第一〇三話 あっかんぺぇからの旅立ち
上半身を起こし、殴られた頬を右手で押さえ。そしてどこか唖然とした表情でレイドはゼンカイを見ていた。
そして何度か瞳を瞬かせワナワナと手を震わせながら、頬に置いた方とは違う側の人差し指を、己を殴りつけたゼンカイに向ける。
「き、貴様」
「何じゃい!」
「な、殴ったな。この私を、将軍であるこの私を、し、しかも、しかもグーで! グーでこの私を! 私を殴ったなぁあ!」
将軍の声がどこか上擦っている。殴られた事そのものが信じられないといった雰囲気だ。
「殴って何が悪い!」
ゼンカイ吠える。すると将軍も、な、な、と次の言葉が出てこない様子である。
「ふん! 将軍じゃかなんじゃか知らんがのう。悪いもんは悪い! それは当然じゃ! 目の前でそれも判らずいきがってる餓鬼がいたら時には殴ってでも判らせてやる必要があるからのう!」
未だレイドは頬に手を当てたまま、歯噛みし、そしてゆっくりと立ち上がる。
「餓鬼、だと? この私が、この私が――」
「そうじゃ。わしに言われるのが納得いかんか? 確かにわしは転生し、若返った事でプリティヤングマンに見えとるかもしれんが」
いや、それは無いだろう。
「じゃが実際こう見えても140年も生きとるナイスガイじゃ! お前なんぞよりよっぽど永く生きとる! わしからみたらお前など鼻水垂らした餓鬼とかわらんわ!」
ゼンカイがビシッと指を突きつけ言い放つ。そして再度腕を組み。
「じゃから。わしは一人の大人としてお前を殴った。間違ったことしておる悪ガキがいたら誰だろうと何だろうと叱る。それが大人の努めじゃ」
そう言って一人ゼンカイが頷くが。
「間違っているだと? この私が、この私がぁあぁあ!」
血管を波打たせ、吠える将軍。だがゼンカイは顔を眇め。
「お前はそんな事も判っとらんのか――愚か者がぁあ!」
負けじとゼンカイも叫びあげ。そしてミャウを振り返る。
「お前にはこの子がなんと見えると言うのじゃ! 物? ペット? フザケルでない! 確かにミャウちゃんには猫耳が生えとる。じゃがな! それはわしにとってはミャウちゃんの可愛らしいチャームポイントじゃ! そうじゃ、ミャウちゃんはわしらと同じ暖かい血が通うとても心優しいチャーミングな女の子じゃ! そして仲間じゃ!」
「お爺ちゃん――」
思わずミャウが呟き、そして瞳を潤わせる。
「そんなわしらの大事な仲間を捕まえて、言うに事欠いてペットじゃと? 所有物じゃと? 馬鹿を言うでない! そんな下衆な台詞を吐く奴が悪ガキと言わず何という? 今殴らないでいつ殴る!」
「ゼンカイ様、ス・テ・キ」
小さいはずが今は確かに大きくも感じるその姿を眺めながら、ミルクはうっとりとした表情を浮かべている。
だが今ならばミルクのその気持ちも判らないでもない。
しかし――レイド将軍はようやく頬から手を放し、そしてその手を額に添え天を仰ぎ、クカカッと笑い出した。
「なんじゃい。何がおかしいんじゃ? どこか糸が一本きれたのかい?」
すると、レイドがゼンカイを睨めつけ、これが笑わずにいられるか! と告げ。
「所詮貴様は何もしらないからそんなことが言えるのだ! 大切な仲間だ? 反吐が出る! そこにいるのはさっき私が話した事など可愛く見えるほどの汚れた野良猫だ! 両親をなくしたそこの獣は、私に拾われるまでは盗みから騙しまでなんでもやるような卑しい存在だったんだよ! 本来なら捕まった時点で王国追放だってありえたんだ! それを私が拾い育てた! 罪も記録に残らないようしてやった! 私はその野良猫に感謝こそされ、このような裏切りにあう理屈などないんだよ! どうだミャウ! 思い出したか! これだけの事をしてやった私を――」
「いい加減にせんともう一発殴るぞ。今度は手加減など出来んからのう」
その言葉に思わずレイドが身動ぎ、そして頬に手をやった。最早完全な条件反射である。
だが、その姿をみやり、はぁ、とゼンカイがため息をついた。
「お主は……可哀想な奴じゃ」
哀れんだ瞳で将軍をみやり、レイドも、か、可愛そうだと? と反問する。
「そうじゃ。お主の話しとるのは全て過去のことばかりじゃ。それでお前はミャウちゃんの何を見てきたというのだ? いや、何もみてなかったんじゃよお前は。その節穴には彼女の持つ今の魅力が、はっきりと映らなかったのじゃろうな。全く愚かな事じゃよ」
そこまで言って、再度息を吐き、じゃが、と言葉を紡げる。
「ミャウちゃんはな。もうわしらと今を生きているんじゃ。未来に進もうとしてるんじゃ。それを! 貴様のような輩に邪魔される筋合いは無い! 貴様のような愚か者の過去に縛られとる時間もない! 今、この時間、一分一秒すら! ミャウちゃんの今にとって大切な時間なんじゃ! それもわからん貴様が! われらの時間を邪魔するでない!」
そこまで言い。そして、以上じゃ、とゼンカイが二人を振り返る。
「さぁ行くかのう。これ以上こんなところにいては時間が勿体無いわい」
ゼンカイが微笑み、それに二人も微笑みを返す。
「ゼンカイ様の言うとおりです。あのような男。かまって入られません。な? ミャウ?」
「……うん! そうだね!」
こうして三人は今度こそ王城を後にしようとするが。
「判っているのか……貴様ら! 判っているのか! この私にここまで言って! 貴様らの登録など! やろうと思えば今すぐにでも抹消できるのだぞ!」
「勝手にするがえぇ」
言下にゼンカイが返すと、な、に? とレイドが声を震わすが。
「もしお主如きの発言で取り下げられる資格なら、こっちからお断りじゃ。大体別にギルドに登録などしてなくても冒険は出来るのじゃからな」
そのゼンカイの言葉に二人も声を弾ませ。
「そうですわ! あたしはゼンカイ様さえ入れば、ギルドなんか関係ないです!」
「そうね。まぁお爺ちゃんはまだ頼りない部分もあるから、私も付き合ってあげないといけないし」
二人の同意を得たゼンカイは、満面の笑みを浮かべた後、後ろを振り返り、そして将軍めがけてあっかんべぇをしてみせた。
それにつられるように、ミルクとミャウも舌を出す。
「き、貴様ら! 許さん! 許さんぞ! まて! 待たんか!」
立ち去ろうとする三人を追いかけようと、レイドが掛け始めるが。数歩脚を踏み出した瞬間、地面が抜けたように片足が落下し、そしてバランスを崩し見事にコケた。
「な、なんでこんなとこに穴が! クソ! 抜けん! ぐぉおおぉお!」
悔しそうに吠える将軍を尻目に馬鹿にしたような笑い声をあげながら、三人はその場を後にするのだった。
「おう。よくやったのう」
言ってブルームが地面からひょいと顔を出した小動物をつまみ上げた。
そして王城の周囲に植えられた木々の隙間から、将軍の情けない姿をみやり笑う。
「あ、あの、そ、それは?」
「うん? あぁこれはわいのペットのモグタンや。地面を掘るのが好きでなぁ。時折こうやって役に立ってくれるんや」
そう言ってケタケタと笑う。
「で、でも、よ、良かったんですか?」
「な~に。心配いらんやろ。バレやせんわ。あぁそれよりも時間取ってもうたのう。じゃあ今度こそ、クレープを食べにいくとしまひょか」
ブルームはヨイにそう述べ、鼻歌交じりに歩き出す。
その背中を見ながら、一つ嘆息を付くヨイだが、隙間からみえた将軍の無様な姿に、プッ、と笑いを零し、そして彼の後を追うのだった。
「よし転職完了だね!」
「私も終わったし。これで神殿での用件は済んだわね」
二人の声にゼンカイがウンウンと頷きながら、そして、それで何の職業になれたんじゃ? と問う。
「私はウィッチブレイドね。魔法剣にちょっと変わった特殊効果が付けられそうかな。それに魔力はかなり上がったわね」
「あたしはジャンヌダルですわゼンカイ様! 力もそうですが動きも靭やかになった気がします」
二人の回答に頼りになるのう、と返し、はやくわしも次の転職目指さんとのう、と笑ってみせた。
ちなみに今のゼンカイのレベルは25。あと5上がればいよいよ三次職である。
「て! のんびりしてる場合じゃないわね! 買い物も済ましてしまわないと」
「あぁ本当。ちょっと忙しくなりそうだね」
「全く! これもあの馬鹿将軍のせいじゃわい!」
二人もゼンカイの言葉に異論は無かった。確かにあのレイドには結構時間を取られてしまったからである。
それから三人は猛ダッシュで店から店を駆けまわり、必要な道具と装備を買い揃えた。ゼンカイも奮発し、プラチナルセットという高めの装備で身を包んだ。
白銀色のヘルム、チェインメイル、グリーヴ、ガントレットで構成されるプラチナルセットは、耐久度が高く、それでいて動きやすく軽い。魔法防御力にも定評があるという至高の逸品である。
こうして王女救出の準備を整えた三人は、その足でギルドに向かった。
「結構ギリギリだったのう」
息も切れ切れにギルド前に集結した三人に、プルームが腕を組みながら返す。
「ちょっと色々あったんじゃよ」
「バカ将軍の事とかかいな?」
「は? なんであんたソレ……」
ミャウが不思議そうに彼をみやるも、
「まぁ情報をいち早くしるのも、ワイの特技やからな」
ホウキ頭を揺らしながら、ブルームが得意がった。
そんな彼の姿をヨイが少しだけ呆れた目でみている。
「で、スガモンは?」
「ここにおるよ」
背後からの声に、わっ! とミルクが驚き飛び跳ねた。
「なんや、盗賊みたいな動きするのう」
プルームが息を吐きながら言うと、ほっほっほ、とギルドマスターが笑い。
「さて。いよいよじゃのう」
とその瞳を光らせた。
そんな彼の姿をみつつコクリと頷く一行。
そしてスガモンを先頭に全員で一旦王都を出、ある程度スペースのあるところに皆が固まる。
「では、準備はいいかのう?」
「勿論です!」
「ここまで来てできてないわけがないだろ」
「わいはいつでもえぇで」
「わ、私も、で、です」
「勿論わしも――と、その前にトイレえぇかのう?」
全員が一斉にずっこけた。
「おまんえぇ加減せぇよ! ここ来る前に済ませとんかい!」
ブルーム割りとマジギレであるが。
「す、すまんのう。ちょっとお茶目な冗談のつもりだったのじゃ」
笑えないのだ。
こうして改めて一行は一箇所に集まり、そして迷いの森近くまでへと転移するのであった――。




