一章-23
「僕一人じゃ、無理なんです」
ホームタウンに設置された、エリア転送装置。卵型の柔らかなフォルムには仄かな光が灯っていて、荘厳な街並みとはまた別の神秘さをまとっている。その触り心地は既に体験している。ゼリーのような感触で膜を張っているその中では分解と構成が繰り返し行われていて、その中に入り込むことでエリアを異動する事が出来る。卵に触れた上でメニュー画面からワードの設定をするとエリアへのゲートが作られる。パーティは一人が異動すれば他の仲間たちも自動的に異動することになる。僕はルッツの瞳をみた。彼のためのリサイタル。だから、“主賓”を連れて行く。そうして、“ゲート”に侵入する。
次に見たのは白銀の煌く世界だった。
一面、雪に覆われた巨大迷路街が眼下に見える。頑丈を売りにした背の低いな造形物。中央棟だけが雲を突くよう先端を延ばしていて異様。門は街に隣接する小高い丘にあった。
「幻想的な光景だな。俺たち武道家には縁のない場所だ。さすがリスタちゃん!」
積雪の風景に感嘆の声を上げるルッツ。先ほどの会話を感じさせない軽く明るい調子。
「あの、ちゃんづけはやめてもらえませんかね」
「そんな硬いこというなよ、リスタちゃん」
“ちゃん”付けに抗議してもまったく威に返さない、手ごたえがないというよりまったく見当違いに誤解しているように思える。ウィンクするルッツに僕は溜息をついた。白い息は視界を一瞬埋め尽くし、すぐに後ろへと流れる。――元気だな。
体感はマイナスの気温を敏感に感じ取り、常冬のエリアにして薄着の僕は身震いする。気休め程度だが四次元ポケットならぬカバン、代わりの携帯からアイテム・耐氷衣を取り出し、身を包んだ。その中で自身の身体を腕で抱きしめる。動かないでいるのもまた寒いので、準備運動。軽く腕を動かす。それから背後でコソコソしている二人を振り返った。首を傾げる。ルッツが何故だか凝視していて、その視線は上下に動き、
「お、おとこ……?」
深々と積もる雪に吸収されて音は拾いづらい。それでもこの至近距離で、唇の動きを読む。その疑問にはどう答えるべきか、と迷いつつ首を傾げて肯定も否定もしなかった。
どちらでも、好きなように取ればいいと思う。どうせいまここにいるリスタは現実のものではない。どちらでもある曖昧な存在だから、自分では断言が出来ないのだ。
「絶望した……ッ!俺が、俺が見間違うなんてッ美少女の香りがしたのにぃ!」
両手両足を地面に着いて頭を項垂れ絶望を表すルッツ。そのむき出しの両手は雪の突き刺す冷たさに触れ可哀想なぐらいに真っ赤になった。……あほらしい限りだ。
勝手に勘違いしたのに、と呆れたが、こうしていてもしかたないと話題転換する。
「にしても、凄いですね。こんなの初めてみました」
その言葉にヴィオはルッツ虐めをぴたりと止めて、苦々しく聞いてくる。
「……また、か?」
「そうみたい」
確認の画面を示す。そこにはエリア名が記されている。
金属性エリア【初雪 積もり続く 天候の闇 柔らかに微笑み 嘆く世界】雪原・常冬。
ワードを五つ組み合わせて句のようなものを作り上げる。それに従いゲートは道を開く。文字数の制限はないしまったく同じワードを複数使ってもよい。順が変わるだけでまた別のエリアへと変化するのだから、エリアは無限にあるといってよい。ただし、ワードにはそれぞれエリア構成のための要素がある。季節と信仰する神、ダンジョン選択、フィールド選択、時間帯、イベントなどを取り決める。その他に錬成度や攻略の難易度、モンスター量、アイテム獲得度数など。ワードは全員が支給されている基本ワードとゲーム進行中に入手するものがある。後者はイベントエリアクリアの特典の一つ。言ってしまえば辞書だ。最初は子供だから簡単な辞書。けれど、成長に従い単語数がより多い大人用の辞書が必要になる。ワードを高額取引する行商など、ジェミニを生きる上で結構重要だったりする。
「――どうする?行けないことも無いんじゃないか?」
適正レベルと設定されている数字と自らのレベルを鑑みてヴィオは言ったが、ルッツが心底驚いて否定する。
「はぁ!?ちょ、引き返すぞ。リスタのレベルじゃ一発KOだって!」
パーティにはリーダーが必要である。便宜上の指示者だ。司令官というほどの明確性は無く、またリーダーが倒れればパーティの負け、などということもないので、実際にはエリア内での動きの基準となるだけの存在であって、従う必要性はないが従わなければいけないボスというわけだ。今回のリーダーであるヴィオはパーティ全員の意思を尊重し、その判断を個人に委ねた多数決式。けれど、そうも言っていられないのが現実だ。
「悩む暇は、与えてくださらないようですね」
僕はモンスターの陰を捉えながら言う。
「ボケッとするな、伏せろ!」
視線の先、後方――モンスターの軍勢が闊歩していた。敵は未だ気づいてない。ルッツは慌てて新雪へと体を倒し、ヴィオも僕を引き倒して雪へと身を埋めた。服を湿らせて侵食する冷たさに、すぐ傍にある温もりへと気づかれない程度に身を寄せた。温もりが伝わる。それがとても嬉しく、空しい。
モンスターたちをやり過ごす。ヴィオは無関心だがルッツは暢気に感じたのだろう、怒気を孕む忠言を僕に向ける。
「それはこっちの台詞だ、何考えてるんだ!気づいてるならさっさと――ッ!」
言葉が擦り切れになるのはもう一陣のモンスターを見たからだろう。先ほどの軍隊行進とは比べ物にならないほど小さな小隊だ。けれど多数のそれは三人で対処しきれるか、と聞かれれば首を傾げるもの。そして、未だにこの近辺にいるだろう軍勢に悟らせずに戦闘をすることは不可能。そうなればどちらにしても戦闘は回避できない。そして僕の体質は確実にモンスターを引き寄せる。けれど、何事にも例外は存在するというものだ。
「心配しなくても大丈夫ですよ、トラップしかけたので。こちらに来ようとすれば……」
今の場合、広範囲攻撃を持っているかどうか、事前準備があるかどうかという二点の有利がある。
「――ああなります」
ブシュッと体液を撒き散らしながら分断される体。それはこちらへと気づいた小隊がゲート広場の入口で切り裂かれる姿だった。血飛沫が汚らしく純白の積雪を多い尽くす。
ゲートの周囲は大抵が囲まれている。転送と同時にモンスターと遭遇する場合などに備えた、地形なのだ。この常冬のエリアでもそれは同じで、ゲートを中心として広場があり、それを囲むようにして石柱が立ち並んでいる。一方向だけが進路として開かれ、そこは仮初の門として一段と高い石柱が二つ、聳えている。
僕がしたのは簡単なことだ。単にその石柱と石柱を糸で結んだだけ。そこを突進するのだから、当たり前に肉はぶ切断状態。
弱点はある。本来の僕ならば問題のないことだ。しかし、悲しいかな、リスタはつい数週間前にプレイし始めの初心者。装備できる武器のレベルは、制限されている。そう、今日の糸は初心者用の剛糸。攻撃力よりも頑丈さを追求し、柔らかさよりも断ち切る強さに重きを置いている糸だ。――モンスターを切断する代償として、ゲートも輪切りになった。
「おいおい、冗談、キツッ!」
二柱は崩れ去り、モンスターの残骸に身を降らしてゆく。驚異的な生命力と回復力を持つモンスターへの決定打となるが、しかし、同時に道も塞ぐということだ。
ヴィオは短くエリア攻略を指示して落石の間を縫うように街へと身を乗り出す。僕とルッツもそれに続いた。――間一髪のところで滑り込み、背後は塞がれた。――暫くはこのエリアは封鎖されることになるかな。帰りはゲートを使用する必要がないのが幸いだ。