第一一八話 黄金の箱
ブルームは目的の物が隠されているという部屋に向かって、案内役のウラと共に先を進んでいた。
「あの部屋です」
通路の角を曲がり、数メートルほど先のドアを指さしウラが言う。
「ほうか。ほんなら急ぐで」
脚を早め、ブルームは相棒の指定したドアの前まで移動し、横の壁に背中を付けた。
反対側ではウラも同じように壁に背中を付けている。
「ここの鍵のことは俺にまかせてくだせぃ」
潜めた声でそう告げ、ウラがまるで爬虫類のように床にベッタリと腹を付け、そして這うようにドアに近づいた。
そして顎を上げ、上半身を起こして、ドアノブにそっと触れ、鍵穴に懐から取り出した針金を差し込んだ。
彼は慎重に、カチャカチャと針金を動かし続ける。時折耳をノブに近づけたりもしていた。その手慣れた所作を見るに、ウラのジョブはきっと盗賊系のものなのであろう。
カチャン――と何かの外れる音が静かに響いた。
「開きやした」
「流石早いのう」
関心したようにブルームが言う。
そしてウラがドアを少しだけ開け、中をのぞき込んだ。
「大丈夫そうです……」
そこから更に人一人分ぐらいの隙間を開け、ウラが素早く中へと入りこんだ。床を摺るような脚さばきによって、僅かな音すら響かせない。
そして間髪入れずブルームも音もなく部屋の中へとその身を滑り込ませた。
ゆっくりとドアを閉め、部屋の中を見回す。
相変わらず金一色の部屋に眉を顰めた。
「本当に最悪の趣味やな」
嘆息混じりに述べると、頭、とウラが呼びかけ。
「彼処に見える箱のなかに目的のものがあります」
指をさしブルームに伝えてくる。
彼の指し示した方へブルームが目を向けた。
部屋は正方形の造りで、かなり広めだ。
だが備え付けられているのは僅かな本棚に机と椅子、そしてウラの言う箱だけである。
そして、その箱すらも黄金の箱である。だがこれといった装飾もなく、色を覗いては変わったところのない只の箱であった。
その箱までは、ブルームの脚で二十歩ほど進んだ先、奥の壁際に置かれている。
一つの部屋として見た場合それなりの距離とも言えるだろう。
「……罠はないんかのう」
「大丈夫なはずです」
ほうか、と答えつつもブルームは壁際を辿り、回りこむようにして、箱を目指した。
いくら仲間が言っているとはいえ、大事な物が隠されているであろう部屋で、何もない中央をズケズケと通るほど、彼も愚かではない。
落とし穴や、床下から飛び出す槍など、考えられるトラップは幾らでもあるからだ。
「俺はここで見張ってますので」
ドアの様子を伺いながらウラが言う。
そして後ろは振り返らず、手だけ上げてブルームが返す。
ウラが行ったような摺り足に近い歩法で、慎重の中にもある種の大胆さを織り交ぜ、そしてブルームは黄金の箱の前に辿り着いた。
「むぅ……」
箱を眺め回しながら、ブルームが唸る。
「これ普通にはあかへんやろ?」
「あ、そうでした! すみません! 魔法が掛かってまして、解除の言葉で開くようになってます」
ふ~ん、と口にしつつ、鍵型にした指を口に添える。
「そんで? その言葉は?」
「箱の前で【ブラーフ】と唱えれば開くはずです」
質問にはすぐさまウラが返した。
「……ほうか。そんじゃ【ブラーフ】!」
ブルームがそう唱えた瞬間、箱が開き――同時にガシャァァン! という金属音が背後から鳴り響く。
「……なんや。どういうこっちゃ?」
中身が空の箱と、ウラの正面に降りてきた鉄格子を交互に見やりながらブルームが怪訝な顔で口にする。
そして、部屋の中央では黄金の床に突如五芒星の刻まれた魔法陣が展開しだし。
「全く、見事なまでに引っ掛かってくれたものですね」
ガチャリと入り口のドアが開き、何者かが部屋の中に入ってきて、愉快そうに言を述べた。
ブルームはその顔をジロリと見た後、視線をウラに向け、どういうこっちゃ? と再度問いただす。
その瞳の鋭さは射抜くというより斬り裂くといったほうが正しいかも知れない。
「う、し、仕方無いんでさぁ! エビス様の力は絶大だ。逆らって生きていけるとは到底思えねぇ。だから俺もあいつらも! こちら側に付いたのさ! でもよぉ、ここはそういう街だろ? 諦めてくんな」
その言葉に嫌らしい笑いを男が重ねる。
「クックック。まぁそういう事でね。彼らには、お前たちの動向をだいぶ前から監視させていたのだよ」
忍び笑いを繰り返しながら男が言う。ブルームは更にその姿を注視した。
顔は円柱のように縦に長く、髪と髭の色は黒。豊かな顎鬚を蓄え、頬まで達した髭が、長いもみあげと一体化してしまっている。
男は見た目には精悍な顔つきをしており、肉付きも悪くない。
ただ上半身から纏われた黒いローブと、右手に握られた、悪魔の意匠が施された金属製の杖が、彼が魔術師系のジョブを有し者である事を証明していた。
「……で? あんさんは?」
ブルームの問いかけに、フッ、と男は不敵に笑いその問いに応える。
「私はベルモット。【デビルサモナー】のベルモットだ」
あいている方の手を回すようにしながら胸のあたりで水平に保ち、そして軽く頭を下げた。
「ご丁寧なこった。それにしてもあんたがデビルサモナーかい。あのレッサーデーモンを召喚したんもあんたなんやろ?」
言いながらもブルームは彼の指に注目した。全ての指には、骸骨や角の生えたヤギの意匠が施された指輪がはめられている。
「ご名答。だが、あの二体は只のダミーさ。あんなものが私の実力だとは思わないで欲しいものだね」
絡みつくような視線を向けながら、ベルモットは不敵に口角を吊り上げた。
「ほうかい? まぁしかしなんやな。わいを騙してこんなところに閉じ込めてどないする気やねん?」
肩を竦め、ブルームが問いかける。
すると、フンッ、と鼻を鳴らし、そのホウキ頭ごと姿を見据えながら。
「そんな事は決まっているだろう。君の命を取り馬鹿げた計画も全てこの手で捻り潰すためさ。勿論彼らも同意の上でね」
ウラを尻目にベルモットが応える。そのかつての仲間の姿をブルームが視界に収めるが、彼はその眼を逸らした。
「……まぁ別に恨んではおらんで。騙し騙されはわいらにとっては当たり前ん事や。騙されたほうが悪いんやからな」
その返しに、ベルモットが肩を小刻みに揺らした。
「よく判ってるではないですか? そう君はもう騙されたのですから覚悟は決めるべきですね」
もう勝利を確信したかのような男の言葉に、ブルームが後頭部を擦りながら言う。
「ほんで? どうやってトドメを刺すきなんや?」
はぁ? と呆れたようにベルモットが両手を広げた。
「後ろのソレを見て判りませんか? だとしたら相当に鈍いですね」
「まぁのう。わいはあんさんみたいに頭は良くないからのう」
それは勿論褒め言葉などではなく、皮肉のたっぷり込められたものであった。
その言外に漂う空気を感じ取ったのか、ベルモットの顔に不快感が顕になる。
「だったらすぐに思い知らせてやりますよ」
言って右手の杖をさし上げると、瞑想するよう瞼を閉じ、そして詠唱を行い始める。
「ザーザス――ザーザス――ゾディアル……ガースト――」
彼が口にするは、悪魔の使う特別な言語であった。その意味はブルームには当然理解できないが、不気味な空気だけは、その身からビリビリと伝わってくる。
そして、詠唱が進むにつれ、部屋の中央に浮かび上がった魔法陣が暗黒の色に染め上がっていき、そして紫炎が外側の円をまず燃やし、そして紫の線が内側にまで及び、かと思えばまるで中心がぽっかりと穴があいたように黒く染まり、その中から一体の悪魔が姿を現した。
「こいつはまたエライもんを召喚してくれたもんやなぁ」
片側の目をこじ開けるようにし、ブルームが口を開いた。
「フフッ。どうやら知っているようだね。そう、それはグレートデーモン。悪魔の中でも最上位に位置する闇の門番。レッサーデーモンが束になっても敵わない、強力な悪魔だ」
ベルモットの呼び出したのは、見た目にはレッサーデーモンに近い悪魔であった。
ただ、その体格は軽くレッサーデーモンの倍近くに達し、背中から生やした飛膜も遥かに立派なものである、
更に決定的な違いは、その肌の色か。まるで闇をそのまま貼り付けたような漆黒。
まさしく悪をそのまま具現化したような、異様な雰囲気を漂わせし闇の門番である。
「さぁ、どうしたのかな? 随分余裕がなさそうに思えるが?」
両手を広げ、軽く身体を左右に振りながら、ベルモットが問う。
「アホかい。こんなん出されたら、余裕なんてもてるわけないやろ。しっかしのう、こんなんやらヨイちゃんつれてくれば良かったかも知れへん」
そこまで言った後、ブルームはベルモットに顔を向け聞く。
「この悪魔がわいの仲間の方にもいっとるんかい?」
いや、とベルモットは薄笑いを浮かべ答える。
「そっちにはもっと楽しめる御方が待ち構えているさ。最もその仲間にとっては不幸としかいいようがないだろうがね」




