三章-7
「示崎?」
屋敷を抜けてすぐのところで背後から声をかけられた。
「隊長――抜けてきたんですか?」
どうしてあの場にいたのか、そんな公の立場でもあるのか、という疑問は浮かぶ。けれど、すぐに沈む気泡だ。招待客のくせにこんなに早く抜けるなんて、という思いの方が大きい。
「主催のパートナーの癖にこんなに早く帰るのか」
「公の立場のある人が夜遅くに酒の出る席で未成年を引っ張りまわすほうが重大ですよ」
言いたいことは同じらしい。どうしてここにいるのか、と。
「今から本部に行きます……」
「一緒に行く。待っていろ」
「は――」
酔いも見えないきびきびとした動きですぐさま踵を返した十二はちょっと抜け出ただけらしい。荷物などを取りに戻ったのだろう。
(なんでこんなことになるんだろう)
会いたくもない時に限って、いろんな人に会うらしい。
「示崎――?」
降り返った先にスーツを着こなした柏がいた。
「何で、こんなところに……その、格好も――」
「それは、こっちの台詞だよ。悠木主催のパーティーに何で柏がいるの?」
距離を詰めるように一歩動いた柏に、あえて一歩下がる。聞き返すのはわざとらしい明るさで。月明かりの下でもはっきりと分かるだろう、自分の服装へと意識を向けさせない為の行為だった。精一杯お洒落をした私の姿を見て欲しかった。女を強調するような格好をした僕を見られたくなかった。
二律背反な想いが浮んでは消えるのは潮の満ち干きのようなのに、穏やかではいられない心がある。柏のスーツ姿はかっこよかった。普段は隠すようにしている顔も髪を整えているために端正な顔立ちの素顔が露になっている。強い意志を灯す瞳もいつも以上によく見えて、だからそこに現われる感情もすぐに察せた。
(――晩になりたいと、そう言った僕がドレス姿をしているのはさぞ滑稽だろうに)
「俺は、……親父の代わりだよ」
俯き、言いよどみながら答えた柏は決して僕のことを馬鹿にしないだろう。
それでも、僕は矛盾した二つの思いに挟まれる。
だから話を続ける。話へと注意を向けようとする。
「――ああ、糸闇の家って政治家家系だっけ?」
「勘当したも同然の扱いの癖して、嫡子が欲しいんだな」
「……許婚とか、いるの?もしくは婚約者」
月明かりの下、陰になるような場所。表情が見えにくいことを盾に尋ねる。
「見合い相手なら、いた。けど。断った」
「――好きな人とかいるの?」
イーリア。半年前から眠り続ける少女、意識喪失者。
ヴィオがユグドラシルに誘われたのはロキの失踪直後だ。ユグドラシルのギルドマスター・ジェネシスは一年間の活動を経て、失踪。真理の扉を前にイーリアは意識不明になった。
ヴィオはニケに加入した。ニケは失踪以前のジェネシスと接触した、ジェネシスに恨みのある者たちで構成されている。
ジェネシス――ロキがイーリアをキルしたのはヴィオに追ってきてもらうためだ。復讐でもいいから、再び自らの力で真理の扉の前に立てと、煽った。
「示崎は?――あの人が、好きなのか……?」
「静さんは違うよ。親愛の情は抱いているけど」
彼に抱くのが憧れであり、信頼であり、心置きなく頼れる存在でもある。それは恋心じゃない。安心感ばかりだ。その秀麗さに見惚れてしまうようなことはあるけれども、それは美形ゆえであって、恋心ゆえではない。
僕は彼に居場所を欲している。優しくしてもらいたいと思っている。それはまるで、家族愛。――僕が好きなのは、
「言ったと思うけど、君が好きだって」
「示崎、待たせた」
タイミングよく十二が現われる。
「あんた……」
「糸闇、また明日」
「示崎!」
「行きましょう、隊長。今夜はいつもより遅い。急がないと、……今日あたり出るかもしれませんよ」
一方的に話を切り上げて背を向ける。十二も柏を一瞥したが無視する方向へ動いたようだ。追いかける声が背に届いたが、聞えないふりをした。