第一七八話 魔法の扉と二体の門番
ミルクとタンショウの二人は更に二つ下り、一四層に足を踏み入れていた。
その一四層もかなり広い作りではあったが、魔物達を倒しつつ、宝も回収し奥へとふたりは脚を進めていった。
ここにくるまでにかなりの宝を手に入れている、魔物から手に入れた戦利品も結構なものだ。
すべて売却すればあの酒場で飲んだ分ぐらいは余裕で支払いが可能だろう。
何よりもこの迷宮は酒神の装備が眠っているとあって、珍しい酒も数多く手に入れる事が出来た。
ミルクもつい途中何本か空にしてしまったが、その味は極上のものであり、そのときばかりはかなりご機嫌な様子でもあった。
そして――今ミルクとタンショウが踏み入れた部屋の奥には、厳重そうな鋼鉄の扉がひとつ。
その重々しい鉄戸の中心には青白く光る魔法陣が刻まれており、見た目には取っ手のような手を掛けるとこが一切ない。
つまりこれは魔法によって施錠された可能性の高い扉である可能性が高い。
それはそれほど魔法に精通していないふたりにも理解することができた。
と、同時にそれを開けるための条件を知ることもそれほど難しいことではなかった。
部屋に踏み入れた瞬間、扉に刻まれた魔法陣と似たようなものがふたつ、地面に浮き上がりそこから二体の魔物が姿を現したからである。
「つまりこいつらは、この扉を守る門番ってわけかい。判りやすくていいねぇ」
そういって薄い笑みを浮かべる。だがその双眸は真剣そのものだ。
ミルクは納得の言葉を発した上で、指輪を使い二体の魔物の正体を探った。
それによると一体はウワバミズチ。三つの頭を持つ巨大な蛇で全長は10m程度あるだろうか。
体色は青く、ふたりを見下ろし細長い舌をチロチロと伸ばしている。
もう一体は酒乱魔人。その名の通り酒を大量に摂取したかのごとく肌が紅く、タンショウの倍ぐらいの体格を有している。
角型の大きな顔には、鼻から顎までを覆うぐらいの白髭を蓄えていた。
見た目にはかなり厳つい。
「さて、じゃあ丁度二対二だしね。こっちの蛇野郎はあたしが相手しておくよ。だからあんたはそっちの、酔っ払ってそうな馬鹿を――とっとと片付けな!」
声を張り上げタンショウにそう告げると、ミルクはウワバミズキに向かって駈け出した。
部屋はかなり広いため、ふたりで戦うにもそれなりに余裕がある。
ミルクが狙いを定めた相手はレベル65、タンショウが相手する酒乱魔神はレベル62だ。
どちらもふたりに比べるとレベルが高い。だがそれで諦めるようなら目的を達成するのは不可能だ。
「おらぁああぁあ!」
気合の声を上げ先制攻撃はミルクが決める。右手の巨大戦斧を首の一本に向けて飛び上がりながら叩き込んだのだ。
だが、その一撃は皮の下を少し傷つける程度に終わった。
やはりこれまでの相手と比べるとかなり手強い。
しかもミルクの攻撃が止まった瞬間、鎌首を擡げていた三つの首が、彼女の身に牙を突き立てようと攻撃体勢に入る。
その勢いたるや達人の振るう鞭の如し。巨大さを感じさせない強靭な動きで先ずはミルクの着地際を右から喰らいにかかる。
だがミルクは地面に脚を付けた直後に膝を折り、大きく前に転がりながらそれを躱す。
しかし攻撃はそれでは収まらない。
今度は逆側から二本目の頭が大きく口を広げ迫ったのだ。
「チッ! またかい!」
迫る狂気。ミルクは左手の槌を咄嗟に振り上げた。そして地面を殴りつけ敵に向けてブレイクシュートを放つ。
地面スレスレを走ってくるウワバミズチにソレは直撃した。
だがその程度で倒れる相手でもない。相手はほんの一瞬怯んだだけだ。
だがその一瞬でも攻撃を躱す余裕は生まれる。
案の定ミルクはぎりぎりのところでその一撃を避けた。
そしてバックステップで一旦距離を離し、ミルクは面前の敵を睨めつける。
「どうやら簡単な相手ではなさそうだねぇ」
ミルクは瞳に本気の光を宿し、そして攻撃力を上げるスキル、フルチャージを発動し、更に件の酒を取り出し空中で割った。
酒の雨を受け、スクナビシリーズのユニーク効果が発動し能力を底上げする。
以前であればこれを行うと、記憶を失うほどの爛酔状態に陥っていたが、特訓の賜物なのか見る限りどうやら意識は正常を保っているようだ。
「さぁこっからが本番だよ!」
タンショウは酒乱魔神の猛撃を受けながら、ミルクの様子にも目を向けていた。
見る限り決して楽な戦いではなさそうだが、どうしようもない相手というわけでもなさそうである。
タンショウはホッとしたように再度目の前の敵に顔を向ける。
厳つい顔をした魔人は戦いが始まると、先端に巨大なトゲ付き鉄球を備えた長柄付の武器を取り出し、怒りに任せるように乱雑な攻撃を仕掛けてきていた。
酒乱魔人の名の通りの乱暴な攻撃だ。だがレベルから見るにその膂力は相当なものなのだろう。
タンショウは両手の盾でその攻撃を全て防ぐも、一撃ごとに振動が身体をつたい地面を打つ。
とはいえタンショウ自身にはチートも相まってダメージはない。
この敵は彼にとっては相性のよい相手ともいえるだろ。
力任せの攻撃しか出来ないような相手ではタンショウの鉄壁の防御は崩し切れない。
そしてタンショウはじわりじわりとその距離を詰めていく。
力任せに振るわれる暴風のような連打にも怯むことなく突き進む。
そしてタンショウと魔人の距離が一歩また一歩と近づき――いよいよ仕掛けようとしたその時。
酒乱魔人が動いた。それは予想外の俊敏な動きであった。今まで左右に脚を広げた状態で根を張り、不動の如く攻撃を繰り返していただけに、その所為にタンショウの反応は間に合わない。
その巨体は一瞬にしてタンショウの背後に回っていた。
そして両手で大きく振りかぶっていた鉄球を彼の背中に向けて思いっきり叩きつける。
どうやらこの魔物は盾があるからこそ、タンショウには攻撃が通用してないと考えてしまったようだ。
だが確かにイージスの盾の恩恵もかなり高いが、本来のチートの効果が彼には最も大きいのだ。
その為か、酒乱魔人の今の表情は不可解という感情であふれていた。
当然であろう全力で行った一撃をまともに喰らっても、とうの本人はケロッとした表情で立ち続けているのだ。
タンショウはゆっくりと魔人を振り返った。そして表情を変える。
これまでの穏やかな顔つきから鬼の如き形相へと。
それが恐らくはタンショウが師匠から教わったことなのだろう。
相手に対しての絶対的な殺意。今のタンショウにはそれが滲み出ている。
その変化に酒乱魔人が僅かにたじろいだ。レベルでみれば優れている魔物の方が彼を恐れている。
そして――タンショウが何かを口にし、盾を構え獲物に向けて突撃する。その瞬間タンショウの身体全体から真っ赤な光が迸り、巨大な朱い弾丸と化し酒乱魔神の巨体を貫いた。
魔人の腰から上が宙を舞い、その丸太のような両膝が不自然な方向に折れ曲がりそのまま横倒しに崩れ落ちた。
魔人の血に染まった身体でタンショウは振り返り、敵の最後を認めた後、彼の表情は元に戻っていた。
そしてミルクへと目をやる。ウワバミヅチとの戦いはまだ続いているようである。
しかし三本の頭は執拗にミルクを狙うが、彼女は的確な所作でそれを躱している。
が、その時一本の頭がその巨口を広げた。ミルクとの距離は離れている。
そのまま突っかかる様子も見せない。
一体何を? とタンショウが小首を傾げたその時、その口から霧状の何かを周囲に吹きつけた。
タンショウの鼻がひくつく。すると顔を顰め、ハッとした表情でミルクを見た。
その霧は彼女の身体をも完全に覆っており、更にそれを確認したであろうもう一本の頭が、続けて炎を口から吐き出したのだ。
刹那――炎が霧に燃え移り、そして一気に巨大な業火となり部屋の三分の一が真っ赤に色に包まれる。
タンショウの顔色が変わった。血の気が引いた状態でその光景を呆然と見つめていた。
そしておそらくタンショウも気づいていただろう。それぐらい匂いはキツかった。
そう強烈なアルコール臭。
最初にウワバミヅチが吐いたのは酒の霧であったのだ。それに炎を加える事で火力は一気に加速する。
おまけに只でさえこの迷宮は大気に含まれるアルコールが濃い。
一度着火した炎の広がりは生半可なものではない。
その中にミルクが巻き込まれたの。これでは消し炭になっていてもおかしくはないだろう。
タンショウは顔に緊張を貼り付けたまま、ただ立ち尽くしていることしか出来なかった――。




