第一六二話 海賊王の――
「お爺ちゃん!」
ミャウが心痛な思いを叫びに変え、飛ぶように駆け寄った。
両膝を折るようにしてぺたりと甲板に付け、まだ若さの残る顔を覗きこむ。
その耳は心配からかへたりと力なく左右に萎れていた。
だがその気持を察してか、心配しないで、とゼンカイが笑みを浮かべる。
「僕はまた消えるけど、きっと大丈夫だから――」
そんなゼンカイの側に、倒れていた筈の仲間たちも駆け寄ってきた。
……ただしチャラだけはまだ遠巻きに震えているが。
「よかった。皆回復がきいたみたいだね。名前とは裏腹に全開にはできなかったかもしれないけどね」
「たく、くだらねぇこといってんじゃねぇよ」
心配そうに眉を落としながらもムカイが悪態をついた。
「それにしても」「あの水弾に回復の効果があるなんてね」
双子の兄弟も先程よりはだいぶ顔色もよくなっている。
「まぁおかげで助かった感謝してるよ」
「……がと」
その場の全員がゼンカイに礼を述べた。変身したゼンカイが行ったイケメンスプラッシュ。
それにより降り注がれた水弾は、攻撃の為ではなく回復の為に放たれたものだったのだ。
勿論それを受けた時点で一行はその効果を感じていたであろう。
だがそれでもすぐ起き上がることなく、ダメージを受けた振りをしていた。
特に何の話し合いもせず阿吽の呼吸でその判断に至ったのは、皆のこれまで培ってきた経験と勘による賜物なのだろう。
「ふふっ。本当は皆に美味しいディナーでも振る舞いたかったけどね。水だけでごめん。その分はタダでいいから――」
そこまでいったところでゼンカイの瞼が閉じ、そして柔らかい光と共に、その身がみるみるうちに縮小していく。
「おいおい」
「元に」「戻っちゃったね」
「てか水で料金なんて普通とらないだろ」
「お爺ちゃんのいた世界では取ってたみたいね」
「……じ……れない」
一行がそんな話をしていると、う、う~ん、と短い唸り声を上げ、ゼンカイの瞼が開いた。
「え! お爺ちゃん! もう気がついたの!?」
ミャウが驚いたように目を見開いた。
以前の変身の時は暫く気が付かなかった為、まさかこんなに早く意識を取り戻すとは思わなかったのだろう。
「う、うむ。どうもうっすらとしか記憶がないがのう。じゃが前よりはマシのようじゃ」
そう言ってムクリとゼンカイが立ち上がる。が、足元が軽くふらついていた。
やはり変身後は体力の消費が激しいのかもしれない。
とは言え、本来であれば死んでいてもおかしくない程の一撃を喰らったのだ。
命あっての物種と言えるであろう。
「しかしどうなったのかのう? あのジャロックというのは」
「大丈夫よ。腕も切られ、お爺ちゃんの技をも喰らってもう動くことは――」
「くくっ――」
だがその時、皆の耳に不気味な笑い声が届いた。
まさか!? と一斉に倒れている筈の男をみやった。
そしてそこに佇むは、腕をなくし顔に恨みの念を貼り付けたジャロックの姿。先程から含み笑いを続け、歪んだ唇がビクビクと震えているが、纏わりつくような両の瞳には怒りの色しか滲んでいない。
「全くやってくれるな。まさか死にぞこないと思っていたお前たちを動けるように回復させていたとはな。だがそんな事にも気づけなかった自分に腹も立つ!」
ジャロックは悔しそうに強く強く歯噛みした。そして一行を一人一人確認するようにゆっくりと見回す。
「だがここまでだ! 小汚い爺ィをまた見ることになったのは不愉快だが、変身が解けたのは僥倖ともいえるか。あの男さえいなければ勝利をおさめることなど容易い!」
畳み掛けるように言い立てるジャロックに、ミャウが眉を顰めた。
「ちょっと調子に乗り過ぎじゃない? あたしたち全員相手にあの剣もなく勝てるとでも?」
ミャウが残った力を振り絞るように風の付与を剣に宿し、そして鋒を怒れし男に突きつけた。
「勝てるさ。これがあればな!」
すると語気を強め、残った左手の魔導砲を全員に向ける。
「お前たちとて、完全に回復したわけではあるまい? だが俺にはまだ十分に込める魔力は残っている。本来はこんなところで全力では撃たぬがもうそうも言ってられんしな。この船ごと貴様らも破壊してやる! 多少回復した程度の貴様らでは、これを避けるのは不可能だ!」
気勢を上げた直後、ジャロックの魔導砲に巨大な光が迸る。明らかにこれまでとは違う、強力な魔力が注ぎ込まれているのだ。
「くっ! まだこんなに! マズイ! 早く止めないと!」
言ってミャウが動き出そうとしたその時だった。
「ミャウちゃん! 避けるのじゃ!」
ゼンカイの雄叫びに近い呼びかけに、思わずミャウが仰け反るように身体を逸らした。その瞬間一本の剣が彼女の目の前を駆け抜けていく。
「あれは!」「魔剣リヴィアタン!」
そうゼンカイは甲板に落ちていた魔剣を拾い上げ、ジャロック目掛け投げつけたのだ。
が――魔剣の柄には握りしめたままのジャロックの右手がこびり付いたままであり、またゼンカイ自身の体力も、変身の消費とあいまって落ちていたため、折角の投擲にも勢いが感じられない。
そしてジャロックも、ゼンカイの所為に気づき、馬鹿め! と回避行動をとり、その軌道から身体の位置をずらした。
「ミャウちゃん! 風の力じゃ!」
誰もがあれでは意味がないと考えたその時、ゼンカイの叫びでミャウが反応し、直進する魔剣に向けてヴァルーンソードを振るった。
横薙ぎの剣閃と共に、発せられた風の畝りが、魔剣リヴィアタンに絡みつき、そして軌道を変え更に前方へと押し出した。
その瞬間直進する魔剣は、まるで弩で放たれし疾風の矢が如し。
その変化にジャロックは反応しきれず。その腹部に突き刺さる。
だが――浅い。動けるまでには回復したが、それでも万全とは言い難い体力だったのだ。魔力も回復しきれていない。
この状態では当てただけでも大したものといえるかもしれないだろう。
だが、鋒が埋もれた程度のソレでは、腕のないジャロックであっても身体を振るだけでも落ちそうであり、実際ジャロックはそれを行動に移した。
「うぉおおぉお! 俺のことを忘れるんじゃねぇぇえぇええ!」
そこに強烈な叫声が広がった。ジャロックの目の前には、すでに必死の形相でぶちかましに入るムカイの姿。
そして、ムカイの身体が砲弾の如く勢いでジャロックにめり込む。勿論その両の手はしっかりと魔剣リヴィアタンの柄を彼の手首ごと握りしめていた。
そのままジャロックを勢いに任せて縁にぶち当て、刃は腹部を貫き背中を突き抜け、そして縁に突き刺さったところで彼の動きは止まっった。
「お、己――」
虚空を見つめるようにしながら、ジャロックの口から最後の言葉が漏れた。
もしこれが、並みの剣であったならそれでもジャロックは立ち上がったかもしれない。
だがそこに容赦なく突き立てられているのは呪いの魔剣。刃が刺されば持ち主であろうと容赦なく力を振るう。
ジャロックにとってはその全てが僅かなズレであった。だからこそ最後の言葉に悔しさが滲み出ていたのだろう。
ゼンカイの投げた剣を避けようとした事。その剣がミャウの力によって軌道を変え己の身を捉えた事。それを無理にでも抜こうとした事。
それが結果的にムカイに反撃の暇を与えたのだ。
もしジャロックがゼンカイの行動を構うことなく、魔導砲を撃ち放っていたなら、結果はまるで違っていたであろう。
己の武器の恐ろしさを自らが知り尽くしているあまり、僅かな恐怖がその歯車を狂わしたのだ。
ジャロックの精悍な顔も、頬は痩け肌も乾き、そして見る見るうちに全身が乾きはて、遂には己が手をかけた同胞と同じように骨さえも灰に変え、そして孤独に朽ち果てていった。
残ったのは彼が身にまとっていた海賊着と帽子、そして呪われた魔剣のみであった。
「終わったわね――」
灰に成り果てたソレを見下ろしながら、肩で息するムカイに歩み寄り、ミャウが少しだけ淋しげに語った。
「そうじゃのう。己の武器に溺れるあまり。自らの武器で滅びおったか。儚いものじゃのう」
ゼンカイも憂いの表情を浮かべ、瞑想するようにその目を閉じた。
凶悪で強大な敵ではあったが、かつては伝説と呼ばれた海賊でもある。
その死にわずかでも敬意を評したのであろう。
「てかよぉ。終わったなら戻ろうぜ。もうこんな不気味なところはいたくないぜ」
「……しかに……不気味」
「いやお前も中々不気味だけどな」
ムカイのツッコミにガリガががっくりと項垂れる。だが確かに彼は不気味だ。
「ところでこの」「呪いの魔剣はどうするの?」「ミャウちゃんなら」「使いこなせるかもよ?」
双子の言葉にミャウが何かを考えるように顎を押さえるが。すぐに首を横に振り。
「やめておくわ。呪いの魔剣なんて性に合わないし、私はやっぱりこの武器が好き」
「確かにミャウちゃんにはそっちの方があってる気がするのう。それに呪いの魔剣なんて持って文字通り呪われでもしたら厄介じゃしのう」
ゼンカイはなんとなく思ったことを口にしただけであろうが、その言葉はあながち間違いでもなかった。
怨念のこもる剣は恨みを吸い怨の念を持ち主に引き継ぐことが多いのである。
「戻ったらガーロックにいって船ごと沈めて貰いましょう」
ミャウの言葉にその場の全員が同意した。この船をせめて海賊王の墓標として沈めてやろうという考えであった。
「ほらチャラもいつまでも震えてないで。もう船に戻るわよ」
ミャウがそういうもチャラは全く動こうとしなかった。全くどうしたってのよ? と不思議そうに尋ねる彼女にチャラが返す。
「こ、腰が抜けてう、う、動けなうぃいいいんだよぉお」




