二章-26
“命を懸ける必要なんてどこにある?”そう聞かれても答えることはできない。命を犠牲にするつもりはない。命懸けになっているつもりもない。ただ必要だから僕はそうする。結果、命を危険に晒すことになったとしてもしかたない。導きに応じているだけだ。何かを成すためなら自分を失ったっていい。自己犠牲じゃない。ただの自己満足だ。
「来なよ、亡霊」
瞳を閉じた。先ほどまですぐ傍にあった熱。確かに触れた存在は暖かさを持っていた。それを知ることができただけで僕は満足しよう。そこを最上としよう。だから、僕がいなくなれば終わるかもしれないこの舞台に幕を下ろそう。僕はこの生に終止符を打とう。
確実性なんてなくとも、可能性だけあればそれだけで意味がある。僕の死に、意味は伴う。巨腕の振りかぶる際に生じた風が僕の髪を揺らした。その一瞬が、永遠のように長く感じる。柏には何も知らせないままで、真実もすべて持っていこう。いつか、そんなことがあったな、と記憶を振り返ることが唯一としよう。不可解だな、それだけで思考を止めて、そんな奴もいたかな、そんな程度の記憶で。それでも、僕は幸せだ。
「ごめんね、柏――」
「何謝ってんだよっ!」
独り言に返る声は、確かに柏のもので。驚きに見開いた視界に、その人物は映った。同時にMISSINGの目にもその姿は認識される。
「ばっ――逃げて!」
フェノーバの興味が僕から逸れ、柏へと移るのが手に取るように分かった。
「やめ――」
伸ばした手をすり抜けていく影が二つ。人よりも優れた身体を備え、化物と戦うことに存在意義を見出したもの――能力者だ。銃刀法違反に引っかかるような武器を持ち、巨大なその生物へと挑みかかる。
「十二隊長。志浩……」
呆然と呟き、けれどそんな猶予はない。二人はともかく、柏には何の能力もない。万一にも傷つけるわけには行かないのだ。OVERを誘うように離れていった二人を追う様に疾走した。
「来て!」
とにかく人から離そう、という二人の様子にそれではダメだ、と強く思った。長引かせればそちらの方が被害は、大きくなる。ジェミニが徐々に、現実に侵食するという問題だ。時間は掛けられない。
人的被害は最小限に留める。それは前提だ。十二と志浩がMISSINGを引き付ける間に他のメンバーで理由を作って一般人の避難を進めているはずだ。OVERもMISSINGも一般人には見えない。それが見え、影響を受けるのはジェミニに関わりのある者だけだ。言うなれば、意識不明者を近親者に持つニケのメンバー、化物討伐の任を負い特殊能力を身につけているパラドックス。そして、ジェミニにとって鍵となる存在であるヴィオと僕に関係する者たち。――少し前に逸れた寿々原たちは、きちんと避難できただろうか。彼らはあるいはこの存在が見えるかもしれない。
だが、思考を振り払う。MISSINGを即座に倒すべく、辺りを見回して場所を確認する。そして、誘導場所を彼らに指示した。――僕の攻撃が最も効果的な場所。狭い通路。
柏が最初にそこへと逃げ込み、それを追うように続くMISSING――そしてそれが攻撃を仕掛ける暇を与えないよう、絶妙なコンビネーションで挟撃する十二と志浩。四人で通路に入りこむが、ソレは頭を突っ込んだままその巨体が通路に挟まれ身動きできないでいた。
僕はイメージする。剣だ。愚鈍で重厚な剣を一振り、頭上から出現させる。そして、手を振り下ろす。架空の腕で掴んだ剣の峰で叩く。ボコリとひしゃげた頭蓋が大きく傾いた。その隙に剣は狙い違わずMISSINGの首を切断した。断罪のごとく、首を跳ね飛ぶ。
(理解ができても、僕には何もできない)
理解していた。現象の原理も、その行動目的も、意味も理由も意思も、わかっていてなお、僕には止められない。真実の欠片を残してゆくこと以外に、出来ることはないのか。思い解き放つ時を待ち望んで、命を刻む今、――僕は君の代わりに生きることしかできないのか。
赤子が消える様を、その残滓を見つめ続けた。それはまるで懺悔。
晩の消えるその時を見届けられなかった僕の、擬似行為。
「心配は必要なかったか?」
「――いえ、予想以上に早くて助かります。こちらには“一般人”もいますし」
十二と言葉を交わしながら柏に眼を向ける。そして、苦笑した。
そうだろう、信じられないだろう。あんな化物はジェミニでさえも見ることはない。――具現化した恐怖とでも言うべきMISSING。けれど、類似品を彼は知っている。いや、それだ。ジェミニの神。倒したはずの、神がこの世界に現出している。
命を賭して倒した神が、現実世界に“いる”。
「お前、あのワザ……」
「とりあえず、帰っていいですよね。ここにいても解決しないし、ほかに待たせている人がいるので」
言いたいことはわかる。遮る、しかない。
できるだけ今のうちに頭の中を整理する必要がある。説明を回避できないならば、せめて時間を与えて欲しかった。けれど、僕はその時間を、逃避のために、二年間使ってきたのだ。もう、猶予など無い。後は、加速するだけでしかない。
「――わかった」
「とりあえず連絡つけて戻ろう」