二章-23
「何者だよ、お前――」
不審の声がする。けれど、僕は口を開かない。
力強い手が、必死さを持って僕の肩を揺さぶってくる。それに、僕自身が揺れていた。
「何か言えよ……。お前が、お前なんだろ?」
(君はもう、わかっているはずだ――)
何も言わずとも。柏はすでに知っている。解っている。それでも問うのは、確証が欲しいからじゃない、ただ信じたくないという足掻きだ。誰もが信じたくないと願うのが現実。
「お前が、フォックスなんだろう……っ!」
彼は、裏切り者の名を上げて、僕に突きつけた。
――二年前のあの日、バジリスクは真理の扉というイベントに向かい、解散した。一人を残して参加した全員が意識不明という、最悪の事態を起こし多費。何もかもが壊れた。
その名の通り、真理の扉と呼ばれる場所を攻略する事。それがクエスト達成に必要不可欠で、そしてたどり着いたその場所で、事件は起きた。突如、バジリスクのギルドマスタ・ロキは仲間を、ヴィオ以外を殺害、逃亡した。僕はその場にいなかった。 そして、キルされた仲間たちは復讐を、……よりにもよって、ヴィオに行った。姿の見えない裏切り者のロキは当然として、その場にいなかった僕――フォックスにも疑いは掛けられ、そしてただ一人キルされることなく強制ログアウトを管理者権限で行われたヴィオにも、それは向かった。……ジェミニの中だとはいえ、それは生々しい半現実。
かつての仲間に施された屈辱的行為。幾度も、幾度も抵抗すら儘ならぬまま、数人掛かりで殺害と蘇生が心を痛めつけるが為に連続させられる。幾度も死を体験し、痛みを得て、苦しくても辛くても死ぬことも許されず続けられる、死の連続。それも信頼し、絆を築いてきた仲間からの、報復という形で心に刻まれ続ける。そんな永劫は一人の男によって止められる。――ジェネスだった。
ギルド・ユグドラシルのメンバーとして新しくやり直さないか、そう持ちかけヴィオは新たな仲間を得、再び歩みだした。だが、それもロキとまったく同じように壊れた。ジェネシスもまた真理の扉の前にて失踪。仲間は未だ意識不明の植物状態となった。――ギルド・ニケのメンバーもまた、ヴィオと同じくジェネシスに壊された者たちが集まっていた。心理の扉、そして意識不明者。ヴィオがニケに入ったのは当然だったろう。
そして既に、舞台は整っている。覚悟は、できてなくてもしなくてはならないだろう。
「うん、そうだよ」
言うが早いか、柏は飛びついてくる。
「よかった!会えた、また、会えたんだな、フォックス!」
ぎゅうぎゅうと抱きしめる腕に、体温が上がった気がした。
「え、ちょ、か、かしわ?――ヴィオ?」
「フォックス、会いたかった。もう、会えないんじゃないかと、ずっと思ってたんだ」
困惑する。柏は二年前の事件以降、性格が変わってしまった。昔から不器用で、捻くれていて、不良っぽいところはあったけれど、自分の気持ちには素直だった。納得できないことは主張するし、反論もする。――そんな、当時のヴィオに戻ってしまったように、体全体で喜びを表す柏に戸惑った。
(なぜ?僕は、フォックスは裏切り者だよ、それなのに……)
「なぁ、ロキは?」
瞳を見つめられて放たれた言葉に、その質問に、肝が冷えた。体中が凍りつく。
「フォックスはリアルでもロキと親しいって聞いてたから、会えて嬉しい。探してたんだ、ずっと。なぁ、ロキって今――」
言葉をそれ以上、聞きたくなかった。遮るように突き飛ばして体を離す。
「死んだよ」
凍った心のままで、凍った声で、僕は答える。全身に虚脱感が芽生えていた。
柏が、ヴィオがフォックスに会えたことを喜んでいるのは、フォックスに会いたかったからじゃない。ロキに、会いたかったからだ。
(僕じゃ、ない――)
「ロキは死んだ。君も知っているはずだ」
さむい。いたい。
何故だろう、わかっていたのに。彼は僕なんてどうでもいい。ロキのおまけでしかない僕が彼に望まれるはずなんて、ない。視線は俯き、心は閉じてゆく。
「そうだろ?何を言ってるのさ、君が見たんだろ。僕に今更いうことじゃない」
僕は真理の扉の前まで行くことはなかった。カルティエッタもそのクエストには参加しなかった。ジェミニ最大のクエストであり、大量のプレイヤーが挑んだ場所だ。その扉の前まで辿りついたものはけれど、誰一人いない。そう、ヴィオとロキ以外は。
(もし僕が参加していたら)
変わっていたと思うのはおこがましい。僕が参加すればより悲惨だったと予測がつく。
「で、でもリアルでは――」
「だから、言ってるじゃないか。死んだって。ジェミニのロキもロキのプレイヤーのリアルも、みんな死んだよ。君だって知ってるだろ、あのゲームでの死は偽りなんかじゃないって。今更、本当に今更の話だな」
口から紡ぐ言葉は偽りまみれで、嘘の塊で、それでも滑り落ちてくる。僕の本来よりも饒舌な動きで、先ほどまで嘘をつきたくないと思っていた人物に、あえて辛辣に毒舌で真実を加飾してゆく。――違う、そんなことを言いたいんじゃないのに。
「そん、な――ウソだろ、だってロキは……」
呆然と、否定を繰り返す柏に、かつて僕が、僕自身に向けて繰り返した否定と同じことだ。そうして、眼を逸らして二年間。何も変わらず無為に時を消費した。挫けても前を向き、進み続けるヴィオが、だから眩しかった。だが同時に、ヴィオの希望はこれで折れることになる。唯一、望みはロキだから。
「ロキは、なに?君が一体ロキの何を知っているのさ。知ったかぶり、何も知らないから今なんだろう。君は何一つ。ロキを知らない」
でも、僕も知らなかった。一緒にいた時には、何も知らなかった。
その考えも、思いも。なにもわかってなかったんだ。