三章-5
にやけるのは仕方がない。以前はヴィオとこんな冗談を言える関係になるとは思いもしなかった。フォックスでいた時よりも近い距離に僕は今いる。
(けれど、ロキはいない)
「――その、」
(ん?)
「……似合ってる」
「あ……ちょ、困るよ。そんな――嬉しい」
「リスタ?……なんで、泣くんだよ」
人が違うとこれほど違うのだな、ということを実感した。いや、グランシャリオに言われて嬉しくなかったわけではないが、それでもヴィオとは比較にならない。
その一言が、どれほど大切なのか、きっと他の誰にも、そう、双子の弟以外には絶対にわかりようがない。ヴィオも混乱するだけだろう。けれど、僕ら双子はそれだけヴィオのことが好きなんだ。数奇な人生を歩んできた。だからこそ、その何気ない言葉が強く響く。――普通でない僕らは強い君に憧れる。
水中へ向かって心臓を発見した。これにて攻略完了だ。けれど、僕の今日の目的は終わっていない。
「ねえ、マチルダさん」
僕は帰り道、彼女に話しかける。
「あなたは僕にここで何を失ったか、聞いた。だから今度は僕があなたに聞こう」
ジェミニは多くのものを与える。だが、同時に代償を強いる。ニケは喪失者の集団だ。だからこそ、MISSINGと同調できる。多くを奪われたニケのメンバーがそれでもジェミニに固執する理由は――喪失の回復。奪われたものを奪い返す、復讐。
「パンドラの箱――万物のすべてがそこにはあった。だからこそ、それは開けてはならなかった」
それは希望も絶望も、夢も欲もすべてがあった。人にとってそれは天国のような小さな世界で、同時にそれは地獄の様でもあった。甘い言葉に騙されるほど脆くなってしまう理由が、そこにはあった。そして女性は己の欲に負けて箱を開けた。結果、罰を受けた。――ならば、マチルダは?
「あなたにとって破ってはいけないものは何だった?奪われるだけの理由が、あったんでしょう?」
(――姉弟で犯す罪なんて、カインとアベル(殺人罪)か近親相姦ぐらいなものだ)
紙の様に真白な顔をして唇を引き結ぶマチルダはけれど、瞳を決して逸らさない。真正面から言葉にぶつかっている。充血したような唇の紅が、彼女の罪を知らしめる様な色だった。
「たった一つ、残るものがあるとしたら、それは何ですか?」
パンドラの箱に残ったたった一つは、希望。すべてという言葉に惑わされわからなくなってしまった、本当に欲しかったもの。
(――マチルダは、それに何を望んだだろう)
「――怒り」
低く、獣の唸るような強さで発せられた。
「間違ってる、なんてことを言えるほど私も世界も正しくない。でも、絶対に許せないものがあるのよ」
「――ならば、次の扉は開く。君はもう、知っているはずだ」
その言葉に彼女は弾かれるように走った。抜け道の場所は既に調査済み、ということか。
「カルティエ、後は頼んだから。ヴィオは黙って付いて来て」
「はいはい、行ってらっしゃい」
先を歩いていて会話を聞いていなかったメンバー達を追い抜くと短くカルティエに後処理を頼む。事情に深く通じ、この場を誤魔化すことのできる人物だ。
僕はヴィオの手を掴んで先を急ぐ。迷い無く駆けたマチルダに続く。――水中だ。
「おい、何処行くんだよッ」
「ゼブルクの扉が開く」
走りながらでも息を呑むのが分かった。だがそれに構う余裕は無い。マチルダ一人が先行しても扉は開かない。鍵が揃ってこそ、扉は開く。――抉じ開けられた先なんて、待っているのは絶望以外にはありえない。
「潜るよ」
一声掛けて、ヴィオを水中に引き込む。
入口のすぐ横にあった溜まり池。広さは無いけれど深さがあった。その奥、水底で彼女は探していた。すぐ傍にある扉を開ける仕掛けを。彼女はそれが“唄”だとヴィオに聞いていたのかもしれない。水中でも白く緊張にあった彼女の頬が、岩場の影にそれを見つけて大きく動く。
「怒りの旋律は 赤く燃えるような戦慄 苛烈なる闘志は思いの丈 再びの邂逅、心焦がす姉妹」
だから僕は、彼女が鍵を口に出す前に諳んじた。
彼女の鋭い眼光が一瞬、向けられたが次の瞬間には目前の光景に睨みつけるように変わっていた。
水を巻き上げながら扉は開く。――そして、水の入らない空間として切り離された部屋は、水溝が部屋中に刻まれていて、その中央の噴水の中に菱形の水晶を鎮座させていた。
ばしゃり、と足元の水を跳ねさせて彼女が部屋に踏み入れるのに僕らも従った。
「触れるべきだよ、忘れられないのなら」
そして諦められないのなら怒りに身を委ねて――自分自身と向き合うべきだ。
――そして、ゼブルクの怒りは弾けた。
三つ目の悲劇は蓄積される。