第一三四話 追い詰められた男
レイド将軍は不快と不可解の織り混じった表情で、儚い灯りに照らされた人物を見た。
そこに佇むは、【ジン・ロンド】。
エルミール王女の護衛騎士を務めていた男である。
「騎士の恥さらしが、貴様などが何故こんなところにいるのだ!」
一歩前に出てレイド将軍の言葉を繰り返すように、看守が呷然と言い放つ。
だが、表情は変えず、ジンはその顔に一瞥だけくれてやるが、眼中に無いとでも言うように、すぐにレイドにその攻めるような視線を移した。
「……ここには誰も入れるなと言っておいた筈なのだがな」
「えぇ。入り口の看守も通せぬの一点張りだったのでね。仕方がないのでちょっと眠って貰ってます」
な!? と看守が絶句するように、口を大きく開いたまま固まった。
「貴様は自分で何を言っているのか判っているのか? いつ騎士の称号を剥奪されてもおかしくない立場である貴様が、そのような事をして只では済まないぞ?」
押しつぶすような胸声に、ジンの瞼がほんの一瞬閉じられた。
だが、再度開かれた時、その眼には決意の光が宿っていた。
「私も半端な覚悟ではここに来ていないのでな。間違っていれば全てが終わりさ。だけど、そうはならないと確信している」
間違い? 確信? とレイドは怪訝に顔を眇める。
「どうやら間に合ったようやな」
牢の中からブルームが言葉を滑りこませた。ジンが首を回し、その顔を視界に収め、軽く頷く。
「一体何を言っているのだ貴様らは……」
両手を腰の後ろで組み、胸を張りながらも、レイドは不快そうに奥歯を噛む。
「判りませんか? ならば一度ご自分の胸に手をあてて考えてみるといい」
「貴様! 先ほどからレイド将軍閣下に向かって無礼にも程があるぞ!」
突きつけた指を震わせながら、看守が声を荒げる。
「この私がもし間違っていたら、後で土下座でもなんでもしてやろう。但しその時、貴方がまだ将軍で入れたらですが」
眉間に皺を刻み、トドメを刺す直前の獣が如き瞳で、レイドを睨めつける。
「ふん。その口ぶりだとまるで私が何かとんでもない事をしてしまったかのようだな」
そのとおりですよ、とジン。
そして、貴方は、と言葉を紡げ。
「此度の件の首謀者だ。それなのに将軍等という位が保てるわけないでしょう? 寧ろ彼らの代わりに牢に入るべきはレイド将軍貴方なのですから」
その言葉に、レイドが真顔になり彼を睨めつける。
「ずいぶんな口ぶりだな。言っておくが吐いた唾はもう飲み込むことは出来んぞ?」
「承知の上です。覚悟は決めてると言ってあるでしょう?」
そのやり取りを一行は黙って見続けていた。特にブルームの目つきは真剣である。
「そこまで自信があるなら聞かせてもらおうか。勿論根拠はあるのだろうな? わざわざこの私がエルミール王女の誘拐に手を貸すなどといった確然たる根拠がな!」
語気を強め、レイドがジンを問い詰める。だが、ジンの表情は冷静そのものだ。
「勿論です。特にそのことに関しては私の協力者も助言してくれましたから。貴方のような人は、何かきっかけとなる理由をかならず持ってると」
「ほう。この私が、このネンキン王国軍で確固たる地位を築き上げたこの私が、それを不意にするような真似をするに足りる理由があると?」
あります、とジンが断言する。
「貴方は王女に大してある恨みの念を抱いていましたね? 調べるとすぐに判りましたよ。貴方が将軍の位を賜った直後。エルミール王女の生誕祭が執り行われた際、貴方は終盤で行われた舞踏にて王女に誘いの言葉を掛けた」
レイドの蟀谷がピクリと波打った。
『……お前目つきがキモいのじゃ。大体、妾に高が将軍如きになった程度で浮かれてるものが誘いをかけるなど身の程知らずもいいところじゃ、この無礼者が! それに妾には心に決めたものがおるのじゃ。判ったらとっとと消えるのじゃ!』
ジンはエルミール王女が言ったとされる言葉をそのままなぞり告げる。
「将軍の位を得、絶対の自信に満ち溢れていた。しかし数多くの有力者が集まった生誕祭で、貴方は相当な恥をかかされてしまった。その事で、貴方は随分と王女を恨んでいたのでは?」
「……馬鹿な事を。たしかにそのようなことがあったのは事実だが、私もあの時は少々浮かれすぎていたと反省している。しかし、よもやそれが自信のあらわれとはな、全く――」
レイドは鼻で笑い飛ばし肩を竦めた。隣に立つ看守も、全く愚かな話ですな、と同調する。
「勿論それは只のキッカケでしかない。そもそも何の利もなくこんな真似するはずが無いですからね」
利、だと? とレイドの顔が再び引き締まる。
「そうです。そもそもこの計画は、貴方とエビスがなんらかの形で繋がっていないと成り立たない」
「私とエビスがだと? 何を馬鹿な。大体エビスを捕えたのは私だ。裏で繋がってるのなら、なぜそのような事をする必要がある?」
「いえ、それはそもそもが已む無くという形であったにすぎない。本来の計画とは少々違った方向に進んだからこそね。だからこそ、貴方は彼らに計画を持ちかけた首謀者として罪を被せようとしている」
「ふざけた事を……第一証拠もなく――」
「ところでレイド将軍」
苦々しげな表情を浮かべるレイドに、ジンが言葉を被せる。
「このネンキン王国で出回り始めていた魔薬、そして頻繁する盗難事件。この事について思うことはありますかな?」
「……それらは全てアルカトライズの裏ギルド絡みなのは知っている。だが今回の件であの街にも王国軍の手が入る事になるのは間違いない。時期に落ち着くであろう」
「随分と余裕ですな。只、このふたつの事件は、今回の件があるまでは対処が全くすすまなかった。――一体何故でしょうか?」
「奴等の手口がそれだけ巧みだったという事だろう。王国の治安を守る立場としては、その点に関しては反省しなければいけないところもあるがな」
「そうですか。しかしこういった考え方も出来ませんか? 王国内に内通者がいて、エビスに協力していたと。そしてそれを行うのは立場が上であれば上であるほど効果的です」
レイドの拳が、怒りからなのか、確信をつかれはじめているからなのか、プルプルと震え始めている。
「妄言もいい加減にしておくのだな。確たる証拠もなく――」
「これは貴方の資産を示すものです」
レイドの言葉を遮るように、ジンが数枚の紙を取り出し突き出した。
「し、さん、だと?」
「これによると、丁度王都で先に述べた二つの事件が相次ぎ初めてから、金の流れが激しくなっていますね。更にこのころから随分と羽振りも良くなっていたようだ」
ジンは資料の表面をパンッ、と叩きつけながら、朗々と告げる。
「ば、馬鹿な! 貴様! 勝手に私のソレを調べたというのか! そのような事をして、ダタですむと!」
「勿論、何もなければ何だかの処罰をうけかねない。だが結果的には調べて正解だった」
レイドの顔色が変わった。額には汗も滲み出てきている。
「だ、だがそれがどうした! そんなものは何の証明にもならないぞ! た、たまたま入ってきたものが多くあったのだ! あいつとは何の関係もない!」
「そうですか。でしたら公の場でしっかり証明してもらいましょうか? 貴方の立場を考えても多すぎるこの金額に関して。一体収入源は何であったのかをね」
ギリギリとレイドが歯噛みする。先ほどまでの自信には陰りが見え始めていた。
「くっ! だいたいそうだとしたら何故王女の誘拐などをする必要がある! わざわざそんなリスクを負うようなまね――」
「更なる利権が欲しかったのですよねレイド将軍」
その声はジンの後ろから聞こえてきた。そして足音は複数に及ぶ。
「ケ、ケネデル! 貴様もか!」
レイドはグレーの髭を蓄えたその男に叫び上げながら、目を剥いた。
そしてそのケネデルの後ろには更に数名の王国騎士の姿。
「こちらも漸く色々と調べがつきましてね」
その言葉にジンの頬が緩んだ。これで間違いないという心境のあらわれかもしれない。
「し、調べだと?」
「はい。エビス含めて色々手を打とうとしていたみたいですが、あからさますぎましたな。例えばウエハラ アンミなども一緒の牢に入れようとしていたみたいですが、全力で阻止させて頂きましたよ。ついでにいえば色々と話しも聞くことが出来ました」
レイドの顔色が明らかに変化している。必死に平静を装うとしているが、逆に動揺を浮き彫りにしてしまっていた。
「貴方の報告では、彼らとエビスは報酬について決裂したとありますが、彼女の話は全く違いました。エルミール王女を救おうとした彼らをエビスは随分と卑劣な手で片付けようとしたみたいですな」
「そ、そんな事は知らん! 私には関係がない!」
「そうですか? あぁそうそう。貴方が集めた配下。よほど信頼できるようで事後処理も色々と頼んでいたようですが、それも全て食い止めさせて頂きましたよ」
「な、なんだと! 馬鹿な!?」
「それはご自分の息の掛かったものばかりだったからという事でしょうか? 魔薬の資料も奪おうとしていたみたいですな。しかしその中に私の為に協力してくれた者がいた事は気づかれなかったようですな」
「お前の……手のものだと――馬鹿な! だとしたらそんな前から――」
「疑ってたはずやで」
ブルームが壁にもたれ掛かったまま口を挟む。
するとレイドがギロリと彼を睨みつけた。
「そんな顔したかかて、もうメッキは剥がれかけとるで? あんさんが怪しい事はわいの方で前から嗅ぎつけとってなぁ。やからそこのおふた方には手を打つよう密かに情報を渡しといたんや」
「そういう事だ。王女の事で確かに私の立場は危うくなったが、逆にソレを利用させてもらったよ。私の信頼できる部下でも得に腕の立つものに、私に愛想が尽きたという事にさせてね。まさかここまで簡単に食い付くとは思わなかったが、ね」
ケネデルは汚物でも見るような眼で、レイドをみやった。
「さて、話をまとめると今回の件、レイド将軍貴方が姫を救い出すことまでが計画の内であった。まぁ色々と誤算はあったようだが、そうやって功績を上げることで、アルカトライズを王国の管理下に置き、そして自らが責任者として街に赴くつもりだった。そんなとこですかな。本来の予定ではエビスも逃げる算段で考えていたようで、表は貴方が裏ではエビスが牛耳るという計画であった」
次々と並べ立てられる発言に、レイドはグゥの音もでないといった具合だ。
「そしてそうすることで、裏で魔薬の流通経路を拡大し、更なる利益を生もうとも画策しようとした。全くよくもまぁこんな大それた事を思いついたものだ。ただ、少々詰めが甘すぎましたな。エビスの配下にしろ所詮金だけの関係。自分の身の為ならどんなことでもベラベラ喋るような連中だ。既にかなりの情報も集まってきている。レイド将軍……いや、レイド・キチクランス! もうお分かりであろう! 真に牢に入れられ、裁判に掛けられるべきは彼らではない! 貴様だ! 既に上に話しも付いている、観念するのだな!」
ケネデルが鬼の形相で叫びあげる。だが、レイドは俯いた状態で、馬鹿な、馬鹿な、と繰り返し続けるばかりだ。
「そ、そんな! こんな話は聞いてない! あんたに付いて行けばいい目に合わせてくれると! だから私だって協力しようと――」
「どうやらお前にも色々と話しを聞く必要があるようだな」
看守は、あ!? と口を両手で覆ったが、最早手遅れである。
そしてケネデル公爵に付いてきていた騎士たちが、二人の側に近づいていく。看守はあっさりと捕らえられ、二人の騎士もケネデルの腕を取ろうとするが――。
「さ! 触るな! このクズ共が!」
突如レイドが暴れだし、二人の騎士を殴り飛ばす。
「……無駄な抵抗は止めたまえ! せめて将軍として最後ぐらいは――」
「黙れ黙れ黙れぇええぇええぇええ! このジェネラルの称号を持つ、レイド・キチクランス将軍様が! 貴様らなどに捕らえられてなるものか! こうなったら貴様らを片付けてでも――」
それは半ばヤケになってるようにも思えたが、しかし彼が愛用のゲドウランスを現出させた事で、その場の空気が張り詰める。
その時――ガチャ、と何かの外れた音がし、格子の扉がゆっくりと開かれた。
「え? お、おいブルームお前か!?」
ジンが驚いた様子で彼に尋ねる。
「そうや。まぁわいら達もう出ても問題ないんやろ? やったらこれぐらい大目にみてや。な? ミャウ」
「気安く呼び捨てにしないでよね」
そう言ってミャウが扉を抜け、そして――。
「ミャ、ミャウ――お前――」
ランスを身構え、その瞳に狂気の光を宿すレイドの前に、彼女は立ちはだかるのだった――。




