第一七九話 黄金の泉と逞しい老人
タンショウの膝がガクリと地面に落ちかけたその時。
彼は目を見張った。滾る声が聞こえる。
それはミルクの蛮声であった。前屈みの状態で顔の前で両武器をクロスさせ、炎の波を掻き分けながら、その頭の一本に飛びかかる。
「うぉおおおおおおぉおらあぁああ!」
そして巨大な蛇の首筋に気合のこもった戦斧の一撃が振るわれた。
スキルとユニーク効果によって、切れ味の増した刃はこんどはその蛇肉の半ばほどまで喰いこんだ。
赤ワインのような濃いめの鮮血が吹き溢れ、ミルクの身体を真っ赤に染めた。
顔にもベッタリと付着したその血は、あまりドロッとはしておらず水気が多いようだ。
ミルクがペロッと顔に付いた血を舐める。旨いじゃないか、と一言漏らす。
だがそこで切りつけられた蛇の一本が激しく暴れだす。これほどまでに刃が喰いこんでもまだ動けるとは恐るべき生命力だ。
とはいえ、頭はまだ二本ある。ここでのんびりしている暇はない。
「てめぇはさっさとくたばっておけ!」
再びミルクが声を張り上げ、もう片方に手にした巨槌を戦斧の反対側の刃に向けて叩きつけた。
その威力も加わったことで刃は更に深く喰い込み、より激しく暴れまわるも、もう一撃槌で振り下ろされた事で遂にその首が切り離され、地面にドサリと投げ出された。
それでもまだ切り離された首は、ビクビクと動き続けていたが程なくしてその活動も収まり一切の動きを止めた。
その様子をみていた残り二本の首が左右に大きく揺れた。まるで怒りに震えてるようにも思えた。
だがその後の所為は、とても的確な判断とは言えないものであった。
再び頭の一つがその大口を開け、恐らくはあの酒の霧を噴出させようとしたのだ。
しかし一度みた技を素直に受けるほどミルクは愚かではない。
彼女は巨大な蛇の口が広がったその瞬間、手持ちの斧を身体全体で振り回すようにして投げつけた。
十分に体重の乗った投擲により、大気を掻き切りながらその両刃が上顎と下顎の境目を捉え、その口を半分に裂く。
鱗に守られた表皮と比べると、口の部分はかなり柔らかい。
そこをミルクは突いたのだ。
その蛇は攻撃を喰らった瞬間、ギシャアアアァアア! という断末魔の悲鳴を上げる。
だがそれもすぐに収まり、先ず短い上半分が落下し、ピンク色の断面を晒した後、残りの胴体が地面に倒れ込む。
重苦しい音がふたりの耳朶を打った。
その直後狂気の奇声が部屋内を支配した。最後に残った一本が鎌首を擡げ、ミルクのことを見下ろしている。
その瞳には怨嗟の炎が満ちている。見た目通り己の身体の一部であった兄弟達が殺された事で怒りに燃えているのであろう。
「悪いね。でもこっちもそれなりの覚悟でここまで来てんだ。容赦はしてられないのさ。だからせめて苦しまないよう仲間のとこへ送ってやるよ!」
高ぶった声音で宣言すると、ミルクがその槌を両手で握りしめた。
戦斧は投擲してしまっているので、残った武器で相手する他ないであろう。
だがそれが通じるのか? と言いたげな表情をタンショウは見せる。
しかしそれは杞憂に終った。
ミルクが構えを見せた瞬間、擡げていた首を伸ばし一気に攻めこんできたその頭を、ミルクは背中側に槌を回した状態から孤円を描くように振りぬき、見事にウワバミズチの下顎を砕いた。
勢いに耐え切れずその頭が一気に上に跳ね上がる。
すると間髪入れずミルクが跳躍し、ウワバミズチの脳天めがけ巨槌を叩きつける。
「ハイパーグレネードダンク!」
得物が獲物を捉えると同時にミルクのスキルが発動した。
刹那その頭がまるで爆発したように見事に破裂し、粉々に砕け散った。
天井からはピンク色の肉片とワインのような血が雨のように降り注ぐ。
当然この時点で勝負は決まった。三つの頭を失った胴体はそのまま床に倒れ、只の肉塊へと姿を変えた。
「ふぅ、最後の一本まで力を貯めておいてよかったよ」
着地し、肩に槌を乗せながらミルクがいう。
彼女の使ったスキルは一度使うとまたチャージからやり直す必要がある。
その為、最後の最後まで使わず温存しておいたのだろう。
戦いを終え息をつくミルクにタンショウが駆け寄る。
そしてジェスチャーで一生懸命何かを伝えた。
「うん? あぁなんで炎喰らって無事だったかって?」
流石長いこと一緒にパーティーを組んでるだけに、即効で彼が何を言いたいかを理解したようだ。
「多分あの炎にアルコールが加わってたからじゃないかい? この装備は酒を力に変える効果もあるし、むしろ逆効果だったってとこだろ」
そう言ってミルクが一人納得したようにうんうんと頷いた。
どうやらあの炎はダメージどころか性能を上げたに過ぎないってことらしい。
「何はともあれ、これであの扉が開くってことなのかね?」
様子を探るようにミルクが魔法陣の描かれた鋼鉄の扉に目を向ける。
すると倒した魔物の身体が突然青白い粒子状の物に変化し、扉に刻まれた魔法陣の中に吸い込まれていった。
と、同時に鍵の外れた音が鳴り響き、扉が横方向にスライドしていく。
「予想通りだったね。これでようやく下の階にいけそうだよ」
ミルクの発言にタンショウも嬉しそうに頷く。
「それに――なんとなくだけど次が最下層な気がするねぇ」
誰にともなく呟きミルクが開いた扉の奥へと脚を進めた。
その先は細い通路になっていて、タンショウには少し窮屈なぐらいである。
ミルクは一応罠を警戒しながら直進を続けるが、100m程進んだ先で再び小さな小部屋に辿り着いた。
壁に囲まれた部屋で扉などは一切見られない。が、床にはまた魔法陣が描かれていた。
「これに乗れって事かな」
顎に指を添え少し考察した後、ふたりが魔法陣の中心に乗る。
すると先ほどと同じように周囲が青白く光りだし、そして、シュン――とふたりの姿が部屋から消え失せた。
「ここは――?」
光が収まり視界が開けると、ふたりはこれまでと全く違う空間に身を置いていた。
あの濃かった靄もすっかり消え失せ、代わりに黄金色の水が吹き上がる泉が周囲に広がっている。
その空間は円形で、天井も半円状の形をしている。
そしてふたりの立つ位置も泉に囲まれた大理石の足場の端の方にあたる。
そこには黄金の泉と大理石の足場以外にこれといった物は見当たらない。
但しふたりとは反対側にあたる位置に何者かが背中を向けて座り込んでいた。
手にはジョッキを持ち、どうやら黄金の水をすくってはグビグビと喉に注いでいるようである。
その人物は背中だけみても只者でないことがよく分かる。
翼のように盛り上がった肩甲骨。そして何かの顔にも思える凝縮された背中の筋肉。
その全てが桁違いであることはミルクにも一目見て理解できたようだ。
「もしかしてあんたがバッカスなのかい?」
ミルクは数歩脚を進めながら、その後ろ姿に問いかけた。
するとぴくりと背中が波打ち、首だけを回しふたりに顔を向けた。
見た目には60歳程度の年齢を感じさせる顔立ちをしており、髪の毛はない。
泉と同じ色の髭は鼻から下を覆い尽くすように蓄えられている。
だが誇る筋肉は超人級のものだ。
「ここまで降りてくるのがいるとはな。随分と久しぶりな気がするぞい」
そういってふたりを値踏みするように見やりながら、どっこいしょ、とその男が腰を上げた。
立ち上がるとよりその巨体さが浮き彫りになる。
3mは優に超えているであろう。
「ふむ、少しはやるようだな。いかにもこのわしが酒神とも呼ばれるバッカスだ。で、一応聞くがお前たちの目的は何だ?」




