス。
「まぁ良い。それじゃあ――」
バッカスの顔付きが変わった。それは明らかに戦士の顔付き。
纏われる闘気が一気に膨れ上がり、ミルクに向けて駆け抜けそして弾かれたようにミルクの身体が後ろに飛んだ。
勿論それは本人の意思によるものではない。
驚嘆にミルクの目が見開かれ、そしてビリビリとその身が震える。
「行くぞ!」
気勢を上げ、バッカスが手持ちの戦斧をまず振るった。
その攻撃は、素振りのようなものであったが、その一振りが、泉の水を波立たせ、畝る黄金の荒波が壁に叩きつけられ勢い良く飛沫が上がった。
そしてミルクは両手の武器を顔の前でクロスさせ、今度は前衛姿勢で暴風に耐えた。
「チッ! いきなりとんでもないね!」
片目を瞑り、眉を顰め叫びあげる。
「これを堪えただけでもとりあえず大したもんだ」
言うが早いかバッカスはその巨体に似合わぬ俊敏さで、ミルクの右側面に移動した。
ミルクは辛うじてその動きを目で追い、顔を向けるが、その時には既にバッカスの巨大な槌が振り下ろされている。
「うがぁああぁ!」
避ける暇はなかった。その為ミルクは身体の向きを変えつつ、交差させていた両武器をそのまま真上に押し上げ、訪れる衝撃に身構えた。
両足は左右に大きく開かれていたが、バッカスの槌がミルクの身に落とされた事で、重苦しい轟音と共に両の足首までが地面にめり込み大理石の欠片が舞い上がる。
「ふむ、とてもうら若いおなごとは思えぬ酷い格好だのう」
大股を広げ膝を折り、背中も前に僅かに折れているその状態は、確かに女性としてみればはしたないとも言えるが。
「ば、きゃろ、こっちは格好なんざ気にしてる場合じゃねぇんだ、よ――」
苦悶の表情で絞り出すような声を発し、上目で睨めつけながら歯ぎしりする。
その表情には全く余裕が見られない。押しつぶされないようとにかく必死といった様子だ。
「確かにわし相手にそんな余裕はないか。ふむ、しかしわしの初撃を耐えたのは何年ぶりか、やはりお前は面白い」
ミルクを褒め称えるバッカスだが、彼女にそれをありがたがる余裕はない。
「だがな、武器はもう一本あるのだぞ?」
ミルクの眉がピクリと跳ねる。
そして横から迫る巨大な刃。
「こんくそぉおお!」
刃が一文字に駆け抜けた。まともに喰らえばミルクのその身は間違いなく上半分が吹き飛んでいたことだろう。
だが彼女は瞬時に身体を傾倒させ、嵐のように過ぎ去る脅威を視界におさめながら、大理石の上に滑り込んだ。
そして仰向けのまま身体を独楽のように回転させ、バッカスの脚めがけて戦斧と巨槌による攻撃を仕掛ける。
だがその攻撃は空を切り、大きな影が一瞬だけミルクを覆った。
跳躍したのだ。そして彼はその巨体を物ともせず後方に宙返りし、数メートル程離れた位置に着地した。
軽い地響きがミルクの背中を打つ。
「規格外だね全く――」
両足で天を突き、その勢いで大理石の上に跳ね起きる。
そして高いびきを見せるタンショウを眺めながら顔を眇めた。
「全くあいつは呑気なものだね」




