第一六八話 船上の試練
一行が食事を終えた時には、空には青黒い夜の色が滲むように広がっていた。
その中で煌めく満天の星空は、ロマンチックなシチュエーションを彩るには調度良いが、光源としては少々頼りない。
そんな中、徐ろに海の中にその身を進めたガリマーが、腰のすぐ上あたりまで潮水に沈み込んだところで、ここでいいか、とアイテムボックスを唱え、なんと海面に船を浮かべて見せた。
これにはゼンカイを除いた一同が眼を丸くさせ感嘆の声をもらした。
何をそんなに驚いてるのじゃ? と聞くゼンカイに、ミャウが改めてアイテムボックスの説明をする。
前にも聞いていたことだが、アイテムボックスに入る重量には基本制限がある。
当然だがその制限を超えるようなものは入れることも出来ない。
その為、前にミャウがしまったような小舟はともかく、このような船一隻をアイテムボックスにしまうなど本来は考えられないことなのだという。
「このあいだ護衛の為に乗った商船よりは小さいけどね」
「それでもね」「これでも重量は」「かなりのものだと」「思うからね」
確かにガリマーが海に浮かべた船は、商船に比べればかなり小柄な部類に入るか。
木造で彼が住んでる小屋と同じように年期も感じられる。
――とはいえ、しっかりとした甲板の備わった船だ。帆柱も二本立ち、舳先には衝角と呼ばれる前方に大きく突き出た槍状の突起物が備わっている。
「おいてめぇら! 何をぼ~っとみてやがる! とっとと乗り込みやがれ!」
いつの間に乗り込んだのか、船の艫側の甲板から、ガリマーが叫びあげてくる。
見たところ特に踏み板などを海岸にかける様子も見られないので、どうにかして上ってこいという事なのだろう。
四人はそれぞれが顔を見合わせ、ヤレヤレと嘆息を付いた。
いまだ腹の辺りを押さえてるあたり、まだまだ腹に収めた食材が消化しきれていないのであろう。
だが、はやくしろ! というせっつく声は続いている。
折角彼が島まで船を出してもいいといっているのだ。
条件というのが何なのかイマイチ判っていない一行ではあるが、機嫌を損ねないうちにと、ミャウの風の付与を利用し、船上へと飛び移った。
「ふん! あんまトロトロしてるなら止めちまおうかと思っちまったぜ」
ガリマーの言葉に一行は胸を撫で下ろした。やはり船に乗り込むための準備など、考えてはくれていなかったようだ。
「す、すみません突然の事だったもので」
ミャウが頬を掻きながら、苦笑気味に返す。
すると船長となったガリマーは一旦渋い顔を見せた後、まあいい、と告げ帆柱まで移動し手際よくロープを引き帆を張っていった。
通常であれば何人もの水夫の力を借り行う所為であろうが、それをたったひとりでやり切るのだ。
その姿に思わず一行も見入ってしまうが――
「てめぇら何してやがる! もう一本の方が残ってんだろ! さっさと準備しやがれ!」
え!? と全員が眼を丸くさせた。が、再度、さっさとしやがれ! と激が飛ぶと、は、はいぃい! と慌てたように一行は残りの帆柱に移動し、見よう見まねで帆を張ろうと行動に移す。
とはいえ――流石にこのような所為にはなれていないようで、どうしてもモタついてしまう。
「チッ、そんなんじゃ日が暮れちまうぜ」
見事に帆を張り終えたガリマーが、もう一本で手間取る四人の下へ近づき、よくみて覚えやがれ! と後を引き継いだ。
因みに正直日はとっくに暮れてはいるのだが。そのツッコミは誰も入れることがなかった。
「さぁ出航するぞ!」
帆を張り終えると船長が叫びあげ、舵を取り船は見事に動き出した。外から見るぶんには中々歳を重ねてそうなものではあったが、手入れは行き届いているようで、船は危なげなく海岸から距離をはなしていく。
「あ、あのもしかしてこのままドラゴエレメンタスに向かっちゃう――なんてわけではないですよね?」
ミャウが少し不安げに表情に暗い影を落とす。
すると、ふんっ! といって眉間に深い皺を刻みながら不機嫌そうに返答する。
「そんな自殺まがいな事をするわきゃねぇだろうが」
そ、そうですよね~、とミャウが誤魔化すような笑みを浮かべる。
「でもだとしたら」「これからどこへ向かう気なの?」
「このまま沖まで出るんだよ。要件はそれからだ」
柔らかい風に乗って船は前進を続けている。比較的穏やかな風の為、その進みはゆっくりだ。
「沖までですか?」
「なんじゃ漁にでも付き合えというのかのう?」
「ふんテメェら乗せて漁にいくぐらいなら、ひとりでその辺で獲ってた方がマシだな」
その言葉に一行はますます当惑の表情を見せた。
「さてと。テメェらとのんびりとお喋りしてても仕方ねぇ、少し飛ばすぞ」
え? とミャウが驚きの色を眉のあたりにみせる。
飛ばすといってもこの船は帆船。風の影響の範囲内でしか速度は上がらないはずである。
が――その時、突風が風下から吹き抜け、帆が一気に膨らみを増した。
風に乗った事で、当然船の速度も一気に上る。
「おお! スイスイ進んでいくのじゃ~」
ひとり燥ぐゼンカイであったが、ミャウは若干の困惑を表情に宿していた。
「これってやっぱ」「あのガリマー船長のスキルかな」
双子の兄弟の意見にミャウがひとつ頷く。
「風を操る力なのかしらね」
そう呟き顎を押さえた。そして自分の腰に吊るしておいた得物をみやる。
自分の能力と似ている力という事で気になってるのかもしれない。
そしてそうこうしてるうちに陸は完全に見えなくなり、風も徐々に弱まり船は速度を緩めた。
「さて、もうこのへんでいいだろうな」
誰にともなくいうと、ガリマーは船橋から甲板にその身を移し、そして一行をみやった。
「あ、あのそろそろ聞かせて頂いてもいいですか? 条件って一体――それにこんなところで何を?」
「あん? なんだそんなこともわかんねぇのか。いいか条件ってのはな、テメェらが俺と一緒に航海するに相応しい実力を伴ってることだよ。それを確かめるためにわざわざこんなとこまで来たんだ」
「確かめるじゃと?」
「でも一体」「どうやって?」
「この船で何かをするんですか?」
四人の質問に、あぁそうだ、と真顔で応え、かと思えばガリマーが天に向けて叫んだ。
「さぁ始めるぞ! 嵐よ吹けぇ! キャプテンスキル【天候操作】!」
え? と全員が驚きに目を見張る。するとそれまで穏やかさを保っていた空に、続々と巨大な雲が集まりだし、ゴロゴロという腹を減らした魔獣の如き唸りを辺りに響かせ、更にぽつりぽつりと甲板に雨跡を残していく。
「こ、これって――」
「風が」「強くなって――」
「というか、雨も酷くなってきたのじゃ~~!」
「……驚くのはまだはぇえぞ。ここからが、本番だ!」
ガリマーが声を張り上げるとほぼ同時に、空がピカッ! と輝き、轟音と共に海原に巨大な雷槌を叩き落とす。
「きゃぁあああ!」
思わずミャウが叫んだ。同時に横殴りの暴風が一行の身体を煽り、更に前から後ろから化物とかした風が船体を蹂躙していく。
雨もまるで石礫の如き勢いで四人の身を打った。しかも雲がそのままひっくり返ったかのごとく勢いで、甲板を打ち付ける。
「ふ、船が揺れて、目が回るのじゃ~~」
「あ、雨も風も酷いし――」「うぷぅ! 何か、こみ上げ――」
「な、何よこれ~~、なんで突然こんな――」
「チッ! この程度の事で情けねぇ奴らだぜ! ――まぁいい始めるぞ!」
甲板に仁王立ちとなり、鬼の形相でガリマーが叫びあげた。
そのただならぬ表情から、思わずミャウとゼンカイが身構えた。
双子の兄弟も口を押さえながらも、なんとか立ち上がる。
「は、始めるって何をですか?」
バランスを取ることに集中する余り、膝と声を震わせながら、ミャウが確認を取るように聞いた。
「そんなの決まってるだろ。この俺と戦って、てめぇらの実力を証明してみやがれ!」
気勢を上げ応えたその瞬間。ガリマーの筋肉が弾けるように膨張した。
それは最近彼らが眼にした中では、ムカイのスキルに近いものを感じさせる。
だが腕だけであった彼とは違い、船長は身体全体が肥大化し、只でさえ大柄なその身が、更に倍近くまで変化したのである。
「さぁいくぞテメェら!」
気合の声と同時に、ガリマーが右足で甲板を踏み抜き、このバランスの悪い状況にも関わらず、全くソレを物ともしない動きで、ミャウへと接近した。
「クッ!」
歯噛みしながら思わずその刃を振り上げる。風の力を纏わせ、手加減のない一撃を浴びせようとその腕を振り下ろす。
瞬時にガリマーの実力を察したのだろう。手加減などしていては勝てる相手ではないのだ。
だが、その時船体が風の勢いに押され、大きく傾いた。その勢いに脚の根ごと引きぬかれたように、彼女の身が傾倒する。
「足腰がなっちゃいねぇんだよ!」
吠えあげ、ガリマーの豪腕は容赦なく、倒れかけたミャウの鳩尾を撃ち抜いた。
ぐふぅ! と吐き出す声に苦悶を織り交ぜ、ミャウの身体がぐにゃりと折れる。
そしてそこへ更に、殴った勢いで反転し、繰り出した後ろ回し蹴りがミャウの顔面を捉えた。
彼女の細い身は、この暴風の中でも軽々と跳ね上がり、胃の内容物をまき散らしながら激しく打ち付ける雨粒と共に肩から甲板に落下した。
「ミャウちゃん! こ、このクソジジィ! 相手は女じゃぞ! それを――」
「甘ったれた事抜かしてんじゃねぇええぇ! 船の上で男も女も関係あるわきゃねぇだろうが!」
怒髪天を突く勢いで叫びあげ、ガリマーがゼンカイに肉迫した。そしてそのまま膝蹴りを腹にお見舞いし、浮き上がった小柄な身体へ、両手で握り固めた岩のような拳を振り下ろし、甲板に叩きつけた。
「ぐはぁ!」
背中を打ち付けうめき声を上げたゼンカイの身体が甲板に転がる。ついでにやはり耐えられなかったのか、キラキラ光る吐瀉物も撒き散らす。
「くっウンシル!」「ウンジュ!」
「ルーンを!」「刻むよ!」
言ってステップを見せ始める兄弟であったが――。
「しまっ!」「ゆれが激しくて」「うまくステップが」「踏めな――」
「な~にやってんだテメェらは」
ウンジュとウンシルの間に、瞬時に船長が身体をねじ込んだ。
そして左右の兄弟の顔を交互に見やった後、はぁ! と脚を甲板に叩きつけると同時に、両腕を一緒に突き出し双子の腹部に掌底を叩き込む。
ウンジュとウンシルは、仲良くその身をくの字に折り曲げながら吹き飛ばされ、左右の舷にそれぞれの身体が叩きつけられた。
そしてガリマーはその巨体に似合わない軽やかな足運びで船体の中心に戻り、倒れる一行を見回した。
「ちっ。なんでぇもう終わりかよ。骨のねぇ奴ら――」
「お、終わってないわよ!」
決然として跳ね上がり、甲板に根を張り口を拭いながらミャウが叫びあげた。
その姿を認め、ガリマーの口角が若干緩む。
「少しは根性見せたようだな。だがさっきもあのジジィにいったが、女だからって俺は容赦しねぇぞ」
「上等! こっちだって冒険者やってる時点でそれぐらい覚悟の上よ!」
言を返すと同時にミャウの持つ剣に二重の風の付与が掛かる。
「この暴風を逆に利用させてもらうわ!」
がリマーを睨めつけながら、右足を力強く踏み込ませ、その身を高く跳躍させる。
「空中なら甲板の揺れなんて関係ない!」
「――なるほどな。だがテメェにそのじゃじゃ馬を扱いきれるか?」
顔を眇めいいのけるとほぼ同時に、ミャウの肢体に暴風が纏わりつく。
「な!? そんな、風が、強すぎ――」
「まだまだだな」
ハッ!? と首を擡げたその頭上。背中から回転するようにして振り上げたガリマーの右足が、ミャウの細身に迫り。
そして抗うすべなく、縦回転の蹴りを受け、二度甲板に叩きつけられた。
「ミャ、ミャウちゃん――」
「こ、この男」「つ、強すぎ――」
ゼンカイと双子の兄弟もなんとかその身を立ち上がらせるが、既に息も絶え絶えといった様子である。身体の痛みや疲れもあるだろうが、双子の兄弟の足元に出来上がった黄色い溜まりを見る限り、精神的なダメージも大きそうである。
「ガハッ! もう、な、なんなのよ、こ、この人――」
そして、上半身を起こし、悔しそうに顔を眇めながらミャウがガリマーをみやる。
が、その時、彼女の顔色が変わった。
「な、なな! ちょ! せ、船長さん後ろ!」
ミャウの訴えに、あん? と眉を顰めガリマーが振り返った。
「な! 波じゃ! とてつもない! 大波じゃ~~!」
「そ、そんなこのままじゃ」「ふ、船ごと飲み込まれて――」
迫り来る巨大な波に、一同が緊張の声を発すが。
「あぁちょっと天候荒くさせすぎたか」
後頭部を擦りながら、まるでさざ波でも眼にしてるかのように軽く言いのけ、まっ、と短く発し。
「この船と俺はこの程度全く気にしねぇよ。まぁお前らがどうなるかは知ったこっちゃねぇがな」
「そ、そんなぁああぁあ!」
一同がほぼ同時に声を張り上げると、その瞬間には容赦のない大波が船ごとその身を飲み込んだ――。




