第一四九話 幽霊船
急いで甲板に出た一行であったが、そこで、確かに下の冒険者達がいっていた怪現象を目の当たりする。
「どうなってるのこれ? 殆ど何も見えないじゃない……」
「こんなのは」「この辺りじゃまずおきないんだけどね」
「な、なんか不気味じゃのう。それに妙に肌寒いのじゃ」
眼前に広がる異様に濃いモヤ。それは紛れも無く霧であった。それは船全体を覆い、本来なら見あげれば輝く満点の星空も、空に浮かぶ月さえも完全に覆い隠してしまっていた。
当然視界はかなり悪く、このままでは航行さえもままならないことであろう。
「船長!」
ミャウ達は舳先に佇む船長に駆け寄り声をかける。周りには何人かの水夫と、商人ギルドの男性の姿も有る。
「あぁ。君は確か海賊退治で先頭になって指揮してくれた――」
「あ、はいミャウ・ミャウです」
改めてそう言われると少し照れるのか、彼女は気恥ずかしそうに右頬を指で掻く。
「それで下に降りてきた人に大変な事になってると聞いてきたのですが、どんな状況ですか?」
「どうもこうも見ての通りさ。突然の霧にわれわれも戸惑っていてな。とりあえずは船を停船させて様子を見てるが、この霧がやまないと身動きも取れやしない」
「普段この辺だと」「霧なんて発生しないはずだよね」
「あぁ。だから我々も困っている。実はついさっきまでも波は穏やかなもので、天候の崩れも感じられなかった。にも関わらず突然こんな霧に囲まれてしまってな。何かしら原因がはっきりしていればいいんだが――」
船長の顔を見るにほとほと困ってるといった印象だ。長年海に出続けていたであろう、熟練の船長が戸惑うのだ、状況は決していいとは言えないだろう。
「別に気にしなくてもその内晴れるんじゃないかね?」
そんな船長の様子を余所に、商人ギルドの男たちが呑気な事を言う。
それに対して、だと良いんだがな……、と船長は、はっきりしない返事をみせた。
何をいい加減な、とでも言いたげにギルドの男の眉が逆八の字に寄る。
「おいおい何だよこの霧は。偉いことになってんな」
一足遅れてムカイと他の冒険者達も甲板に上がってきた。そして数多くの冒険者が一様に不可解といった表情を見せる。
「ヒック。なんだいなんだいみんな。こんな霧ぐらいで大騒ぎしちゃって情けない」
一番最後にチャラ男が姿を見せ、そんな事を言った。勿論直後に多くの冒険者の冷たい視線を浴びることになったが、本人は気づいてもいない。
「まぁこのまま何もなければいいんだけどね」
ミャウは両手を広げ軽い口調で言う。それは敢えてそういう態度をとっているようにも思えた。
少しでも周囲の不安を解消させようという思いなのかもしれない。
「そうじゃな。別に幽霊が出るわけじゃあるまいし、そんなに心配せんでもきっと大丈夫じゃよ」
ゼンカイも腕を組み、ミャウに合わせるように明るくのべる。
「……いや、ちょっとおかしい……」
「ひぃいいい! でたのじゃあああぁ!」
突如耳元で囁かれた声にゼンカイが腰を抜かし、周りの者からも悲鳴があがる。
「……俺、幽霊じゃないんだけど――」
「て、ガリガかよ! 驚かすなてめぇ!」
ハゲールが右腕を振り上げ怒鳴り、周りの者も、な~んだ、と胸を撫で下ろした。
「お前黙ってると普通に幽霊みたいだもんな」
ムカイにもそんな事を言われ、ガリガは悲しそうに俯いてしまった。
「いや悲しんでないで」「何がおかしいのか言えよ」
双子の兄弟は中々に手厳しい。
「……俺の索敵の魔法で、反応が出てる。今も近づいてる。しかも――」
「お、おい! なんだありゃ!」
ガリガが言い終える前に、水夫の一人が叫び前方を指さした。
一行やムカイ達もその声に合わせて、船の前方に目を向ける。
「ありゃ。船だな……しかし随分とボロボロだが――」
船長が呟くように言った。その言葉の通り、確かに前方に三隻の船が見える。
しかも、この霧の中、それなりの距離は離れているはずなのに何故かはっきりと――。
「てか、あの旗って、海賊旗じゃねぇか?」
ムカイの言葉に全員が向こう側に見える旗を見上げた。頭蓋骨とその下に交差された骨が二本。
確かに間違いなく海賊の印である旗が掲げられている。そう考えてみると大きさも、今一行の乗る船が曳航している海賊船と同程度か。
「おい! あのガーロックって奴が何か知ってるかもしれねぇ。急いで連れてこい!」
船長が水夫に命じると、水夫は何人かの冒険者を引き連れて、海賊たちの捕らえられている船倉に向かった。
そして間もなくして荒縄で縛られた状態のガーロックが連れられてくる。
「おい。お前はあの海賊船が何者か知っているか?」
「ひっ、ひぃいいい!」
すると突然ガーロックがその場で蹲り、ガタガタと振るえ祈りのポースを見せる。
「ちょ、何? どうしたのよ?」
「こ、これは魔の霧だぁあ! 俺達海賊の間で最近ウワサになってたな! こ、この霧に飲まれた海賊たちは例外なく全てどこかへ消え去った! わ、悪い噂だと思ったが本当だったんだぁああぁ!」
そう言って、とにかく怯えるガーロックだが、全員で協力してなんとか知っている情報を全て聞き出す。
それによるとガーロックが捕まった際に話した海賊船の消失。
それは全てこの霧のせいで起きているとされていたらしい。
ガーロックは最初こそ、その噂を鼻で笑い飛ばしていたが、段々と仲間の海賊船が姿を消し、いよいよ自分たちの船しか残らなくなった事で完全に怖気づき、本当であれば今回の仕事を最後に、どこか別の大陸へ逃げ出す算段だったようだ。
「海賊船が、この霧のせいで消えたかもしれないというのは判ったわ。でも、だったらあの海賊船は何?」
ミャウの次なる質問に、ガーロックは頭を軽く上げ、黒目を上げて応えた。
「あれは確かに俺達の仲間だった海賊船だ。だけど、だからこそ意味がわからねぇ! これまで音沙汰なしだったのによぉ。しかもあのボロボロ具合。……ありゃ、ヘタしたら幽霊船かもしれねぇ! ひぃいい!」
「自分で言って自分が驚いてどうするのじゃ」
ゼンカイが嘆息混じりに突っ込む。
「でも幽霊船だなんて、そんな馬鹿な話ありえるかしらね」
「いや、実際あれは――」
「お、おい! 船が旋回を始めたぞ!」
カリガの言葉を打ち消し、再び舳先から聞こえた声に、全員が振り返る。
そして――。
「お、おいアレって――」
「まさか……」
皆の表情に不安の色が強まる。
その様子にミャウもまた慌てた様子で振り返り叫んだ。
「ちょ! ホワイトシスターズいる!」
「あ、はい!」
「い、います!」
「な、何か?」
「いいから早くこっちに来て守りの魔法!」
ミャウの表情は真剣そのものだ。一触即発の様子も匂わせ、只事でないと判断した三姉妹が舳先に移動し、詠唱を始める。
「ヘイ! 一体どうしたってんだい子猫ちゃん。そんなに慌てちゃってかわうぃいね――」
「馬鹿! 見て判んないの!? 大砲で狙われてるのよ!」
そう。ミャウの言うように三隻全てが右舷を商船に向け、そこから件の筒が伸びているのだ。
しかもその数は一隻辺り五門とガーロックの乗っていた海賊船より多く、それが三隻分、十五門の大砲に今まさに狙われようとしている。
「でも、どうせアレも威嚇射撃ってやつじゃないのかい?」
その呑気な発言に、もはやため息すら出ない一行は、彼は無視し三姉妹の魔法に着目した。
「我ら三姉妹!」
「守りの壁を!」
「連ねたり!」
詠唱を終え、三姉妹が同時に、【トリプルマジックウォール】と唱え上げる。
その瞬間青白い魔法の壁が三つ重なり、船の前に強固な防壁を形成する。
そして、それとほぼ同時に前方の海賊船から爆轟が鳴り響き、刹那、防壁に着弾し重苦しい音が発射された砲弾の数分鳴り響く。
きゃぁーー! という三姉妹の悲鳴。
強固な魔法壁が抉れ、その衝撃で波も荒れ、船が上下左右に大きく揺れる。
「な、なんだよこれ。こんな威力、あの魔導大砲にはねぇはずだぞ……」
ガーロックの呟き。あまりの事に目を見開き、口を半開きの状態にしたまま、呆けている。
「くっ! 船は、船は大丈夫!?」
揺れが落ち着いたところで、ミャウが誰にともなく叫び問う。
それに船長が振り返り応えた。
「あ、あぁ、なんとか壁のおかげでな――」
しかし、だが、と船長が壁をみやる。
その視界の先では、抉れた穴が塞がることなく、何か黒い不気味な光にまとわり付かれていた。
そして、三姉妹の表情もどこか苦しそうであった。息も荒く、額から大量の汗がにじみ出ている。
「だ、大丈夫かいのう!」
思わずゼンカイが駆け寄り、声を掛ける。
「は、はいなんとか」
「ですが、あの攻撃には邪なる強い力が――」
「このままでは次の攻撃までに壁を修復できるか――」
その言葉に、そんな――、と呟きミャウが海賊船に目を向けた。そこに映るは、再度動きを始めた、不気味な十五門の大口であった――。




