二章-5
「眠いか?今回はどれくらい寝てないんだ?」
「ん……一ヶ月」
それはは人の三大欲求に睡眠が入ることを知っていての言葉だろうか。いや、知っているはずだけれども、架火は仕事中毒者。兄である静にも適応される言葉だが、あの人は自分を疎かにする人ではない。限界まで酷使する人ではあるけれど。
(僕が帰ってきたと同時に寝なく、いや眠れなくなったのか)
「検診に行ったばかりなのに。……静さん忙しかったのか?」
「うみ。でも、かえってきた」
海外か。僕を呼び戻したのが彼なのだが、この一ヶ月にどれほど海を渡ったのか。忙しい時期ではないはずだったが、と年間スケジュールをおぼろげな記憶の海から呼びだす。
「――これから静さん、呼ぶから。多分、連絡来るだろうけど」携帯で呼び出しながら、「その必要はない」行動を遮る声に校門へと視線を向ける。
「あにー?」
からからと笑う架火と繋いでいた僕の手へ、睨むように視線を向けている存在。門へと向かうグラウンド横断。門へと身体を預けて立っていた彼は昼時の騒がしい生徒達を真っ二つにして歩いてくる。校長が慌てた素振りに静の後をついてゆく。まぁ、無視だ。
手の一振りで人払いをする静をぼんやり見上げる。彼の権力には様々な視線が付きまとう。好奇も尊敬も、野次馬だってついてくる。けれど、それは同時にそれを振り払える力でもある。世界に誇る日本のゲーム・ジェミニ。それを作り上げた悠木の嫡男、次期当主。涼やかな目元に高い背、スタイルはモデル以上。女性的ではない美しさをもつ男性。
「静さん。少し、遅かったですね」
「――元々来る予定はあったが、問題を起こしたのは誰だ?」
「名前も知らない一般生徒ですよ」
暗に僕じゃないと主張。余波を被るのはごめんだ。
「せっかく“どうせいらぶらぶ・かえりがけでーと”ができるとおもったのにぃ」
にぃ、とか言われても。同棲はしていないし、ラブラブでもない。当事者がこれじゃ、兄の静も過保護になると言うもの。
「学校に通うならいくらでもできるだろ、それこそ毎日。デートはしないけど」
「ううーん。きょうだけぇー。じかんないからかよえないよっ」
「……今日だけの体験入学?」
「学生身分の方が便利だっただけだ。――時間と本人の意思さえあれば通えばいい」
実質的には無理だって事だ。基本的に架火は多忙だ。仕事に忙殺されている。そうでなければ死んだように睡眠を取っている。その過密スケジュールに学生でいられる時間をどう作り出すのかと思えば一日ほど予定を空けただけだった。それもすごいけれど。
それに架火本人は学校に興味があっただけ。今日一日、いや実際には半日だけれど、それで十分だ。学校は架火の退屈を凌ぐだけのものを何ら持っていない。
「示崎!――あ……」
追って来たらしい柏が手前で止まる。その視線は僕の目前、周囲から遠巻きに見詰められる美貌の男性――悠木静。誰もが知る、ジェミニ制作プロジェクトの代表の顔だ。
「――おまえ、名は?」
そして答える。無感情に、ただ、名乗る。
「柏 糸闇」
知るはずのない二人が、知る必要のなかった二人が、また僕の前で縁を結ぶ。架火しかし、静しかり、その偶然は運命に踊らされた必然なのだろう。
「――そうか、お前が……」
「ふん、ガキだな」
鼻で笑う、を地でやる人だ。柏もジェミニではよくやる癖。スカしてると言われそうだが、似合っているのだから誰も、笑われた本人以外は抗議しないだろう。どっちも美形だ。
「な――……っ」
絶句する柏。僕もだけれど。それもそうだろう。いくらなんでも不遜すぎる。いくらなんでも横暴すぎる。なんという傲慢。――挑発だ。
「静さん」
清廉な顔立ちに似合わず、性格はひん曲がっている。事態が面白くなるように細工する知略家なのだ。それでも、静はプライベートと仕事を分ける人だし、プライベートに権力や立場、生まれなどを持ち出すようなこともしない。僕の友人を外見だけで嘲る言葉を出す事も、普段ならしない。今彼がしているのはだから、挑発。その真意はわからないけれど、変なことになる前に止める。彼が柏に絡むのなら十中八九、原因は僕に当たるからだ。
けれど、それ以上何を言うでもなく静は去った。あっけないほど簡単に。自らの煽った相手と対話することもなく踵を返して。忙しいのだろう、と僕は推測できるけれども。柏は機嫌を悪くしたが。
「……聞いていいか?」
「ん?何」
「あの人、……ずいぶん親しそうだったけど」
躊躇いがちな発言。質問されるだろうと思った内容にそ知らぬふりをして聞き返したが、その尻すぼみの言葉にしては強い問いかけに誤魔化すの無理か、と早々に表面的な言葉を出す。
「架火のお兄さん。そして悠木財閥の嫡男。悠木 静。もちろん、成人してるよ」
「いや、それはわかる……」とやや混乱気味の瞳で訴えかけられる。その意は正確に読み取れた。あまり、公にしたいとは思わないが、架火と僕の関係性を見ていればいずれ気づく事柄だ。況してや、友人である。隠す必要性も感じられない。
「パートナー。仕事、手伝ってるんだよね。架火があんな調子だからさ」
実際にはもっと複雑だということを、僕は言わない。だって、滑稽な話だ。昔は彼に毛嫌いされていた、なんて。とてもじゃないが、古傷を抉る。
「さて」
それから、僕は話をした。極平凡に、極普通に、抑揚もなく事務的に架火について語る。悠木家の娘。天才であり障害児。頭脳も心も世界のためにあれ、と磨耗してゆく。朴訥と、そんなことを嘯く。恐怖を埋め込むにはそれだけで十分。