第一〇六話 霧の中で――
「迷ったってどういう事よ!」
ミャウの張り上げた声が霧の中で木霊した。
近くにいるミルクも呆れ顔で、たくっ冗談だろ? と零している。
「なんじゃなんじゃ。どうせアレじゃろ? そう言って悩むフリをしてヨイちゃんを休ませてあげる気なんじゃろ?」
ゼンカイが妙に気の利いた事を言うと、ヨイも、そ、そうなんですか? と少し嬉しそうに聞く。
だが、そんな彼らにブルームが頭を掻きながら、罰が悪そうな顔をみせる。
それが結果的に彼の言葉が真実である事を示していた。
「ほんっと! 呆れたわ! あいつの前でも随分自信満々に言うから、こっちはすっかり信頼してたのに」
猫耳をピンと立たせ、唇をへの字に曲げた。どうやらミャウは、かなりのご立腹なようである。
「わいにだってたまにはこんな事ぐらいあるんや。でもな、やっぱおかしいねん。途中までは間違いなく進んでたんや。つまり、考えられるんは、途中から霧の流れが変わったんちゃうか? てとこなんやが……」
顎を指で押さえ考えこむブルームに、な、流れ、で、ですか? とヨイ。
「あぁそうや。ほんで、そうなると、わいらの情報が知れて、急遽ダークエルフが霧の流れを変えたっちゅう可能性やが……」
「でも、どっちにしてもピンチなのは変わらないって事よね?」
ふぅ、と一つ息を吐きだし、ミャウが問う。
「何か他に道はないのかのう?」
ゼンカイも更に質問を重ねた。だがブルームは首を横にふる。
「迷いの森を抜けるためのルートは常に一つや。つまりここを抜けるには、変わってしまったルートを見つけるしか無いんやが」
「だったら早くみつけなよ」
ミルクが眉根を寄せ、命じるように言う。
「簡単にいうてくれるなや。こんな霧の中でソレを見つけるのは容易な事やないで」
ブルームは不機嫌そうに言うが、勿論それは付いてきている皆も一緒である。
「こんなところで立ち往生なんて冗談じゃないわね」
ミャウが眉を顰めながら言う。すると、ちょい待ち! とブルームが語気を強めた。
「何か……くるで」
その言葉に一行もその耳を欹てた。すると猫耳であるミャウが、本当、と続けて言い。
「足音がする……かなり重い音ね、しかも複数体――」
ミャウが両耳に手を当てるようにして言った。その直後、大地が僅かに揺れ、同時に他の者の耳にも、ドスン、ドスン、という地響きが飛び込んでくる。
「こりゃ、ちょっと厄介な事になりそうやな」
ブルームがそう言って肩を竦める。音が更に近くで響いた。
一斉に全員が真剣な表情にかわり、それぞれが武器を現出させ身構えた。
進んでいた方向から見ればブルームを前衛に、左右にミルクとゼンカイ、後衛は、ミャウがブルームに背を向けるように立つ。中心にはヨイがいた。
近接戦闘能力を有さず、ローブという軽装であるヨイには、正面切っての戦いは不可能に近い。その上で疲れもある。
全員で彼女を囲むのは、恐らくは敵であろう、ソレの脅威から身を守るためでもある。
「み、皆さん、ご、ごめんなさい」
ヨイが思わず謝りの言葉を述べるが、気にしないで、とミャウが返事する。
勿論意識は背後から迫る何かに向けられており、目を凝らすようにして霧の中を見据え続けていた。
「けどヨイちゃん。チートの方は頼んだで」
ブルームの言葉に、は、はい! と両手を握りしめる。顔つきは他のものと変わらない。守られているからと油断している様子は感じられなかった。
その時、ミルクのすぐ正面に巨大な影が浮かび上がった。
同時に何かが横薙ぎに振られ、ブンッ! という音と共に霧がぐにゃりと揺れた。
先太りの無骨な武器がミルクに迫る。だが彼女に慌てた様子はない。
先ず右手に握られた戦斧で攻撃を受け止めた。平らな部分であった為、巨大なソレは丁度いい盾代わりとなった。
そしてそのまま身体を捻り、逆の手に握られた大槌を巨体の脇腹に叩きこむ。
「グォオォ!」
低い呻き声が聞こえ、その影は身を縮めた。痛みに耐えられず腰を落としたのであろう。
今のミルクの膂力はそれほどまでに優れている。
そして彼女の腕は再度振り上げられ、眼下に見えるその頭に、容赦なく大戦斧を叩き込む。
グシャリ、と歪な音が耳に響き、吹き上がった血がミルクの顔を汚した。
だが、そんな事を気にする様子などミルクからは微塵も感じられなかった。
「こっちにも来たわね」
言ってミャウが黒目を忙しく動かした。
「か、数が……だ、大丈夫ですか?」
ヨイも心配そうに尋ねる。確かにミャウが引き受ける後方からは、大きな影が三体近づいてきている。
「任せて。でも、こいつらってもしかして……オーガ?」
「あぁ、そうやな。このオーガはダークエルフに従いこの森を徘徊しとる。そやから考えなしにこの森に入り込んだもんの運命は、このオーガに喰われるか、彷徨い続けて力尽きてくたばるか二つに一つっちゅうわけや」
「こんな奴らに喰われるのは流石にゴメンじゃのう」
迫り来るオーガへ集中しつつ、ゼンカイが言う。
「それは勿論私も一緒よ」
そう言ってミャウがスキルを発動させ、愛用のヴァルーンソードに風の付与と更に新たな効果も付け加える。
「転職したおかげで【ダブルコーティング】も随分楽になったわね」
言って再度ミャウがオーガへと目を向けた。霧の中から三体の内の一体が姿を現す。
禍々しい紫色の体色を有すその身体は、岩石のようにゴツゴツとしており、身の丈は2mを超える。
顔は四角く、黒目の無い尖った瞳と、口からは左右外側に、上下に一本ずつ、合計四本の牙を生やしていた。頭頂部にみられる二本の角は、まさに鬼といった具合である。
オーガ達の手に握られるているのは、岩で作られた棍棒。先ほどミルクを襲った物もこれであろう。丁重さなど全く感じられない造りではあるが、彼らの膂力であれば、このような物でも恐ろしい武器へと変わる。
ただ勿論これは、相手が並みの強さだった場合だが――。
正面に立ったオーガがミャウの目の前で棍棒を振り上げた。
するとミャウが、剣先をオーガの顔へと向け、ユラユラと揺らし始める。
「折角だから、貴方で試してあげる」
そう言ってミャウが、空いている方の手を口元に添えて、ウィンクをしてみせた。
すると、オーガは棍棒を振り上げた状態のまま動きを止め、彼女の揺らす剣先のみを見つめ続ける。
そして、よし、とミャウが呟き、かと思えば彼女が身を捩らせ。
「ねぇん。私の言うこと聞いてくれる? お・ね・が・い」
囁くようなミャウの声によって、突如オーガが身体の向きを変えた。その方向には、すぐ近くまで迫ってきていた、もう一体のオーガの姿。
「グォオオオォオ!」
オーガが吠えあげ。かと思えばその手に持つ棍棒を、なんと仲間である筈のオーガに目掛け振り下ろした。
「成功ね」
とミャウがペロッと可愛らしく舌をみせる。そして今度は、残ったもう一体も同じ方法で仲間に襲わせるよう仕向けた。
「チャームの効果を付与したんかい。中々やるやんけ」
関心したようにブルームが言を発する。チャームは、掛かった相手が暫く掛けた相手の言うことを聞くようになる効果がある。
この付与は前のジョブでは扱えないものであったが、ウィッチブレイドに転職した事で、状態異常系に位置する付与も付けられるようになったのである。
そしてミャウの力で魅了された二体のオーガは、残りのオーガを挟むようにして棍棒での殴打を繰り返した。
これには当然、挟み撃ちにあったオーガも太刀打ちできず。
しばらくするとその場に蹲るようにして倒れ、そのまま動かなくなった。
役目を終えたオーガは、ミャウの下に戻ってきたが、その二体の首を、容赦なくミャウは撥ねた。
残酷なようにも思えるが、ここで情けでも掛けれは、結果的に仲間をピンチに陥れる事になる。
「こっちも、とっとと片付けるかいのう」
言ってブルームが、腕に取り付けたクロスボウの照準を、迫るオーガに向けた。
「頼んだでヨイちゃん」
ブルームの呼びかけに、は、はい、とヨイが返し、彼の撃ち放った矢弾にビックの効果を加えた。
すると矢はバリスタから発せられし矢弾の如き大きさまで変化し、迫るオーガ達の胸や頭を次々に貫いていった。
「わいは耳もえぇんでな」
オーガが地面に崩れ落ちる音を聞きながら、ブルームはヘラヘラと笑いホウキ頭を揺らした。
「あたしも負けてられないね!」
ミルクは先の相手とは別に、更に迫りつつあるオーガを視界に収め、腰を落とした。
「【フルチャージ】!」
その瞬間、彼女の身体から金色のオーラのようなものが吹き上がる。
「これであたしの攻撃力は跳ね上がる!」
声を滾らせ、ミルクは両手の武器を同時に振り上げた。
そして、肩や腕の筋肉が一気に膨張したかと思えば。
「【ブレイクシュート】!」
ミルクは両手の得物を地面に叩きつけ、更にスキルを重ねた。
大地を砕く炸裂音が辺りに響き。そして視線の先で近づいてくるオーガ目掛け、地面を刳りながら、衝撃が突き進んだ。
ソレが淀みなくオーガの身体に命中すると、2mを超える巨体が宙高く舞い上がった。
頭上に見えるオーガは、そのまま天地が逆さまになった状態で、地面に激突した。
ゴキッ! という鈍い音がミルクの耳朶を打つ。
そしてオーガはもう立ち上がる事はない。自分の体重を支えきれず、首の骨が折れたからだ。
「ほ~れ、こっちじゃこっちじゃ~」
ゼンカイは二体のオーガの攻撃を、巧みに躱しながら、挑発の言葉を続けていた。
その表情には余裕すら感じられる。
数多の敵を相手にしてきたゼンカイにとって、すでに目の前のオーガは相手ではないのだろう。
「ウガァアアァア!」
二体の内の一体が叫声を上げ、そして振り上げた棍棒を振り下ろそうとする。
しかしゼンカイには、その動きがスローモーションのようにすら感じられたのかもしれない。
視界に映るオーガが動き始めたその瞬間、ゼンカイが飛び込み、その顎に入れ歯によるストレートを叩き込んだ。
この小さな身体のどこにそんな力が? と目を疑いたくなる程に、巨体が吹き飛び、大地に背中を激しく叩きつけた挙句跳ね上がり、そのまま翻筋斗打つようにして地面に伏した。
ゼンカイは倒れたまま動かないオーガの姿を眺めつつ、むりゃひゃよ、と瞼を閉じた。聞き取れない声は、入れ歯が無いことの証明であり。
背後から迫るオーガの、更に背後から、シュルシュルという回転音が近づいてくる。
そして、的としては大きすぎるぐらいの頭を、戻ってきた入れ歯が襲いかかり、後頭部を打ち砕いた。
オーガの倒れる、ズシーン、という重苦しい音を聞き届けると、ゼンカイはくるりと反転し、戻ってきた入れ歯を受け止め口に戻した。
「油断大敵じゃよ」
骸とかした二体のオーガに憐れみの視線を向けながら、ゼンカイがぼそりと呟いた。
こうして霧に紛れ、一行をその手に掛けようと迫ったオーガの群れは、その目的を達すること叶わず、返り討ちにあい死に至った。




