第十五話 一〇〇対一
眼下に広がる魔物の群れを、ゆっくりと立ち上がったミャウが俯瞰する。
ゼンカイも既に蹶然たる表情で、魔物とミャウをみやり己の出番を待っている。
ゼンカイの覚悟を認めたミャウにとって、魔物に見つかるかどうかは既に問題では無かった。
例え見つかり魔物が行動に移ったところでやる事は変わらないのだ。
ミャウは悠揚たる所作で、腰に吊るしていた小剣を右手で引き抜く。
刃と鞘の擦れ合う音が波紋のように広がった。
改めて見るとミャウの扱うは、鍔に貴石と意匠が施された見事な剣であった。
長さが70㎝程度と短い小剣だが、細身のミャウが持つと様になる。
鞘から刃を抜き終えた後、徐ろにミャウは剣を上に掲げた。
そして瞼を閉じ一言、【ウィンドブレード】と囁くように唱える。
一陣の風がミャウの身を吹き抜け、かと思えば瞬時に剣を中心に渦巻き、そのまま滞留した。
ミャウは静かに剣を下ろし、刃を下に向ける。
だが刃に巻きつかれた風は消えることなく、その周りで踊り続けている。
「じゃあ私は行くけど、お爺ちゃんは無理して真似しなくてもいいからね」
言って薄く口元を緩めた後、射抜くような瞳を魔物の群とユニークへ交互に向け、岩盤から大きく飛び立つ。
そしてミャウは軽やかに空中で一回転を決めると、まるで高級な絨毯を踏むかの如く、音もなく着地を決めた。
下に向けていた刃を水平にさせ、軽く横薙ぎに振るう。
その動作に連動し、纏いの風が低くそれでいて重い暴音を辺りにまき散らした。
その瞬間、魔物たちの視線が一斉にミャウへと注ぐ。
階下のスダイム達は色めき立ち、ゴブリンは左右にぷるぷると震えだす、
天井で根を貼っていたバットの群れは、興奮したように飛膜を広げばたつかせる事で威嚇を決める。
不快な羽音に思わず遠目で見ていたゼンカイも耳を塞いだ。
「全く喧しいのう」
そう呟きながらもその眼はしっかりとミャウを捉え離さない。
一挙手一投足まで見逃さないよう視線を貼り付けている。
ミャウが動いた。軽やかにステップを踏んで、まるでダンスでも踊っているような動きで下から上からと迫り来る魔物たちの攻撃を避け、かいくぐりユニーク目掛けて突き進む。
レベルの差が歴然とは言えここまで見事に動けるものかと、ゼンカイは感嘆の思いであった。
四方八方から迫り来る魔の手を、全く寄せ付けず掠りもしない。
その様相に見惚れてしまい、つい目的を忘れそうになるゼンカイであったが。
ミャウがユニークまで半分ほどの距離を詰めたところで、一顧してきたのでハッとした顔で蹶然する。
そして岩壁と、横の壁沿いに続く下り道を交互にみやる。
ミャウが飛び出る寸前、ゼンカイに無理しなくていいと言ったのはこれが理由であった。
別に無理しなくて飛び降りなくても壁際の足場を利用し坂を下ってきても良いんだよとのことなのである。
だが、それでは当然行動に遅れが生じるわけで――。
「え~い! わしも続くぞ!」
ゼンカイは両腕を交差させ外に広げながら膝を曲げるという行為を数度繰り返した後、数歩後ずさり、勢いを付け敢然と階下に向けて飛び込んだ。
プロ水泳選手顔負けの見事な飛び込み。
両腕を前に突き出し、大地の海原へと淀みなく落ち進む。
しかし爺さんそのままでは頭から落下であろう。戦う前からそれで天に召されては情けないことこの上ない。
だがそんな心配の斜め上をいくのがゼンカイである。
彼はなんと空中で平泳ぎのような動きを取り、落下速度を緩めていた。
心の底から規格外の男。それが静力 善海である。
結果ゼンカイはついでに着地寸前に一回転を決めるという無駄に高いボテンシャルを発揮し地に降り立った。
既に対象まで残り三分の二程という位置まで脚を進めていたミャウは、再度ゼンカイを一顧し、口元を少し緩めながらそこで初めてその剣を振るった。
背中を引くように、横薙ぎに振るいながら独楽のように回転する。
その瞬間突風が巻き起こり、ミャウに攻撃を仕掛けて来ていた魔物たちが一斉に吹き飛んだ。
見事な放物線を描き、宙を漂う魔物たちは粗方が地面に着地したゼンカイ向けて飛んでいく。
「なんじゃ?」
ゼンカイは目を丸くさせ、繁々と砲弾の如く飛んでくる魔物を眺める。
そしてその目の前に数十匹のスダイムやゴブリンが落下した。
「死んどるのかのう?」
もしかして自分が戦う前に事が終わってしまうのでは? と心配するゼンカイだがそれは杞憂に終わった。
ゼンカイの前に運ばれた魔物たちは直ぐに立ち上がり、敵意の的をゼンカイに切り替えた。
見たところダメージを受けてる様子は無い。
どうやらミャウは直接斬りつけるような事はせず、剣に纏った風の力だけで、魔物を吹き飛ばしたようだ。
「まるで芭蕉扇じゃのう」
ふと昔見た物語を思い出し口にする。
「さて、ではわしも期待に答えねばいかんのう」
言ってにやりと口角を吊り上げる。
そしてゼンカイが入れ歯による攻撃を魔物の群れ相手に仕掛け始めた頃、ミャウもまたゴールデンバットと対峙出来る距離まで近づいていた。
ミャウに攻撃をしかけてきていた魔物たちは、先ほどと同じように風の力だけで後方へと吹き飛ばしている。
その為、彼女の行動を邪魔するものはいない。
ミャウが更に数歩ユニークに近づくと、そこで漸く金色の飛膜が広げられ、怪鳥の如き鳴き声を発した。
洞窟全体を震わすような奇声である。
ミャウの眉間に細筋が浮かび上がり波打つ。
顔もどこか不快そうで何かに耐えてるようでもあった。
「なんじゃ。酷い音じゃのう。耳鳴りがして堪らんわ」
どうやらユニークの発した鳴き声はゼンカイにも届いていたようだ。
右手を口元に持って行きつつ顔を顰める。
<
しかしゼンカイやミャウの様子を見る限り、あの鳴き声には強力な超音波も含まれていた可能性が高い。
それがゴールデンバットの特技の一つなのだろう。しかしこれだけ離れたゼンカイでさえ耳鳴りを引き起こすほどである、ユニークと直接対峙してるミャウへの影響が更に強大なのは推して知るべしである。
だがミャウはあくまで冷静に、目の前のユニークを凝視し腕を組んだ。
直立し脚を肩幅程広げ、仁王立ちの姿勢を取り、ふんっ、と鼻を鳴らす。
それはまるで私の方が格上だと言わんばかりの格好であり。そして挑発だった。
ゴールデンバットは再び一鳴きし、飛膜を震わせ上空へと飛び上がった。
そして中空で停止し、左右のソレを力強く何度も振るう。
その姿からは怒りのようなものも感じられた。
どうやらミャウの挑発は上手くいったようだ。
黄金の飛膜を震わせながら、憤怒した魔物が、ミャウ目掛け急降下する。
飛膜を目一杯広げたことでユニークの巨大さは著者に現れていた。
開帳は体長の三倍は優にありそうである。
その上、飛膜は鋭利な刃物の如く薄く鋭い。鉤爪を持たない代わりにそれを武器にしているのであろう。
そんな巨大な刃を振りかざした魔物が、凄まじい勢いで襲い来るのだ。並の人間ならそれだけで脚が竦んでしまってもおかしくない。
だがミャウは洗練された動きで、その襲撃を見事に躱してみせる。
彼女の直ぐ目の前を轟然と巨大な羽が通り過ぎ、吹き抜けた衝撃で紅色の髪が踊り狂う。
にも関わらず彼女は顔色一つ変えない。
戦における戦士としての心胆の強さが伺えた。
ミャウはその後もゴールデンバットの強襲を躱しつつゼンカイの状況を見続けている。
攻撃を加える気は無いようだ、あくまでゼンカイに止めを刺させようという考えなのだろう。
これが上手く行けばゼンカイのレベルが相当数上がることは間違いがない。
恐らくはそれを期待しての事なのである。
一方ゼンカイはというと、敵を圧倒……とまでいかないまでも善戦していた。
僅かレベル2で百人組手のような状況は一見無茶とも言えるが、やはりその入れ歯の威力は絶大である。
ミャウの言っていたように、その攻撃力なら現状でも彼女に引けを取らないのだ。
一体一撃ずつ、それを百回繰り返すことが出来れば、勝利をもぎ取ることが可能なのである。
そして最後にあのゴールデンバットを倒せば更なるレベルアップも望める。
「ファイトーーーー! いっぱーーーーつ!」
声を上げゼンカイはミャウから貰っていたポーションに口を付け小瓶の中身を一気に飲み干した。
流石に敵の数も多い、無傷で勝利とまではいかないのだろう。気合を入れ直すためと言う考えもあるのかもしれない。
「ぷはぁ~」
と口を拭い息を付く。
するとゼンカイの身が淡い光に包まれ、戦いの中刻まれた傷を塞いでいった。
「ぬほ! これは便利じゃのう! よっしゃ! 戦闘再開じゃ!」
ミャウからもらったポーションのおかげですっかり元気を取り戻したゼンカイは、再び敵の集団に突撃し、攻撃を仕掛けてきたスダイムには【ぜいか】をお見舞いし、上空からのバットの突撃には身を捻っての居合で反撃し撃ち落としていく。
こうしてゼンカイの周りを囲んでいた魔物達も十、二十と数を減らしていった。
「おお! ミャウちゃんわしまたレベルが上がったようじゃあ!」
喜び勇んで叫ぶゼンカイに、
「おめでとう! じゃあ少しペースを上げてこう!」
とミャウは笑顔を見せながらもそう指示する。
ゴールデンバットを相手にするミャウは、相変わらず軽々と攻撃を躱しながら、ゼンカイに向け安堵の表情を浮かべていた。
「これは思ったより順調にいけそうね――」
ミャウが確信に満ちた言葉を吐く。
――その時であった。
巨大な黒い影がゼンカイの頭上を通り過ぎ、そして魔物の大群に向かって落下する。
直後洞窟中に響き渡る轟音と、巻き起こる土煙。
それにはミャウも、何一体? と呟き目を瞬かせる。
「おぉ、おぉ。やっぱりここユニークがおるやんけぇ。いやぁそんな気がしたんやわ。わいの勘はやっぱ流石やなぁー」
そんな最中、突如遠くから発せられた言葉にミャウの瞳が尖り、声のする方へと向けられた――。




