一章-20
データで構成された世界は緩やかに時が流れていく。だが、体感と真逆に現実の三倍速で回るのがジェミニの時間。川は太陽に反射して煌き、木の葉は揺れ、靡く。花は色取り取りに咲き誇って首を揺らす。小鳥が囀り音楽を奏で、風がサワリと人々の頭を撫でて過ぎ去る。そんな長閑な景色を歩いて眺め、僕は手を伸ばし――
りんりんりん。りんりんりん。
思ったよりも近くで鳴った音に驚き、くるくると頭を振って視線を巡らし、その人物を探す。
「あ」
何やらその人は誰かと話を、口論をしているようだった。
「なにしてるの?」
俯き、手元を操作しようとする彼に、覗き込むようにして話しかけた。
「――っ!」
「ひゃい!?」
三者三様、ではなく二者二様。変な声を上げる女性に、無言で驚き息飲むもう一人。りんりん、という鈴の音を転がしたような呼び出し音は彼から聞こえていた。
リスタのアドレスに登録されているのは未だ一人、呼び出しているのはヴィオ。彼は偶然ながら僕の側にいたので、直接赴いたのだが、連絡ツールに返事をしようと操作しかけたヴィオは驚きに眼を見開いた。硬直してしまったヴィオから視線を外し、隣の女性を見る。落ち着いた色合いの長衣を纏う大人の女性だ。瞳が鋭さを持っているのでハンターであることは間違いないだろう。とりあえず、挨拶は大事だろう。「おはよう。いや、ごきげんよう。うん?……こんにちは」
「え……と、ここに時間は関係ないからどれでも良くなくて?」
「そうだね。はじめまして。リスタです」
「は、はじめまして。マチルダよ」
「二人でこんな路地でどうしたの?」
尋ねれば二人の間でアイ・コンタクトが交わされる。誤魔化されれば追求する気もないのだけれど。マチルダが意を決したように頷き、口を開く。「――逢引よ」
「ギルドだっ!」
ヴィオによる素晴らしい反射速度のツッコミだった。
ギルドとは、サークルのようなもの。同じ目的意志を持つゲーム仲間。パーティとは別で、友人とも別の仲間。そして彼らには専用の部屋、アジトがある。アジトはつまり家、貴重品など置いておく場所。現実でもそうであるように、空き巣というのは鍵を掛けても侵入するもの。だったら、最初から癒えの場所がわからなければ誰に侵入される事もない。だからアジトはホームタウンにて隠される。家の鍵を持つのは家族、ギルド仲間のみ。アジトはごく一部の者しか知ることの出来ない特別な場所。秘されて当然。誤魔化そうとして、結局トンチンカンなマチルダの答えとヴィオの正直なツッコミで僕は知らされたが。
「僕も入りたいな、ギルド」
「駄目だ。資格がない」
ヴィオの否定は即座過ぎて、僕も一瞬の油断を、そう、素の表情が出るような隙を己に与えてしまった。自分の瞳はわからない。だがヴィオが驚いたのは分かった。彼の自然な拒絶に、心からの拒否に、僕はどんな顔をしてしまったのか。ヴィオは困惑したような顔で口を開き、何かを言おうとしたが、その前に僕は表情を作って見せた。少し拗ねたような顔。そうして、いつも通りに偽る。いつも通りを偽る。
「ちょっとの間だけだよ。すぐ抜ける。……大型ギルドが一つ、作られるからそれまでの間だけ。それに入るつもりなんだ」
事情、として情報提供。それだけ言えば大体は納得するものだ。なにせ、ギルドに入っていないとは後ろ盾がないということ。ギルドを立ち上げることが出来るのはその資格を持つ者だけ。有体に言ってしまえば上級者が多い。権力者の影に群がる者が多いのはこの世界でも一緒で、ギルドに入っていないということはそれだけで、なめられる。難癖を付けられても、不利なのは個人。それが例え理不尽に追いはぎにあったり殺されたりしても、相手がギルドに入っていれば、そこが大型であるだけ、誰にも取り合ってもらえない。
ギルドに入らないということは安全性が確保できないということと同義なのだ。もっとも、ギルドには位階があるので、巨大ギルドには弱小ギルドを潰すことなど造作もない。初心者には初心者向けギルドというのが案内にあるが、規約としてレベル上限を超えれば抜けて自立しなければならなくなる。ギルドを入らないでいる者はソロ中心、腕の立つ者でなければやっていけない現状だ。
「少しの間だけなら、仮入団ね。私達のギルド名は常勝の女神“ニケ”よ。よろしく」
ニケ――常勝の女神。ニケが首無し像であることはトップの空席を現すのだろうか、なんて。勝手な思索に切りをつける。
ギルドにはギルド用のクエストがあるなど、そういう便利な部分だけ共有する為に仮入団制度というのが設けられている。いわゆる部活の幽霊部員。後ろ盾はあるが放逐・放し飼い。ただしそれにも制限がつき、ギルドマスターの召集は無視できなかったりする。
「おい」ヴィオは強張った顔でマチルダに険しい視線を向けた。理由は分からないけれど、戸惑いも多く見て取れて、僕であるということに蟠りがあるのだと推測が出来た。
「資格がないかどうか、勝手に判断するのはよろしくない癖だわ」
立場はマチルダの方が上なのか、それ以上は何も言わず、ヴィオは促すように僕を見た。対して、彼女は僕に微笑みかける。
「あなたはここに大切なものを失くしたかしら?」
失くしたもの?そんなものは「あるよ。いろんなものを失った」
ヴィオは顔をしかめる。楽観的に答えたものだから信用は出来ないのだろう。
「じゃあ、これから入団試験ね。あなたの人間性と実力を見ます。でも私は用事があるから付き添えないの。選定に一人つけるから、“門”の前で待っていてちょうだい」