蛙の回心
鰐は蛇の命令で黒蛙を丸呑みにする。生まれてはじめて恐怖を感じた赤蛙は脇目もふらずに逃げ出す。蛇はその後を追いかけて蛙の楽園を目指す。
赤蛙は全力で走りながら考えた。さっき自分が見た光景の意味を。
鰐が口を開き、黒蛙をその中に入れてしまった。あれは一体どういうことなのだろう?鰐は一体何をしたんだろう?今も黒蛙は鰐の腹の中にいるのだろうか?
赤蛙はなんとなく、もう黒蛙とは会えないような気がした。もう黒蛙は鰐の腹の中にもいない。あそこからまたどこか別の場所へと消えてしまったんだ。そう赤蛙に思わせるくらい、鰐が開いた口の中は圧倒的に暗黒だったのだ。
赤蛙の頭の中はぐちゃぐちゃだった。あることについて考えようとしても別の考えがすぐに浮かんできて元の考えを邪魔する。それが何度も何度も繰り返されて自分の中で考えを1つもまとめることができない。そんな泥のような、澱のような思考のかすがアカガエルの中にはどんどん積み重なっていって、やがては赤蛙の全身を震わせる恐怖の素となっていた。
恐怖で我を忘れた赤蛙はとにかく王国を目指した。そこしか行くあてはなかったのだ。全く何もかもが蛇の予想通りだった。
赤蛙の走るスピードなどは蛇はおろか鰐よりもはるかに遅いものであった。だから蛇たちは気付かれないよう十分に距離をとって赤蛙の後を追いかけた。
その頃の蛙の楽園。
蛙王は楽園の屋上に立ち、眼下を流れる川を見ていた。遥か遠くに見える山脈から一筋の糸のようなものが伸びている。その糸は楽園に近づくにつれて幅を太くしていき、王国のすぐ近くまできたところでようやくそれが川だとわかる。川はまた荒野をはるか遠くまで流れ、やがてまた細い一筋の糸に戻る。蛙王はここにこうして立って川を眺めていると落ち着くことができた。
蛙がこうした落ち着いた心境でいられるようになるまでには随分時間がかかったのだ。しもべ達が逃げ出したことに気付き、初めは蛙王は動揺し混乱した。やがて混乱が落ち着くと悲しくなった。やがて悲しむのにも疲れると今度は自分がこんなに悲しんでいるのにも関わらずしもべ達はのほほんと生きていやがる、と怒りの感情が芽生えるようになった。物にあたり、しもべ達にむけて悪口をまきちらすとしかしその怒りも徐々に薄れていった。蛙はすると段々としもべ達のことを忘れていった。しかしそうやって過去から目を背けて日々をすごしていると段々とむなしさに襲われるようになった。するとそのむなしさから逃れるために蛙はしもべ達と遊んだ楽しい日々を思い出すようになる。そうなるとまた悲しくなってきて…と堂々めぐりの思考を繰り返し、繰り返していく内に思いは風化し、その純度を高めていった。そしてその結果蛙の心の中にはただ一つの思いが残るようになった。
すなわち、一目でいいからしもべ達に会いたいという気持ちである。それ以外は何も望まない。ただ遠くから眺めるだけでもいい。それさえできたら自分はこの楽園を明け渡したっていい。蛙は孤独によって鍛えられた結果、その考えを持つに至ったのである。
今まで僕は自分のために行動してきた。自分ではそう思ってきた。しかしそれは自分の勘違いで、きっと僕は誰かに自分のことを見てほしかっただけなんだ。僕はみんなに注目してもらいたかったんだ。みんなが僕のことを見ていてくれれば自分が世界の中心であるかのような気分になれたから…だから僕は竜の気持ちも、しもべ達の気持ちも考えたことがなかったんだ。僕はいつでも僕の気持ちを優先させてきたんだ。そして多分それは今も同じだ。僕はただ自分で勝手に赤蛙と黒蛙に再会したいと思っているんだ。
僕は今赤蛙と黒蛙に本当に会いたいと思っている。一目でもいいから見たいと思っている。世界の中心なんかじゃなくてもいいから、端っこからでも片隅からでもいいからしもべ達の姿を見たいと思っている。それが偽りのない僕の気持ちだった。わからない、またしもべ達に会えば気持ちだって変わるのかもしれない。でも少なくとも今は本当の本当にそう考えているんだ。
蛙は川を眺めながら改めてそう思った。そして、あと少しだけ待っても赤蛙と黒蛙が帰ってこなかったら楽園を出て2匹を探しに行こう、改めてそう決意したのであった。
赤蛙は休まず走り続けてついに楽園へとたどり着いた。長旅のせいで埃まみれ泥まみれであった。遊んでばっかりだった、わがままだった蛙に一体何ができるのかはわからない。自分が何をしてもらいたいと思っているのかもわからない。しかし赤蛙にとってはこの楽園だけが帰る場所で、蛙だけが黒蛙以外で唯一頼れる存在だったのだ。
逃げ出した自分を蛙は許してくれないかもしれないけど。
赤蛙は階段を登り、上を目指す。
蛙の部屋をのぞいてみる、いない。
ならきっと屋上だ。
屋上へと続く最後の扉の前にアカガエルは立った。
そこで一つ息を整えてから勢いよくアカガエルは扉を開け放ち、こう叫んだ。
「蛙様!」
確かに王様はそこにいた。
血まみれになって、蛇に八つ裂きにされた姿になって。




