旅の終わり
ボラとアンナは亀の後について、崖に開いた穴をくぐりぬけて向こう側へ行こうとする。
ボラとアンナは亀の後について暗い穴の中を進んでいた。
出口はすでに見えている。
白い光がそこから差し込んでいる。
早く外に出たい、と気が急くからか、出口までのあとほんのちょっとの距離がとても長く感じる。
出口近くになって、足元の感触も徐々に変わってきた。
冷たく固かった地面が柔らかくなっている。
じゃりじゃりとした感覚が手足いっぱいに広がる。
これは砂だ。
いつのまにか地面が砂地に変わっているんだ。
そう思った瞬間、出口はもうすぐ目の前にあった。
穴を抜けると、ボラとアンナの目の前にはとても大きな川が広がっていた。
それは、今まで見たどんな川よりも大きかった。
向こう岸は全く見えないし、流れてくる方を向いても流れていく方を向いても果ては見えなかった。
ボラとアンナは少し振り返ってみる。
自分たちがたった今くぐりぬけてきた穴がある、その穴が通る崖は、やはり見渡す限り延々と続いている。
そして川と崖の間に帯のように果てしなく砂地が延びていて、ボラとアンナはその砂地に立っているのだということがわかった。
亀の方を見ると、亀は川へ向かって歩いていた。
そして亀は川の中へ体を入れ、とても気持ちよさそうに息を吐いた。
亀が誘うようにボラとアンナの方を見た。
初めにアンナが、それから少し躊躇した後にボラが川へ向かって走り出した。
アンナは砂地の途中で駆けてから飛び込むように川の中へ入ったので大きく水しぶきがあがって、それが亀の甲羅をびちゃびちゃぬらす。
亀は嫌がりもせず、むしろ気持ちよさそうにその水しぶきを浴びていた。
ボラもそろそろと川の中へ体を差し入れていった。
「こんな大きな川があったなんて、初めて知りました。」
「これは川じゃない、海だよ。」
と、亀は答えた。
「海?」
と、アンナが聞き返した。
「そう、海。」
亀は体を起こしてさらに川の奥の方へ進んでいった。
「君たちは川がどこへ流れ着くか考えたことはあるかな?」
「そんなこと、考えたこともないですよ。僕たちが見た川っていうのはもっと細くてか弱くて、荒野の真ん中でいつのまにか姿を消してしまうようなものばかりだったから。」
「まあ、そういう川もたくさんあるね。しかしほとんどの川は、いくつかの川を合わせてもっと大きな川となり、そしてこの海、と僕が呼んでいる場所に注ぐんだ。」
「そうなんですか?」
「そうなんだよ。川は見た目よりもずっと複雑につながっている。地下にも水路がたくさんあるからね。遠く遠く離れた場所にある2本の川が実はつながっている、ということはざらにあるよ。そして、最終的にはほとんどの川はこの海とつながる、というわけさ。」
「じゃあ、この海…ですか?はどこへ流れていくんですか?」
「どこへもいかない。しいていうなら太陽に温められて姿を変えて雲となり、雨となって山に降り注いでまた川となる。そしてまた海に流れ込む。それを繰り返すんだ。」
「そんな話はちょっと信じられないですよ。」
「信じなくてもいいよ今は。どうせ目にはみえないことだからね。しかし海のことは信じることはできるね?だって今目の前にあるんだから。」
「まあ、確かにそうですね。」
「僕はね、物の成り立ちなんかより、そういう自分にとって確かなことは何なのかということを考えることの方がよっぽど大切なんだと思いますよ。目の前に崖がある。目の前に海がある。ああ、それはどうしようもないことなんだなあ。と、1つ1つ丁寧に感じていくことが大切なんだ。そしてそういう1つ1つの確かさ、みたいなものを集めて積み上げていけばきっと世界というものがどういうものなのか、というかことがきっといつか君たちにもわかってくるんじゃないのかな、と思っているよ。」
頷いたものの、ボラとアンナは亀が何を言っているのかわからなかった。
亀は話し終えるとまた気持ちよさそうに水の中に体を横たえた。
「…海の向こうには何があるんですか?」
アンナが聞いた。
「向こう?向こうには何もないよ。ただひたすらに海が広がっているだけさ。…僕も前に随分遠くまで泳いでいったけどね、行っても行っても海があるだけだから結局引き返してきちゃったんだ。」
「じゃあ、ここから先には僕たちはもう行けないってわけか。」
ボラが呟いた。
「…じゃあ、崖のところで留まるのも、ここに留まるのもあんまり差がなかった、というわけか。」
「何言ってるのよ。崖のところで旅を終えていたら私たちは海に来ることができなかったじゃない。いや、それどころか世界に海なんてものがあるということすら私たちは知ることができなかったじゃないの。差は大有りよ。私、本当に亀さんを信じてここまで来てよかったわ。」
そういうとアンナは亀の体を抱きしめた。
「まあ僕はボラくんの言うこともわかりますがね。崖も海も果てという意味では変わらない。ただ、崖は僕の力を借りれば乗り越えることができるけど、海は僕の力を持ってしても乗り越えることができないというだけの違いがあるだけです。…そろそろ浜にあがりますか。ああ、あの砂地はね、砂浜というんです。なんでそう呼ぶのかってことは…忘れちゃいましたね、ははは。随分前に名付けたもので。」
その後、亀とボラとアンナは砂浜で遊んだり、おしゃべりをしたりして時間をすごした。
長い長い時間、亀とボラとアンナは一緒にすごした。
初めはどこか亀のことをうさんくさく思っていたボラも、亀を受け入れた。
やがて、亀はこの砂浜を離れて旅に出ると言い出した。
「前にも言ったとおり竜と僕が暴れたせいでおかしなことになってしまった場所というものが世界にはいくらでもあるのでね、僕はそこを点検しに世界を回りますよ。…別に誰かを助けたいというわけじゃないんです。誰かが目の前で困っていたとしても気が向かなければ無視して通り過ぎていくしね。本当、僕はそういうのじゃないんです。」
亀は言い訳するように言った。
ボラもアンナも別れが悲しくてあまり話の内容は頭に入っていなかった。亀は最後ににっこりと微笑むと、ある物を取り出してボラとアンナに渡した。
「これは…何ですか?卵の殻に似てますが…ずっと大きくて、分厚いですね」
「それは確かに卵の殻だ。ただしトカゲの。君たちが「母なるトカゲ」と呼んでいるトカゲが生まれてきた卵の殻の一部だよ。交尾する前にその殻を少しだけ食べてみなさい。きっと卵を産んでも君たちは生きながらえることができるだろう」
「交尾や卵のことを知っているんですか?」
「私は何でも知っている。世界のありとあらゆる抜け穴を通じて、私は何でも知ることが出来るんだよ。それにしても君たちトカゲは卵を産んで自らの仲間を増やすというすばらしい能力を持っている。それは竜以外の生物は誰も行うことが出来なかったことだ。誇っていいことだよ」
ボラとアンナは何度も何度も亀に礼を言った。亀は照れくさそうに甲羅の中に首を引っ込めた。竜のためにと思って大切に保管していた卵の殻の一部を、何を思ってこの2匹に差し出したのか。それは亀にしかわからないことである。
やがて別れの時が来る。アンナが亀に言った。
「私たちはこの砂浜で暮らしていこうと思います。そして、誰かが崖を前にして途方にくれていたら穴に案内して、この海につれてきてあげようと思います。なんとなく、それが一番いいような気がしたんです。ボラと話し合ってそう決めました。」
「ああ、そうだね。それがいいと思うよ。」
亀は深く頷いて、言った。
「僕たちは卵の殻をいつまでも食べて生きながらえようとは思いません。2つ卵を産んで、そしてぎりぎり生きていけるぐらいにとどめておこうと思います。そして産まれた2匹のトカゲに同じくボラとアンナという名前をつけて育てていこうと思っています。僕たちが見たこと、感じたことを全て新しいボラとアンナに伝え終えたら2匹で死んでいこうと思っています。同じことを何代も何代も、ずっと続けていこうと思っています。古いボラとアンナはやがて死んでいきます。でも、今までに見たこと、聞いたこと、そして感じたことは新しく生まれたボラとアンナに受け継がれていきます。だからボラとアンナはいつまでもここにいます。だから、よかったらまたいつでも、会いにきてくださいね。僕たちはここで亀さんに助けられたのだということをずっと新しいボラとアンナに語りついで行きますから。」
と、ボラが言った。
「うん、うん。ありがとう。きっといつかまたここにくるよ。くるからね。不思議だね、別れってもっと寂しくて辛いものだとばかり思っていたけれど、なんだか今の気持ちは嬉しいって言った方がしっくりくるよ。忘れないよ、僕はボラとアンナのことも忘れないし、”君たち”のこともきっと忘れないからね…」
そういうと亀は崖の穴を通って旅だっていった。
ボラとアンナは目に涙を浮かべながら、いつまでもいつまでも名残惜しく手を振っていた。
砂浜には3匹が遊んだ名残の足跡が、いつまでもいつまでも形を変えずにその場所に残っていた。




