三章-19
夢を見ていた。甘く、砂糖菓子のように蕩ける、小さくて淡い感じ。そんな幸せ味の中に漂って、浸かって。
そんな中に一生いることができたら、どんなに嬉しいだろうか。
(――みんなが居て、戦いもなくただ笑っていられればどんなに幸せだろうか)
どろどろに意識を溶かされる、その寸前に思い出す。
いつだって同じ、消えない記憶。幸せこそが、罪の味。砂糖菓子のような甘さはべっとり身体に塗り篭められ重くなった。泥のように引気づる、蝋のように身体を拘束する、罪。そして契り。――諦めることも、逃げることも、僕はしなかった。彼がそうだったから、僕も。
辛くて、悲しくて、嫌になって、――それでも変わらずに願い続けた。荒唐無稽な夢と罵る人が居ても、徒労だと哀れそうに見つめる目があっても、僕は立ち止まらず、歩き続けた。ここまで来た。だからこの幸せな夢の中にいたいと思っても、そこで停止してはいられない。
終ぞありえる事がなかった五人の邂逅。それを、いつまでも望み続ける。
晩が元気に馬鹿やって、架火が恋人に甘えるようにして晩を甘やかす。羽目を外し続ける晩を柏は怒って、杏は諌めるようにしながら晩をからかい半分詰る。そんな四人の子供たちに静が躾けるように叱って、反省しながらもみんなで笑みを交し合って、また静に迷惑をかけながら構ってもらう。――子供の望む明日。
いつまでも変わらない関係性。溢れるような笑顔の日々。心の底から幸せを感じていられる、平和な瞬間。
そんなことを夢想して、欠けた一ピースを取り戻そうと奔走する僕は、現実の悲劇をなかったことには出来なかった。一人が死んで、一人が壊れて、一人が悲しみを紛らわすように離れて、一人は違う明日を望んで、僕は立ち止まった。
壊れてしまった楽園を修復したいと誰もが心で望み、誰もしないそれを、僕は行う。修復のために、どんな犠牲をも払おう、とすべてを捨ててきた。名を捨て、自分を捨て、友人を捨て、未来を捨て、只管に過去だけを追い求めて――僕は戦い続ける。
「彼を――連れて行かなくちゃ」
始まりの場所。僕らの、終わる場所。
「よもや我が主に戦え、などという言葉を吐いたような奴はおらんだろう?」
威圧を掛け、畳み込むように問いかける。それは最早脅迫だった。そんなものが起き抜けの、動き始めた頭に入ってくる。耳からの情報だった。
「いやまさか、そんな言葉が吐き出されたとするならば我は怒りによってその言葉が聞こえ届いた範疇すべてを破壊し尽くしてしまう。そも、我がこの地に来た意味は主を戦わせないがための枷、戦わないがための盾。主が戦いに赴き、尚且つ力を行使していようとは思いもかけん」
――ジンは再び誰かと舌戦をしているようだ。不敗の王者にして敗者は遊ぶのが大好きらしい。
「我はそれほどには主を愛しく思う」
ぞわっと背筋に寒気が来て、思わず身震いした。漸く思考が働き始める。
「矮小、卑屈、儚く弱々しいその存在を守るべきと少なくとも認識している。自身を忌憚とし、その身を消滅させんとする行為を是とし弟がため命賭けるに生きる。世界に起きる現象に対し己がせい、と罪意識を持つ愚劣なる主を同情にかられた愛しさで守ろうと思うのさ」
お前になど守られたくないと身体が拒否反応を起こす。パッチリと開いた視線に海和と目が合う。どうやら看病、というか目の前に座っていたらしい。体を起こせばそこは事務所のソファーだった。
どうやら上着を掛けられてそのままほっとかれたらしい。幸いにも頭の下へと枕のように服が丸めて差し込まれていたが、それにしてもぞんざいだ。救護室さえもないのか。
室内の他の者たちは揃ってジンの無茶振りな演説に聞き入っている。
「なんとも愛らしい卑小なる下劣存在。愚劣ここに極まれり、とな」
「聞こえてるんだよ、このストーカー変態害悪生物」
テーブルに置いてあったガラスの灰皿をジンへと投げつける。
「おや、気づいていたのか主よ。我が愛を語るのにちょうどよい時間帯だったのでな」
避けるな、と思う。ちょうど良い感じに人々の頭の間を縫ってたどり着いた先、ジンは軽々と灰皿を避け、その手に掲げて見せた。胸糞悪い。
「何勝手に人のことを評価してるのか知らないけれど、いつもながら最悪だな。誉め言葉には到底思えない告白だよ」
「何、本音を吐露してぶつかりあいたいのさ」
笑顔で言うそれは本音だろう。だから疑問なのだ。
「なぜ、そこまで――」
「何、我は我が主に救われただけよ。行き倒れたのを甲斐甲斐しく世話してくれてな、それはそれは愛らしかった」
「……勝手に話を捏造しないでくれるかな。君は僕に会うつもりで来て迷惑にも人の部屋の前で倒れていたんでしょうが。僕は仕方ないから冷水浴びせて人に面倒かけるだけなら生きている価値なしと罵倒しただけ。変に見られて大変だったんだからな」
天才の伝によって僕にまでたどり着いたこの男は人の借りているアパートの扉の前で、半分凍死し掛けていたのだ。運もタイミングも悪いことに連泊して帰ってきた冬だった。もし、NNMの本部に顔を出すという行動をしてくれたならば僕らはその棟内で一瞬すれ違うか会話するかだけで終わり、互いに顔見知り程度の関係であるはずだったのに。