第一七三話 サントリ王国にて――
ネンキン王国からは北西に辺り、国境を跨ぐ位置に存在するウィスク山脈。その山脈を超えた先には、ネンキン王国と古くからの友好国として知られるサントリ王国が存在する。
この二国間では盛んに貿易も行われ、とくにネンキン王国からみた場合、サントリ王国から輸入している酒の需要が非常に多い。
サントリ王国は近隣諸国の中でもずば抜けて酒類の生産量が多い国であり、同時に王国内の消費量も多い国でもある。
サントリ王国の人民は水の代わりに酒を飲むとさえいわれるほどであるが、子供を覗いてはこの話はあながち間違ってもいない。
それぐらいサントリ王国の人々は酒を愛し、酒に親しむ生活を送っている。
そして――ここはそのサントリ王国内でも更に北西の端に当たる位置に存在する【バッカスの町】
酒神バッカスの加護を尤も受けし町と知られ、バッカスの名を銘とした蒸留酒も有名であり――そしてその町の南東に位置する一件の木造酒場。
時は夕刻。空が茜色に染まり始めた頃、既に酒場は客で一杯であり、其々が思い思いの酒を楽しんでいる中、店の中心では多くの客が集まり、そのふたりの様子を眺めながら大いに盛り上がっていた。
「おいおいふたりともこれで何杯目だよ?」
「ばっきゃろお前! 何杯目なんかで比べられるかよ。樽だお互い既に樽で三樽ずつ空けちまってるよ!」
「でもよぉ。ミルクのねぇちゃんはさっぱり顔色変わってねぇぜ」
「けど、ガイルの旦那はもう駄目だなありゃ。全くしっかりしてくれよ! バッカスの住人がこう余所者に負け続けたんじゃカッコつかないぜ!」
感嘆の声と失望の声が入り混じる中、ミルクは更に大ジョッキの三倍程の大きさはあると思える巨大ジョッキの中身を飲み干し、木製の丸テーブルに力強く置いた。
「ぷはぁ~! やっぱバッカスの酒は最高だねぇ。まだまだ何杯でも飲めちゃうよ~」
口元を左手で拭い、豪快に言い放つ。そして対戦相手のガイルに半目を向けながら、ニヤリとした笑みを浮かべる。
「あれれ~? どうしたんだい? もしかしてもう降参かな~?」
ニヤニヤと意地悪く口元を緩ませ、ミルクは、目の前で真っ赤にさせた顔を俯かせたまま動かない巨漢に声を掛ける。
「ば、ばか、い、いえ……この勝負にかって、お
、お前のその、む、胸を! 絶対に、も、む――」
ゆっくりと顔を上げ、据わった瞳でミルクを見やる――も、そのままバタン! とテーブルの上に突っ伏し、グガー、グガー、とまるで巨大な獣の如き鼾をかき始める。
「あちゃ~こりゃダメだ」
「またこれでミルクの勝ちかよ!」
「もうこの町でミルクに勝てるのなんてひとりしかいないぜ」
完全に酔いつぶれたガイルを眺めながら、客達が呆れた声で口々に言い合う。
「おいおいあんた達~ちょっと聞き捨てならないね! 今のあたしならあの男にだって勝てるよ!」
「あの男ってのは俺のことかい?」
人垣を掻き分け――いや、彼の登場に人垣が勝手に割れた。
「きたかいロック――」
「まぁね。てかさっきまで一緒に熱い時を過ごしただろハニ~」
ヒュ~っと誰かが口笛を鳴らすも、ミルクに睨みつけられその眼を背けた。
「それは只の鍛錬だろ。全くあんたは――」
そう言って今度は据わったような瞳をロックという男にぶつけた。
するとロックはやれやれと肩を竦め、ミルクの座るテーブルに近づいた。
「いい加減あんたやロックじゃなく、師匠かダーリンと呼んでくれていいんだぜ」
ロックは短く整えられたブラウンの髪を撫で付けつつ、つり上がり気味の瞳でウィンクを決めミルクに告げる。
彼は立っている様子からかなりの高身長であることがわかる。今はTシャツにジーンズといった格好だが、ガッチリと引き締まった筋肉を誇り、足も長い。
「出会った瞬間に人の胸を揉んでくる野郎を師匠だなんて死んでも呼びたくないね」
「そりゃ手厳しいな。男ならそこに魅力的なおっぱいがあれば、深海の奥底に沈む財宝を見つけたが如く飛び込むか揉むかが基本だろ?」
「あんた一度頭のなかみてもらったほうがいいと思うよ」
「褒め言葉だと捉えておくよ」
右手を差し上げながら笑顔でロックが返した。だがミルクは眉を顰め不満そうである。
「なんかふたりの微妙に噛み合ってない気がするのは気のせいか?」
「深く考えるなよ。いつものことだろ」
ミルクとロックのやりとりに再びギャラリーが集まりだし囁き合いはじめた。
「さて、それで今日はどうする?」
「やるさ! 勿論さ! 決まってるだろ!」
そうこなきゃねぇ~とロックが両手を広げ口元を緩めた。
「ちょっと待てよロックの旦那。流石こればっかりはハンデがありすぎるぜ。ミルクちゃんは今の今までガイルと飲み比べしていて、既に三樽も空けてんだ」
「うん? そうかい。だったら俺ももう三樽先に頂いておこうか?」
「余計な気遣いは無用だよ! 大体そんなんで勝っても嬉しくないしね」
「いやいやでもよぉ。流石のミルクちゃんもロックの旦那には負け続きで、そのうえハンデなんて与えたら――」
「そんなのハンデでも何でもないよ。どうせこいつは既にもう飲んできてるだろうしね」
え!? とギャラリー全員の視線がロックに向けられる。
「流石に気づいてたかい。まぁでも飲んだといっても倉庫の貯蔵酒が空になったぐらいだけどな」
「空って――それ五樽分ぐらいあったじゃないかい」
ミルクが顔をひきつらせ述べると、そうだったかなぁ? とロックが嘯いた。
「ま、でも安心しな。それで負けたって文句はいわない。俺が勝手に飲んだんだからな」
「あたしが納得いかないよ」
「でもミルクちゃんはどうしてもバッカスの迷宮に挑みたいんだろ?」
ロックの言葉にミルクの耳が微かに蠢く。
「そうだったね。こっちもそんなにのんびりはしてられないんだったよ」
「じゃあ何時もどおり、もし俺に勝てたら迷宮に挑戦する許可をやろう。でもミルクちゃんが負けたら――」
言ってロックが着衣から垣間見える巨大な谷間に目を向けた。
「その果実を揉ませてもらうよ」
クッ! と歯噛みしミルクが身を捩る。
「本来ならゼンカイ様にしか許してないものを――」
「まぁルールはルールだしね」
「そのあんたの妙なルールのせいで、あたしに勝てば揉めるなんて噂が広まったんだよ」
「でもおかげで挑戦者が増えて酒は強くなれたろ? まぁ最初も強いは強かったけど酒乱が酷かったからなぁ」
たしかに――と周りのギャラリー達も思い出したように頷く。
「まぁそれでも俺以外には負けてないところは評価するけどな」
「今日はあんたにだって負けないよ! これ以上ゼンカイ様以外に、こ、こんな真似させてたまるか!」
「ずっとその名前いってるけど、そんなにゼンカイ様というのはかっこいい男なのかい?」
ミルクはフンッ! と鼻をならし胸の前で腕を組んだ。
「あんたの一〇〇万倍はかっこよくて素敵だよ」
「ふ~ん。それは是非とも一度ぐらい会ってみたいものだね」
そんなやり取りをしてるふたりの前に酒場のマスターらしき人物がやってきて、酒樽をひとつずつテーブルの横に置いていく。
「どうでもいいけどしっかり金は払っておくれよ」
マスターはそう言い残すとやれやれといった表情でカウンターに戻っていった。
「ま、さっきの分はそこのガイルってのが払ってくれるらしいけどな」
ミルクが爆睡中の目の前のガイルを眺めつついう。
「タダ酒が飲めてラッキーだったな」
ミルクの横の席に座っているガイルがそう述べつつ、マスターがもってきた樽をそのまま抱えた。
「出たよ。ロックの樽飲み!」
「こりゃ相変わらず豪快なのが見れそうだ」
「ふん! だったらあたしも!」
言ってミルクも樽を抱きかかえる。
「おっと! ミルクちゃんも今日は樽飲みかい!」
「こりゃますますみものだ!」
「それじゃあ――」
互いの視線が絡みあい、抱えた樽の口を近づける。そして、始めるよ! という号令と共にふたりが一気に樽を逆さまに持ち上げ、中身を井の中へ注ぎ始めた――。




