二章-25
揺れる瞳が心に突き刺さるようで、痛い。迷子の幼子のような顔を見せるのが痛々しい。それが見ていたくなくて、頬に手を伸ばした。
触れる指、弾力のある肌。それは滑々で、男なのに、と思う。憮然とした顔、拗ねるような顔、悲しみを訴えるような顔。……それに無表情も。元は喜怒哀楽がはっきりしていただろうと感じさせる彼は、けれど僕が僕として会った時、冷たく凍り付いていた。柔らかなその頬を一通り味わって、笑顔を浮べた。
「約束」
悔いるように述べる糸闇の唇に指を押し当てて、正面から瞳を見据えて言った。きちんと、表情が出来ていただろうか。言葉はなくとも、思いが伝わっただろうか。
「約束、くれる?」
近視した柏は微かに目を見開き、ぎこちなく笑ってみせる。愛おしさが零れてその頭を引き寄せた。胸元に沈む頭を掻き抱く。想いを込めてその背中に手を回した。
少ししか変わらないはずの背丈で、同年代よりも細いはずのその身体を、けれどそれをどうしようもなく頼りに思ってしまって。零れる涙が拭えなかった。震える体も、抑え切れない声も、全部を預ける。
こうやって、触れ合えたらいいと、ずっと思っていた。けれど、そうはならなかった。
だって、柏には、ヴィオには――僕なんてこれっぽっちもない。
(全部を知って、それでも君が僕を恨まないというのなら、僕は僕を許せるだろうか?)
ゆるりと拘束を解いた。きつく抱きしめられていたにも関わらず、それは容易く解けた。それが、僕と糸闇の、決定的な距離なのだと知らしめる。
だから僕は少しでも近づきたくて、近づくためにキスをした。
「君が、好きだよ」
背伸びをしたまま、真正面から瞳を見つめる。驚愕に目を見張る柏に、予想もされてない、意識すらされてなかったことを明確に知って、苦笑する。
頭が良くて、運動ができて、面倒くさがりで。でも生真面目で意外と感情の起伏が激しくて、いつも冷静で無表情なのに、予想外のことにはすぐに仮面が崩れてしまう。ちょっと自分に鈍くて、友情に熱い昔馴染み――ヴィオ。
「――っな……!」
「僕――ううん、示崎杏は、柏糸闇が好きです」
そんな君が、好きだった。
「……お、おおおお、おん、おん、おんなぁ!?」
顔を真っ赤に染めながら叫ばれた。
最近やたらとよく言われる気がする。今までの方が異常で、誰も何も言わずして女と悟るような者ばかりが募っていたのだろうか。いや、人と触れ合っている濃度が妙に高いのだ、最近は。
「いろいろ黙っていてごめん。でも――すべてが終わればイーリアは目を覚ますから……」
「どういう……」
「祈りの果て 届かぬ夢はいつまでも 子どもたち(はいしゃ)はそれでも眠り続け いつかを夢見て、祈り捧げ」
「ッ」
赤子の、ジェミニという歪みから生まれでた化物の、鳴き声。それは声なき声で、空に高く響かせる唄。――MISSINGの明言。崩壊の序幕。現出の鐘。
「MISSING――!」
何故ここに、という言葉は出なかった。理由なんてわかりきっている。
“ヴィオ”と“僕”がいるから、だ。何か言いたそうで、けれど言葉に困っているかのような柏に、状況にも関わらず一瞬、困惑が生じた。それが、なぜだか、僕が柏に手を引かれるという状況にまで発展する。
「なに――」
「こっちだ!」
僕が指示する前に柏が僕の行く先を決めた。迷わず、逃げる方へ。進む先はどうやっても建物内で、大きいはずのデパートが、巨大な化物によってその角を破壊され、空にその中身を開示させてゆく。まるで、ケーキが潰れるように、容易く、倒壊する。
全長で三メートル前後のOVERとは比べ物にならない大きさだ。一〇メートル以上ある体は二三階分の壁を突き抜けて、足のないフェノーバは這うように、僕らのいる階へと寄りかかって腕を動かす。それだけで、目の前に向かっていた階段が薙ぎ払われる。
(逃げられやしない。いや、逃げるつもりは、ないのだ)
「っ示崎……?」
僕が立ち止まったことに困惑の表情を浮かべる柏がいる。けれど、取り残された子供のような顔をする彼に、あえて僕は突き放した。柏を巻き込まないようにしたかった。
「放して。僕は、――あれをほっとくわけには行かないんだよ」
(……戦わなくては)
脅迫的なまでの想いのままに走った。そして僕は、――哂う。
ソレはこの身に染み付いた血の匂いに誘われたが如く、この身にこびり付く臭気を感じ取ったが如く――僕という生贄を欲しがっている。