第一七四話 迷宮への許可
「ぷはぁ~~! 一〇樽め~~!」
「こっちも樽一〇だ!」
「おお! すげぇ! お互い一歩も引かないぜ!」
周りを囲むギャラリーの熱気が強くなり、歓声も段々と大きくなっている。
「ミルク! 俺に勝ったんだからまけんじゃねぇぞ!」
その中には酔いから冷めて事情を聞き応援に加わったガイルの姿もある。
「一五樽めだ!」
「こっちも一五だよ!」
「すげぇえええぇええええええ!」
絶叫にも似た声が店内をビリビリと震わせる。互いに互いを見合い、マスターの運んでくる次の樽を待つ――。
「おいおい勘弁してくれよ。もう酒がひとつも残ってないぜ」
だが、勝負の決着はそんなマスターの呆れたような声で、あっけない幕引きとなった。
「なんだよ酒切れかよ~」
「てか考えてみたら全部で三〇樽もよくあったな」
そんな観客たちの会話が聞こえてくる中、ミルクは眉の辺りに歪な線を刻み、不満を露わにしていた。
「う~ん仕方ない。これは引き分けってとこかな」
ロックは両手をヤレヤレと差し上げ口軽な物言いで決着を付けようとする。
「引き分けなんて冗談じゃないよ!」
しかしミルクの怒鳴り声が店内に響き渡る。眉を寄せ、目尻を吊り上げ食ってかかった。彼女は全く納得していないようである。
「あんたの家でこうなったら続きだ!」
「おいおい忘れたのかい? 俺の家の酒は既に飲みきっちまってるよ」
女戦士にロックオンされた男は、そういいながら眼をまんまるに広げ、首をすくめてみせる。
「あ、ちっ、そういえばそうだったね」
「う~ん、だったら俺の家のベッドの上で勝負を決めるってのはどうだい?」
その発言にミルクの顔がボワッ! と発火したように染め上がる。
「な、なななな! 何言ってんだてめぇは! いっておくけどあたしはね――」
「冗談だよ冗談。しっかしミルクちゃんは誂いがいがあるねぇ」
ミルクの狼狽えぶりを眺めながら、ケタケタと愉快そうに身体を揺らした。
「て、てめぇは本当に――」
「でも、まぁいいかなこれだったら」
ミルクの言葉に被せてきた彼の声は、少しだけ真面目な雰囲気に変わったものであった。
それに気づいたミルクが、え? と眉と瞼を同時に上げる。
「バッカスの迷宮に行きたいんだろ? 許可してやるよ。まぁ頑張って攻略してこい」
ミルクはその大きな瞳をパチクリさせながらロックの顔を見つめた。
「あまりみられると照れるねぇ」
「本当にいいのか?」
テーブルに両手を置き、ぐいっと身を乗り出すようにしながら、再度ロックに問い直す。
その顔は彼のすぐ目の前に迫っていた。
「あ、やっぱりキスと引き換えにしようかな」
「ま・じ・め・に」
半目にして真剣に応えろと迫るミルクに、苦笑いを浮かべ。
「全く師匠のいうことぐらい素直に信じろって。男に二言はないさ」
その答えを聞いた途端、テーブルを力強く叩きつけ、そして跳ね返るように背筋と両腕を伸ばしきり、いやったぁああぁああ! と歓喜の声を上げた。
「おお! やったなミルクちゃん!」
「これでバッカスの迷宮の挑戦者の名前に刻まれるな!」
「こりゃめでてぇ! よっし! こうなったら全員で乾杯だ! 前祝いといこうぜ!」
店内が再び騒がしくなり客達も酒だ酒だ~! と叫びだす。その光景にロックは、全く、と頭を擦り。
「ただいけるようになっただけではしゃぎ過ぎだっての」
そうひとりごちた。
そしてそんな喧騒の中――。
「てめぇら! だから酒はもうねぇって言ってんだろうが! ほら今日はもう店じめぇだ! とっとと出ていきな!」
折角盛り上がっていた皆の気持ちもマスターの一言で折られ、全員が渋々と酒場を出て行く。
「さて、それじゃあ俺達も帰るとします――」
「ちょっと待ちな!」
皆の帰る様子を認めると、ロックもミルクと一緒にその場を後にしようとする。が、マスターがその肩を強く握りしめた。
「酒代、25,000アルコーだ。とっとと払ってくれ」
「あ、やっぱり払わないと駄目?」
ロックが惚けたように返すが。
「当たり前だ馬鹿! 払ってくれねぇと店が潰れる!」
ロックが弱ったように後頭部を指すりながら、懐からサントリー紙幣を取り出す。
「悪い今はこれしか手持ちがないんだ。あとで祓いにくるからさ」
そう言って手渡された紙幣を確認すると、マスターの身体がプルプルと震えた。
「お前これ100アルコーしかねぇじゃねぇか! 全然足りねぇよ! フザケンナ!」
「あ、やっぱり?」
「やっぱりじゃねぇよ!」
怒鳴るマスターに苦笑いするロック。そしてミャウを振り返り、こうなったら、と。
「お願いミルクちゃん! ちょっと貸して!」
両手を顔の前で合わせ頼み込んできた。
「はぁ!? 冗談だろ! 25,000アルコーったらネンキンでいったら2,500,000エンじゃねぇか! そんな金あるかよ!」
「だよねぇ」
「だよねぇじゃねぇよ! どうすんだ!」
まぁまぁ、とロックがマスターを宥め。
「だからちょっと待ってくれれば色を付けて払ってやるって。アテはあるんだ」
「アテ? アテって一体どんなアテだよ?」
だから、とロックはミルクを一瞥し。
「この弟子が明日にはバッカスの迷宮に入る。そうすれば価値ある宝や酒を持って帰ってくるだろ。それで色つけて返すって」
「はぁ!? なんだよソレ! あたし頼みかよ!」
「いいだろ? こんだけ修行付けてやったんだ。弟子ならそれぐらいやってもバチがあたんないって」
ミルクがジト目で師匠をみやった。とはいえ――
「まぁ引き分けだからあたしも半分は出す必要があるだろうからね。仕方ないからなんとかするよ」
「でももし戻ってこれなかったらどうすんだよ」
「おいおい俺が育てて認めた弟子だぞ。そんな心配いらねぇよ」
「……ま、もしあたしが戻らなかったらネンキンでの保険がおりると思うからね。それで払うようにいっておくよ」
するとマスターが、おお! と安堵の表情を浮かべ。
「それならまぁ納得してやるよ。でも出来ればちゃんと戻ってこいよ」
そう最後には労いの言葉を掛けてくるのだった――。
次の日の朝にはミルクは現在滞在中の宿にネンキンへの手紙をお願いし、その建物をあとにした。
手紙にはミルクの保険の件が書かれている。
いざという時しっかり酒場にお金が払われるようにだ。
とはいえ勿論そのいざはない方がいいのだが。
そしてその脚でこんどはロックの家に向かった。迷宮探索の為の推薦状を受け取るためだ。
バッカスの迷宮は難度が高く、下手な冒険者が飛び込んでいっても無駄に命を落とすだけである。
その為いつしかダンジョンに入るには許可が必要になり、その為の評価員も選ばれるようになった。
そして、ミルクがスガモンから紹介を受けたロックもまたその評価員のひとりである。
尤も本来は評価員が直接迷、宮攻略に向かおうとするものを鍛える師匠になることは少ないのだが、今回はスガモンの頼みがあったこと、そしてミルクの胸が大きかったことが引き受けた理由らしい。
「おお、きたか」
入り口の前では既にロックが推薦状を準備して待っててくれていた。
その顔色はよい。昨晩あれだけの酒を飲んだとは信じられない程だ。
とは言え、それはミルクにしても一緒ではあるのだが。
「よし、じゃあいくか」
「うん? なんだいあんたも一緒にいくのかい」
「あぁ、ミルクの相棒も鍛え終えてあるって話だからな。迷宮の入り口前で待ち合わせにしてあるんだ」
「は? タンショウもかよ。でもあいつ大丈夫なのかね」
「アーマードがオッケーだしたんだ大丈夫だろ。それにそれがあったから俺も今回許可を出したんだしな」
そういったあと、うんじゃ、とロックが前を歩き出す。そのあとにミルクが付き従った。
「てか一緒なら推薦状いらなくないかい?」
「それがな、こういう控えになるものはしっかり必要なんだとさ。役人は固いよねぇ」
肩を竦めるようにして答え、あぁそういえば、と言を継ぎ足す。
「迷宮の前に神殿によってジョブチェンジを済ませて置かないとな。レベルでいったらもう四次職になれるわけだからな」
そういってロックはその脚を神殿に向けるのだった。




